LACQUER BLACK AND
「あんた、只のプリーストじゃねえな」
「只の…とは?」
ベッドに横たわるプリーストが見上げてくる。
その瞳にあるのは只の怯えだけではない。
ふと唇に笑みさえ浮かべて、恋人に話し掛ける様に艶やかな声で話し掛けてくる。
「貴方が捕らえたのは間違い無く、リアーテ家の次男ですよ。」
「それは分かってるさ。だがまあお家柄が良くてもネジが外れた奴は多いからな。」
白い細腕を乱暴に掴み上げ、その手首に歯を当てる。
そこにはまだ癒えきれていない人為的な傷跡。
「被虐趣味でここまで来たか?」
そう言いながらじわじわと追い詰める様に手首の肉を強く噛む。
血は滲まないものの、鈍い痛みにプリーストは眉を潜める。
だが唇を舐めて湿らせ、微かに笑みさえ滲ませる。
「被虐趣味者は、総じて自殺願望はないものです。加虐されることの快楽を求めている、つまり生の願望があるということですから。」
「回りくどい奴は嫌いだ」
「では、ストレートに。痛いからやめて下さい。」
余りにころりと変わるプリーストの憎たらしさに男は笑って顎の力を強めた。
「っい…あ…」
「の割に気持ち良さそうじゃねーか」
「痛い痛いと鼻水垂らしながら泣きわめかないと痛がってるように見えないんですか…っ」
男は鼻で笑って歯を放した。
腕には面白い程にくっきりと歯形が付き、犬歯が宛がわれたところからは血が滲んでいた。
「本当に温室育ちのお坊ちゃまなら、下で俺の仲間にヤられた時点で泣きわめいてるだろ」
「…では貴方は、私が何者だと思うのですか。」
「……。」
男は不意に獰猛な視線をプリーストに突き刺す。
それに気付き、内心「しまった」と後悔した。
武骨な指が白い首に食らいつき、ベッドに押し付けて締め上げる。
「調子に乗るな」
端正に笑んでいた彼は顔を苦痛に歪めてもがく。
「ああ、そっちの顔の方が好みだ。」
そう言いながら笑って更に強く締め上げる。
プリーストの顔は微かに膨張し赤く染まる。瞳から涙が出血のように溢れ出す。
細い指が首をしめてくる男の腕に突き立つ。
掻きむしる動作は必死で、それに満足するとやっと笑って首を放した。
「っ、はぁっ!はあ!」
「自分の命が危ういのにそうやって気取って見せるってことは、命の代わりに差し出せる美味しい話を持ってきてるってことだろ。」
ひとしきり噎せ込みながらも「ええ」と答える。
出来れば一言二言付け加えたかった。
それにより様子見をして交渉を変えたかったが、そんな呑気なことは出来ないと知った。
この男は酷く短気で、この肯定に「だが」と補足しようものなら即刻首を落とされる気がした。
「私を人質に本家を脅して金を要求してほしいんです」
「もうやってる」
「その額は?」
「1億ゼニー」
「ではその額を8千万ゼニーまで一旦下げて、それを受け取り次第10億まであげて下さい。」
その言葉に男が片眉を跳ね上げる。
「その額を本家は払うのか?」
「いいえ、全額を払うのは本家ではありません。しかし1億から8千万に下げ「次のギルド攻城戦に入り用だ」とでも言えば私を帰すという信憑性が増します。ならば奴らは確実に払います。」
“奴ら”と言い、まるで自分はこちらの味方だとでも示すようにする。
事実、グローリィはそういった形で話を進めたかった。
自分は人質であり、しかしXeglessに味方すると。
「その8千万ゼニーはいわば前払分です。残り9億2千万は私があなた方に後払いします。」
「…で、お前はその金で見逃してくれって言うのか?」
グローリィは首を横に振る。
「攻城戦まで此処に人質にし続けて欲しいのです。8千万ゼニーを受け取った後も。」
なるべく概要をまとめて喋れば、男は徐々に興味を持ち出した様子で眉根に皺を寄せた。
鋭い刃物のような眼光が、弱々しくも正面で強く構える青年を射抜く。
「じゃあ、少し我慢して聞いてやる。そうする事情、金を払える根拠、お前の考え、全部話しな。」
そう言いながら男はグローリィの髪を鷲掴み、皺だらけになったシーツに押し倒した。
笑う毒蛇の首に噛み付き 殺す
そして その毒でこちらがやられるのだ
頬を撫でられる。
優しい仕草、けれどそれがグローリィではないと直感で分かった。
「そこまでして、汝はあのプリーストを守りたいと謂うか。」
声だけでなく口調からも、傍らにいるのがセツナだとわかった。
痛む体に優しく触れて、血が滲む肌のところどころにポーションを掛けてくれているらしい。
目隠しをされていてその様子は見えないが、痛みが引いていくのが分かった。
「その身で思い知ったであろう、あの女の恐ろしさを。それでも、その弟を庇うのか。」
「……。」
グローリィを殺そうと目論見続けていた彼の姉・フローラ。
それがずっと俺が殺そうとしてきた標的だった。
しかしそれをせずに、ずっとグローリィを守ることに徹していたのはただの躊躇いだった。
何故二人が敵対するのか、姉が弟を殺そうとするのか、それは判っていた。
だがその逆、グローリィの気持ちを俺は知らなかった。
そしてグローリィの肉親を殺しても良いのか、グローリィはそれを悲しまないのか。
その迷いがあって、俺は攻められずにいたのだ
だがそれも不要と確信した。
あの女は非道で、弟は本当に邪魔者でしかない。
グローリィは優しいかもしれないが、二人の間に家族愛は成立しないのだと分かった。
けれどそれが分かったと同時に更に問題が生じた。
俺の全力では決して首を狩れない、フローラはそんな強敵だった。
あの女は確実に、油断をしない“こちら側”の人間だったのだ。
セツナが目隠しを外そうとしたのか、布に触れてすぐに指を放した。
「…皮膚に、縫い付けられているのか…」
まだ針を通された目の下と額がヒリヒリと痛む。
けれど眼球を抉り取られなかっただけましだ。
「汝の答えは、言われずとも分かるが…」
「……。」
「それでも聞きたい。今なら某は汝を連れて逃げることもできる。
あのプリースト達ともう関わらず、平穏に暮らさぬか。」
平穏。
グローリィやいろんな人と一緒にいた時に感じた、幸せな時間。
思い出せば、自然と唇を微笑みの形に模れた。
そして小さく首を振る。
俺の望みはグローリィの平穏のみ、そして俺自身にはもう幸せを感じる資格もない。
「……汝はもうじき殺されるぞ。」
「……。」
「迷いは、ない…か…。」
セツナは別れか、労いか、何かを伝える様に俺の耳元に指先で触れた。
そして横たわる俺の目の前に小さな瓶を置いた。
中には無色透明の液体、その正体は言われなくても分かった。
感謝を込めて小さく頷く。
「ジノ」
名を呼ばれる。
いつの間にか、ルァジノールよりも沢山呼ばれるようになったあだ名。
それを呼ばれる度に、心が温まった。
俺を好きだと言ったセツナも、その名前を呼んでくれた皆同様に大切だと今なら思える。
けれど俺が最も大切なのは、俺が生きる理由は、皆ではない。
たった一人。_
初めて俺に優しくしてくれた一人のプリーストだけ。
『さよなら』
だから他は突き放すしかない。
セツナの気配がなくなり、少し経った頃に足音が近づいてくる。
騎士の固い靴底と重量の俺だ。
足音の主達は扉を開き「出ろ」と指示してくる。
「…っう…」
扉を出た瞬間に、誰かが裏返った声を漏らし息を飲んでいた。
それを誰かが嗜める。
暗闇からはい出てきた自分はどんな悍ましい姿だったのだろう。
目隠し布を肌に直接縫い付けられ、指の間接を手首まで全て外された。
後は刃や拳で傷付けられ爪を剥がされた。
「……。」
誰かが目の前に立ち、俺の首元に手をのばした。
それに思わず身体を震わせた。
「…大丈夫、乱れている服を直すだけだ。」
その人の声に優しさを感じ、唇で『ありがとう』と伝えて頷いた。
「…せめて、目隠しを外してやっちゃあ駄目なんですか。」
「このまま連行しろとの命令だ。」
「…手錠は…付けてもどうせ外れそうですけど。」
「それは、仕方ないだろうな。むしろその手では何もできまい、手錠は不要だ。」
初めて彼等にこの部屋から連れ出された時とは違い、やけに優しくしてくれた。
治療が出来ないならアンティペインメントを飲むかといわれたが、首を振って断った。
視界が塞がれた俺の為に、軽く腕を支えながらゆっくり歩いてくれる。
「…あの、これって…こないだ来たプリーストのお偉いさんにやられたのか…?」
隣から男がひそひそ声で聞いてくるが、前を歩く別の男に聞こえたらしく怒られた。
「余計な詮索をするな」
「…でも、これってリンチじゃないか。結構問題ですよ!」
「だからってお前がどうこう出来る問題じゃない。」
いろいろと言われた隣の青年が、小さく「ごめんな」と俺に言ってきたのがわかった。
グローリィに固執していた俺に、彼がよく「私だけじゃなくて、周りも見てみれば沢山良いことがある」と言っていた。
その意味がやっと分かってきた気がする。
グローリィの周りの人だけではない、こんな所でも優しさを受け取れたことが無性に嬉しかった。
頭を深く下げて『ありがとう』と意を伝える。
グローリィを捨てれば、俺はたくさんの優しい人たちと出会いを繰り返して、優しい時間を過ごすことが出来たのだろうか。
その可能性が失われたことは悔やまれるが、それでも俺はこの道が正しかったとはっきり言える。
グローリィに貰った命と自由は、彼に返すのが正しい。
そして俺が何よりグローリィが大事だと思う気持ちは正しい。
視界が塞がれたまま数分歩いた。
何度か長い階段を上り下りし、途中外の風を感じたので別の建物へ入ったのだろう。
かすかに人の話し声が建物中を反響しどこに人がいるのかわからない。
恐らく広い建物で、部屋に人はそう多くないが俺からは離れたところにいる。
目の前に人の気配。
俺よりも背の高い男がすぐ目の前で見下ろしてきているのがわかる。
「これよりこの者の裁判を始める。」
「……。」
分かっている、この判決は決まっていること…。
俺の戦いが始まったあの日。
黒い覆面の男に呼び出され『永遠の沈黙』の名前を呼び起こされた時、全ての裏を聞かされた。
『あの女は権力が欲しいのだよ、ずっと何者かの手足でしかなかったお前には分かるまいが…。
そして権力を手に入れ、潔癖な教会作りをしようとしている。
その為には邪魔者を力で排除すべく、暗殺者を使うようになった。
それがかつてのお前であり、グロリアスを始め多くの聖職者達を殺す者だ。』
では何故グローリィが狙われるのか。
『リアーテ家の次男、つまりグローリィには長女であるフローラと同等の権力がある。
それが邪魔だというのもあるが、それ以上にグロリアスは昔悪魔に通じたと教会で裁判を受けたことがある。
それが事実ならばあの女にとっては真っ先に排除するべき汚点だ。
自分の血筋と教会の汚点であり、何よりそれであの女は恥を晒したこともある。
弟は冷静に、論理的に裁判に臨んだのに対し、フローラは感情論で支離滅裂なことを喚いてしまったのだ』
それがグローリィが狙われる理由。
そして
『その弟君がずっとおとなしくしていたのに、近頃本家に出入りしたり不振な動きをしているというので姉君は内心落ち着かないらしい。
だから此処最近は躍起になって暗殺者を送り込んでいるのだとさ。』
それが暗殺を急ぎ始めた理由。
グローリィの不振な動きとやらにはまったく興味がない。
俺はただ、彼を殺そうとする女を仕留められればそれでいい。
ほんの少し物思いにふけっている間に、自分の罪状と罰の内容が告げられた。
「…よって速やかな死刑を求刑する。意義はあるかな。」
教会の大半は既にフローラの手足となっている。
彼女が俺を死刑にすると言ったのだから、それ以外の道はない。
そうでなくても抵抗する気はない。
昔から、自分の意思が通ったことなどなかったのだから。
目を閉じる。
「では連れて行け。」
数分にしか感じなかった裁判。
飛び交う言葉も判決の言葉も、興味がなくて大して聞いていなかった。
俺をここから退場させ処刑場へ連れて行こうとする騎士の気配。
それだけを、俺は待ち続けていた。
「…ッ!!っっっ!!!!」
声の出ない喉で唸りながらその場に蹲り、間接が外れた手首に額を擦り付ける。
そして攻撃的に手錠の掛かった腕を振り回した。
「大人しくしろ!!!」
4方向で、騎士が剣を鞘から抜く音がした。
そしてうち1人が目の前に立ち、けん制の為に床に剣先を打ち付けて鋭い音を立てた。
「…っ、っ…」
震え、目の見えないままで顔を上げる俺の額に剣先が突きつけられる。
そう、この世界の人たちは優しい。
さっさと切り捨ててしまえばいいものを、こうして剣先を突きつけてチャンスを与えてしまう。
そうだ…俺など、切り捨ててしまえばいいのに。
『…ありがとう』
思わず、目の前の騎士に唇だけで告げた。
そしてその剣先に向かって、頭を突き出した。
「そのアサシンを即刻斬れ!!!!」
室内にフローラ・リアーテのヒステリックな悲鳴が木霊した。
それを聞きながら、俺は視界を取り戻した。
騎士が突き出していた剣先に目隠し布を引っ掛け、顔を突き出すことでそれを破らせた。
彼が慌てて剣を振りかぶる頃には、その剣が俺の右目と布を切り裂いたあとだった。
布を肌に縫い付けた糸が引っ張られ、皮膚が千切れ飛ぶ痛みに歯を食いしばる。
これからは一度たりとも瞬きは出来ない。
先ほど叫んでいたフローラの元へ。
彼女は3段の階段状になった壇上に座っていた。
初めて会った時のように、ソファに座って。
だが、先ほど叫んだように慌てた様子はあるものの、そこから逃げる気配はない。
彼女の左右を屈強な騎士が剣を構えて固めていた。
迷うことなく、背の高さ近くある壇を飛び越えて彼女に向かっていく。
斜めに切り下ろされる剣をしゃがんで避ける。
だがそうして止まった姿勢に、もう一人いた騎士の下段の斬撃。
その間にも背後から矢が飛んでくるのが分かった。
彼女の目の前には四方から同時に襲撃が来る、守りの壁があった。
彼女を殺そうとする者を確実に死に至らしめる円陣だった。
だが…
「っ、シスター!下がっ」
先に剣を振り下ろした騎士がこちらの意図に気づいて叫ぶがもう遅い。
役に立たない腕を交差して盾にし、騎士の剣を受け止めてそのまま押し返す。
剣先は俺の左腕を切断し右腕の骨に食い込んだまま、俺自身と共にフローラの方へ向かう。
俺の残った左目に、あの非道の女の驚愕の顔が映った。
その首に猛毒を含ませたこの歯で食いつくか、腕に食い込んだこの刃で切りつければ終わる。
「……っ…」
終わる、筈だった。
その瞬間に、時が止まった。
誰も、悲鳴も上げずに動けなくなった。
俺はただ信じられず、目を見開いて固まるしかなかった。
『……どうして…』
呆然と呟く俺の唇から、血が滴る。
口に含ませた毒が口内の粘膜を破壊し、出血を始めた。
視界も霞がかってきているが、それでも目の前の光景を見間違えるはずがない。
頬に、目の前から差し出された冷たい手が触れてくる。
「この前、ヒショウも言っていたでしょう…?『もういいんだ』って…」
グローリィが、悲しみを表情に浮かべてそこにいた。
俺がフローラを殺そうとするのを妨害する様に。
彼はすぐに俺を床に押し倒し、切断された左腕を掴んだ。
「この少年は無実です!!説明はあとでしますので今は治療に専念させて頂きます!!」
グローリィは必死の形相でそう叫び、俺の切り落とされた腕をくっつけようとしている。
自分の腕が血に濡れるのも構わず、俺の腕を掴んでヒールを唱えている。
治療され始めると、耐え難い傷の激痛を思い出し、体に回り始める毒の苦痛を思い出す。
「ジノ、ごめん」
彼は小さく謝って俺の額を押さえつけ、噛み付くように口付けてくる。
口内で強く吸われて、毒を吸い出される。
毒液の残骸を吸いだされたことで壊死した口内の皮膚も剥がれ、激しく吐血した。
「お前は小汚い暗殺者を庇うのか!!近年に連続した司祭暗殺の陰謀者とみなすぞ!!」
グローリィの背後で、彼の姉が叫ぶ。
そうだ、俺を庇うところなんか絶対に見せちゃいけない。
俺が動揺し、やめさせようとするのも構わず彼は治療を続ける。
「その暗殺者は私を殺そうとした現行犯だ!!」
「それは違う!!」
フローラ以上の大声で、グローリィは簡潔に否定した。
グローリィとフローラ以外の人間がただ慌てるばかりでそこから動けなくなっていた。
脳天を突き刺すような痛みに体が動かず、俺自身も何もできない。
このままグローリィが俺に留めを刺して汚名を晴らす、そうしてくれればいいのに。
「何を理由に…」
「治療に集中できないから黙っててくださいシスター!!大体…」
グローリィは拳を床に叩きつけて、フローラを睨み上げた。
「私の大事な弟を“小汚い”だの“暗殺者”だのと侮辱しないで頂きたい!!」
な、なに…?
弟…?
フローラが予想外の言葉に絶句してしまった。
俺自身も、彼の言葉がさっぱり理解できない。
恐らくハッタリだと思うが…。
「どなたかヒールの補助と、救護室への担架をお願いします!」
静まり返った中でグローリィのその言葉ははっきりと室内に響き渡り、固まってしまっていた回りの人々を動かし始めた。
「大丈夫?ジノ君」
「効果は薄いだろうが、すぐに解毒する。」
俺の頭上に膝を付いて覗き込んでくるプリーストの顔がぼやけているが、声で誰か分かった。
ルナティスさんだ。
ヒショウさんらしき声もした。
彼らもこっそりとこの部屋に忍び込んでいたのだろう。
「君のおかげで全部うまくいくから。もう無理しなくていいから。」
何が、俺のおかげなのだろう。
フローラを殺すどころか、傷一つ負わせられていないのに。
だが息も苦しくなり、今にも途切れそうな意識の中では何も話せないし、聞くこともできない…。
何も、出来なかったまま……
「ジノ…?」
担架を持ってきたり、ざわめき始めた講堂内にポツリと響いた呟きは、少女の様にか細かった。
先ほどまで壮絶な襲撃をしてきた暗殺者の少年に寄り添うプリースト、グローリィが発した、呼びかけの声。
先ほどまでそこには眩しいまでのヒールの光があったのに、今はそれがない。
命のともし火が掻き消えた様に。
その異常に気づいた何人かが、動くのも話すのもやめてグローリィたちを見守り始めていた。
治療をやめて、ただ呆然と床に横たわる少年を見下ろしている。
少年は、先ほどまでの悪鬼の形相が嘘のように眠っている。
いや、眠っているのだろうか。
表情はどこか安らかだが、血の気を失った肌も唇も真っ青で微動だにしない。
グローリィの指先が、何かを確かめるように少年の顔や首元を撫でる。
その様子を、金髪と黒髪のプリースト二人が見守る。
少年を囲む3人は、もう誰もヒールをしていない。
「う、ぅうああああああ!!!!!!!」
悲痛な叫びが講堂のざわめきを切り裂き、静寂をまた呼び起こした。
血溜まりにしゃがみこみ、仰向けに横たわった少年の額に額を寄せてグローリィは泣き叫んだ。
血だらけになり酷く傷付いた少年をろくに抱きしめることもできずにいる。
「何故!!何故貴方が…!!!!」
息さえもできずに泣き叫び、裏返る声で嗚咽を漏らす。
「お願いです、死なないで下さい…!
私は貴方に何度も助けられた、その御礼を何一つ出来ていない…!!
やっと貴方と分かり合えたと思ったのに…
やっと貴方がずっと私を守ってくれていたと分かったのに…
こんなの…こんなの…!!」
銀の髪をかき乱し血溜まりに突っ伏すプリーストの姿は、あまりに悲痛で誰も目が話せなかった。
まだ彼らの事情は知らない人間も、少年の罪をその場で言及しようなどということはできる筈もない。
ただできるのは、早く治療室へ彼を運ぶことだと判断した。
教会の十字架が刻まれた騎士が担架を持ってきて、少年の治療に当っていた金髪のプリーストが手を貸し少年を乗せた。
そのままプリースト一人は付き添って部屋を出て行く。
その様子をグローリィは見上げることも出来ずに、髪が床の血に濡れるのもかまわず蹲って自分の肩を抱いていた。
だが、法衣の袖で涙を拭いながら立ち上がる。
乱れ、言葉も発せない喉で、それでも必死に何かを告げようと口を開いた。
「…す、いま、せ……っ…」
血がついた顔を拭い、涙は拭うがすぐにまた溢れて止まらない。
拭う事は諦め、彼は深呼吸してその場の主導者に向き直る。
「取り乱し、て…すいません…でも、どうか…」
これだけははっきり告げなければならない。
その意思を主張するように、彼は拳を握って部屋全体に響き渡るように声を張り上げた。
「どうか、彼が決して汚い暗殺者ではないことを
彼が無実の罪に追い詰められてしまったことを話させてください!!
彼の名誉を守る為に、この場で真実を話すことをお許し下さい…!!!」