Fragile Tower [脆き塔] 4.宝石
様々な輝き。個性。
それは人間にもある、つまり人間も輝けるのかな。
あの人は周りには分からなくても僕にとっては輝いていた。
「おやおや、珍しいこともあるものだねえ。」
キッチンに立っていると能天気プリーストの父さんことラトさんが後ろにいた。
…すごくびっくりした。
「お料理かしら、オーウィルちゃん。」
「は、はい。ちょっとやってみたくなって…。」
実験器具は細かい手作業が多い。
ただ容器を移し変えたり、攪拌しながら何かを混ぜいれたり、そんな動作ばかりだけどでも僕はその時点での失敗が多い。
つまり不器用だ、って自覚している。
それを克服するのに実験道具や製薬材料使ってたらコストがかさんできてしまった。
なんとか他の手近なもので解決できないかと最近思うようになって…
そうしてたどり着いたのは料理だった。
「ふむ、よきかなよきかな。」
「はあ…」
父さんはニコニコしながら僕の後ろで立っていて、話し終わっても退散する様子がなかった。
見られているのは気になるけど追い払うこともできなくて仕方なく僕は黙って料理本に目を落とした。
えっと…次は、ワインか…
確か棚に入ってたな……
棚を開けると飲み残しの赤ワインがコルクをつめ直されて鎮座していた。
これを鍋に入れて、次に砂糖を…
「オーウィルちゃんやー」
ま、まだいたのか!
いきなり声をかけられたからビクッとしながら振り返ると、父さんはもっとにっこにっこしていた。
何かと首をかしげて言葉の続きを待った。
「そのワイン」
父さんは今しがた僕が鍋に注いでいた瓶を指差した。
あ、入れすぎた。もう瓶にちょっとしか残ってないや。
「マスターが大事に飲んでいる年代ものでござるよ。」
ことの重大さをすぐに認識できなかった原因は、僕の鈍さが40%で父さんの緊張感無い発言が60%だと思う。
たっぷり一分くらい、僕の脳は活動を停止。
現実を拒否していた。
事の成り行きを震えながら説明した瞬間、マスターにロードオブデスが憑依したのを見た気がする。
もう土下座しながら僕は震えていた。
しかもワインを使った料理は分量を1桁見間違えるという決定的なミスで大失敗した。
その後父さんが料理を別のものに切り替えて、なんとか材料の無駄遣いは免れたけれども。
弁償します、って言っても提示されたワインの元値は今の僕の手元にあるものじゃ足りなかった。
となれば適当に手元にある品売って稼ぐしかない。
即席で調合したポーションだとかアルコールだとか、倉庫にあるものをカートに詰め込んで僕は街に出た。
「………。」
当たり前のことだけど、街は人、人、人だらけ。
露店を出すなら人が多いところがいいに決まってるけど、でもできれば多すぎない方がいい…。
人ごみは苦手だから。
日光が当たらないところがよかったけど、並木の影にはどこも先客がいて空きが無い。
露店で品を売るんじゃなくて、受注してから製薬して送るという経営法をしていた僕はいまいちこういったやり方がわからない。
どこがいいか、彷徨った挙句に目についた空きスペースで手を打った。
「はあ…」
外にいるだけでも憂鬱なのに、日に当たるわ周りにも露店が多いわで嫌になる。
しかも少し横目に覗けばやたら高価なものを売っている店ばかりだ。
使っていたことを忘れるほど昔の傘を日よけとして頭に乗せて、僕は黙ってうつむいていた。
「アルケミスト」
それは個人名じゃなくて職業名だからどこにでもいる名前で、個人を呼ぶには適さない。
でも僕はその呼びかけにいち早く反応した。
一度聞くとなかなか耳を離れない、地を這うようなしかしよく透った低い声。
僕が声の方を見上げると、いつの間にか隣にいた黒いアサシンクロスは
僕が掲げている露店看板を取り上げていた。
「なっ、何してるんですかっ!!」
「見ろ」
そう言って彼は看板を差し出してきた。
受け取った木の看板を見て、僕は首を傾げた。
怪訝に思っているのが顔に出たのか、ミゼルさんはため息をついて向かい側にある値段票の看板を指差した。
あ、エルニウムの値段……!?
「ええっ!エルニウムってあんなに高く売れるんですか!?」
僕は慌てて看板の文字を消した。
あ、危ない…これで買い占められてたら物凄い損だ。
と思っていたら、ミゼルさんの後ろにいたブラックスミスさんが財布を懐にしまいながら舌打ちして去っていくところだった。
あ、危なかった。
「すいません、ありがとうございます!」
ミゼルはコクッと頷いただけでさっさと去って行ってしまう。
「あ、待って下さい!」
気付けば、僕は意図無しで彼を呼び止めていた。
でも彼はちゃんと立ち止まって振り返る。
ジルタス仮面から覗く三白眼と視線が混じる。
「これ、あげますっ」
何も用件が無くて困り果てた僕は手の中のエルニウムを差し出した。
「金に困っているのだろう。」
ミゼルさんは少し呆れ顔をして、僕の手の中のエルニウムを取ることなく歩いていってしまった。
取り残された腕にずっしり重いエルニウムと僕は、何だか寂しかった。
「何をうんうん唸ってるんだ、坊や。」
突然声をかけられて、誰かと思えば隣で露店を開いてるブラックスミスの女性だった。
露出が激しい小麦色に焼けた肌と長い金髪が綺麗だ。
初対面、ていうだけで抵抗があるのに、そんな女の人相手で僕は余計に緊張した。
「あの、仲間に…御礼がしたくて…」
「さっきエルニウム渡そうとしてたアサクロ?」
み、見られてたんだ。
頷くと、彼女はみずみずしい唇で笑んだ。
「あんた、可愛いね。」
「!?どこが!」
突然何を言い出すんだこの人。
思わず力いっぱい即答で否定しちゃったよ。
「あの客、よくこの辺の露店にくるけど、いつもムスッとして怖いし気味悪い奴だと思ってたんだよ。
なのに、あんたみたいな可愛い子が懐いてるなんて意外だね。」
「…ミゼルさんは、凄くいい人ですよ。」
何となく、ミゼルさんを何も知らない人に悪口を言われたようで僕は少しむっとしてしまった。
けれどブラックスミスさんはミゼルさんに興味を持ったのか詰め寄ってさらに聞いてくる。
「ああ見えて優しい?」
「…優し…くは、ないのかもしれない、けど…」
優しくされた記憶はない。でも…
「本当の事を言ってくれる。馬鹿にしないし、怒らないし、甘やかさないし、
ちゃんと僕の為になることをしてくれます。」
……上手く言えない。
でもそう思ったんだ。
薬が凄く嫌いだというのに、僕がミスばかりして彼に薬を投与しまくって、酷いめに遭わせて…
でも僕が一生懸命だったことと、僕がいい製薬者になりたいことを1番分かってくれていた。
怒らないで、精進しろ、って後押しだけしてくれた。
何故か、僕にはあの言葉が1番胸に響いたんだ。
「本当、可愛いね。」
…さっきからこのブラックスミスさん、僕のことを馬鹿にしてないだろうか。
可愛い可愛い言われて嬉しい男なんかいない。
「御礼をしたいなら、さ」
「…?」
彼女は取って置きの秘密を教えるみたいに勿体振って、ゆっくり話しだした。
「気持ちが伝わるものがいい。高価だからってその辺にあったエルニウムを渡すより、
自分が手をかけたものがいい。どこかから取ってくるか、作るかするんだ。
それなら、突き返すに返せないだろ?」
「…そうゆうものですか。」
「そうゆうもんよ。露店の暇つぶしにちょっとした細工、教えてあげようか。」
強く興味を持ったわけではないけど、気になるし暇を持て余してるのは僕も同じだ。
そう思って、軽い気持ちで頷いた。
日は傾いて、視界はうっすらオレンジ色だ。
こんな時間に出歩くことなんてない僕には、なんだか異世界に迷い込んでしまったように思えた。
とても新鮮な気持ち。
露店の最中は外になんか出るんじゃなかったと思ったけど、
涼しくなった時間に人の少ない路地ならたまには歩きに出てきてもいいかなと思った。
そういえばさっきのブラックスミスさんに飴をもらったのを思い出した。
全く、初対面の男に飴なんて人を馬鹿にしているとしか思えない。
でも捨てるのももったいないから、そのまま頂くことにして胸のポケットを探る。
途端、胸に付けていた冒険者証がなにかに反応しているのに気付いた。
そういえば、いつの間にかカプラサービスが進化してギルドメンバーの位置が
地図で分かるようになったんだっけ…
地図は開いてないけども淡い緑の光は何か訴えているようで。
きっとメンバーが近くにいるんだろう。
不意に脳裏に浮かんだのはミゼルさんだ。
ミゼルさんだったら、渡したいものがあるんだ。
僕は冒険者証と携帯地図を手にして、そのメンバーを探しに走りだす…
いや、走るまでもなかった。
そのメンバーはホントにすぐそこ曲がり角に待ち伏せるようにしていたから。
「あっ、ミゼ」
僕の声はそこで途切れた。
そこにいたのはミゼルさんだったのは、偶然か、それとも意図的か。
けれど、ミゼルさんの名前を呼べなかったのは、彼に連れがいたから。
しゃがみ込む彼の上にのしかかるようにして。
「何で…?」
何でも何もない、ただそれが事実という以外何もない。
そんなおかしな疑問を思わず呆然と呟いていた。
ミゼルさんと一緒にいて、他人とは思えない距離に接近してるのはさっき僕に細工を教えてくれて
少し先に店を畳んだブラックスミスさん。
『じゃ、ちょっと人と約束あるから、お先に失礼するわ』
約束、ってミゼルさんとだったのか。
ミゼルさん、露店近くに来てくれたのも、僕じゃなくてブラックスミスさんの様子を見に来てたのかな。
「………。」
うん、帰ろう。邪魔しちゃいけない。
僕は言い聞かせて、そっとその場を離れた。
「んま、どうしたのオーウィルちゃん!」
女の人みたいな言い方で、目の前に男用プリーストの法衣が立ちはだかる。
「あ、ラトさん…もう宿舎か…」
「父さんと御呼び」
「父さん…」
いつも通りの父さんのテンションに、思わず笑いが零れる。
若いくせに父さんと呼ぶのは毎回抵抗があるけど、なんだかいつも面白いんだ。
でも何故か、今日は笑顔が引き攣ってしまった。
「……何か、辛いことでもあったか?」
父さんが突然、真剣な顔して覗き込んできた。
辛い、こと?
そんな辛そうに見えるのかな、僕。
何もない。
あ、そうだ。
ただ、ミゼルさんに…
「これ…」
「…ん?」
僕は手にぶら下げていた銀細工のブレスレットを持ち上げた。
大して重くない筈なのに、それを持ち上げるだけで重労働に感じるのは何故だろう。
「ミゼルさんに、渡しそびれて」
「…………これ、オーウィルちゃんが作ったのか?」
「はい。」
「そっか。」
渡しそびれただけでそんなに凹んでたのか、とは言われなかった。
父さんはなんだかニコニコして頭を撫でてくる?
「それ、まだミゼルちゃんには見せてないに違いないね?」
「え、ええ…」
「ならば!勝手に一人玉砕してる場合じゃなかろうて!!ミゼルちゃんなら喜んでくれるわい。」
なんで、そんなこと父さんに分かるんだろう。
思わずボケッと見つめてしまった。
「まあ、でも…今ミゼルさんお取り込み中だったから…」
「ん?ああ、そうか…今日は火曜だからな。」
「え?火曜?…いや、そうじゃなくて、ミゼルさん、女の人といて。」
「うん、だから火曜。」
…何故そこに火曜日が関係してくるんだろう。
「毎週水曜日に得の市がやってるのよ。」
急に女口調になったラトさんが、にっこり笑いながらそう言ってくる。
……この人、女装したら結構はまり役になりそうだなぁ。
「とくのいち?」
「特売セールね。それでね、ミゼルちゃんたらもう金銭感覚に疎いものだからぽんぽん物を安く売っ払う子でね。
得の市で名前を売るのと同時に利益を上げたい、っていう商売人がミゼルちゃんのところに押しかけて、なんでもいいから頂戴!って言いに来るのよ。ミゼルちゃんはソロ狩りばかりだしシーフ系の職だから結構いい収集品持ってるのよね。」
ふーん、とただ半分聞き流しながら納得していた。
だからと言ってあのブラックスミスさんがミゼルさんの恋人ってことには変わりないから。
僕は曖昧に笑って、ブレスレットを懐にしまった。
カートを家具にぶつけないように、壁をこすらないようにしながら引いて、自室まで持っていく。
父さんは僕がまだ思い悩んでるように見えたらしく、途中まで付いてきたけど流石に部屋の中まではついてこなかった。
「……どうしよ。」
ブレスレットを目の前にぶら下げて、静かな部屋の中でぽつりと呟く。
室内が暗いから、作っている最中にきらきら光っていたものはまったく別に見える。
というか…こんなもの、ミゼルさんがつけるわけもないか。
でも、似合うと思ったんだ。
黒と間違えるような紫の髪、けれどそれも瞳も時折鮮やかで綺麗に輝くんだ。
それに似せて、使ったのはアメジスト。
わざわざちょっと離れたところの露店で探してきて、砕いて使った。
チェーンは銀で、でも模様は黒。
似合うだろうな、って思いながら作ったら楽しかった。
教えてもらいながら抱けど、僕は薬以外のものも作れるんだって…彼にあげられるんだ、って思ったのに。
「……まあ、いいか。」
捨てるのはもったいないし、売るにしても面倒だし。
おもむろに自分の腕につけた。
僕の少し赤い肌に色素の薄い髪には不釣合いだと思う。
こんなのは嫌だ、あの人の腕にあってほしい。
あの人に付けていて欲しいのに。
ずっと、なんてわがままは言わない。
ただ、これを黙って受け取って、少しでいいから付けてくれたら。
それで、ほんの少しだけ僕を薬とかアルケミストとか関係なく見てくれたら。
「……。」
僕を、見てくれたら。
「…えっ…?…」
誰に何か言われたわけじゃないのに、自分の中でいきなり疑問がわきあがった。
僕は今なにを考えていたんだろう。
ミゼルさんのことを思い出していて、そんな誰かのことを思い出すだけでも珍しいのに、僕は…。
僕を見て欲しい…なんて考えていた?
いつも、薬に対する評価しか興味がなかった。
そんな風に思ったのは、初めてだった。
頑張って作って、でも得られたのは自分で作ったこのブレスレットだけ。
こんなものが欲しかったんじゃない。
僕が欲しかったのは……
「オーウィル、無理してないかい?」
マスターがそっと肩に手を置いてくる。
心配そうにしてるマスターの目が、僕の顔を見た瞬間少し和らいだ。
チェイサーは別名「ならず者」らしいけど、この人はどこがならず者なのかさっぱり分からない。
時々横暴だけど基本優しい女の人だ。
「何がですか?大丈夫ですよ?」
「いや…元々インドア派の君が、ここ最近凄い勢いでレベル上げてるから」
「みんなに比べたら、まだまだですけど。」
「オーウィルはオーウィルだ、自分のペースでやればいい。」
そんな悠長なことは言っていられない。
「なあ、オーウィル。体調は大丈夫そうだが、最近君がどうにも苦しそうに見えるんだが。」
そう、その通りだ。
だから、がむしゃらになっていないとやっていられない。
じっとしていたら、僕はこの苦痛に飲まれそうで…
「何か、悩みがあるならば聞くから。」
話せるわけが無い。
「ありがとうございます。でも、僕にも分からないから。」
僕ですら、原因が分からない。
現状だけ語れば確実に軽蔑される。
こんな、わけのわからない悩み。
「ただ、強くなりたいんです。みんなと同じ位置に立ちたい。」
僕はアルケミスト。
薬の精製が仕事。
けれどその薬は僕の手元から離れて、使うのも使われるのも別の人。
どこの誰か、分からない。
僕は、誰にも見てもらえない。
いまさら前衛職にはなれないなら、せめてレベルを上げてみんなと同じ狩場にいけるようになりたい。
それでもって…
「でも、苦しいけど、初めてできた目標なんです。」
ミゼルさんに認めてもらいたい。
その感情はずーっと昔からだった。
初めて僕が看病して、酷い目に遭わせてしまっても僕が良いアルケミストになりたいと思っていることを分かってくれた。
後押しの言葉をくれた。
ギルド狩りのとき、何度も守ってくれた、何か失敗をするとアドバイスをくれた。
初めて露店をした時も、それからも、何か露店にミスがあると警告してくれる。
厳しい言葉が多くても、一番僕自身を見てくれる。
アルケミストとしての役割を求めてくるみんなとは違う、その下のオーウィルに向き合ってくれる。
それがただ、嬉しかった。
でも、だからこそ僕は彼に何もできない。
僕にはアルケミストとしての能力しか取り得が無い。
けれど彼は僕のポーションを絶対に受け取らないし、アイテムも全く受け取ってはくれない。
僕は頼りなくて取るに足らない存在。
ただギルドの足を引っ張らないように忠告をくれるだけで、引っ張らなければそれでいい。
それだけなんだと、気づいた。
「今なら、いくらでも無理したいし、できそうな気がするんです。」
だったらせめて、まず彼が望む位置まで行きたい。
ギルドの皆と同じ位置へ。
そしていつかは、ミゼルさんと対等になれるところへ。
例え、それが…
報われなくても、嘘でも…
ただ苦しいばかりの今よりは全然いい。
彼を模した宝石はまだ僕の手の中。
いつか彼に送ることができるその日まで。
けれどふと気づいた。
彼にとって僕は輝ける点があるのだろうか。
だって僕は、今まで密室に閉じこもっていただけの
ただの石ころだから。
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