魔力を受けて成長し、魔物達の住家となった時計塔。
建物そのものが時計なのでそこらじゅカタカタと機械がうるさいけど、その中で異質な音がした。

曲がり角を曲がって、すぐそこにいたのはでかい梟のような生き物。
その身体は帯電してこっちに殺気を向けてきた。

ツチナワがタゲとりに速攻で切り掛かり、すぐに敵の注意を引き付けてくれた。
アサシンクロスのしなやかなのに力強い動き、一動作だけでも惚れ惚れする。

惚れ惚れしながらも俺は弓を構えてすぐに放つ。
ツチナワは俺が撃ち易いように敵の急所をこっちから見えるようにして、それでも壁といて動いてくれる。

俺は彼が開けてくれた急所へ、矢を続けて打ち込む。

ツチナワがそっと、ここだと示す。
そこを射る。
その動作をしている間、世界がゆっくり動いているように思えた。
外す気がしない。
矢はそこへ吸い込まれるように感じて。



「随分、上達した。」
「兄貴に教わりながら、練習量も増やしたんだ。」
お陰で指先は弦に切れまくって皮が固くなっちまった。
でも、兄貴の指先はもっとガサガサで固かった。
俺がてのひらをひらひら見せると、ツチナワがそっと掴んできた。そんで、手相を見るみたいに触りながら見て、小さく頷いた。

「手も大きくなった。」
褒められてるんだよな…?
そんなでまっすぐ目を見られると、なんか照れる。

ツチナワはもうマスクで顔を隠していない。
俺の目の前でもそうだけど、私生活でも。
なんでかとゆーと、仕事を辞めたから。
あそこにいるといつまでも俺と会えるのは月一だから、なんて下らない理由…。
それで10年以上勤めたとこ辞めるかなあ。

彼の雇い先はツチナワがあまりに働くから警備を一切雇っていないだけで志願者なんていくらでもいたらしいから、ツチナワがやめたいと言ったら三日後にはあっさりと退職金まで払って辞めさせてくれたとか。

それでも長年いた彼を手放すのが惜しいと言って、何日か執務の手伝いやら雑用をやっていて、彼の生活はすっかり平和になった。

「今日は夕方上がりで頼む。」
「あれ、今日は肉屋?」
「いや、定食屋。」
「そっか。じゃあ早めに上がってそこで夕飯にしようかな、俺。」

……すっかりナチュラルに話題にするようになったけど、毎日仕事詰めでないのが落ち着かないらしくて、肉屋だの飲み屋だの定食屋だの、町のあちこちでバイトまで始めてやがったこの男。
アサクロとあろうものが、いきなり何をしだすか。

「ってゆーか、狩りしてればいいじゃん。」
「何が?」
あ、思わず口からでてたか、俺の内心。

「いや、アンタさ、強いんだからバイト掛け持ちしまくらなくても、狩りしてる方が全然稼げるだろ。」
「狩りは今まで十二分にした。それに四六時中警備だったから、世間を知らないんだ。」
「なるほどー。…あの定食屋の常連さんも、あの看板息子さんが実は廃アサクロなんて、思いもしないだろうなあ。」
「いや、看板息子など…」
「アンタの野菜ケーキまじ美味いもん。」

ホント、何処の隠れパティシエですか、ってな感じに美味かった。
仕事柄植物は扱いが慣れてる、とか言ってたけど、警備の仕事で植物扱うのか…?
「…また作ろう。」
彼は小さく笑って、そう言った。

「うんうん。あ、兄貴の分もよろしく。あのケーキ、兄貴がまた食いたいって駄々こねてたから。」
「分かった。出来るだけ早急に。」
「おう。」





そんな穏やかな会話をしたのは何時間まえだっけ…

「ひぃ〜!!!!つめてえええ!!!!」
辺りは打ち付けるような雨の音に包まれてる。

プロンテラに戻ってくると、そこはいきなり集中豪雨真っ只中で、俺はとっさにツチナワの腕を掴んで俺のうちまで走った。
あっという間だったはずだけど、もう二人ともずぶぬれになった。

…つれてきてから、こっちってツチナワの仕事先と反対方向じゃん、と気づいた。
でもどうやら本日は豪雨で来客がさっぱりだから休業にするとか。
結果よければオールオッケーだよな。



家の明かりはついていなかった。
ただいまと一応言ったけど、やっぱり兄貴の姿もない。
とりあえずタンスからタオルを引っ張り出してツチナワにも渡してやった。

「あ、風呂先入っていいよ。俺ライルを乾かしてやんなきゃ」
ツチナワが何か言いた気にしたけど断る理由もないし、すぐに了解して風呂場に向かった。
それを見送ってから、不意にテーブルの上のメモに気付いた。

読んでいらなくなったメモはゴミ箱に突っ込んだ。
兄貴、今日は帰って来ないみたいだ。
せっかくツチナワ連れてこれたのに、あの野菜ケーキ作って貰えたのに。

「ライル、ちょっと我慢しろよー」
俺と兄貴の鷹二匹の為に部屋のそこらじゅうに止まり木がセットしてあって、ライルのお気に入りのキッチン横に彼をのっけてやった。
ガーゼみたいな薄いハンカチで、そっと羽毛を撫でてやって水を吸い取ってやる。
立派な羽毛なのに濡れて色褪せて潰れて台なしだ。

「あ」
ツチナワの着替え用意してやんなきゃ。
俺はタンスからサイズ余計そうな兄貴の服を引っ張り出して風呂場にむかった。

「ツチナワァ、着替えーってはやっ!!」
まだ湯舟に浸かってるかシャワー浴びてるかと思ったら、もう脱衣所にいた。
タオル腰に巻いただけで出ようとしてたとこで、危うく俺と激突するとこだ。

「ルアを待たせたら悪いだろう。」
ツチナワは好青年らしくそんなことを言う。

でも
「…………。」
今の俺にはそんなことはどーでもいい。
ちゃんと温まったのかと言おうとしながら、俺はあるものを見て固まっていた。

「なにそれ…」
俺はツチナワの後ろの鏡を指差した。
気付かなけりゃよかったのかもしんないけど、目に入っちまった鏡に写ったツチナワの後ろ姿。
「…ああ、背中か。」
ツチナワは苦笑いした。
そんな苦笑いとかで済む話だろうか。

そこには黒くていびつな十字架があった。
でも、入れ墨じゃない。
ボコボコ膨らんで気持ち悪い。

なんか…あまりに痛そうで見てて泣きたくなった。

「…そろそろ、ルアには話そうか。」
ツチナワはそんなことを口にした。
でもそれは、軽々しく口にできる話じゃない気がして、俺は慌てた。
「話したくないならいいよ…」
「いや、君が私に何も聞かないから、甘えていただけだ。」

俺とは対象的に、彼は落ち着いていた。
「君が嫌でなければ、聞いてくれ。」

正直、聞いたら嫌がられるかもしんないから聞かなかっただけで、気にはなってたんだ…ツチナワのいろんなこと。
だから、俺はそのとき素直に頷いた。

「……。」
「…その前に、風呂に入った方がいい。」
「あ!そうだな、じゃあはい、着替え!」

彼に着替えを渡した時、その手の甲にも貫通するほどの傷があるのを見つけてしまった。





そっから、なんか呆然としっぱなしで、風呂に入っててもツチナワの背中と手の甲の傷が目に焼き付いて離れなかった。
俺まで、痛いとか泣きそうになる。

手の甲は傷跡って感じだからまだいいけど、背中のは…どうなってるのかわらかないけど、なんか呪いみたいに生々しくて、まだすごく痛そうだった。

ツチナワ、痛くないのかな…
いつも平然として戦ってたけど

傷を思い出して、俺は熱いお湯が温くなってくのにも気付かないで、湯舟で丸まってた。
どれだけそうしてたか分からない。

「ルア、逆上せてないか。」
ツチナワがそう言って脱衣所に入ってきて我に返った。
うっわ、話聞くとか言いながらボケッとしすぎだ俺!

「ごめっ、大丈夫…」
慌てて湯舟から立ち上がったその瞬間、目の前が真っ白になって上から物凄い重い荷物せおわされたみたいに体が傾いた。

だ、大丈夫じゃなかった…!!!


「ルア!?」
風呂のどこかで俺は倒れ、その物音に慌ててツチナワが入ってくるのが分かった。






顔とか、首とか、物凄い腫れぼったい。
とにかく熱い―

そう思ってたら、頬っぺたに冷たい何かが触れた。
「…ん…」
それが気持ち良くて、顔を擦り寄せた。
そうやって顔をべったり付けて、それが人の手だ、って何となく思った。

でも、気持ち良い。
しばらく甘えるみたいに手の冷たさを感じてて、少しだけ頭が覚めた。
俺はツチナワにバスタオルで包まれて抱えられて、ベッドの上にいた。

「もう少し、水を飲むか?」
そう聞かれたけど、水を飲んだ記憶はない。
ツチナワに介抱されて、無意識に飲んだのかな。
今は水よりも、さっきの手の冷たさが欲しかった。
目を開けたら、さっさとさっきの手は引っ込められてたみたいだから。

「…手…」
「手?」
「…うん、さっきの…」
ツチナワは目を丸くして、なんか遠慮がちに俺の頬に手を当ててきた。

「こうか。」
「う、ん…ありがと…。」
また戻ってきた冷たい心地よさに、凄く安心した。
少しそうして、手の冷たさと、抱きかかえられてる温かさに浸ってた。

ツチナワの腕の中から顔を見上げた。
間近で見ると尚イイ男なんだなぁ…。
…睫毛長い。

「…ツチナワさぁ…」
「何か。」
「…顔、綺麗だよな。」
「………。」

驚いた表情するのが面白かった。
「しかもそれで強いし。優しいし。頼りになるし。料理上手いし。」
「…褒め殺す何かの策略か?」
彼は苦笑いして言うけど、策略とかじゃなくてただ思ったことを言ってるだけだ。

「こーやってると、男の俺でも照れるもん、女なんかにやったらいちころだよな。」
ぼんやりしていたのも、話してるうちに段々覚めてきた。
そうしたら、いつもより近くから見てるせいか、ツチナワが今まで見たことのない微妙な表情をしてるのに気づいた。
なんだろう、なんか…笑ってるような困ってるような、でも無表情に近いような。

そんなツチナワの心のうちは分からないけど、なんとなく面白い。
「何人の女をおとしてきたのかねー。」
そんな風に彼を笑いながら小突いた。
そしたら更に微妙な顔をした。
なんか今度は困ってそうだ。

「…別に、そんなことは。」
「分かってるよ。でもなんかさ、板についてるからツチナワってこうゆう経験多そうで、からかいたくなっただけ。」
俺が笑いかけると、それにつられた様に少しだけ笑った。
…どんなときでも、たいてい笑いかけると少し一緒に笑ってくれるとこ、好きだな。

「俺、ツチナワになら抱かれてもいーやとか思っちゃうわー。」
「期待には添えないが。」
「俺に前やらしーことしたくせに即答すんなよ!
それにべつに期待はしてねーけどよ。…あ、てかアンタいんぽなんだっけ。」



なんかそう冗談で口にしてからたーっぷり間があいた。

「あながち間違いでもないが…また妙な言い方を…。」
間違いじゃないんかい。
「俺は男の価値はそんなとこじゃないと思ってるからな!気にすんなー。」
俺がふざけて慰めるようにツチナワの肩をぽんぽん叩いてたら、なにやら悩みだした。

「…まぁ、話したいことのひとつではあるから、弁解しておこうか。」
そんなことをポツリとつぶやいた。
なんのこっちゃと思ってたら、いきなり手を掴まれた。

「うぉぁ!?」
ツチナワはそれをいきなり自分の股間に引き寄せた。
「ちょ、な……んん?」
なんか…触ったツチナワのそこは硬かった。

いや、モノのそうゆう硬さじゃなくて…骨だこれ。
…多分、骨盤の固さ。
はたから見れば怪しい図だけど、俺は思わずそこを何度も探って撫でてみた。





「おんな?」
「流石にそれはないだろう。」
思わず俺が達した結論に、ツチナワは少し噴出しそうになってつっこんだ。

俺がいつまでも混乱してたら、ツチナワは俺の手を離させた。
「さっきの…背中の十字架と同じだ。」
「それって…」
なんか、嫌な予感がした。

あの背中の十字架は…誰かに意図的に、やられたものだと思う。
だったら……これも……

「君は、さっき私に女性経験が多そうだとか言っていたが、私は一度もそうしたことはない。」
「…あれ、でも、昔すごく好きな恋人がいたって…」
いつだったか、すごく切ない恋をしたみたいなことを言っていた気がするんだけど…
そうだ、俺が彼女が欲しいって喚いてた時に
ツチナワはたった一人だけを凄く好きになって…

もう誰も好きになれないけど、後悔していない…そう言ってた。



『私が愛した人は一人だけだった。もう誰も愛せないが、今では未練も後悔もない。
一度だけだったそれが、薄っぺらい愛情であったなどと思っていないから。』



「…一人だけ、好きになったって…」
「恋し、愛した。でも結ばれたとは言っていない。」

そういうツチナワの目は、すごく悲しそうだった。
ずかずかと、コイツの心の傷に踏みこんじまったと思った。
俺が後悔しかけたのに気づいたのか、ツチナワはふと表情を緩めてくれた。

「それのことを、話したかった。」





いきなり、強く抱きしめられた。
子供がおもちゃに抱きつくみたいに思えたけど。
どこか必死さを感じた。

「…言い訳したいわけじゃない…けれど、君に懺悔したい。」

「俺に言い訳なんかしたって仕方ないだろ。
俺はそのとき、全く関係してなかったから、いくらでも懺悔しろよ。」
ツチナワはしばらく黙っていた、けど小さく息を吸ってから口を開いた。



「彼女を凌辱した。」

凌辱、そうは聞こえなかった。
だって…こいつ、悲しそうなのにどこか悔しそうにしてる。
「…なんでそうなったんだ?」
「興味本意。」
「嘘つけ。何、俺のこと試そうとしてんだよ。」
俺が即切り返すと、苦笑いした。
「君が、俺を信じてくれるのが…嬉しくてね。」
「子供かよ。」
「そうだな。」

信じる。
俺の些細な言葉を、顔に出さないけどホントに嬉しそうにしてるアンタを信じるよ。
一回、俺にあんなことをしたアンタだけど、意味なく人を傷つけない。
そんで、人が傷つくとそれ以上に自分が傷つくやつだ。

「…言い訳したいわけじゃない…今更誰に庇って貰おうとも思わない…だから、君に懺悔させてくれ。」
その言葉で、こいつが胸の内を今まで誰にも明かしたことがないんだ、って分かった。
ちっこい俺で悪いけど、アンタを包み込めるようなもっと大人の方がよかったのかもしんないけど…
でも、せめて俺が、全部聞いて、許してやりたい。
そう思った。

「確かに私は好きになってはいけない人を思っていた。
でも思いを告げない、ただ友人として付き合い、助け合いたい…我慢するのがどんなに辛くても、それ以上を望む気はなかった。」
「うん。」
「あの夜、彼女に呼び出されても、頼られたのが嬉しいだけで何も期待なんてしていなかった。」
「うん。」

「そして、私も彼女も望んでしたことじゃない…薬を盛られていた、嵌められたんだ。」



ごめん、話が急展開急旋回で分からなかった。

「薬…?盛られたって?」
「…一種の媚薬のようなものだろう。私が行った時には彼女はおかしくなっていて、私も時期に理性を無くした。」
「何の為に…。」
「平民出の私が司教になるのを疎ましく思っていた、名家の者達に。彼女も大司教の長男に嫁ぐはずで、女性ながらに高位になるはずだった。私達が共倒れすれば一石二鳥だと、皆画策した。」
「ひでえ…」
それしか言えない。
思えない。
たた、そいつらを殴り倒しにいきたいと思った。
「私達は抗議する機会は一切なく全面的に有罪。…あの時確かに、彼女を抱きながら気持ち良いと、幸福だと思った、その罪は認める…!だが彼女まで刑に処すなど…彼らは腹に宿ってしまった子をわざとずさんに掻き出し、彼女を二度と子を産めない体にした。あの夜、私と違い彼女は泣いてたんだ!彼女は完全な被害者だったのに…!!」

ツチナワの、感情はあまりに大きくて…
真正面から受け止められなくて、俺は彼の頭を抱き込んだ。
それでも、俺はなんとか「続けろ」と言えた。

「どうにも出来なかった…どんな罰を受けても、彼女の体は治らない。…それが何より、痛い。」



その痛みを、ツチナワが忘れたことなんかなかっただろう。
今、話して思い出したんじゃない。
今、話してストッパーが外れたんだ。

それからしばらく、彼は俺の体を抱きしめて、泣きわめいてた。
きっと誰にもこんなふうにしたことないだろう。
それが…怖くも嬉しかった。

何故か、他の誰にもこうして欲しくない。

と馬鹿なことまで考えてる俺は、ツチナワの話を聞きながらなんかおかしくなっちゃったのかな。

「ずっと、逃げもしないで、その過去をしっかり覚えてきたんだな、アンタは。」
「…忘れられない。忘れたくなかった。」
「その辛い時のことも、その女の人を好きだったことも忘れてないんだよな。だったらよかった。その女の人を抱いたのがアンタでよかったって思うよ。」
「…何故」
声を震わせてるツチナワはまだ泣いてて顔を上げられないみたいだ。

「何となく。俺がその人だったら…さっさとその事実から逃げようとする人はやだ。
その点ツチナワだったら、嫌な思いしたのは悲しくてもアンタのことは恨まずにいられるよ。」

恨めるかよ。
何十年も悔やんで生きて、それでもたった一人だけ好きだったってずっと言い続けてる男を。
いい加減…苦しむのもやめろって言いたい。
でも、俺はその女の人じゃないから言ったって無駄だけど…。



「…もう…苦しむの…やめてくれよ…。」



思わずツチナワにそう言ってしまった。
無駄だって分かってるけど。
背中に手を回すと、あの歪な傷があった。
ツチナワは兄貴の薄いシャツを着てたから直接は触れないけど、やっぱり服の上からでも分かるくらいひどい。



「前にさ、何で俺を突き放そうとしたんだって聞いた時もこんな感じだったよな。ベッドの上でくっていてて。」
「ああ。」
「また、すげえ妙なことしてるな、俺ら。」
「…人様に顔向けできないことをしているわけではないから。」
「だな、いっか。」

なんかもーツチナワにくっつくのも気にならなくなって、首根っこにしがみついてベッドに押し倒した。
タオルに包まれてただけで湯冷めしてた体に、ツチナワの体温が伝わる。

「あー…あったけー…」
「このまま寝そうだな。」
「あ、分かる?ツチナワあったかくて眠くなっちまった。」
「君が冷めているだけだ。服を着ろ。」
「ねみぃ」

ツチナワの腕を持ち上げて枕にして、ベッドの足元に押しやってあった布団を引き上げた。
そのままツチナワごと巻き込んだ布団で彼の腕を枕にして寝てやった。

「おやすみー」
「……。」
ツチナワが何か言おうとしてたけど…。
「おやすみ。」
諦めたらしい。



本当は、このあとどうしていいか分からなかったんだ。
ツチナワのことを知って…どう声をかけて何を話したらいいのか…。
それに、なんかコイツのことを考えるとまた泣きたくなりそうだから。

だから、少し場が和んだところで眠りに逃げてみた。
まあ、コイツ巻き込んで寝たのは俺なりの返事でもある。

俺はお前のこと軽蔑しない。
同情はしちゃうけど、でもそれ以上に全部受け止めてた姿勢を尊敬する。
だから俺は、アンタと会った頃のまま変わらず、アンタの味方で友達だから。










アルデバランという大都市から少し離れた山中。
強い魔物が蔓延るそのエリアで、唯一それらの干渉がないところがある。
山脈を抜けた先の魔法都市ゲフェンの協力により結界が張られたエリア。

そこには事情あり町に出られない少年少女達を保護教育する施設がある。
教会が設置したその施設だが、教会はあまり干渉しない。
干渉せずとも、そこは立派に成長した子供達を送り出し、その子供達が支えてくれているからだ。

その出ではないが私も長くそこに通い、支えてきた。
ただしずっと姿を隠して。
ここの正門をくぐるのは初めてだ。



「こんにちは!はじめまして!」
施設に入って、畑仕事をしていた子供達が手を止めて声をかけてきた。
「こんにちは、初めまして。」
同じように返して礼をした。

子供の一人が駆け寄ってきた。
「せんせいにごよう、ですか?」
まだ幼い。
五歳程度だろうが、とても丁寧な様子に感心した。
マニュアル通りではなく、普段からそうしているのが何となく分かる。

「はい。呼ばなくても大丈夫。どこにいますか。」
「今は、キッチンでごはんをつくっています。」
「わかりました、ありがとう。」

微笑みかけると、かわいらしく笑って畑仕事に戻っていった。
来客は初めてではないのだろうか。

私は窓からいい匂いを漂わせているキッチンに向かった。
こじんまりしているが綺麗に整頓されたそこに、彼女はいた。
もう40近くになる筈だが、若い娘よりも背筋は延びて気品を漂わせている。

振り返って見えた顔は、とても穏やかで美しいまま。
私を見ると、いつもの友人と会うように微笑み「いらっしゃい」と言った。
その反応が意外で、一瞬私はたじろいだ。

「お久しぶりです。…お変わりなく。」
「あれから何年経っていると思うの、私は随分なおばちゃんになったでしょうに。」
「いえ、変わっていません。」
きっぱりとそう言い切ると、彼女は笑って料理の手をとめた。

「…貴方は…若いままね。」
「…一度、転生した際に若返りました。」
「そう、大変だったわね。」
「いいえ、成り行きですから。」

彼女は歩み寄ってきて、私の手をとった。
今日はアサシンクロスの装束ではなくラフに普通のコットンシャツだが、手袋はしている。
それを外してきた。

「…転生しても、この傷は消えなかったのね。」
「もっと若返えればどうだったかはわかりませんが。」
「…体も、背中もそのままかしら?」
「はい、でもこれでよかったと思います。」

そう言うと、彼女は悲しそうに微笑んだ。
「貴方も私も、お互い謝り倒したからもうそれはやめますけどね。やっぱり貴方に会うと謝りたくなるわ。」
手の甲を撫でる手は昔と変わらず温かい。

「私は、今は貴女に感謝したいと思えるようになりました。」
彼女の手に更に手を重ねた。

「おかげで世界が広がった。貴女という素晴らしい人に出会え、あの事件を越えて今の私があり、また素晴らしい人に出会えました。…だから、今更ですが貴女に正面から会いにきました。」
悲しげにしていた彼女の表情からそれが消えた。

「なら、私も言いましょう。互いに傷を負ったけれど、私も貴方に会えてよかった。あの権力争いの世界を出て本当の自由を知りました。子供は生めなくなったけど、もういらないくらいここで子育てはしてきたもの。」
冗談混じりに言う彼女はとても生き生きしていて眩しかった。

それを見て気付く。

あれ以来彼女に会うことができなかったのは、突き放されるのが怖かったから。
許しの言葉がほしかったのに。
それが無ければ進むことができないのに。

けれど、彼女に会うより先に、私はほしかった言葉をもらってしまった。
ルアに。
「ずっと貴方が心配だったけど、もう大丈夫なのね…。」
「はい。」
強く頷いた。

「友人に救われ、今の貴女の言葉で…。」

先に進む前に、どうしても言いたいことがあった。
一瞬言おうか悩んだが、意を決して彼女に一歩詰め寄った。

そしてその体を抱きしめた。
昔とは違い片腕だけで抱き込めてしまう。
体は成長したのに、心は彼女に頼りっぱなしで成長していないなと内心苦笑いした。

「愛していました、心から。貴女へのその思いは必然でしたから、後悔しません。貴女へ与えてしまった傷と罪は、悔いても決して忘れはしません。私が貴女を愛した証ですから。」
「……。」
「許して下さり、ありがとうございました。」



気付けば、そこには誰もいない。
何事もなかったように。

変わったことと言えばキッチンの中央に不自然に置かれた小さな花束。

女性はそれを手にとり、小さく笑った。
「照れて言い逃げなんて、まだまだ子供ねえ。」




彼女はまるで母親のように優しい声で、誰にともなく呟いた。
「お幸せに、―――。」