手足が痺れる。 喉が焼ける。 「―――!!」 傍にいた娘が悲鳴を上げて慌てふためいている。 こんなときに限って、いつものベテランの侍女ではないとは。 そして息ができない、それでも、なんとか声を出そうともがく。 「…スープ、だ!…ぁやく…主人に!」 「誰か!誰か!!お医者様!!」 うろたえて助けを求めだす聞き分けのない娘に、スープで汚れたままの手で張り手をした。 加減ができずに鈍い音がしたが、それで思考の止まった娘に震える声で「主人に、スープに、毒があると」と再度言い聞かす。 最後まで言わずとも、今度はそれで察したようだった。 彼女が部屋から飛び出したのを見送り、備え付けの洗面台の方へ走りよった。 唇の端が切れるのもかまわず指を4本口に突っ込み、喉の奥まで押し込む。 すぐにくる吐き気に素直に先ほど喉を通ったものを吐き出した。 吐瀉物に血は無い。 蛇口を捻り、カップに水を注ぎ一気に飲み干してから、もう一度指を突っ込んで吐き気を促す。 一人になった部屋にはしばらく、私のみっともないもがき声と吐瀉の音が繰り返された。 「…くそっ…」 体の調子がある程度戻れば、毒の恐怖よりも毒にすぐに気づけなかったことへの苛立ちが先立った。 主人へ出される料理を毒見しながら、間抜けなことに友人のことを思い出し集中を欠かしてしまった。 猛毒ではあったが、即刻死に至らしめるものではないことは幸いした。 『ツチナワ、無事か。』 久々に聞くWISの、脳に直接届いているような独特の響き。 私にWISを遅れるのは今の主人と一部の者だけだ。 『無事です。毒はベラドンナ、致死ではありませんので。』 『そうか、よかった。侍女があまりにうろたえていたらしいので心配した。』 『傍にいたのが新人でしたので。…すぐに続きの毒見を致しますのでしばしお待ちください。』 『いや、主食はしてくれたのだろう。それで構わない。』 『…いえ、致します。』 『強情だな。』 主人の人のよさそうな微笑が目に浮かぶ。 いや、先ほどからずっと浮かんでいた友人の笑顔をそれで塗り替えようとした。 この屋敷にいる間は思い出すな。 月に一度、主人が禊ぎの為に一日清めの間に籠もる時のみ与えられる休日。 いつもどうでもいい日だったが、ここ数ヶ月はその日が楽しみになっていた。 楽しみ、そんなものは必要ないのに。 ぬるま湯につかるような日など邪魔なだけなのに。 ――― ツチナワー! ルアが、あの子が呼ぶたびに、その忌むべき名前も新鮮なものに思えた。 何度も呼ばれたから、何度でも鮮明に思い出せる。 何を話したのかも、何をしたのかも、鮮明に。 「……っ」 野菜料理に向けていたフォークを、自分の手の甲へ突き刺した。 何度も思考を乱す自分に腹がたったから。 「……。」 痛みに、やっとリアルな視界が戻ってくる。 朝だがカーテンを引いた薄暗い部屋、すぐ傍の汚れた洗面台。 その脇にずらりと並ぶ毒草、毒薬、解毒薬のコレクション。 そんな部屋で異質に明るい目の前の料理。 料理のいたるところを満遍なく少しづつ食べ、最後に形を整えた。 そして一仕事終えて、ただ「今回も生き延びた」と一息をつくのみ。 おはよう。ハンターのルアだ。 最近俺はとても機嫌が悪い。 そんな俺はいつもより無言で、兄貴と食卓についていた。 「大丈夫か?しっかり食べんと、いざというとき目眩が起きて横沸きアラームに腕かじられるぞ。」 「うがあああああああああ!!!!!!!!!!」 「うおおおおまたもや急なドメスティックバイオレンスか弟おおおお!!!!!」 「うるせえええええ!!!!兄貴が余計なこと言うからだあああああ!!!!!!」 兄貴のそのちゃんと食えというの+余計な一言。 前に俺がツチナワに言ってやったのと同じことだった。 くそ…また余計なこと思い出しちまった。 あいつ異様な少食だったんだよ。 職場ではちゃんと食べてるとか言ってたけどマジなのか? 大丈夫なのか? 干し肉一切れかじっておなかいっぱい、なんて言ってないだろうな? とかいろいろ考えてしまった…。 「最近ものすごい修行してるみたいじゃないか。がんばるのはいいが無理しすぎるなよ?」 「…ちょっとくらい無理してでも強くなりてーんだよ。」 「まったり狩りが心情のお前だったじゃないか。何があったんだ。」 「追いつきたい奴がいる。」 俺が真剣な目でそう訴えると、兄貴はフッと表情を緩めた。 「その気持ちは分かるぞ。」 うんうんと頷いている。 「あの人より強くなりたい、追い越したい、大きくなりたい。」 兄貴が口にする言葉達は、確かに俺の思いに沿っているものだった。 「…まぁな。」 「そして彼女を守れるようになりたい!」 「………は?」 「その気持ちは分かるぞ男として当然だ! しかし弟よ、よく目を凝らしてみろ!そんな無理をせずとも愛しい人はお前のありのままを思ってくれ」 「だから女じゃねえっつってんだろうがああああ!!!!」 俺は兄貴の顔面に向かってパイ投げよろしくサラダを投げつけた。 「っっっ!」 兄貴は皿がずり落ちてサラダが散らばるのを防ごうと皿を顔につけたまま下を向き、それをそっとテーブルにおろした。 「コラ弟!サラダが嫌いだからってどさくさに紛れて食い物を粗末にして暴力を振るうな!食え!!」 「誰が兄貴の顔面にくっついたあとのサラダなんて食うか!!!」 サラダまみれの顔で迫ってくる兄貴を押し返しながらの攻防。 阿呆な兄貴だけど、こうしてるとちょっとさっきまでのイライラを忘れられていい。 ずっとこんなノリだけど、ご飯食べながら愚痴にも付き合ってくれたしな…。 ありがとう、兄貴…。 「ふぐおおおおおお!!!」 「ぬうおおおおおお!!!」 と思うけどこのノリのせいで礼を言う間なんかねえ…! 相変わらず腹がたつが乗りかかった船だ。 今日もとことん付き合って暴れてやろうじゃねえか!! 「毎日精が出ますね〜」 「どもー…」 「どもー…」 狭い庭でぎゃあぎゃあ騒いで戦って燃え尽きて倒れていると、もうなれたとばかりにご近所さんが笑いながら通り過ぎていった。 「…あー…スッキリした。」 もう日は沈んで視界は暗い。 …夜だってのに近所迷惑だったな。 でもおかげで今ではずいぶんイライラは収まった。 「そうか。そりゃよかった。また友達ともすぐ会えるだろ。 そっけないこと言われたって気にすんな。 世の中には自分の感情ちゃんと出せない照れ屋さんもいっぱいいるんだぞ。」 「…照れ屋か?あれは。」 兄貴にそう言われて頭をポンポンとたたかれて、情けないことに嬉しくなっちまった。 …というより“安心した”? って、じゃあ何に俺は不安を感じていたんだ? 「…なあ、兄貴。」 「んー?」 「俺さ、頭ん中ごちゃごちゃしてて、自分が何思ってるのかよく分からないんだ…。」 「…友達に「別に好きじゃない」みたいなこと言われて腹がたってた、って言ってたじゃないか。」 「うん、言った。言われた直後は思考が止まって、そのあと一人になって悔しくて泣いて、落ち着いたら腹が立ってきた。 それで、今はそれも落ち着いたんだけど、今度はなんか不安になってた。」 「…ふむ。」 「まー、忙しい身の上なうえに超強いあいつからしたら俺はただのヒヨッコだったんだ。さっさと縁切ってスッキリするか、面と向かって文句言ってやるかすりゃいいんだろうけど…。」 そうしたら、どうなるか…。 それをちょっと考えてみた。 「ルアは、そうしたいと思うか?」 …そうしたらたぶん、どちらにせよ俺とツチナワのつながりは切れる。 「思わない。」 即答した俺を見て、なんだか兄貴は満足そうに頷いた。 「だから不安になったんだろ。本当はその“彼”と友達に戻りたいのに、戻れないと思っているから。」 「…あー。」 「ツンツンしてばっかじゃダメだぞ、頭柔らかくして円滑に進む方法を考えろ? お前は昔から浅い関係の友達しかいなかったからなぁ…。 始めて喧嘩したり仲悪くなったりして、不安になっちゃう友達ができたんだなぁ。 なんとか仲直りして、仲良くやれよ。」 なんかお袋みたいなことを言って、大げさに嬉しそうにしている兄貴だ。 はー…そーゆーもんなのかー。 アイツと仲直りねー。って喧嘩すらしてねーよ。 …てゆーか、アイツは俺がこんな状態になってたことを分かってるんだろうか。 なんか人の気なんか知らずに普通に仕事に戻ってそうだな。 ………やっぱその確立は大だ!! それはそれでいいのか!? 関係は続けられそうだけどなんか腹立つな!! 「ところでルア、その友達ってのはどんな奴なんだ?」 「廃なアサクロ」 兄貴はその場で5分少々固まっていた。 「…どーせつりあわねーよ。悪かったな。」 「い、いや、そうゆう問題ではないぞルア…!!」 約束の日…いや、今日は約束なんてしてない。 でも、いつも約束してた日だ。 俺はやたら緊張していて、30分も早くいつもの場所にきてた。 やっぱり、面と向かって思ったことを言ってやりたい。 喧嘩売るわけじゃない、俺はツチナワとこれからも友達でやっていきたいから、不満もバンバン言ってやることにした。 で、いつかはちゃんと肩並べて戦えるようになりたい、そう思って来た。 そういやいつも、ツチナワは俺がどんなに早く来ても先にきてた。 理由は毎回「早く来る気がした」なんて言って…。 俺が早過ぎたのもあるけど、ツチナワがまだいないのを確認して「やっぱり…」と肩を落とす。 別に、最後に別れた時はまだいつものノリだったから呆れられたり嫌われてるなんてことはないはずだ。 でもちゃんと約束してないし…律儀に来るだろうか…。 言いたい言葉なんて決まってない。 ただ、面と向かって少しづつ話したい。 いつもの淡々としたノリで。 「…来いよ、頼むから。」 ここは、俺の薄っぺらい最後の砦なんだ。 アンタが来なかったら、本当にここで縁がぷっつり切れる。 私はアンタの名前すら知らない。 住んでる場所とか、仕事すら知らないんだ。 でもアンタの強さと人柄は尊敬してるんだ。 始めて友達になりたいって思って、なれたって思った相手なんだよ。 「………。」 胡座かいて地べたに座って、俯いた。 『今日は“早く来てる気がした”って勘は不在かよ!早く来い!!』 “ツチナワ”に送ったメッセージは行き場なく空に散った。 当然だ、そんな名前の冒険者はこの世界にいないんだから。 「・・・ん。」 いつもの待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。 空はもう暗い。 うたた寝している間に随分な時間が経ってしまったらしい。 呆気なく消えた、最後の砦。 虚しさだけが心に残って、俺は動けなかった。 体は夜の空気に冷え切っていて、それがやたら自分を惨めに感じさせた。 『…駄目だった、兄貴…。』 消え入りそうな声で呟くと兄貴がやたら優しい声で返してくる。 『そっか…友達は死んじまったわけじゃないんだ。またひょっこり会えるさ。』 『うん。』 『早く帰って来い。夕飯温めて待ってるからよ。』 『さんきゅ…。』 のっそり立ち上がって、最後に人気も引いた広場を見渡し、アサシンクロスがいないか確認した。 「…うん、死んだわけじゃないしな。」 今頃、何してんだろ…。 俺とも会わない久々の一人の休日を満喫してんのかな。 ま、それもいーわな。 「ちゃんと飯食えよ、もやしっこ」 そんな痩せてなかった気もするけど、ちょっとした皮肉を吐き出したくなったから。 半分やけくそに笑って、のんびり家路に着いた。 ぼんやりと暗くて寂しい通りを通っていた。 「どーしたボク、ママが迎えに来てくれなかったのか?」 と、突然横から来た挑戦的な言葉にムカつくより先に驚いた。 ガタイのイイチェイサーの体が真っ先に目に入って息を呑んだ。 それから視線を上げる、鋭い顔付きにボサボサの髪が、月の逆光を受けて不気味に浮かび上がってた。 ちょっと前の俺なら突っ掛かっただろうが、今はもー無気力で吠える気にもなれない。 それに、こーゆー奴らがどれだけ強いか、ツチナワと一緒にいてよく分かった。 ここはさっさとさがるに限る。 「そーなんだ。だからいー子でおうち帰るトコー。んじゃ、おじさん心配してくれてありがと。」 やっぱ腹は立っていたから突っぱねるように言って大人しく背を向けた。 その瞬間に、少し離れた屋台の上にとまっていたライルがピィーッと警戒声を上げてすっ飛んできた。 あのチェイサーが後ろで俺に何かしようとしたんだろう。 咄嗟に弓矢を構えつつ後ろを振り返った。 ライルの攻撃は呆気なくチェイサーに受け止められて、アイツは首を掴まれてじたばたもがいてた。 彼を掴むその手を射ようとして、ライルを盾にされたら…と思い、標的をチェイサーの頭にした。 「ライル放せよ!!」 「その弓矢下げて、この鷹どっかやったらな。」 「ガキに喧嘩吹っかけるだけで、貴重な鷹殺すなんて、大人げないだろ!」 「自分がガキと分かってるなんて、意外とモノを分かってるのかね。」 クスクス笑ってチェイサーはライルを見せ付けながら俺の弓矢に手を伸ばした。 ガキだろうが何だろうがいい、今はライルが大事だ。 俺は大人しく弓矢を渡した。 それから奴は俺の荷物鞄を取り上げた。 まー、目当てはそんなとこだよな。 「もーいいだろ。弓も荷物もやるからライルを放せよ。」 「はいはい。」 ライルは首を放された途端に攻撃態勢に入ったから、即座に帰還の指笛をならした。 「…そのまま鷹を帰しな。」 「は?俺もうたいしたもん持ってないよ。装備とかは皆兄貴が持ってるし、俺のほぼ全財産の弓矢もやったじゃん。」 「こんなん欲しかったわけじゃない。もっと酷いめに合わせられたくなかったら大人しくしろ。」 「……。」 ボコられるかな…。 やだな、俺痛いの苦手なのに。 …少し時間が稼げれば誰か通るかもしれないけど、こいつがそんな隙見せてくれないだろうな。 『兄貴、4番地でチンピラに絡まれてる…。』 『なにいいいいいいいい!!!!!すぐ行くからそこ動くな!!!!!』 とりあえず兄貴にWISを送って救助要請はした。 それからすぐにライルに「家に帰ってろ」と言って放した。 彼はひと鳴きして飛び立ち、空をぐるりと旋回してから去った。 それを見送った、その瞬間に俺の体はふわりと浮いた。 「っな!?うわ、あ!?」 男にひょいっと担がれて、頭が地面に向いていた。 「は、はなせ、よ!」 「おらよ。」 放せ、と言ったら呆気なく地面にドサッと下ろされた。 訳も分からず起き上がろうとしたら…。 「どこ、ここ。」 周りは見知らぬ景色だった。 雰囲気からして多分プロンテラであることには変わりないけど…。 なんか高い建物に囲まれて薄暗くて、やたら道端に看板とか木とかタルとか乱雑に置かれてる広場だ。 …あ!!そういやローグ系ってなんか敵連れてとんずら出来る変なスキルもってたな…!! 「んー、一発でこんなイイとこ来れるとは、流石だな俺。」 奴はなんだか満足げにそんなことを言っている。よくねーよどこだよここ! 「先客はまだいねーな。」 「は?…は??」 「じゃ、イタダキマス。」 看板の脇に放り投げられて、角に頭ぶつけた。 いった!!いった!!! 後頭部の痛みに唸ってたら、胸倉捕まれて、いつのまにかマウントポジションだ。 『助けてくれ兄貴ー!ボコられるー!!』 『落ち着け弟!今4番地に着いたぞ、どこだ!!』 4番地かい!! 『いや、もうそこじゃなくて、テレポートみたいなので…』 説明していたら、ビリビリッと小気味良い音がして息を呑んだ。 「っひ!?」 上着をアンダーごと破られた、と認識した時には、露出した肌を胸から首あたりにかけてベロッと舐められた。 気持ち悪いことこの上ない。 「…ガキくせえ。」 「く、臭いなら舐めんな!なに考えてんだよ!!」 「は?まだ分かってねーのか?青臭ぇな。やっぱドーテーか。」 ムカッ 「うっせえわるかったな!!!……ぇ。」 勢いで怒鳴ってから、不意に気づいた。 俺とコイツの間の空気に。 鼻で笑って、男は一発俺の横っ面を殴った。 鈍い音がして、一瞬頬骨が砕けたんじゃないかと思った。 覚悟がなかったから唇の中を切ったけど、骨に異常はなさそうだ。 ただ、衝撃の後からじんじんと痛みが響く。 「…って…」 「可愛くビービー啼けよ。」 ごっつい短剣を顔の上にちらつかせて、奴は俺のズボンを片手でひっぺがすみたいに乱暴に脱がせてくる。 俺はぎょっとして、必死に足をバタつかせた。 その瞬間に、顔の脇の地面に剣を突き立てられた。 「イラつかせんなよ。ミンチにしてからヤッて欲しいか?」 何か言い返してやろうと思ったが、耳に焼けるような暑さと脳天を撃つような激痛がはしって言葉を飲み込んだ。 どの程度かわからないけど、今ので耳が切られた。 それが分かったら、全身の汗がぶわっと吹きだした気がした。 動けなくなる。 怖くて何も話せなくなる。 貞操がどうとかじゃなくて、殺されると思った。 まだ怖い顔したままの男に怯えていて、情けなく下半身丸出しにされても俺はろくに抵抗できなかった。 全部結ってある髪をわしづかみにされて、頭が痛い。 男に犯されるとか、何されるか分からないけど、それよりも殺されるのが怖い。 切られた耳もじくじくと痛んで、血が後頭部の方に流れてそのあたりだけが冷たく濡れてる。 ごつごつした手が、股に触れてきて尻あたりまで撫でてきて気持ち悪い。 しばらくそのあたりでごそごそ動いてると思ったら、割れ目に指を差し込んできた。 「っい!?」 指を、入れられた。 訳が分からない。 でもとにかく、痛い。 痛い、痛い、殺される、またそればかりが頭の中で繰り返された。 「痛っ!やめて、くれ!頼む…っ」 「誰がやめるかよ。」 「ひっ、痛い!痛い!!」 そんなとこに何かを入れるとか、ありえないことで、ものすごく違和感があるし気持ち悪い。 理不尽な痛みに、情けないことに涙がボロボロ出てくる。 中でものすごいぐちゃぐちゃに動かされてるのが痛いし気持ち悪すぎる。 「い、て…っ!うあ、あ…!いや…だぁ!」 「こんなでボロボロ泣くなんて、お子ちゃまだな。」 「ふ…ぁ、子供、でも…なんでも、いいからあ!」 「癇癪起こすなよ。これからもっと痛くしてやるから。」 「ひっ…」 最悪。 何で。 俺が何をしたよ…!! 逃げたい、でも殺される。 助けて。 ライル、兄貴… ああ、俺はあの二人しか頼れる人を知らない。 相棒の鷹と、身内だけ。 なんてつまらない人間。 「っ…!」 ガバッと上にのっかかられた。 次に何をされるか、分からない、分かりたくも無い、怖い。 唇を噛んで、ただガタガタと震えていた。 男は俺にどっしり体重を乗せて そのまましばらく動かない。 けど、不意にゴロッと横に転がるようにその重さは消え去った。 それで男にのしかかられていたのもあるが、自分でも息をしてなかったのに気づいた。 それでもまだ息の仕方を思い出せない。 頬を手のひらで触られる。 痛いことでもないのにそれにさえ心臓が跳ね上がった。 「…ルア」 上から降ってくる声が、一瞬幻かと思った。 「…ぁ…」 相手の顔を見る前に、相手にひょいっと担ぎあげられた。 さっきチェイサーに拉致られる時と同じ体勢。 でも、奴は視線の先で地面に寝ッ転がってのびてる。 「…ふ、っえ…」 顔は見えなかったけど、かろうじて見える背中は見慣れた服の色で…。 「…チ、ナワ…っ…」 「すぐに助けられなくて、すまなかった。」 泣きながら名前を呼んだら、答えてくれたのは懐かしい声で。 いろんな安心がいっぺんに押し寄せてきて、また俺はなさけなく泣きじゃくった。 ツチナワに米俵よろしく担がれて、更に暗がりに連れて行かれた。 そこで降ろされて、俺は人生最大の痴態に気づく。 下半身丸出しのまま担がれてた…。 恥ずかしすぎる。 ボロクソに泣いてたことなんて比じゃないくらい恥ずかしい。 「耳、切れているな。」 「うっ、おう…」 安心感とか恥ずかしさとかで耳の痛みを忘れてた。 思い出せばまだじくじく痛んでうずくまりたくなった。 それよりもズボンズボン…。 ズボンを履きなおして、耳の様子を探ろうとしたら手を止められた。 それでもってポーションらしき液体をびちゃっとかけられ、その冷たさに肩が震えた。 「…けっこー切れてる?」 「切れている。」 即答されるとちょっと怖かった。 治ってる証拠だけど、ポーションは傷に染みて熱をもった。 ツチナワがしばらく待ってから様子を見て、また瓶に残ったポーションをふりかけた。 「…ありがとう。」 「いや。」 ポーションのことも、助けてくれたこともまとめて礼を言った。 ツチナワは歯切れ悪く呟くようにそう言っただけだった。 「…殺されるかと、思って…超怖かった…。」 「……。」 「マジ、命の恩人だよ。ありがとう。」 もっかい礼を言おうとしたら、急に抱きしめられた。 体格差もなかなかにあるから、腕の中にすっぽり納まる。 いつもはそれにちょっとムッとするところだけど、今は無性に暖かくて安心した。 「…すまない。」 礼を言ってるっていうのに、ツチナワは本当に申し訳なさそうな声で謝ってくる。 こんな声、初めて聞いた。 「何だよ?あんたが謝ることないだろ?」 「…君は、俺を待っていてあそこにいたんだろう。」 あ、そーゆーことか。 なんだよ、待ってたの知ってたのか。 っておい。 じゃあなんだ。 俺が待ってるとき見てたのか? 「…ずっと見ていた。」 俺の心を読んだようにそう言ってくる。 でも俺は今安心感に包まれていてそんな言葉は気にならなかった。 助けてくれたのは事実なんだし。 「…なんで、すぐ声かけてくんなかったんだ。」 でもやっぱそーゆーとこは気になるから聞いておく。 「約束をしていなかったから、他の人を待っているのかもしれないと思って。」 「…なるほど。」 「そのまま出るタイミングを逃した。」 じゃあ、ずっといてくれてたんだ。 俺が寝こけて、こんな夜中になるまで寝てても、ずっと居てくれてたんだ。 あのチェイサーに拉致られてから、必死に探してくれたんだ。 これはさっさと出てこなかったことを怒るべきか? それともずいぶんな時間付き合ってくれてたことを感謝すべきか? 「ど、どうすればいいんだ俺は…っ!!」 「何が?」 一人苦悶してみる。 まぁ、ここはあれだ。 両方の気持ち伝えておこう。 「見てたならさっさとでてこいよコンチキめ!!」 「っ…すまない…」 「でもって、夜までずっと待っててくれてありがと。助けに来てくれてマジでありがとう。」 まだ泣きまくってた顔とか目が腫れぼったいけど、なんとか笑って見上げれば目の前にはいつものツチナワがいる。 夜に見るアサシンマスク+ファントムマスクはちょっとホラーだけどな!! 「……ルア、誰かが呼んでいる。」 ツチナワがどんな顔してるんだろうと観察しようとしてたら、彼がボソリと言った。 耳を澄ましても何も聞こえ……あ、まじだ。 「…兄貴の声だ。」 「東の方だ。」 ツチナワは立ち上がって、無言で行くように促した。 そのままふらりと消えてしまいそうな気がして、あわてて彼の手をつかんだ。 それになんだか過剰に彼は驚いていた、でもそんなのどうだっていい。 「次会う約束!」 「……。」 「来月末!また時間あるか!?」 「……。」 ツチナワにしては珍しく、なかなか答えないで黙り込んでいた。 「来月がだめなら再来月でもいい!いろいろ話したいこともあったけど、なんか今日は…話せる気分でもなくなっちまったから。」 そう言っても、ツチナワはなかなか答えなかった。 でも、俺が痺れを切らしそうになったころに、やっと小さく「来月に」と答えた。 「…私も、話したいことがある。」 「よっし!オッケー。じゃあまたなツチナワ!」 約束も取り付けたし、俺は満足に頷いて東のほうに走っていった。 すっげえ怖い思いをしたけど、なんとか当初の目的を果たせたし ちゃんとツチナワが助けに来てくれたから アイツに対するもやもやも消えて、なんだか浮かれているのが自分で分かった。 毎回顔を合わせるたびに一ヶ月ぶりだから「久しぶり」なんだけど、今日はものすごい久しぶりに思えた。 無性にアイツの声が聞けたのが嬉しかった。 俺の一大危機がどうでもよくなるくらいに。 ちょいと振り返ると、ツチナワはまだそこにいた。 俺がもっかい手を振る、すると彼はフラッと消え去った。 …そしたら、なんか胸にぽっかり穴が開いた…そんな気がした。 でも、また来月はちゃんと会えるんだよ、な。 そしたら今度こそ、まだダメでもいつかは対等になりたいって言おう。 |