ABYSS TO SHADE
_ 第××回 ギルド攻城戦 翌朝 _
「報告します。」
カーテンと窓を締めきり、蝋燭で灯りをとっている部屋は薄暗い。
そんな部屋の住人は日に当る時間が少なく、陶器のような白い肌をしていた。
けれど書類や本の向こうには若葉のような緑の髪を携えた頭部が見え隠れしている。
「まずは結論から、残念ながらまたも失敗です。」
一瞬こちらに視線をやっただけで“彼女”は報告の続きを促す。
応える若いハイプリーストの娘は淡々と言葉を連ねた。
プロンテラ攻城戦は通常通り正午開始。
その開始の砲にて開門、Xeglezzの持つ砦『×××』に押しかけた人数は他の非ではなかった。
一般のギルドに混じり、グロリアスを目的としたギルドが多数あった為。
Xeglezzにとらわれていると見られるグロリアスの救助隊。
以降、救助隊と言う。
“我々”が派遣した暗殺部隊。
以降、暗殺部隊と言う。
そして全くそれとは違い単独に乗り込んできたギルドが多数。
恐らくグロリアスの知人と思われる。
以降、第三者と言う。
対しXeglezzは人命構わぬ戦術と罠を張り、突入した人間は多数の重軽傷を負った。
暗殺部隊の第一陣はXeglezzの力に押され、城外へ強制送還された。
だが粘り強く砦内に残ったことで死傷を伴う深手を負った多くは救助隊の方。
救助隊がXeglezzの戦力を削り、弱らせたところを暗殺部隊がトドメを指す形で砦を獲得。
同時に地下牢から暗殺部隊で別行動をしていた者達から「標的(グロリアス)を発見した」と報告があり。
しかしすぐに「部隊へ襲撃あり」との報告を残し彼らは全滅。
_ 第××回 ギルド攻城戦 前夜 _
夜中の宿の食堂に数名の人影がテーブルを囲んでいた。
全員、胸にはギルド:インビシブルのエンブレム。
しかし中には普段メンバーではない顔もあった。
「なんだかこうやってシェイディの脇にいるのが懐かしく感じるわ。」
漆黒の美貌を持つアサシンクロス、シンリァがギルドマスターの隣で小さく笑う。
「別に組んだことなかったわよねぇ」と独り言のように言う彼女に、シェイディは苦笑いを返した。
シェイディは輪の中心でテーブルをじっと見つめた。
広げられているのは目的の砦の内部図である。
若さに似合わない鋭い表情と無骨な指先が所々染みのついた紙の上を辿る。
「…まず攻めるのはグローリィを暗殺しようとしている奴らだろう。
今回は力のある前衛後衛をそろえてくるだろうが、基本は足のつかない“暗殺”特化の部隊編成だからな。
だがその一陣は恐らく城内の“探り”を入れるためのモノで、本陣ではない。」
シェイディは赤いジェムストーンの欠片を図上では砦の外に位置する場所に置いた。
そして青いジェムストーンを城の中へ進めていく。
レッドジェムストーンがグローリィを殺そうとする敵、ブルージェムストーンがグローリィを救出しようとする教会。
「青、つまり教会の組んだグローリィ救助隊がまずはXeglezzと対決する。
だが攻城戦に寄せ集めのメンバーで向かって熟練ギルドに勝つのは相当難しい。
余程の戦力、統率者、作戦が必要になる。
だがそれがあっても今回は彼らは勝てない。」
シェイディは城の中心部に入った青い石を爪でピンと弾いて飛ばした。
「彼らはグローリィを狙うのがXeglessだけではないということを知らない。
知らない限り彼らに勝利はない。」
変わりに城の外にいた赤い石を中に導いていく。
「救助隊が勝てそうならならば、それを暗殺者達が横取りするように潰しに掛かってくる。
救助隊を退けてXeglessが弱まったなら、またそれも暗殺者達が潰しに掛かってくる。
奴らにとっては“グローリィを暗殺する時、砦内には当事者以外は誰も居ない”のが理想だからな。」
ルナティスが頷きながら弾かれて用済みにされていたブルージェムストーンを指先で転がす。
「…じゃあ暗殺部隊に絶対に勝たせちゃ駄目ってことになる?
勝った瞬間、ギルド攻城戦のルールで勝ったギルド以外は城から一旦弾き出されるし。」
シェイディがそこで説明を切り、あごに手を当てて考え込む。
「切り込むなら、暗殺部隊が2度目に突入した直後か?」
ヒショウの言葉に、シェイディが間を置いて首を左右に振った。
「…いや、それでは遅い。今回は何処よりも先に先手を打つ必要がある。
突入の様子を見る方が危険だ。」
シェイディの指が図面の外にあった石を持って城の入り口に置いた。
「突入するなら、攻城戦開始直後だ。恐らくグローリィは敢えて見つかりやすいところにいるだろう。」
ただの石はレッドジェムストーンやブルージェムストーンを押しのけて城の中に入る。
その場の誰もが驚きを隠せなかった。
_ 第××回 ギルド攻城戦 当日 _
正午を告げる鐘。
そして砦を巡る小さな戦争開始の合図である空砲。
地下深いこの地にもそのざわめきと盛り上がり、そして地響きが鳴る。
骨の髄までしゃぶられた体は重く、起き上がるのも億劫だった。
埃っぽくて冷たい石の床を転がりながら、それでもなんとか服を身に着けた。
部屋の隅にくしゃくしゃに丸められて放置されていたプリーストの法衣は、無残に伸びたり破けたり、そうでなくても酷い皺になっていていた。
騒々しい音を聞きながら、じっと鉄柵のむこうの階段を眺めていた。
きっとここに一番に辿り着くのは…
___…ごめんなさい…ジノ
心の中で呟いて、体を起す。
乱れた髪を手櫛で整えて、しかし法衣の裾や襟は直さないで置く。
膝を立てて立ち上がろうとすると間接に鈍い痛みが走った。
昨晩は明け方まで酷く犯され続けたせいで、下半身の感覚が殆どない。
けれどそれを態度に見せぬように立ち上がり、背筋を伸ばして階段を見据えた。
「ブレッシング、速度増加、キリエエレイソン」
淡々と自分に祝福の魔法をかける。
こんな汚れ切った体でも、天の祝福は受けられるらしいと自嘲せずには居られなかった。
「マグニッフィカート」
最後の支援魔法がかけ終わったときだった。
階段の向こうが騒がしくなった。
そして黒いマスクとアサシン装束の集団が見えた。
その脇にはハイプリーストまで居た。
Xeglezzから奪い取ったか、それとも内通者でもいたのか、彼ら鍵を持っていて牢の中には簡単に侵入してきた。
「グロリアス・リアーテに間違いは無いか。」
先頭にいた女がそう口にした。
だがそれは彼自身に聞いたのではなく、脇にいたハイプリーストに聞いている。
恐らく彼は首謀者に近い位置にいるか、教会の人間なのだろう。
彼が頷くと即座に女とアサシン2名の短剣が煌いた。
1撃はキリエエレイソンに防がれる。
そして2撃目は…
「っ!」
体を引き倒され、グローリィは石の床に倒れた。
「何者だ…!!」
その叫びは奇妙に室内を反響した。
その言葉を発したハイプリーストは首から上だけが跳ね上がり、ボールのように飛んでいたからだ。
頭部に遅れて、彼の頭部を失った体も石の床に倒れてくる。
それが倒れきる前に、アサシン1人が獣のような悲鳴を上げて床に膝を着いた。
それまで、本当に一瞬の出来事だった。
グローリィが倒れて、顔を上げるまでの一瞬だった。
ハイプリーストは首を刎ねられて、アサシンの目は潰れていた。
そしてそこには事を落とした張本人である第三者が新たに現れていた。
白銀の柔らかな髪、紫の装束に包まれた痩身。
「ジノ」
呼びかけに反応する余裕などあるはずが無かった。
残るアサシンの男と、アサシンクロスの女が即座に彼に切りかかる。
だがその瞬間ルァジノールはつけていたマントを広げて投げ、二人の視界から逃れた。
標的を捕らえられなくなったことに危険を感じ、二人ともそれぞれバックステップで後退した。
だがアサシンクロスの方はすぐに後ろが柵で大して距離を取れずに構えるしかなかった。
「っ…!!!」
彼女は膝を切られ、体制を崩しかけた。
だが短剣を足元にいるルァジノールへ向かって振り下ろす。
神速ともいえるその一撃を彼は辛うじて弾くが刃で受け止められず左腕に短剣が深く突き刺さっていた。
それでも臆さず右の一撃を弾いてそのままアサシンクロスに突っ込んで起き上がる。
グローリィからは、まるで抱きつきにいっているように見えた。
だが彼の肩越しに見えた女の顔は、悲鳴は上がらずとも断末魔を上げているかのように歪んでいた。
即座に女が再び彼に短剣を振り下ろそうとしたが、直後にジノはハイディングで逃れていた。
歯を食いしばった女の首からは夥しい出血。
噴出に近いほどの出血に“噛み千切られた”のだとグローリィは理解した。
女は止血をする間も与えられず、背後に現れたジノに首の後ろにカタールを突き立てられて絶命した。
それを見た残る一人が臆した瞬間、女の頭を蹴ってジノは跳躍した。
「ひっ」
自分より一回りも小さい相手に情けない声をあげながら男は短剣を構え、振り上げた。
ルァジノールは牢柵を背にしていた為、わずかな光が男の目を曇らせた。
反応が遅れて男は攻めに転じれず、ひたすらルァジノールの斬撃を防ぐ立場になった。
数秒、立ち回り一際大きく二撃打ち込む。
それをしっかりと両手の剣に受け止めたアサシンだったが、次の瞬間にはくぐもった悲鳴を上げた。
ルァジノールに喉を掴まれていた。
いや、掴まれたのではない。
指が皮膚と肉を破って深く食い込んでいた。
咄嗟に男も得物を離してルァジノールの細腕を両手で掴む。
その瞬間には、今度は首だけでなく頭を掴まれていた。
今度こそ、悲鳴は上がらなかった。
ルァジノールの親指と小指は男の眼孔突き込まれ、頭蓋を掴むようにされていた。
あまりのことに男は自覚できずただパニックになった。
潰れた眼球と押し出された眼球が痙攣し真紅に色づき、覗いた眼窩の内肉はそれより更に赤かった。
男の頭部を押さえ、首の肉を血管ごと引き千切った。
肉を潰す、というより皮を千切る寒気のする音が響く。
冒険者の戦い方ではない。
より迅速に、より残忍に殺す、本物の暗殺者の手だった。
ルァジノールには腕力が足りない、故により残虐にならざるを得ないのだろう。
あっという間にまだ幼さを残す青年の周りには四つの死体が転がっていた。
「ジノ…」
全てが終わるまで、名前を呼ぶ暇などなかった。
漸くグローリィが呼びかけることができても、彼は振り返ってくれない。
しかしそれはグローリィを拒否してのことではなく、まだ敵が居ると判断しているからだった。
柵の中から通路を睨みつけ、カタールを柵に叩きつける。
声が出ない代わりに『出て来い』と告げているのだろう。
しばし静寂が続く。
だが不意に柵のすぐ外に影が浮かび上がる。
それはマントで姿を隠すことすらしていない長身のアサシン。
小さい室内灯の真下で、その姿は容易に確認できた。
「…ッ!」
ルァジノールの体が強張る。
血に濡れた手と刃が微かに震えていた。
「…ジノ」
柵の外から優しげな声で呼びかけてくるのはヒショウだった。
「…助けに、来た。もう一人で無理をする必要はない。」
本当はこの姿を、暗殺者に再び堕ちてしまった自分を皆に見られたくなくて必死になっていた。
だがそれも無駄だったのだと知る。
しかし暗殺者として冷静さを保っていたルァジノールにはある疑問が生まれ、それは疑惑となってカタールをヒショウに向けた。
今度はヒショウが目を丸くした。
「…ジノ…?」
『何故いる』
「それは、お前達を助けに来て」
『早すぎる』
それは確かにだった。
まだ混戦となっているであろう上の騒ぎを掻い潜って此処に来るには早すぎる。
プロの暗殺集団が着いたのが今さっきで、恐らくその十数秒後にはヒショウはそこにいたのだ。
「シェイディの作戦で真っ先に此処に来たんだ。城内に入ってすぐにギルドから脱退手続きをして砦のシステムに感知されないようにして、さっきの集団を追ってきた。
Xeglessや暗殺部隊をどうこうするよりも、まず確実にグローリィの元に少数で潜み、盾になることが先決だといわれて…」
『近寄るな』
説得しようとするヒショウを、ルァジノールは冷静に跳ね除け殺気をぶつける。
あまりに冷酷な気配に彼は動けなくなった。
人間とは思えない程の圧迫。
暗闇の中で白い身体と青い瞳が魔物のように浮かび上がっている。
いや魔物よりも恐ろしく、鋭い存在だった。
これに近づけばどうなるか、足元の残骸が物語っている。
『去れ』
まるで絶対服従の命令。
ジノは幼くも獣だった。
「…分かった。だがジノ、もう良いんだ。上でシンリァが暗殺者を食い止めている。
俺もそちらへ加勢に行くが、グローリィを救助に来た者だけ通す。」
ヒショウが向き合ったまま一歩二歩と後退する。
ルァジノールは恐らく信用しない、だが無視も拒否もしないだろう。
彼はただ、何者も通さずグローリィを此処で守り続けるだけだ。
「ただ、どうかこのまま居なくならないでくれ。
お前がどんなに自分を責めても、悔やんでも、俺達はお前を拒否しない。
また、前みたいに一緒にいたいから此処へ来たんだ。」
その言葉も、ルァジノールの心に響いたかは分からない。
彼はカタールを構え、番犬のように牙をむいている限りは誰の言葉にも動じないだろうから。
_ 第××回 ギルド攻城戦 翌朝 _
「我々の派遣した部隊は4名が死亡、5名が重軽傷。
暗殺は間に合わず、グロリアスは教会側に保護されました。」
若いハイプリーストは無感情にそれを伝えると黙った。
「…またか…」
苦々しく彼女の主人が応える。
しかしその声もまた若いが威厳に満ちていた。
椅子から立ち上がったのは少女とも言える年齢のハイプリースト。
緑の髪を縛り背中に流している。
肉体年齢より凛として目元の黒子が更に大人びてみせた。
「それともう一つ報告がございます。彼が救出された時のことです。」
「それは多忙な私に判断を仰ぐ必要があること?」
一瞬部下である女は悩んだが、それでも頷いた。
「こちらの被害4名の死亡はいずれもグロリアスのすぐ傍らで起きています。
これは恐らく近日こちらから仕向けていた暗殺者を立て続けに葬ったのと同一人物の仕業です。」
「でしょうね。それだけ?」
「いえ…それが…」
事の重要性を伝えるように、女は部屋の中心にある仕事机に一歩近づく。
「この人物、まだ若いアサシンだそうですが…グロリアスが教会に救助される際に彼の傍らにいました。
そして助けられていたはずのグロリアスはそのアサシンを告発したそうです。」
主はそこでやっと報告に興味を持ったが、大して重要性は感じずにただ怪訝に思っただけだった。
「目の前で4人が殺されたのよ、あいつも気が動転していたか、そのアサシンも自分を殺しに来たと勘違いしていたのではないの。」
「…そうかもしれません。しかし何かが引っかかるんです。それが曖昧で今ご報告するか悩んだのですが…。」
部下としては曖昧な言葉と言うのは好まれない。
いろんな意味で恐れられるこの緑髪の女の前ではなおさらだ。
だが彼女はその意見を無下にはしなかった、それだけの信用がこの部下にはあったからだ。
「ちなみに、そのアサシンは現在と今後どうなる?」
「現在は教会の依頼で騎士団に囚われ厳重に監視されていますが、今週末には教会で尋問と裁判が行われます。
現行犯で言い逃れる様子がないので刑は免れないと思われます。」
「…確かに、妙ね。のらりくらりとこちらの手をかわしていたかと思えば凶悪ギルドに逃げ込み、人質になって教会を騒ぎ立て、今度は暗殺されかけたと裁判沙汰を起している。
けれど告発したのは今まで守ってもらっていた相手、とは。」
しばし悩んだ後に彼女は舌打ちしながら席を立つ。
「時間が出来次第、そのアサシンに面談するわ。一応、その面談中の私のアリバイ工作と身元偽装の手配を。
…そろそろあの愚弟も窮鼠となりうる時期だわ、お前も用心しなさい。」
懐かしい 暗闇に舞い戻った
硬いベッドに腰掛けて、しかしずっと座っていては身体が固まるので時折立って歩き回る。
しかし暗い部屋は2歩行けば壁に当る、狭い正方形の作りだった。
天井もそう高くは無い、指を伸ばして飛び跳ねれば指が触れる程度。
狭くて暗い環境は理性を狂わせるが、幸い拷問用の部屋ではないので向かい合わせの壁、胸程度の高さに3重格子の窓があって空気は悪くない。
片方は外へ繋がっていてとても出られる格子でも、飛び降りれる高さでもないが街の音が聞こえる。
こんな環境も、何日閉じ込められようと大したことはない。
暗闇で、けれどルァジノールの表情は穏やかだった。
何も焦ることはない、気を張りつめ続けてきたが今は肩の力を抜くことができた。
グローリィは無事だった、それさえ分かれば。
彼が命を狙われていたことは公になった、その理由は身代金目当てということで片付けられてしまったけれど。
それでも当分は騎士団も彼を守るというし、何より…
___ そのアサシンが、今まで私を狙っていたんです!捕らえてください!!
グローリィが、俺を拒否した。
それは俺の捜索に当てていたアグリネスを彼自身の保身に回せるということ。
何故、彼がああいったのか分からない。
けれどこれで俺も、心置きなく動ける。
彼と一緒にいることを望むからいけなかったのだ。
もうそれが叶わないと分かれば、ただ彼の命を守ることに専念できる。
どれだけ、俺が恨まれようとも構わない。
轟音。
錆びた鉄が擦れる音がして、壁の一面の小さな扉が開く。
「出ろ」
がたいの良い騎士がそう言って覗き込んでくる。
それに従い、扉から出ると新鮮な空気と光に自分が数日入れられていた環境の悪さに気づいた。
背後から2人に首に剣を突き立てられ、そのまま首の錠から牢獄内と繋がっている鎖を外された。
あくまで鎖だけで錠はそのまま、違う鎖に付けられて犬の首輪ように端を騎士の一人が持っている。
強く引かれて、歩けと促される。
「これから面会だ。ただし、相手は特例で教会の高貴な方だ。どうせお前は数日後には出られない牢獄か絞首台に上ることになるだろうが、今日失礼があればその場で八つ裂きにされると思え。」
言われて少し、背筋が伸びる思いだった。
命は惜しくない、とはいえまだ俺は一つだけしなければならないことがある。
そのためにはまだ、あと数日生き延びなければならない。
道中に簡易の目隠しをされ、通された部屋は広めの私室に似ていた。
鏡、椅子とテーブル、しかし装飾は無い簡素な部屋だった。
その椅子にはハイプリーストの女性が二人と、背後に護衛らしい上位のロードナイト。
あまりに世界が違い、首を傾げたくなった。
こうゆう時、どうすればいいのだろう。
分からないが非礼の無いようにといわれていたのを思い出し、上司にするように片膝を立てて顔を見ないように頭を下げた。
相手から目を逸らすというのは暗殺者にとって恐怖、それを思い出してやはり俺は暗殺者なのだと再確認した。
「顔を上げなさい。話す時は人の目を見るものよ。」
言われて伺うように上目に女性を見る。
緑の髪に鋭く厳しい目とその下の黒子が印象的。
ハイプリーストの法衣も、知っているものより装飾が多い。
「私の名はフローラ・リアーテ」
目を見張りそうになった。
リアーテ、グローリィと同じ。
しかもその名前は彼の姉のもので…ずっと、グローリィを殺そうとしてきた女。
似ていない。
顔も、髪も、瞳も、そしてこの女はグローリィの持っている優しさや温かさの一欠けらも持っていない。
本当にこの女がグローリィの血縁なのだろうか。
「確かお前は口がきけないそうね。なら、私の質問に首を振って答えなさい。」
まずい。
どう応えれば良いのだろう。
俺は、どの役柄を演じればいいのだろう。
グローリィを守っていたことを伏せて、暗殺しようとしていたことを告げるか。
だがそんなもの、すぐに嘘と分かってしまう。
この場で騙せても調べれば俺とグローリィが親しくしていたことはすぐに分かる。
「此処最近、グローリィを守り暗殺者達を葬ってきたのはお前?」
「……。」
ここで間違った答えをしてはいけない。
だがそれで嘘をつこうとするのは危険だと知っている。
一番危険で有効なのは、黙秘。
「ああ、暗殺者ならそうするでしょうね。けれど、そうすれば地獄を見ることも分かっているでしょう。」
それでも告げるつもりはないと真っ直ぐに女の目を見た。
俺をゴミのように見下す目だった。
今まで俺に対してこの目をしたのは“こちら側”の人間だった。
それで悟る。
「お前が口無しで良かった、醜い悲鳴を聞かずに済む。」
フローラという女は弟のグローリィとは違う、ルナティスさんやヒショウさん達とも違う。
かつての俺や暗殺者達と同じ、汚い人間だ。