誰にも分かってもらえない。
でも誰かに分かってほしかった。
世界が私を嫌っていること。
その私を誰かに、どうにかしてほしかった。
「…おい、まだ連絡は来ないのか。」
「まさか本当に…この男を見捨てる気か、奴ら。」
「聖職者が聞いて呆れる…。」
「…そろそろ何かを食わせてやって方がいい。」
「もう3日だろう…縄を解いてやったほうが…。」
1人、椅子に縛られたプリーストがいて、4人、それを見ながら話し合う冒険者らしき格好の男達がいる。
ずっと自分を虐げていた人達が、今では自分を心配しているその様子がとても滑稽だと、縛られたプリーストは思った。
彼はできることもないのでずっと縛られて肌が荒れた手首をぼんやり見つめていた。
始めはこの状況に焦っていたが、彼らの目的を知れば哀れになり、どうしようもできない状況になった彼らを見れば馬鹿らしいと思うようになった。
しばらく呆けていたら、不意にパンを口元に差し出された。
「…食え、死なれたら困る。」
そういう青年の顔を見る気にもなれない。
もう、この状況の滑稽さに嫌気がさしている。
「人間、水さえあればそれなりに生きられるものですよ。」
そうグローリィは返すが、その声は予想以上に掠れ弱っていて、周りの男達が挙動不審に見合う。
「…飢える子供たちの為に、こんなことをしたのでしょう。ならそれも、子供たちにあげるべきです。」
優しさからそう言ったわけではない。
ただこの人達を困らせたかっただけだ。
こんなことに巻き込まれた、八つ当たりだ。
彼のそんな意図は知らず、ただ罪悪感を感じている当事者のうち一人―おそらくリーダー格の人間―が突然、縛られたプリーストの前にひざを突いた。
「…今更頭を下げても仕方ないと思うが、だがどうか…私達の願いを、君からも姉に乞うてくれまいか。」
「……。」
疲れで目元の色が褪せた青年は小さく笑った。
「まだ分かりませんか…」
青年は震える声で呟く。
悲しさ、悔しさ、そんなものが感じられる声で。
「……。」
「私にはそんな価値はない。堕落して捨てられた犬に血統は意味を成さない。」
そういう彼は今にも泣き崩れそうだった。
何故彼がそう泣きそうにいうのか、周りの人間達は分からずまたさらに動揺を深めた。
「しかし私達の頼みの綱は君しかいない。」
ひざを立てた男は食い下がるように強く言う。
「その綱が役立たずの両刃の剣でも?」
その必死の言葉を突き返すように、青年は問い返す。
「……。」
縛られた青年は投げやりに溜息をついて、忠告して差し上げます、と呟く。
「あの女は弟の身を案じたりはしない。遠慮なく強行突破させるでしょう。
そして貴方達を完全な武装強行派に仕立てあげ抹殺する。
“弟が強行突破により死亡しても仕方なかったとするために”」
一同が言葉を失う。
それが本当だとは、誰も欠片も思えなかった。
「馬鹿な、彼女は上位神官だ、無慈悲でもまさかそんな…」
「彼女は完全潔癖な立派な聖職者です。だからこそ奴隷上がりの貴方達を嫌い、悪魔憑きの弟を憎む。」
“悪魔憑きの弟”
噂には聞いたことがある、この青年が卑下され呼ばれた二つ名。
だが呼んでいたのはこの青年の姉だけで、他の誰もそんなことは信じていない。
姉を除く家族、従者、部下の皆が「馬鹿げた戯言」と姉の方を攻めた。
「…それはあくまで権力争いの中で君を追い出す為のデマだっただろう、たかが噂でそこまで憎んだりするはずが。」
青年は少し乱れた銀髪を揺らして伏せていた顔を上げる。
相手を上目に見る銀灰の瞳は神秘的であるが、ただの青年の光しか持たず邪悪さは湛えない。
けれど、彼は不敵に笑む。
「火のないところに煙はたたないでしょう…?」
一分、一秒が長く感じる。
日向のベンチに座って、クッキーの味を噛み締めて気を紛らわせていた。
一時間ほど人の流れに視線を沿わせて捜し人がいないか見ていた。
けれど時々人と視線が交わるのが息苦しく、今はそれも伏せている。
「ジノ」
名前を呼ばれ、ルァジノールはハッと顔を上げる。
そこには彼と同じアサシン装束を纏う長身の男がいる。
彼に水筒を押し付けられた。
「向こうで休め」
彼が指差す方にあるのは、今すわっているのと同じ形のベンチだ。
言われるままに移動しようと立ち上がると、ルァジノールは軽い目眩に襲われた。
ずっと日向にいてのぼせたらしい、それで日影のベンチに移動しろと言ったのだろう。
「ルナティスが時期に戻るそうだ。」
頭をポンと叩いてヒショウは日影のベンチに移動した。
ルァジノールも移動して、貰ったものを飲む。
冷たい液体は思っていたより渇いていた喉にすっと染み込んだ。
逆上せも収まってきた頃、キンキンとうるさいWISが届いた。
『怒鳴り込み成功!!収穫は罵声と頬っぺたの張り手の痕ですアッハあの女次会ったら激弱ホーリーライトうってやるうがあああああ!!!』
プリーストという役職を生かしてゲフェン大聖堂で調べていたルナティスからのWIS。
その報告は嬉しいのか怒っているのかよく分からない声色。
正解は激しい怒りを無駄なハイテンションと明るい声で乗り切ろうとしているのだが。
『何やってたんだ…』
『それがね〜プリーストさん達がアポイントないと会わせられませんて全然通してくれないから実力行使で突っ込んだんだけどね?もうあの女最悪ー!貴方達には関係ないとかそうゆうのならまだいいのにさー…っ』
WISの向こうで、何故かルナティスは一瞬口ごもった。
『“…弟は死んだところで好都合だから放っておけ”とか言った。』
ゲフェンのベンチで、アサシン二人は絶句していた。
仮にも聖職者、仮にも実の姉なのに。
『で、つい僕が手を上げそうになって、すんでのところで留まったらカウンターパンチくらって気絶してた。』
そして殴りプリのルナティスを気絶させるほどのカウンターパンチを持つ女にさらに絶句した。
『…グローリィ、姉貴とは不仲だったらしいぞ。』
沈黙を破るように女性の声―マナの声がした。
『両親には溺愛されてたみたいだ。ただ、姉貴だけはあいつのことを“悪魔憑き”とか罵りまくって差別しまくったそうだ。一般ではその姉の方が異常視されてる。んな暗い雰囲気になんなよ。』
別方向からグローリィの消息について調べていたマナからの言葉に、皆気を取り直すことができた。
『ならよかった。じゃああの様子じゃお姉さんは弟捜索とかしてなさそうだから別方向から調べようか。』
『おう!』
『ああ。』
『…はい。』
この状況を恐ろしいとは思わない。
自分を捕らえたのは優しい人達と分かったから。
ただ、怖いのは…その人達が傷付けられること。
『グローリィ、グローリィ…』
ずっと耳元に届くルァジノールの声。
WISが届いている筈なのに返事をしないから、余計に心配してるだろう。
でも彼の声を聞いていたいから、WISの拒否はしない。
彼に心の中でごめんねと謝って、返事はしない。
『…アグリィ』
ルァジノールの声を無視して、WISを送る先はアグリネス。
『討伐体の動きは?』
『未だ。だが準備は進んでいる。』
単調な声。
感情を入れず、ただ仕事と言わんばかりに言い付けを守ってくれる彼をとても愛しく思う。
そして同時に、もうすぐ姉の“刺客”が乗り込んでくると思うと全身が総毛立つ。
『…あと』
『うん?』
『ルナティスが来た。』
言われて、グローリィは思わず思考をしばし止めた。
彼がもしルァジノールに相談を受けたなら動くだろうとは思っていたが…
『ゲフェン大聖堂へ?』
『マザー・フローラの元へ。』
…そこまで乗り込んでくるか。
ありがとうと言いながら抱いて、余計なお世話だと怒鳴りながら殴りたい。
そんな思いはどうにもできず、長い溜息に変わる。
『…まさか、姉に殴りかかったりは』
『しそうにはなった。だがカウンターを喰らって倒れた。』
『…ルナ…』
頭が切れるのか頭が弱いのかよく分からない友人を思い苦笑いした。
『…皆に、このことを話しておくか?』
『…彼らにはここへ来て欲しくない。君は皆から隠れたままでいて。ルナやジノがここへ行き着くようなら止めて。』
『分かった。』
そろそろいい加減に疲れてきた。
空腹は気にならないが、動かない状況に苛々する。
あの見捨てられた貧民街を守る為に動いているという冒険者達もさっさと諦めてくれればいいのに。
それか姉も様子見などせずにすぐにでも突入してくればいいのに。
『…ロウ、最後にいいか。』
『なぁに…?』
アグリネスがしばし言葉に詰まるように黙った。
こちらの声に苛立ちが見えて、何かあったのかと思案しているのだろう。
『…もしフローラ司祭が武装を以て動いたなら、俺はどうすればいい。』
ああ、まだその指示をしてなかった。
そう思いながら、グローリィは椅子にぐったりと凭れ、投げやりに言い放つ。
『事後回収』
その回収するものがグローリィの死体か、テロリストの死体か、討伐隊の死体かは分からないけれど。
『分かった。』
どこまで分かったかは分からないが、とりあえず全てが終わるまでは来るなという事だけは察してくれただろう。
もう話したくもなくなってきたグローリィの心情を、黙って察する彼を本当に愛しいと思った。
『帰ったら、抱きしめさせて。』
彼からの返事を待たずにWISを閉じる。
途端にルァジノールからの声も途切れ、辺りは静寂に包まれる。
でも静かな方がいい。
しばらく何も考えたくない。
「…貴女が…お前が…やったくせに…本当の悪魔は、貴様だろう…が…」
思考が闇に沈んでいく。
グローリィは消え入りそうな声で誰かを呪うように呟きながら、目を閉じた。
誰より美しいと思っていた、遥か昔の姉の姿を思い出しながら。
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