ああ、主よ
私を見捨ててください

私は貴方に尽くす資格はないのです
今まで貴方を敬ってきました
貴方に毎日祈りを捧げてきました

けれど、もう
私はあの人以外が見えないのです

それでいいのです…


 

腐臭 むせ返る

支援していた友人のクルセイダーが倒れ、動かなくなったそれに、モンスター達は興味を削がれた様子。
そして彼らの興味は、まだ生きて動く、震える、血を流す、痩身のプリーストの女性に向けられた。

「ッ…」

彼女は逃げようとしたが、思いとどまった。
仲間を見捨てられない。

彼女はリザレクションの詠唱を始める。
牙が、爪が、体に食い込む。柔らかい皮膚を引き裂く。

けれど、力尽きるまでにリザレクションを完成させたかった。
彼女は喉だけを庇いながら詠唱と精神集中を行う。

主よ。
どうか、彼をお救い下さい。
私の命と引き替えにでも…。

 

奇跡が起きたと思った。

詠唱もまだ完成しないうちに、モンスターが風に吹き飛ばされるように散った。
そして宙で切り裂かれ、血しぶきを上げて床にバタバタと倒れていく。
地に伏してもまだ生きていたモンスター達も、逃げようとした瞬間に血しぶきをあげて、一瞬で絶命した。

あっという間に、静かになった。
彼女は全てが終わっても、しばらく呆然としていた。

ああ、主よ…

奇跡を与えてくれた事へ、感謝の祈りを捧げようとした瞬間
彼女の前に影が舞い降りた。

「……あ」

アサシンだった。
普通のアサシン以上に身を隠している。
体を全て濃い装束で多い、顔や髪までも黒で覆い隠している。

見えるのは…流れ出したばかりの鮮血を押し固めたような紅い瞳。
そしてわずかに覗く肌の白。

彼女の中に在る“神”とはとうていかけ離れた者だった。
けれど、すぐに彼が助けてくれたのだと理解した。
その異質な瞳から、目を反らすように頭を下げた。

「危ないところを、ありがとうッ…ございました…」

言っている最中に激痛が走った。
足と、肩と、背。とくにそこに強い痛み。
だが痛むのは最早全身。

彼女は屈んだまましばらく動けなくなった。
助けてくれた人の前で、情けない。

「……リザレク、ション…」

彼女は弱々しく蘇生魔法を唱えた。
行動を起こそうとした時、真っ先に思いついたのが仲間の蘇生であったから。
失血で思考が鈍くなったのだろうか。自分の回復はその後にやっと思いついた。

リザレクションをかけても、彼はなかなか目を覚まさなかった。
だが生き返ったはず。
起こせばすぐに起きてくれる。

「……ッ…」

それからやっと、自分にヒールをかけようとした。
だが、突然息苦しくなった。

喉に血が溜まっているのだろうか、息ができない。
体も冷たくなって、もう指を動かすくらいしかできなくなっていた。

「は…かっ…ッ、ヒッ…ゥ…」

ついに完全に倒れて、彼女は肩や胸を激しく揺らし、息の通らない呼吸をする。
情けない声が無機質に響いた。
さっきのモンスター達に一斉に食いつかれた時よりも、死を近く感じた。

不意に、視界がフッと暗くなった。

死ぬのだろうか…

そう思ったが、それはまだ先だった。
自分のいる場所に影ができて暗くなっただけだった。

視線だけ動かすと、ボンヤリとさっきのアサシンが見えた。
ああ、まだいたんだ。
彼女は「助けて」とも、「早く楽にして」ともとれる視線を向けた。

 

突然、全身に水をバシャリとかけられた。
何かと思ったのは一瞬で、全身がほわっと温かくなるのに気付いて、彼は「助けて」の方に応えてくれたのだと悟った。
けれど、彼女の不規則で滑稽な呼吸は治らない。

体を起こされる。

アサシンのやや細めだが鍛えられた体に抱きしめられて、
黒いマスクを外した血色の悪い唇が、彼女の口を覆ってきた。

舌が割り入ってきて、プリーストの口や歯を開けさせる。



「ッ…」

グッと喉が仰け反るまでに唇を押しつけられ、彼がそっと口内を吸い上げてきた。
とたんに、気管を塞いでいた物が、喉に詰まらせた餅を取るようにズルリととれた。

唇を放されて、突然開通した喉に、存分に空気を通した。

アサシンが彼女の喉からとりだした物を、その辺にベッと吐き出したのは完全にゼリー状に固まった血の塊だった。

「あり、が…と…」

ございます、までちゃんと言いたかったが、そこまで言える余力がなかった。
プリーストの吐き出した血で、唇を濡らしたアサシンは無表情で彼女をそこに寝かせ、歩き出した。

その姿を見送りながらプリーストは最後まで気を失わなかった。



回復し、目を覚ましたクルセイダーと共にそこを後にしたのはそれから数十分後。

 


 

支援はしばらく断った。
みんなはあの時の恐怖が忘れられないのだろう、と言って、無理に彼女を誘うことはしなかった。

けれど、彼女の頭の中にあるのはいつもあのアサシンのことばかりだった。

ろくな礼も言えなかった。
とても強くて、怖かった。
けれど助けてくれた。
人は見かけで判断しちゃ駄目なんだな。

彼女は宿のベッドの上に座り込んで、目をつむり、彼の顔を思い出していた。
間近で見たマスクを外した顔は、人形のようだったけれど。
紅い瞳は人間のようではなかったけれど。
触れた唇は冷たくて死人のようだったけれど。

けれど………

 

「あ、暑いです…。いや、これはもう熱いです…。ゆであがります…。」

アサシンギルドを求めて砂漠を一人旅しだしたプリースト。
か弱い女性が、不釣り合いなメイスを抱えて砂漠を1人で歩く姿は異様だった。

不意に、甲高い鳴き声を上げて、サボテンのようなモンスターが跳ねて近づいてきた。
それは去勢を張っているように、うざったく鳴き喚いていた。

「……………五月蠅いです!!!!」

彼女はその非力な体に“怒り”という属性をつけて、サボテンを力の限りぶっ飛ばした。
そのサボテンはあっけなく吹き飛んで(本来はそう簡単に砕けるようなヤツではないのだが)水を撒き散らして消えた。

 

「や、やっとつきました…、何故、こんなところに…わざわざギルドを……」

ブツブツ文句を言いながら、彼女は日陰に逃げ込んだ。
たどり着いたアサシンギルドは、当然のようにアサシンばかりだ。

その中に彼の姿がいないかと思って探してみるが、服は似ているが顔まで似ているものはいなかった。
そもそも彼女は顔すら知らない。
あの鋭い目つきしか見えていなかった。
あの血のような真紅の瞳。

アサシンばかり…他の職のものがいてもみんなアサシンやシーフと話していたりしていて、彼女のようにプリーストの女性が1人でいるなんて異様だった。
アサシンは仮にも“暗殺者”だ。
普通は殺生を嫌うプリーストはタダでさえ毛嫌いするというのに。

何人かが怪訝な表情でこちらを見ている。
だが疲労でそれどころではない彼女は、目的を遂げようとギルドの奥へ進む。

「ですから、人を捜しているのです。」
「いや、そう言われても…」

アサシンはみんなぶっきらぼうなのかと思っていたが、話を聞いてくれた人は優しくて愛想もよかった。
だから彼女も遠慮無く詰め寄った。

「名前が分かるのならまだしも…」
「顔は分かるんです…多分。写真とかプロフィールとかありませんか?」
「いや、探せる量ではないし、個人情報ですから。」
「一生の恩人なんです!どうしてももう一度会いたいのです!」

アサシン装束ではなく、このあたりの民族衣装を着た彼は、ボリボリと頭を掻いた。

「まぁ、一応聞き込みくらいはしましょう。」
「ほんとうですか!!」
「ええ。あまり期待しない方が良いと思いますが」
「いいえ!可能性が少しでもできたのですから!ありがとうございます、感謝します。」

涙を流しそうな勢いで礼を述べるプリーストを見て、彼は困ったように、けれど安心したような笑顔を浮かべた。

「では、特徴をできるだけ詳しく話して貰えますか?」
「はい」

 

できた捜索書はこう。
『以下のアサシンを捜索中。
色白、紅い瞳、黒い首辺りまで伸びた髪。
グリムトゥースを習得済み。
××日にスフィンクスダンジョンでプリースト(女)を救命。
そのプリーストから一言礼が言いたいとの捜索依頼。』






ギルドから連絡が入ったのは数日後。
該当者が1人名乗り出たという。
プリーストに会ってくれるかということにハッキリとは応えてくれなかったが、待ち合わせの日時は相手に知らせてくれたという。

 

あの人は来てくれるだろうか。
なんだか私のことなんて忘れているかもしれないけれど…

それでも、会いたかった。
お礼が言いたいなんてこじつけで、ただ会えればよかっただけ。



私を優しく助けてくれた風。
冷たい唇の亡霊。

……彼女の中にできたのは、そんなあまりよくない印象だったが…
彼女の崇拝してきた神よりも、いつの間にか大きくて、自由なイメージになっていて……

合う時間は夕方だったが、彼はなかなか来なくて日が暮れてしまった。

賑わっていた街道は、どんどん店が畳まれて、人通りも大分少なくなってしまった。
あの人には夜が似合うから、夜になれば会えるような気がして、待ち合わせの夕方を過ぎてもそこで待っていた。

早く会いたい、あのアサシンに。

「…アンタが礼を言いたいって捜索願出したプリーストか?」

ただの通行人かと思っていた男に、突然声を掛けられた。

「え…あの…」

声をかけてきた男はアサシンだったが、彼ではなかった。
髪はあの人よりも短くて茶色いし、瞳はあの冷たい紅ではなく少し赤みを帯びた茶色。
人違いかと内心ため息をついた。

「はい…でも、どうやら」

人違いのようです。といおうとした瞬間、腕を掴まれて強い力で引きずられるようにどこかへ連れて行かれる。
すぐ近くの路地裏のようで、暗い建物の間に口を塞がれながらあっという間に引きずり込まれた。

「っ、何をするんですか!!」

彼が力を緩めた隙に突き飛ばして離れようとしたら、通路の奥にも自分の後ろにもガタイのイイ男達が壁のように立っていた。

「半分期待してなかったけど、予想外に上玉だな。可愛いプリーストさん、俺に礼してくれるんだろ?」

アサシンがニヤリと笑いながらそんなことを言ってくる。
背筋に冷たいものが走った。

「っ、違います!!私が探してたのは貴方じゃありません!!」
「何だよ、俺は覚えてるぜ。時計だったか?それかゲフェンダンジョンか?」

笑いながら目の前の男に、背後の男に肩や腕を掴まれる。
悲鳴を上げようとしたら口を大きな手で、頬の骨がきしむほどに強くふさがれた。

引き倒された地面は砂が多くて、顔を振ると耳あたりがこすれて痛かった。
必死に動かした視線は男達の顔を捉えていた。

でもその奥の欠けた月が皮肉的に綺麗で、目が離せなくなった。



なんで、なんで
お礼が言いたかっただけなのに
会いたかっただけなのに

界の月が涙で滲んだ。




けれど、その滲んだ視界で黒い何かが横切った。
掴まれた腕はそのままに、男達の動きが止まった。



「……おい…。」

誰かに呼びかけるでもなく、男の一人が呆然と呟いた。
4人の男がプリーストを囲んだまま、少し離れた先を見ている。
押し倒されている彼女からは見えなかったが、一つの変化に気づいた。

臭い。
濃厚な血の臭い。

「ヒッ…」

足を掴んでいた男が引きつった声をあげて離れた。
右肩を抑えていたアサシンは短剣を抜いて、叫びながら変化の方へ突っ込んでいった。

そして2度響く金属、その後にグチャリと―肉のつぶれるような音。
更に濃厚になる血の臭い。
見えないところで起きているであろう惨劇を思い浮かべて、吐きそうになった。

「うわあああああ!!!!」

闇に消えていく、人の悲鳴。
プリーストを離して走り去った男達が、数メートル先でパタリと気配を消した。
血の臭いは尚濃度を増す。

ずっと視線の先でポッカリ浮かんでいる月。
それをただじっと眺めているうちに、全ては血の臭いに消えていた。

そして視線の先で…黒い影が現れる。
すぐ隣に立って見下ろしてくる影。

「……。」

事態は把握している。
なのに夢心地で、現実に思えないのは…
あまりに濃い血の臭いのせいか、あまりに明るく作り物じみた月のせいか。

それとも、もしや幻だったのではと少し思っていた人が目の前に現れたからか。

決して追えない、届かない、掴めない、そんな雰囲気を出していたのに
まだ二度だけれど窮地に陥ったときにはこうして現れる。
そしてその姿はこんなにも…魔物染みて血の臭いがする。

恐ろしいけれど、魅せられてしまった。



「もう…会えないかと…。」

黒い視線は不動。

「…会いたかったん、です。」

手を伸ばしたいのに、瞳に囚われて体が動かない。
手を伸ばせば切り捨てられるような、生きた人を受け付けない冷たい視線。
それでも一度触れて、助けてくれた。

それの本質が本当に冷たさばかりなのか、それともどこかに温かさがあるのか。
知りたい。

不意に彼に抱き上げられる。
黒いマント、黒い装束の奥にある彼の体は、思ったよりも柔らかくて温かかった。
人の体の温かさに驚いたけれど、とても心地よくて体の力を抜いて委ねた。

このままでいたい。

そう思いながら、プリーストは目を閉じた。
彼が歩き出し、向かっている先などどこでもいい。
どうでもいい。