人間の体というのは、とてもいいものだと思います。
ご主人とペットの時よりも立ち位置は離れているけれど、ずっとご主人を見ていられます。
同じ速さで歩いて
同じ距離にいて
同じ目線でいて
とても心が温かいのです。
けれど
“幸せ”は同時に“不安”を呼び寄せるものですね。
こんにちは、ルナティックのいやしけいです。
アホい名前とか思わないでください。これでもご主人の愛がいっぱい詰まってるんです…多分。
そんな私は現在、青箱産のクッキーを食べて、人間に変身してしまいました。
すぐに戻るんじゃないかなぁと思ったら、意外と戻りません。もう人間になって二日目です。
でも、ご主人は私が人間になっても変わらず大切にしてくれるし
私はこの人間の体が気に入っているので、戻らなくてもいいかなぁなんて思いはじめました。
いえ、戻りたくないと思い始めたのです。
日が沈み始めると、なんだか気分も沈み始めてきました。
さっきまであんなにも幸せと思っていたのに
今ではそれが消えていかないかが心配なのです。
ご主人と向かい合って食堂のテーブルについて、夕飯を食べています。
ご主人は肉好きです。
ちなみに私は草食なのでサラダですが、女将さんにお願いしてにんじんを多めにしてもらいました。
「人の姿してても、魔物にはお前のことが分かるんだなぁ」
ご主人がそういのは、スフィンクスダンジョン青箱狩りでのこと。
昨日はお留守番で、今日は私もご主人のお古のシーフ服を借りてご一緒したのですが、
魔物が見事に私のことをスルーしていってくれるのです。
「おかげでちょっと大変だったけどな…」
ご主人が笑いながら言うのに、私は苦笑いで返してしまいました。
戦うご主人からちょっと離れて立っていた私を目指して、離れたほうの敵が寄ってきて
いざ近くに来ると私をターゲットから外して、ご主人に流れていって
今日は大変危険な狩りになりました…
でもおかげで午前で青箱2つゲットです!
中身は片方はやわ毛でした。
普通のヒトなら落胆するところですが、
うちのご主人は私の毛(現在は髪の毛ですが…)と比べて、
「やっぱいやしけいのほうがきれいだ!」
と喜んでいました。さすがご主人!
もう片方は、プロンテラで虹色にんじんを買うための費用として保留です。
「私も戦えたらいいですが…」
「そうだなぁ、いやしけいが冒険者になったら…なんか、プリーストってカンジだな。」
それ戦えないです、ご主人。
ああ、でもご主人の補助ができるから…それもいいですね。
「前で戦うのは、私には合わないでしょうか?」
「いんや、なんつーか…」
ご主人は私のことをまじまじと見つめてきます。
「やっぱり、いやしけいはなんか綺麗だからな。プリーストの服とか、魔法が似合うと思うんだよ。」
ご主人に、綺麗と言われた瞬間
心臓を掴まれたような気がしました。
「綺麗」とか「可愛い」とかはルナティックの時からいつも言われていた言葉なのに…
嬉しくて、嬉しすぎて、少し痛いと思いました。
人間になってから二日目。
その二日目ももうすぐ終わります。
なんだか焦っています。
人間のこの体がとても楽しくて、ご主人にも近づけて嬉しくて、この体を失いたくないと思い始めたせいです。
「ご主人、大好きです。」
ベッドの中で、ご主人の体を抱きこみ、囁きました。
お風呂をあがってすぐのご主人の体は、もう冷めた私の体よりも温かいです。
「俺もだよ」
ご主人はいつもどおりにっこり笑って返してきます。
ご主人が私にこうして笑みを返してくれるのは、ルナティックだから。
頭を撫でてくる手も、昔と変わらないのです…。
もし、私が初めから人間だったら…違っていたかもしれません。
始めは軽い気持ちでペットになったけど、今ではどうしようもなくご主人が好きです。
人間の体になって、その気持ちは異様に重くなりました。
どうしたいのか、分からないほどに…
いいえ、本当は分かっているのです。
ただ、それが無理だともわかっているから…こんなに、心が痛い。
人間として、ご主人と対等に居て、もっと傍にいて…
ルナティックの雄と雌のように、人間の男性と女性のように、一緒にいたいと思うのです。
「いやしけい」
ご主人が突然、少し離れて私と向き合いました。
最近、ご主人がとても女性にもてるということを知りました。
それを思っても、胸が痛くなります。
「悩みや言いたいことがあるなら言えよ?俺に遠慮することなんかないんだから。」
ご主人には、私がずっと悩んでいることが見抜かれているようです。
「せっかくの耳が垂れてるぞ」
ご主人がニッと笑いながら、頭の上からひょこんと生えた私の耳をつんつん突付いてきます。
こんな風に笑いながら私に触ってくるご主人が好きです。
てゆーかその笑顔とか無邪気さが加虐心をそそるというか…っっ!!!!!!
ちょっと丸まって呼吸が荒くなっている私に、ご主人は真剣に心配をして大丈夫かと聞いてきます。
ああ、この体がなくなったら、ご主人にこんなふうに触れないのでしょうか…。
周りからもただのペットに見られて、ご主人からもただのペットになって…
ご主人に、近づけなくなってしまうのでしょうか。
「っ…ご主人…」
私は意を決して、胸のうちを告白しようとしました。
ご主人はいつもどおりの微笑み。
言ったら、この『いつもどおり』さえも失ってしまうのでしょうか…。
恋心を抱いているペットなんて…
しかも人間の姿をしているペットなんて…
気味が悪いと思われるでしょうか…
「…に、にんじんが…」
「え、にんじんが食べたいのか?」
喉に出かかったものが突っかかって
代わりに別のものが出てしまいました…!
「あ、はい…久々に、虹色にんじんが食べたいなぁ、なんて…」
「そっか、じゃあ明日プロに行って、にんじん買おうな!」
私は笑顔を作って、うなずきました。
私はこんなに臆病だったでしょうか。
もっと自由で、いつも気ままに動いていて。
ご主人にいつも遠慮なく甘えていて。
こんなにも臆病なのは、何故でしょうか…。
首都、プロンテラは久しぶりです。
ご主人はあまり人が多いところが好きではなくて、プロはあまり好きではないそうです。
けれどご主人の住まいはプロンテラにあるそうです。
「今頃、埃被りまくってるんだろうなぁ。」
カプラサービスの空間移動のため、一瞬の旅した。
大通りから少し離れた広場に到着しましたが、ご主人の家は大通りを挟んで正反対なので、あの大通りを通らなければなりません。
「今日は大掃除で終わっちまうかもな。」
「にんじんはいつでもいいので、急がなくてもいいですよご主人。」
「いや、とりあえず大通りに売ってるかちょっと見ながらうちに行こう。」
ご主人はいつも人ごみを避けていましたが、今回は私の為に嫌いな人ごみに入ろうとしてくれている。
そう思うと、まだ何か心がいっぱいになりました。
…この時間は人が多いです。
ぎゅぷ。
「あ、いやしけい!」
ご主人が咄嗟に、少し離れて人ごみに潰されかけた私の手を掴んで、引き寄せてくれました。
周りの人に押されて、お互い向かい合わせで密着する形になってしまいました。
「ふう、まだざっとしか見てないが、置いてなさそうだ。明日、直接取りに行こうか。」
ご主人が耳元でそういってくるのに、うなずきました。
ご主人の家に着くと、不思議なことが起きていました。
家には鍵がかかっていなくて、部屋の中は埃などつもっていません。
まるで誰かが住んでいるような…
「いつの間にか俺の家、とられちゃってたりして?」
「それは困りますね…」
私達はお互い見詰め合って、うなっていました。
「狭い玄関で男二人唸るな。暑苦しい」
すると突然、外から男の人の声がしたのです。
真っ白い髪を乱雑に切った、身軽というよりちょっと力強そうなアサシンさんでした。
誰だろう、ここに(勝手に)すんでいる人かな、と首を傾げていました。
「おおおお!!!久しぶりじゃないか!!!お前が留守番してくれてたのか!!!」
突然、ご主人がそのアサシンさんに飛びついて、その真っ白い髪をガッシャガッシャと掻き撫ぜていました。
ご主人のお友達のようです。
てゆーか、二人ともとても仲が良さそうで…ちょっと妬けました。
「お前が家をほったらかしでいきなりモロクに行くから、勝手に他の人に住まれないように泊まってやってたんだ。」
「ああ、そうか。いや助かるよーさすが親友!!」
「誰が親友だこの阿呆が。」
アサシンさんはご主人のおでこをぺちんとでこぴんすると、そのまま家の中へ入ってきました。
その手には野菜やお肉が入った袋があります。これからお夕飯の用意のようです。
アサシンさんの買ってきた材料で、夕飯を作りました。
ご主人はあまり料理が得意ではないとはお世辞でも言えないほど料理音痴なので、台所から締め出しをくらっていました。
彼の作った料理はモロクの宿屋の食堂より美味しいです。
「ところで、彼は何者だ?」
今更ってカンジです。ご主人の親友さん。
もう夜になり、夕飯を三人で食べているときにいきなり聞かれました。
私は自分のことをなんと説明すればいいのか、口ごもりました。
「ああ、聞いて驚け!彼はなぁ」
「あっ、彼と一緒に狩りをさせてもらっています!!」
「…ふぇ?」
ご主人が『ペットのルナティック』とでも言おうとしたのでしょう。
しかし私は…その言葉を聞くのがつらくて…
咄嗟にそんなことを言ってしまいました。
…見栄っ張りです。
「ふーん…」
自分で聞いておきながら、彼は興味なさそうにしていました。
ご主人は私やアサシンさんの方をキョロキョロ見たりしています。
「おい、アンタ…」
ちょっといろいろ考え事をしていて、ぼーっと窓の外を見ていたら
すぐ隣にアサシンさんがいました。
私と同じで髪は白だけど、目は青。
「ちょっと、話がしたい。」
さっきの食事の席では、ご主人を挟んで話すという感じで、直接話したりはしていませんでした。
私はただ首をかしげて、でも断る理由もないし、頷きました。
ご主人は一人でやたらはしゃぎ、今では酔いつぶれてテーブルに突っ伏しています。
「その髪は地毛か?」
いきなりされた質問はそんなもんで、思わず、えっとか言葉に詰まってしまいました。
でも彼はいたって真剣に聞いてきているようです。
「ええ、まぁ…」
「…じゃあ、生まれは?」
…め、面接ですか?これは・・・
「ぷ、プロンテラです。」
「両親もプロンテラ出身か?」
「ええ、多分。」
「…冒険者か?職業は」
「え、と…プリースト、です。」
ご主人に似合いそうと言われた職業を適当に答えてしまいました。
…ああっ、なんだかだんだんと取り返しがつかなくなっていく様な…;;
アサシンさんはそれだけ聞くと少し黙り込んでしまいました。
結局、何が聞きたいんだろうこの人。
「じゃあ、あのアホローグとはどこで知り合った?」
…違う!!
面接じゃなくて娘を嫁に出す親父ってカンジだ!!
そう思ったら、なんだか急に私の背筋が伸びてしまいました。
「プロンテラ南で、虹色にんじんを食べて死に掛けているごしゅ…彼を見つけて、それ以来くっ付いています。」
それを言ったら、アサシンさんはブッとちょっと吹き出していました。
普通ルナティック用と公表されているものを食べようとは思いませんしね…。
アサシンさんはまた少し黙り込んで。
不意に目を細めて私の方をじっと見て…
その瞬間、なんだか空気が張り詰めました。
「じゃあ、率直に聞くが…アンタはこの男に恋愛感情を抱いているのか?」
「…え」
…ま、マジで娘を嫁に出す親父なのですか…
窓辺に肘を着いて、口元を片手で覆って、アサシンさんは私をじっと観察するように見てきます。
審査されている、ご主人に相応しいか見極めようとしている、そんなカンジがしました。
「…はい…」
そんな、見極めたりしなくても…
無理だって、わかってるんです。
この体は仮初めのものです。
今はこの体があるから、ご主人と同等の位置にいるから、少し勘違いをしているだけ…
ご主人に釣り合うと思ってしまっているだけで…
いつになるかは分からないけど、もとのルナティックの体になれば、こんな思いは消えてしまうに違いありません。
「あの男のことは諦めろ。」
アサシンさんは、全て見透かしているように、そう告げてきました。
自分自身も、そうした方がいいと分かっているのに
どうして人に言われると、こんなにも心に重くのしかかるのでしょう。
思わずなきたくなりました。
「…あの男は人間には興味ない。」
は?
な
「ナンデスト?」
アサシンさんが言った言葉が、耳には入ってもうまく頭に響きませんでした。
「あの男は阿呆以前に変人だ。昔っからのルナティックマニアでな」
彼は眉間にしわを寄せて、ちょっとため息ながら話す。
「シーフ時代に初対面なのにいきなり親しげに声をかけられて…なぜかと思えば『アンタの髪がルナティックにみえたから』とかぬかしやがる…!」
そんなことしてたんですかご主人…ちょっと行きすぎですよ?
彼は苛立たしげにしていたのを、少し深呼吸して抑えていました。
「だが、あいつもちゃんとそればかりではいけないと思っているらしい。一時期ルナティック絶ちして、人間と付き合おうとしていたんだが…」
またそんなこともしてたんですかご主人…。
そしてアサシンさんの顔色を見る限り、どうせ…
「失敗して、みんな見事に即破局で、あいつ自身自信喪失していた。」
やはり…
「あいつの場合、マニアどころか恋愛対象までルナティックに反れてる。
いくらアンタが身なりをルナティックに似せたところで無駄な努力だ。
それで俺とあいつも破局したしな」
…まぁ、そりゃあ白髪の赤目にうさみみ装備とくれば、ルナティックの格好をしていると思われますね…
って、この人
なんか最後に、気になるワードを…
「え…その、では…お二人は付き合っていたのですか」
「半分アイツのやけくそだったが。二週間程度、恋人のフリをして終わった。」
アサシンさんはどこからかタバコを取り出して、吸っても良いかとこちらを見てきました。
それに私は頷きました。
結構さばさばしているけれど、傍目には熱血そうな力強い男性に見えます。
見た目も結構美男子で、こうして静かにタバコをふかしている姿はちょっと妖艶です。
「それでも、俺は結構本気だったが」
自嘲的に笑ながら彼が放った言葉に、私の心臓が大きく跳ね上がりました。
妬くでもなく、この人に敵意を持つでもなく、ただ純粋に驚いて、唖然としていました。
「で、いっぺん付き合ってみて分かった。
アイツは無理矢理人間と付き合うよりも、自分に正直に生きたほうがいい。
好きなだけルナティックを愛でてる方が、いい顔をして笑うから」
アンタも、本当にあいつを好きなら
自分が悲しい思いをしたり、あいつを落胆させたりしてしまうまえに
身を引いたほうがいい
アサシンさんはそう言いました。
けれど、その言葉は、ご主人を諦めかけていた私を引かせるどころか
後ろから押し付けてきてしまったのです。
だって、私は人間じゃありません。
ご主人が好きだというルナティックなのです。
だから、ずっと絶望していた心が、希望を持ち始めてしまったのです。
私は、ご主人に愛されることができる、唯一の存在なのではと…
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_| ̄|○|||長くてすいません…
早く終わらせるつもりだったのに…
次こそはさっさと簡潔!!
最後まで健全(?)でいくかちょっと悩み中ですが!!!!(爆