「――!!!!!」

ピンで蝶を留めるように
右手がナイフで刺し貫かれ、柔らかい地面に縫い付けられた。
痺れて動かないくせに、痛みには敏感になっているらしい腕が強烈な痛みにガタガタ震えた。
血はまだそんなに滲んでこない。

アサシンは気だるそうに騎士の下から這い出て、少し離れたところへ投げ捨てられていたカタールを拾う。
そして頼りないゆったりとした足取りで戻ってきた。
見下げてくるアサシンの顔は死人のようで、瞳には冷たいものが宿っている。

もう闘いは終わってしまっていた。
アサシンの騙し勝ち。


今からはもう、制裁の時間。

「…アアアアァァァアアアアアアアア!!!!!」

カタールの片方が、騎士の左手も刺し貫いた。
両手を地面に縫い付けられ、騎士はまるでひれ伏すようにうずくまった。
左手からはまだそんなに血はでない。
だが刺されてしばし時間の経った右手からは血が流れ出て地面に染み込みはじめている。

「あいつらを傷つけた貴様は、絶対に許せん。」
「…ッグ…」
「例え卑怯な手でも倒すと誓った。もう貴様と正々堂々やり合う義理などない。」

先に汚い手を出してきたのはそっちだろう、と低く言ってアサシンは騎士の目の前に倒れるようにしゃがみこんだ。
ポーチから小瓶にはいった緑ポーションを取り出して震える手で一気に飲んだ。

思えばここに来たときからアサシンは一言も口を利かなかった。
もう負けることを前提にして、口に毒薬を仕込んでいたのだろう。
だが騎士が少し飲んだだけですぐに効いた即効性なのだから、口に含んでいただけでも効いていたはずだ。

闘っている最中に、誤って吐き出したり、飲み込んだりしたらアウト。
そして負けてから騎士に口移しする機会もなければアウト。
危険な賭けだが事実、アサシンはそれを成功させた。

悔しい。
だが同時に嬉しくもあった。
この男はやはり期待通りであった、と。

痛みで滲んだ汗が眉間を流れるのを感じながら、視線を上げた。
アサシンはさっきまでの艶っぽさを微塵も感じさせない支配者の形相で、惨めな男の標本を見下ろしている。

昔を取り戻した強い眼光に、汗の流れる白い首元、彫刻のように滑らかなフォルムの体躯。
見ていれば、魂ごと奪われていきそうな妖艶さ。
そのなんと美しいことか。
きっとこのアサシンにずっと昔から魅せられてしまったから、こんなにも美しく見えるのだろう。

「…何を笑う。」

無機質な声で言われた言葉に、騎士は初めて自分が笑っていることを自覚した。
心にポッカリと穴が開いたよう。
こんなにもあっけなく、終わってしまった。そう思い自棄になって笑う。

地に縫い付けられた両手は痛みに焼けそうで、このまま腐って行きそうな気さえする。
アサシンに手は届かない、もどかしい。
見下ろす男のその体を抱きたいのに。

もうこれで終わりだと思えば、この愚かしい感情も認められた。
ただこの男を平伏させたかった訳では無い。身体も心も、魂も。全てが欲しかった。

恋。
自分には無縁と思っていた言葉、だがそれが今の自分に1番当てはまると思った。


「殺せ。」

今まで何人もの男女に言わせてきた言葉だが、自らこれを口にするとは思わなかった。

「お前には償ってもらう。」
「ならこの場で嬲り殺せばいいだろ。」

アサシンは騎士のあまりの脱力ぶりを怪訝に思っていた。
見上げてくる瞳は死人のそれではないのに。

アサシンは目で「黙れ」と言い、顎を蹴り上げてくる。
グラリと揺れた視界。
その向こうで首都場内の彫刻の如き威厳を持って立つアサシンの姿。
騎士にとってそれは処刑人ではなく、裁きの神のようだとさえ思えた。
彼に殺されるのなら、好き勝手しながらも満たされることの無かった人生だが、喚くことなく安らかに逝ける気がした。




「アンタはこの程度か?」



遠のく意識の中で、アサシンの口から発せられた言葉。
それに一気に引き戻される。

それは以前に自分がこのアサシンに対して思ったこと。
こんな簡単に挫折してくれるな、と。

  ああ、今アンタも俺に対してそう思ってるのか。
  そうだった、俺もアンタも互いに思っていたことは同じだったはずだ。



「…そうだよなァ。」

騎士は呟く。
それにアサシンは片眉をあげた。

「こんなんじゃ、つまんねぇよな。」

騎士の口元に笑みが浮かぶ。
それはさっきまでの自棄的なものではない。

「最後まで、抗ってくんなきゃ、つまんねぇよな。…だろ?」

  俺たちは似ていた。
  だからきっと引きつけられた。
  だったら思うことも、多分同じだったんだ。



騎士は口の内側を歯で噛み千切る。
じわりと広がる痛みと血の味。
歯を食いしばり、身体に動けと全力を持って脳から指令を出す。

「―――ウ、オオオォォォォオオオオ!!!!!!!」


縫い付けられた手を地面から引き上げる。
手の甲にはカタールが突き立ったまま
ナイフは鍔が無く小さかった為、手の甲を貫通した。
肉と血をこびり付かせて墓標のように地面に突き立っている。

身体の痺れはまだ残る。
だが勝てなくてもいい、最後までこのアサシンに立ち向かえればいい。
自分の心を奪った相手に、惨めな姿など見せたくない。

最後まで、死ぬときまでお前の望むように、立ち向かってやる。
歯を食いしばって手の甲からカタールを引き抜き、アサシンの足元に放り投げる。

土と血に汚れた姿、己の血で真っ赤に染まった手で傍らの槍を構える。
そして笑む。
その姿は魔物か悪鬼にしか見えなかった。

その姿を目の当たりにしたアサシンは、臆した。
直に足元のカタールの片割れを拾い、構える。
だが目は怯えながらも、口は小さく笑みを浮かべた。

  ああ、やっとあの時に戻れたな…

再び訪れた、抱擁を兼ねた斬り合いの機会。
共に人生で最も自らの存在の意味を感じたあの瞬間。



互いに咆哮しながら、地を蹴った。















「……らしくないな。」
「あん?」

まだ熱の覚めやらぬ様子でアサシンが呟いた。
それに返ってくるのは気のない声。

汗で頬や額に張り付いた髪を全て後ろに押しやるように掻き上げた。
何を思ったか、露わになった額に騎士がそっと口付けてくる。
啄むように頬や唇にまでそうしてくるのがあまりに騎士らしくない。

だが何よりらしくないのは

「…気持ち良かった。」

アサシンが吐き捨てるようにボソリと言うと、額の上で相手が小さく笑った。
何がというのは先程までしていた性交渉。
気持ち良い、と言うより、優しかった。

今までの騎士には有り得ないことで、いつもは食い殺すような乱暴さと勢いと痛みばかりだった。
それが今日はあまりに別人のように優しく快楽に追い詰められ、まどろむような余裕さえ与えられた。

「……っ…」
「なんだ、照れてるのかよ」

痛みを耐えるのは得意だ。
乱暴に扱われるのも過去の騎士との関係で慣れた。
だが優しく与えられる快楽には弱いらしい…と小1時間前に初めて知った。
初めてあまりの醜態を見せてしまった事が悔しい。



「今日、あの武器売ったろ?」

悔しさに苛立っていると、耳元で突然囁かれた。

「……ああ、あの対人用ジュルか?」
「そう。2年前に俺を倒す為に買ったとか言ってたあれな。」
「…それがどうした。」

「嬉しかったんだよ。」
「は?」

突然嬉しかったと言われても、訳が分からなかった。
ふと浮かんだ記憶の映像で、『もうこれはいらないだろう。敵はもういない。』と言った時に騎士が穏やかな笑みを浮かべていたのを確認した。
あの言葉が嬉しかったということか?

「ま、久々にあの武器見たら昔のこと思い出してナァ…」
「…奇遇だな。俺もだ。」



倉庫の奥にしまったまますっかり忘れていた武器を思い出したのは、昔の夢を見たから。
こんなにも近くにいるのが信じられないほど、敵対していたときのこと。

二人の敵対は終わり、処分は結局騎士団に突き出すだけとなった。
それで二人の関係は完全に切れると思ったが

『俺は、アンタ無しで生きてくのは、嫌だ』
『それなら、殺されたほうがましだ』


騎士はそう言った。
誰も言ったことが無い、アサシンが心の奥で望んでいた言葉だった。
アサシンだけを望んでくれる存在。

この男は自分をひとりにしない、捨てたりしない、ずっと傍にいてくれる。
そう思ったから、例え虎でも傍に置いてやろうと思った。

いろいろ問題もあったし、屈折しながらではあるが
二人は今、こうしている。

「暴走しないでくれれば、昔のこともまったく気にせずにいられるんだがな。」

情事となると昔のクセのように乱暴になることだけがただ悩みだった。
それで酷い目にあったのは一度や二度ではないし、怪我を負わされたこともある。
思いだしながらそう口にすると、すぐ隣で騎士が苦笑いした。

「だが、今日はちゃんとしただろ。」
「まあな、やっと大人になってくれたか。」
「お前それ、年上に言うセリフじゃねえよ。」

精神の問題だ、と騎士にいいながら、見下ろしてくる相手を押しのけて身体を起こした。
途端に内に入れられた騎士の体液が少し流れ出た。
この感覚だけはいつまで経っても慣れられず不快だ。

「…風呂、入る。」
「なんだよ、もう出しちまうのか。」
「あとで腹を下すのは誰だと思ってる。」
「…はいはい。…うっとおしそうにさっさと掻き出されんのも寂しいけどな。」

後でボソリと呟いた言葉に、アサシンはまた昔を思い出した。
昔はそう思いながら自分で処理をしていたな、と。
騎士もそのときのことを思い出しているのではないか。

自分を犯した忌々しい男の精など、さっさと掻き出して当然だろう。
そして今は彼をそう思うことはないが、かといって入れっぱなしにするわけもない。



「お前の感覚や匂いは嫌って程、俺に刻まれてる。寂しがることもないだろ。」






言ってからものすごく恥ずかしい言葉だと思った。
顔が赤くなりそうなのを悟られる前にと、床に落ちていた服を掴んで風呂場へ早足で向かった。

持っていた服を籠にゴミのように放り投げて、バスルームに入る。
全裸だったのだから何も脱ぐ必要は無い。

シャワーの蛇口を捻り、まだ少し冷たい水がお湯になるのを待たずに頭から浴びる。

『愛してる…ずっと。』

水音に紛れて聞こえた、騎士のWISでの囁き。
ずっと昔から、これからもずっと、どちらの意味も含む『ずっと』だろう。

『分かってる。』

昨晩散々聞いたと思いながら、それだけ返す。

『…そうじゃねえだろ?ちゃんと聞かせてくれよ。』

きっとベッドルームでは不貞腐れた子供のような顔をしているのではないだろうか。
あの魔と恐怖の黒を纏っていた騎士が。
シャワーの水を顔に当てながら、笑みを浮かべた。

彼への恐怖が完全に消えたわけではないが
それでも自分には彼が必要で、彼しかいなくて、満たしてくれるのは彼で…

『愛してる。』

きっと、そう言えるのはあの騎士にだけだろう。

彼とのお世辞にも良いとはいえない過去と、未だ拭えぬ恐怖心も、どこか残る敵対心も、無ければいいとも思わない。
全ては確かにあったことで、全ては彼と共有の思い出。
すべて二人で抱えて生きていく。






十分後
アサシンは、彼の言葉で興奮した騎士にまた襲われるとは思いもしなかった。





 
Hostility mind -敵対心- Fin




初めは『アサシンに手を刺されて蝶の標本のようにされる騎士』を書きたかっただけだったんです。
いやむしろ初めというより最後までそれが書きたかっただけなんです。y=ー( ゚д゚)・∵.ターン
とりあえずやっと完結いたしました、お付き合いありがとうございました!