窓の外がキラキラと輝いている。
子供たちが水遊びでもしているのだろう。
その様子を横目に見ながら、仕事机に向かっている一人のプリーストの青年は口元に笑みを浮かべた。
中世的な顔つきがどこか気だるげに微笑むその様子はどこか幻想めいていた。
結い上げられた銀髪が幾房か崩れ落ちて、うっすらと汗の滲んだ肌に張り付いている。
カランと氷の音をたてて、彼は残っていた冷水を飲み込んだ。
「……うっさいなちょっとシメてやろうか。」
窓の外の子供たちに向けての呟きである。
「…あっつ…」
もういらなくなった書類2,3枚で仰いで首元に風を送る。
仕事は一区切りついたのか、それとももう嫌になったのか、プリーストは法衣を放り投げて仕事モードをオフにして机に足を乗せて背もたれに体重を預けた。
「ロウ」
部屋の扉を開けて入ってきたのは、彼の同居人…はたから見れば完全に使用人とかしているクルセイダー。
本名ではないが名はアグリネス。
鎧はつけていないものの、そのまま教会に行っても違和感の無い礼装のような服を着ながらも涼しい顔をしている。
「仕事は?」
「熱いし外の子供が煩くて…ねえ。はかどりませんよ、全く。」
冗談のように笑いながら言うが、その奥底には終わらぬ仕事への苛立ちがくっきりと浮かぶ。
アグリネスは彼の前にカキ氷の盛った器を置いた。
「ありがとう。本当に君は分かってくれている。」
今度こそ裏なく笑んだ青年はかき氷を手に取った。
なかなか早いペースで食べられていくかき氷を見ながら、アグリネスはしばしそこにたたずんでいた。
「アグリィ、お風呂沸かしておいて下さい。」
そういいつけられると、アグリィは頷きもせずに部屋を出て行った。
「明日は、正午のミサだけ。約束も…なし、と。」
手帳を指でなぞりながらスケジュールのチェックして、痩身のプリーストは風呂上りで上気した頬を笑みで引き上げた。
「アグリィも、用事はないね?」
貸し出しがあるが、それは彼の言う“用事”の中には入らないだろうと、アグリネスは首を縦に振った。
それを確認すると、グローリィはまだ拭いておらずびしょ濡れの髪のまま、一回り体格の大きい男の体に抱きついた。
ここまでされれば嫌でも彼の意思は分かる。
アグリネスは濡れた髪に指先を滑らせて、見上げてくる青年の頬に唇を落とした。
そして頭に添えてきた彼の白い指をとり、舌を這わせる。
彼がこうすると嬉しそうにするのに気づいたのはいつだっただろう。
昔は彼の機嫌取りのような毎日だったが、今では何もかも自然に行えるようになった。
この閉塞的なプリーストの悪い癖も許容できるようになったし、随分器の大きな人間になったものだ、とグローリィも言っていた。
まだ口付けはしないまま、軽くじゃれ合うだけでベッドになだれ込む。
恋人同士のような甘いものは必要ない。
グローリィの概念では、アグリネスは他人ではなく自分の一部という扱いだ。
だからアグリネスにとっては当然の奉仕で、グローリィにとっては自慰。
「ねえ。」
消え入るような声で囁かれる。
「私が君をただの召使にしていると思う?」
「いや。」
「ただの寂しさのはけ口にしていると思う?」
「いや。」
「セックスする為の道具にしていると思う?」
「いや。」
小声でされる短いやり取り。
グローリィはそれだけ言うと、にっこり笑ってアグリネスの下唇を乾いた舌で舐めた。
「ありがとう、優しいね…アグリィは。」
「優しさではなく、当然と思っている。」
「うん。 …ねえ、私が君にどうあっていて欲しいかはなしたことを、覚えている?」
アグリィは髪が微かに揺れる程度に頷く。
“私は理解者なんて欲しくない。”
“欲しいのは自分と同じ存在、共存者、共犯者。”
互いに誓いの言葉のように口にする。
グローリィが満足そうに頷くのを見てから、唇を重ねた。
粘膜が重なり合う。
互いに感じるのは、互いの違う味。
「…っん…」
えづくような声を漏らしたのはどちらか。
ひたすら絡み合っていればどちらがどちらか分からなくなる。
“共存者”と言っても、所詮は違う体、違う人格。
それがグローリィには不満でならない。
彼の心が捕縛できていたとしても、体は数年前まで全く別の地で妻と共に幸せに暮らしていた一人の男のものだ。
それがただ空しい。
「っ…」
彼の柔らかい舌に軽く歯を立てて、腰の髄の窪みに爪を立てる。
「アグ、リィ…」
グローリィの視界にはガラス玉のようなダークブラウンの瞳しかうつらない。
抵抗のようにぐっと強く爪を立ててやったが、全く動じる様子はなく、口内の愛撫は続く。
こちらの悪戯だと彼もわかっているのだろう。
思えばまだ夕方だ。
少し蒸し暑さが残っているし、どこかからまだ遊び足りない子供の声がする。
それになんとも言えず腹が立った。
こんなにも溶け合おうとしているのに、家の外のはのどかな別の世界がある。
自分達以外の世界がある。
いずれ自分達をどこかへと駆り立てる、自分勝手な世界が。
「…何も、考えられなくなる、薬か魔法ががあれば、いいのに、ね…。」
虚ろな目でオレンジ色に光るカーテンを見ながら、グローリィがぽつりと呟く。
「アグリィのおかげで随分楽できるようになったのに…もっと現実のいろんなものを放棄したくなる。」
「…。」
「アグリィは、そうゆうことはない…?」
「俺はもう、放棄した。俺にはロウだけだ。」
当然のように返されて、グローリィの方がしばし唖然としてしまった。
でも、徐々に彼のその言葉が胸を温かくする。
「そうだね。」
枕に頭を沈めたまま、しばらくの間アグリィの頬に手をあてて瞳を見つめていた。
感情がないわけではない。
でも何を考えているか分からない。
ただ分かるのは…彼は絶対に裏切らない。
彼は生まれてからずっと人として与えられてきたものを全て捨ててしまった人。
過去も未来も放棄した人。
その虚無感が心地よいとグローリィは思う。
「…え」
グローリィは突然肩をつかまれ、うつぶせにさせられた。
驚いたのは、いつも自分が勝手に彼を抱くだけで、動かないはずのアグリィが積極的な動きをしたから。
あまつさえ法衣を器用に脱がせて、晒された背中に舌を這わせた。
「…っは…」
小さく、声が漏れる。
彼には抱かれまいと思っていた。
彼の中で、嘗て抱いていた女性と重なるのは死んでもごめんだと思ったから。
絶対に自分の元では他人のことなど、他人の記憶など持たせたくないという独占欲。
だから咄嗟に、彼を突き放そうとした。
けれど、起き上がろうとベッドに手をついて止まる。
彼は移ろいやすい。
そこで抱かれることを許す気になったのは、気まぐれか。
それとも常々抱かれてみたいと思っていたからか。
「っ、あ…ぁ…」
か細くあがる掠れ声。
シーツに溶け込むような白い肌が、暗闇の部屋の中で声にあわせてゆれる。
喘ぎ声と粘膜の擦れる音とベッドの軋む音が同じリズムで響く。
雄の欲望を受け入れている人は初めは余裕を見せ、
相手の動きに合わせ締め付けたり弛緩したりと調節していたが、今では緊張したまま強く締め付けている。
もう限界が近いのだろう。
「っう…アグ、ィ…止め…」
「……ん」
微かな声だったが、それでもアグリィは聞き取り、動きを止めた。
ベッドに腰だけ上げて顔を伏せている青年は、疲れきったようにぐったりして動かない。
アグリィがそっと彼の腰元を探り、相手のモノを探る。
「今触ったら潰すよ。」
グローリィの、イかないように必死になっている故の発言だ。
まだ触っていないのにイッてしまったのかを探ろうとしたのだが、それが分からぬままアグリィは待機した。
しばらくして、グローリィは小さくため息を一つつく。
「考え事、してただけ。」
何をとは聞かず、アグリィはなんとなく、汗で背に張り付いたグローリィの銀髪をはらってやっていた。
熱い、うざったいと言うが、彼が髪を短くしたことはない。その理由はしらない。
アグリィとて、グローリィのことで知らないことはたくさんある。
気になりはするが、聞こうとは思わない。
「私、死体愛好家の気があるのかなぁ。」
名門の家の出であるはずなのに、何故こんな風にひねくれた人間になったのかとか。
ちなみに彼が死体愛好家うんぬんと思ったのは、やる気がなく人間らしくない動きで抱いてくるアグリィが、異様にイイと思ったからというだけである。
「いいよ、アグリィ。」
ポツリと下された許可。
「・・・触っても?」
「構わない。」
アグリィの質問に応える声も短く、どこか気だるげだ。
力尽きて…というよりはだらけるようにシーツに上半身を投げ出して腰だけ上げているような体勢のグローリィに
覆いかぶさるように体をよせる。
腹から下腹部へ掌で撫でていき探る熱を握りこめば、自分の胸に触れている相手の背の筋肉が硬直するのが分かった。
実のところグローリィはもう限界に近いが、アグリィは絶頂の手前でもっと快感が得たいところ。
それでも激しく動くことはせずに、射精を促す為に強くゆるやかな動きで性器を扱く。
それにあわせてゆっくり腰を揺らす。
「ん、っう…」
聞こえてきたのは快感に耐え切れずというよりは心地よさそうな高いうめき。
「…アッ…もっと…」
さめかけた熱がまた戻ってきて、思わずねだる。
求めに答え、アグリィは徐々に動きを早める。
「…ん、ん…あ…あっ…」
小さく首を振って揺られる銀の髪が、限界を訴える。
穏やかに絶頂へ追い詰められる。
無理の無い交配。
臨界点。
ビクッと白い肢体が震えて、あっけなく陥落するように熱を開放した。
その体の内で柔らかな肉壁に締め付けられるアグリィの性器、だが彼は解放には程遠い。
「…っ…く…」
引き抜かれるモノはまだ固く、慎重に抜いてもグローリィに爪あとを残すように煽っていった。
結局、達することのできなかったアグリィはトイレで自分の手で終わらせた。
グローリィは煮え切らない思いながらも行為のあとはすっかり寝込んでしまって、起きたときにはもう昼だった。
「アグリィ、何で急に抱こうと思ったんです?」
十分な睡眠のおかげで体調の良いグローリィは部屋の片づけをしながらアグリィに聞いた。
「…ロウは確か、徹夜二日目だったろう。」
「…そうでしたっけ。」
アグリィははっきりと頷く。
「それで、おそらく疲れるだろうと思ったからだ。」
そういわれれば、昨日は抱かれる側で、感じている真っ最中でありながらも段々無気力になっていた。
仕事に追われて感覚が麻痺して忘れていた睡眠不足と疲労を、無意識に認識していたのだろう。
「本当、気が利きますね。」
いいながらグローリィは苦笑いを浮かべた。
上下など変にこだわっていたグローリィだったが、アグリィにしてみればその程度の感覚。
この“アグリネス”の中に、もう嘗ての潔癖で純粋な男の存在など無かった。
それをグローリィは願ってはいたが、本当に叶っていたことに気づいていなかった。
思わず口元にくっきりと笑みが浮かぶ。
「昨日はちゃんとできなかったから、これからやりましょうか。」
グローリィは少し高い位置にあるアグリィの腰に腕を回して体を寄せた。
「今度は、精一杯全力で抱かれてみたい。」
「…構わないが、仕事の続きは?」
「ルナにたっぷりバイト代を積んでやってもらいます。」
あっけらかんと言い放つグローリィに、同じくさらりと頷くアグリィだ。
自ら唇を差し出すように顎を持ち上げる。
そこに落とされる唇はやはり人間のものだがどこか無機質。
それをグローリィはむさぼるように舌を絡ませる。
相手もそれに応えるが、応えるだけで感情的に進みはしない。
けれど傍目からには恋人のように、二人はしばらく立ったまま寄り添い、口付けを交わしていた。
窓の外には、相変わらず水遊びをする子供たちの声が煩い。
けれど気にもならない、どうでもいい。
そう思えた。
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