SADNESS BLACK

 

「嘘…でしょ?」
「でも、家は荒されても抜けの殻だって。」
「お付きのクルセイダーが余りにも無残だからその場で埋葬したって…」
「なんで…!なんで!?」
「分からないけど…暗殺された、って話。」

大聖堂の庭の片隅で、見習いの法衣を着た少年少女たちが騒ぎ立てる。
その5人を少し離れたところで見ていたルナティスだが、もうすぐミサの時間になることだし伝える意味でもその輪の中に入っていった。

「どうしたの、もうミサの時間になるよ?」

5人が同時にルナティスの顔を見て気まずそうになったり涙目になったりといろんな反応を見せる。
だが内一人がルナティスに掴みかかった。

「ルナティスさん…!何か知りませんか!グロリアス先輩のこと!!」
「へ?」

今にも泣き出しそうな女の子の口から出た言葉に唖然とした。
少し離れたところで聞いていただけでも、いくらか単語は聞き取れたのだ。
クルセイダー、埋葬、暗殺…
誰かが殺された、そんな噂を彼女らがしていたのは分かった。

そしてこの少女の言葉からして、暗殺されたというのは…

「グローリィ…?暗殺された、なんて噂が立ってるの?」

質問に質問で返したのは失敗だったらしい。
その場にいる誰もがルナティスは何も知らないから聞かないほうがいいと判断してしまったらしい。
口をつぐみ、視線を外してくる。

だがルナティスは話題にそぐわぬ笑顔を浮かべてみせる。

「でもおかしくないか?僕、昨日夜遅くまで彼といたんだけど
そのあと彼が事件に巻き込まれてこんな朝早くにもう噂になるかな…」

ルナティスの言葉に、少しだけ少女らの顔に希望がさす。

「そ、そうですよね…何かの間違いですよね!」
「誰かの悪戯か人違いだよ!」
「先輩がミサをサボるのはいつものことですもの!」

「ちなみに今日も僕がこうやって代理できてる理由は『グロリアス・リアーテさんが二日酔いでバテました』ってんだしね。」

その言葉に本格的に希望を取り戻したらしい見習い修道士達は一斉に笑顔になった。

「さ、早くミサに行こう。大丈夫だと思うけど、ことの真偽はベッドでバテてる筈のグローリィに確認してきてあげるから。」

ルナティスが追いやるように示した大聖堂に、その場にいた5人は不安を笑顔で掻き消して走り出す。
まだ確信はなくても、そうできるだけの希望は持てたようだ。

けれど逆に、一番笑顔でいたはずのルナティスの心中は曇っていた。
話している最中にグローリィとアグリネスにWISをしてみたが、どちらも捕まらなかった。
グローリィは完全にWISが届いていないのだが、アグリネスは届いているのに返事をしない。

先ほどは後輩達を不安にさせない為に言ったが、昨日グローリィと最後に会ったのは夜どころか昼に近い夕方で、ルァジノールがいなかったからヒショウの監視もなく、グローリィの周りを守るのはアグリネス一人しかいない状態だった。
ルァジノールが行方不明になった件で取り乱していたグローリィを、アグリネスが一人で守りきれたかというと疑問。

嫌な予感がする。

『ヒショウ、今時間ある?』
『………。』

『ヒショウ…?』
『…ダークロードが…』

『……。』
『……ポポリンにテイム…された、から…』

『…悪い、寝起きだったか。』

まだ早朝、ヒショウは丁度意識はあるが覚醒していない時間帯だったらしい。
ルナティスは思わず脱力したが、すぐに今の時間帯も起きているであろうギルドマスターのシェイディにWISをしなおす。

『どうした?』
『確認して欲しいことがある』

シェイディ自体はあまりグローリィと面識はない、だがだからこそ頼みやすいと思った。
最悪、彼の命がなかったとしてもシェイディなら冷静に報告してくれるだろう。
そしてあまりギルドメンバーを巻き込みたくなかったが、聡明な彼ならそのまま協力を仰ぐことも出来る。

『仕事を済ませたらすぐに向かうから。』
『分かった。』

任せた、とWISを切る。
だが歩き出そうとした瞬間にまたシェイディとWISが繋げられた。

『ルナティス、今代理している仕事だが…』
『ん?』
『いつも、そのグローリィという男の代理と言ってたが、今日もなのか?』
『うん。』
『いつ依頼された?』
『昨日。』
『…そうか。』

そして一方的にまたWISが切られる。
既にシェイディもいろいろ思案してくれているらしい。

心配ではある。
だが今は一人で突っ走らなくても大丈夫だろう、シェイディが動いてくれるなら十分すぎる。
それに昨日わざわざ代理を、それも『数日の間分』を頼んできたのだ。
問題に巻き込まれることは分かっていたのかもしれない。

「本気で死にそうなら、退職とか家のもの全部整理するとかしていきそうな人だしな。」

そんなことを考えながら一人でうんうんと頷いて納得する。
不安を紛らわせる自己完結でないのかもしれないが、それでもそう思わずにはいられなかった。

「……嫌な天気だ。」

暑くも寒くもないが、暗い雲が薄っすらと広がって太陽も靄が掛かっている。
肌がぴりぴりとするのは雨雲か嵐が近づいているのかもしれない。
陰鬱になりそうなときに、来て欲しくない天気だと思った。

黒い雲がやってきそうな空へ背を向け、逃げるように聖堂内へと向かった。



 

別荘地の外れにある何の変哲もない別荘物件。
土壁の外装、実にシンプルだが広くても過ごし易い建物。

だがそこを訪れるのはミョルニール山脈入り口で山の雰囲気や涼しさを楽しみにくる者ではなく、血で血を洗う暗殺者達。
地下に潜むでもなく山奥に潜むでもない、まさか堂々別荘として建つ此処が影のアサシンギルドとは思うまい。
そんな灯台下暗しの考えで建てられているのがこの部署の特徴、だが一見して訪れやすそうな場所でも辿り着く道がないことが巧妙に隠されており、唯一この小丘に辿り着く道こそ地下に潜んでいた。

「……。」

黴臭い地下道を抜けて、建物の扉を開ける。
建物は小奇麗にされているが地理が不便故にここに済むのは仲介者以外には追われている犯罪者くらいしかいない。
リビングに見える影は仕事を貰いに来たか報告に来た者達だろう。
興味が無いから顔は覚えていない。

絨毯の敷かれた階段を上り、シンプルな扉の前でノックする。

「入れ」

扉を開けると、部屋の主がこちらへ歩いてきていた。
新緑の森のような髪、患部とは思えない優男の風貌、唇は常に皮肉気な笑みを浮かべる。
そのどれもアサシンクロスの刺々しい装束に似合わない。
セツナは後ろ手に扉を閉めて一礼する。

「誰もいないと分かりながらノックするなんて、相変わらず律儀だな。」
「…誰も?」

何か言いたげな視線でセツナは部屋の端を横目に見る。
痙若い女がまるで犬のように縮こまり攣するように震えて泣いている。
プライドも体裁も無い姿からは分からないが装束からアサシンと分かる。
仮にもこの部署に関わるのだから出来損ないや新人とも思えない、そんなアサシンをどうすればそんな姿にさせられるのかセツナは真剣に疑問に思った。

「ああ、“人間”は私一人だ。」

面白そうに笑いながら発したその言葉に、女が一瞬反応したがそれでも反抗的な目でアサシンクロスを見ることもしない。
容貌は全く暗殺者とは思えないその男だが、幹部であるにはやはりそれなりの理由がある。
狂人では在り得ない常識と理解を持ちながらも頭の螺子が外れているとしか思えない純粋な残酷さを持つ。
諜報員、暗殺要員どちらでも完璧に仕事をこなし、拷問すれば彼に口を開かない者はいないときている。

セツナの信念に反したこともするし恐ろしい男だと思うが、嫌いになれない、それがこのアサシンクロス。

「ああ、例えゴミだろうと耳があるとなると話もし辛いだろうね。悪かった。」

そう言いながら女の方へ何かを投げる。
だが金切り声をあげて逃げようとした女の目の前に茶色い布が振り落ろされ、それは絡め取られて床に落ちた。
一般に出回っているものとは形状が違うが、ポイズンナイフだった。

それに裂かれたマントを付け直しながら、セツナはポイズンナイフを拾う。

「女は傷つけないその信念は変わらずだね。」
「理由が無い故」

男が犬を払うように女の方に手を振る。
腰が抜けていたのか、それでもふらつきながら彼女は部屋を出て行く。
その後姿を見守り、何とか扉を潜ったところでセツナは警戒を解く。

「そうだ、君の婚約者の件についてまずお悔やみ申し上げよう。」
「過ぎた事を悔やむのも無駄なこと。」
「…君のそのさっぱりした性格は本当に見習いたいね。」

セツナは歩み寄りナイフの刀身を持ち、柄をアサシンクロスに差し出す。
ありがとう、と言いながら彼はそれを懐へしまう。

「さて君が気にかけていたプリーストの所在だが、先日また暗殺に向かったが不思議なことがあってね。」

じっと立って話したり、立たせたまま自分は座っているというのが苦手らしいこの男は、大抵部屋の中をうろつきながら話す。
多弁であることといい、本当に暗殺者らしくない。

「いつもこちら側の暗殺者を処分してくれる者の影が今回は一切なかった。
…ああ、処分という言い方はよくないな。あれは全て追撃による不幸だ。」
「…補足すると、先日某自身も向かわせられましたが。」
「じゃあ弁解しておくけど、君を投入したのは今度こそ本当に終わらせたかったからだよ。
手を引きたいのに引かせてもらえない面倒な仕事だったから、此処最近は問題児ばかり投入してたのはその通りだけども。」

アサシンクロスが小さく咳をして話を戻す。

「で、更に不思議なことに標的もいなかった。」
「逃げただけでは。」
「家には何者かに襲撃された跡があり、部屋には血がべっとり。
各部屋に転々と散っていたけど併せたら致死量だろうとの報告だ。」

本来ならばまるで他人事である人の死の報道。
誰が死のうと興味はないのがここにいる人間の共通点。
だが今回死亡と報じられたのはここ最近アサシンギルドを悩ませる種であったので上司の顔は若干機嫌がよさそうであった。

「死体の確認は?」

いつもは仕事自体にも興味も持たない男がそう追求してくるのはやはり不思議らしく、小首をかしげながらもアサシンクロスは律儀に応える。

「無い。だから死亡とは断定していないよ。
此処最近は“あちら様”が勝手に他の暗殺者雇ったりしてくれるから、何処がとどめを刺したのか確認も取れない。
本当にはた迷惑な御人だ。」
「捜索は」
「一応、している。ことになっている。」

ということはしていない。
一人のプリーストの暗殺、それを依頼してきているのは教会自身。
アサシンギルドの影の部分を支える、プリーストギルドの影。

実に私情の入ったその依頼は思ったよりも厄介で、アサシンギルドはさっさと手を引きたいのにプリーストギルドを敵に回すわけにはいかないので手を引くことも出来ない。
だからギルドはこの仕事に関して全てをこの飄々とした自由奔放の男に預けた。
そしてこの男は仕事をしている“フリ”をしている。

要らぬ者をその仕事に向かわせては『押し付けられている厄介な仕事の果てに犠牲となった』と依頼人へ報告し続けているのだ。
そのおかげで依頼人もこの男を相手にするのは諦め始め、他の暗殺者集団に仕事を依頼するようになってきた。

それは一部の者しかしらないことだがこのアサシンクロスはセツナを信用している。
しているからこそ『コネを便りにしてはした金で仕事させようなんて酷いよね』などという愚痴を漏らし、そこまでの現状をセツナに悟られるような真似をした。
セツナもそこまで知っても口を出さないし、自身がその仕事を任された時も文句を言わなかった。

「ところで、君がダーゲットの生死を気にするなんて珍しいが、理由を聞いても構わない?」
「理由を聞く意味は。」
「僕が気になる。それだけ。」

セツナに理由を語らせるには不十分だった。
彼は口を開かず、他に理由はないのかと言いたげな視線を送る。

上げようと思えば理由などいくらでも上がるし、セツナの口を割ることなど簡単。
だがあまり意味が無いと思うからアサシンクロスはそれ以上何も言わなかった。

聞く理由がない。
ならばセツナは話さずともよい、そう思ったが
ルァジノールはアサシンギルド自身が仕向けていたとはいえ表向きはアサシンギルドの敵。
そう思えばここで口をつむぐのは反逆と取られかねない。
セツナは上司に向き直った。

「某は標的であるプリーストを守護するアサシンを見初め、殺し合いを申し込んでおります。
それが果たされるには、あのプリーストが邪魔なのです。」
「…うーん、どこから突っ込みを入れようかなぁ」

至極真面目に話したセツナに対し、話された方は実に面白そうにしている。

「君が見初めたというアサシンはひょっとしてここ最近僕らの同朋を行方不明にしてくれている子かな?」
「付け足せば、我等のお上の指示で動いているものです。」

セツナは口にしてから、失言だったと後悔した。
容易に察しが着いたとはいえ一応は極秘事項だろう。
ルァジノールが今まで切り捨ててきたセツナの仲間は、セツナの上に立つ者達があえてルァジノールに殺させてきたということは。

このアサシンクロスも承知していることだろうが。
それどころか、その指示を出していたのはこのアサシンクロス当人ではないかとセツナは疑っている。

「失言でした。」
「お前は本当に面白いよ、セツナ。そこまで失言をしながら、不思議と僕に『処分させなきゃ』という気を起こさせないんだから。」
「何処で誰が殺されようと、某には関係がない故」
「それが自分の恋人でも?」

探るような視線。
だがそれを受けるセツナの視線に揺らぎはない。
「某が守れば良いことでした。結果は守れず終いだが、それも仕方のないこと。」

その答えを聞いた瞬間、アサシンクロスは笑う。
その男の本当の笑み。
それは実に穏やかで、人の命を踏みにじる時の笑みとも、人をたぶらかす為の偽の笑みとも違った。

「プリーストがこうなった今、我々はそのアサシンに関しては完全ノーマークだよ。ゆっくり落とせばいいさ。」
「しかし完全な死の情報無くば、あのアサシンはプリーストを探しに逃げ出すに違いない。」
「…ねえ、セツナ。理屈屋で潔癖なのはいいことだけど、君は肝心なことをよく見落とすね。」

まるで子供に言い聞かせるようにアサシンクロスは穏やかに言う。

「皆が皆、君のように人の死を割り切れるわけじゃない。
特にそのアサシンは歳若いうえに、金や仕事じゃなく自分の感情でプリーストを守っているそうじゃないか。」
「だからこそ、憎まれるならば好都合」
「そうはならないかもしれないよ。」
「…?」
「プリーストの後を追って自殺…とかね。」

セツナはわずかに目を見開き、顔をしかめる。
それは、最も避けたい事態だ。
ルァジノールが戦いの中で果てるならばともかく、自ら命を絶つなど不条理なことで失うのはセツナでも納得しがたい。

「馬鹿な、そんな無意味な」
「けれどそんな無意味な死を遂げる人間がいるから、自害とか自殺っていう言葉はあるんじゃないかな?」

セツナが動揺するのは珍しい。
苛立ちや焦りを感じるセツナを見て、アサシンクロスは更に面白そうに笑む。

「君も、大概不憫だねえ…女と面倒な付き合い方してるとは思ったけど、男は相手は更に面倒だ。」

まあ、頑張れ、と適当に労って彼はセツナに背を向けた。
アサシンクロスの背中の向こうの窓に、暗雲が近づく空から雨が叩きつけられ始めていた。





   大切な人 失う恐怖 それが報いでも



声がする。
頭に直接響く声。
だが意識が朦朧として誰の声か思い出せなかった。

WISを送り返したかも意識していなかったが、相手から『アグリィだ』と答えが来る。
ハッとして我に返る。
まだ意識は虚ろだがそれでも声や周りの景色を意識することはできた。
意識を失う前と変わらない、靄の掛かった視界に質素な部屋の中だ。

『今どこにいる』
『………分からない、部屋…』

アグリィのしてくる簡潔な質問を呆けた頭はなかなか飲み込まなかった。
それでも何度も心の中で反復して、返事をする。

『無事か』
『…薬、で…動けない…』

『部屋の外は見えるか?何処の街にいるか分かるか?』

窓は少し離れていて靄のせいで見えない。
ベッドから落ちるように降りて、床を這いながら窓に近づく。

『…暗い…雨』
『どの程度降っている?』
『…少し。降り始め、ではない…石畳が、既に濡れてる…』

もしアグリィの居場所と天気に差があれば方角くらい分かるだろう。
そして運よく雨の具合から首都より北の方だと見当がついたらしい。

あとはひたすら分かることを伝え続けた。
白い石畳がずっと見えること。
定住宿の2階か3階にいること。
少し肌寒いこと。
人の気配が少ないこと。
静かなこと。

しばらくしてから、呟くようにアグリィが『ジュノーかアルデバランだな』と言う。
もう少し意識がはっきりしているなら、自分でその答えは出せたはずだ。

『すぐに探しに行く。』
『グローリィ、は…?』

先に話している最中もずっと気になっていた。
聞くのが怖かった。
けれど聞かずにいられるはずが無い。

返事は、ない。

『…グロー、リィ…は…?』
『無事だ、だが返事はできない。』
『何故…?』

無事、というのも信じられなかった。
返事ができない、何故?

『グローリィの、命を…狙ってる女が、動き出したと、聞いた…!』
『ジノ、もういい。お前がこれ以上無理をする必要は無い。』
『何故!!グローリィに何があった!!!』

この身体が動けば、アグリィが目の前にいたら、彼に掴みかかって問い詰めたい。
何もできない、もどかしくて苛立った。

『答えて、くれッ!!彼は、無事か?!どこだ…!!』
『まずはお前を保護しろと』

アグリィはこちらの質問に答えない。
恐らくどれだけ問い詰めても、答えてくれない。

『それが彼の意志だ』

アグリィはグローリィの意思。
あくまで“意思”であって、グローリィのボディガードでも従者でもなんでもない。
だから彼を一番に守ろうとするわけじゃない、身を案じてるわけじゃない。

意志の無い殺人人形を何人も見てきた、アグリィはあれに近いものを持ってる。
たとえグローリィが死んでも、酷い目に遭っても…彼が自分の身より俺を案じているなら、アグリィはその通りに動く。

それでも、温かさを持っていた。
グローリィと同じに俺に優しくて好きだった、そのアグリィが今は憎い。
彼が危険な目に遭うのを分かっている筈だ、分かっていた筈だ。
それなのに

『頼、む…グローリィ、を…』
『その前にお前だ。』
『助けて、くれ…早く、間に合わなくなる…』
『……。』

様子を見るために窓枠に乗り出していたが、堪えきれず床に腰を落とした。
間に合わない。
誰も彼を助けない。
何故。
そんなに、彼の周りには、誰もいなかったか?

どうすれば良かった。
俺が迷わず早く、あの女の首を獲っていれば良かったのか。
グローリィに恨まれることになっても…


「…ッッ!!」

腹に衝撃。
蹲っていたところを蹴り上げられ、思わず噎せながら上半身だけ起こす。

「何を泣く。」

狩り支度のままのセツナがいた。
混乱していた、けれどとにかく誰でもいいから縋ってしまいたかった。
だがセツナは俺の唇の動きを読んではくれなかった。

「汝の無様な姿は見るに耐えん。」

視線を逸らしたセツナに思わず掴みかかる。

『頼む、ここから出してくれ、助けてくれ』

装束の裾を強く掴み、過剰に唇を動かす。
こんなに涙を流したことは無い。
けれど、グローリィの死を思うと怖かった。
理性を保つことなど出来なかった。

恐ろしい。
あの優しい人が、温かい人が
冷たくなり、動かなくなり

俺が今まで殺した人たちと同じモノになり、同じところへ行ってしまうのだと思うと。
この悲しみは、恐怖は…


『俺は、死んでもかまわないから』


自分の死よりも耐えがたかった。



弾かれたようにセツナが蹴り飛ばしてくる。
身体の自由が利かないのも、精神状態が悪いのもあってとてもガードできるものではなかった。
まともに胸に食らって壁に頭をぶつける。

当たり所がよかったのか気絶はしなかったが肺がつぶれるような感触にしばらく喘ぐ。

虚ろな視界の端で、俺を見るセツナの目。
失望か、驚愕か、軽蔑か、怒りか…
どれか分からぬうちにまた肺が暴れだして床に蹲る。

セツナが部屋から出て行く足音がやけに頭に響いた。
そしてドアが閉じる音にリンクして、俺の意識も闇に落ちていく。

『グ…ロ、リィ…』

WISはどこにも届かなかった。