「ハッ…ハァッ!…ハァッ!」

冷たい夜の森を、背丈の低い木々に身体を傷つけられるのも構わず走り抜ける。
逃げなければ、獣に食い殺される。
震える身体で、必死に逃げ回る。

視線の先に川があった。
深めではあるがもう海に近く流れは緩い。
川なら身体の匂いをごまかし、獣を撒けるかもしれない。

森から抜け出し、川へ走る。
月明りにマントを脱ぎ捨てたウィザードの青年の姿が映し出された。

「う、あぁ!!」
突然、木の上から飛び出してきた何かに圧し掛かられて、青年は押し倒された。
背中の上で何かが低く唸っている。

「ヒッ…!助けっ…」
首の付け根に“獣”が食いついた。
ずっと追いかけてきた獲物を逃がすはずが無い。

青年の周りに赤黒い液体が広がっていく。

「ギ、アァアアアァァァアアアアア!!!!!!!!!!!」
夜の闇に響く断末魔の叫びと、それが事切れてからも続く咀嚼音。
首からあふれ出す血を啜り、それから動かない腕や足の肉を食いちぎる。

その青年と同じくらいの大きさの獣には、獲物は大きすぎる。
かと言って他に分け与える仲間は無く、保存方法も知らない。

本来の目的であった青年の腕に付けられたチェーンのブレスレットを食いちぎり、飲み込んだ。
そして持ち帰り用とばかりに食いかけの足を引きちぎり、残りを川へ投げ捨てた。

夜の川を船のようにゆっくりと流れ始めた残骸。
それに見向きもせずに、獣は得た足の肉を引きずりながらまた森へ戻っていった。







大聖堂の身代わりの勤めを終えて帰路へつき、ほどなく長い間泊まっているプロンテラの宿屋が見えた。
いつも通りの平凡な宿屋…という様子ではなかった。
入り口に何人もの騎士がいる。

――― 自警騎士団…?

食堂での食い逃げでも出たのかと思いながら近づくと、彼らと向かい合っているのは自分の仲間であることに気付いた。
同じギルドのメンバー、BSのマナとアサシンのヒショウ。
きっと他のメンバーは店の中にいるのだろう。
攻め立てられるというよりも何か話をされているという感じだが、自然と小走りになる。

「ヒショウ、マナ、どうした?」
こちらに気付いた二人の表情は固い。
とくにヒショウは黒い前髪の奥で青い双眸が色あせている。

「ルナティス…」
疲れた声をだすヒショウに、思わずしがみつく様にして引き寄せ、顔を覗き込んだ。
「顔色が悪い、何が…」
「“ルナティス”じゃああんたもサバトの関係者か。」
ルナティスの言葉を遮るように騎士達のリーダーらしき男が言い、肩に手を置いてきた。

何事かと問い返すのを許さずと言わんばかりに男は言葉を続けた。
「あんたとそこのアサシンにいろいろと聞きたいことがある。まずは騎士団に同行願いたい。」
「…っ…」
ルナティスは息を呑んで、ヒショウの方を見た。
彼は既に事情を聞かされた、それで顔色が悪いのだろう。
彼は黙って頷き、ルナティスにも同行を促した。



目の前に横たわるのは見覚えのない惨殺死体。
いや、殺されたというより、食われたと言うほうが正しいだろう。

首の肉は食いちぎられ食い破られた腹は内臓がいくらか食われていたらしい。
左腕は骨しか残っていないし、右腕は比較的そのままだが手首の一部が食いちぎられている。
右足は無事だが左足は完全に付け根からなくなっていた。
オマケに死体は水を吸って全体的に水ぶくれをしている。

突然見せられた死体にヒショウとルナティスは吐き気を覚え、ついでについてきたマナは呑気にうぇ〜とか言ってそれを覗き込んでいた。
少し見たらすぐにまた布がかぶせられた。臭いがキツイ。

「えーと、服からしてウィザードだが冒険者登録名簿に見当たらぬ顔。多分偽造証でも使ってたか、ただのコスプレマニアか。そんでもって身元はまだ不明だ。御触れを出して家族を探したが、名乗りでた人は皆違った。」
「んじゃなんでこの2人に見せたかったんだ?」
そう言いながら中年の騎士が吸っているタバコの煙にマナがちょっとむせながら聞き返した。

「実はこんな事件が最近多発しててなぁ、共通点は大型の獣に食いちぎられたみたいな全身の酷い損傷と、右腕が無事だった者に共通する手首の鎖のあとだ。」
そう言ってさっきの死体の手首を布をめくってちらりと見せてくる。
確かに、鎖でぎゅうぎゅうに絞められたような跡がある。

「更に、こいつには腹を食い破られてて無いが、他のいくつかの死体の腹にとある集団の証といわれてる刺青が見つかってる。サバトと呼ばれてる集団だ。」
ルナティスがサバトと口で転がしていろいろ思案する。

この騎士は自分達を連れて来るときに「あんたもサバトの関係者か」と言っていた。
だがルナティス、ヒショウ、マナには心当たりは一切無い。

「サバトっつーのは最近いろんな犯罪者の証言に基づいて浮かび上がってきた組織だ。
まだ活動内容や活動組織の規模や場所なんかは特定できてないが、とりあえず麻薬と妙な実験と奴隷商をやってることはわかってる。」
「僕らがそれの関係者だと言っていたのは?」
「ああ、実は最近それのほんの尻尾の先っちょを掴んでな、とある孤児院がそれに関係した一つだってことが分かった。預けられた子供や、時には誘拐した女子供を奴隷にして売ったり、本部かどっかで実験材料にしたりとかしてたらしい。」

「…孤児院…」
ヒショウが低く呟く。
彼が話の中で“孤児院”の部分に反応したのを感じ、ルナティスもすぐに気が付いた。
孤児院、子供、奴隷。
それらのキーワードと、ルナティスとヒショウが呼び出されたということから、彼らのいた孤児院が浮かび上がった。
現にルナティスはあそこで幼いのに男娼として働かされていた経験がある。

「分かったみたいだな。先日そこを潰した。その際に今までそこにいた子供らのリストを見つけてな。そこからアンタらの名前を見つけて探した。」
「他の子供達は…?」
ずっと死体を見ていたマナが、突然発言した。
彼女には無関係の事件だから、何も口を出さないでいるかとおもっていたが。

「皆行方不明だ。」
「…!」
ルナティスとヒショウは目を見張る。
「ひょっとしたら俺達がかぎつけたことに気が付いて移動したのかもしれんが、大人しくあそこにいた子供達は行方不明。成長した方も売られたか利用されたかで行方不明、または…」
途中で言葉を切り、騎士は真ん中の台で布をかけられた亡骸を見る。

殺されているのか。
「いくらか身元が発覚した死体がある。全部あの孤児院出身だった。そいつらを含め、サバトの関係者の青年から大人はみんな手首に鎖をぎゅうぎゅうに巻きつけてあった。」
昨日の今日までのんびり過ごしていた中で突然話された事件、それに関係しているということ。
2人にはどうしても現実味を得られない。

2人には鎖の痕などない。
つけられる前に逃げたのだから当然だ。

「…僕らに何をしろと。」
「とりあえず、まだ身元不明の死体をいくつか見てもらって、顔なじみがいるかどうか。最近上がってくるものはあんたらと同年代が多い。」
そういわれると、2人共に吐き気が込み上げて眉をしかめた。

「あとは特にない。関係者といっても全然知らないだろう。何かあったら協力をお願いするってことで、話しておきたかっただけだ。」
何かを無理強いされるわけでも無いらしく、内心胸をなでおろした。

「ねえねえオニイサン、その子供のリストって見せてもらえたりしない?」
不意にマナが詰め寄る。
やたら目が好奇心に輝いているのは最近読んだ推理小説のせいだろうか。
呑気なマナにヒショウがため息をつき、ルナティスは軽く苦笑いを浮かべた。

「そっちの2人には見せるつもりだったが…お前さんは関係ねーだろ。」
「えーいいじゃーん。そっちの2人の配偶者だからちょっとくらい」
「「誰が誰の配偶者だ」」
マナが勢いで言った言葉に、当の2人が即座に突っ込む。

「ヒショウが、ルナティスの」
「あ、それならよし。」
彼女の言葉に赤くなってそんなことを言うルナティスの後頭部に、ヒショウの手刀が恐ろしい速さで入った。
「良くないだろうが。というかマナが全然関係しなくなってるぞ。」
「てかルナティスが泡吹いてるぞ…」

三人の様子をくだらない漫才を見るように騎士は遠めで見て、タバコをふかした。





宿屋へ帰った三人は部屋に入るなりそれぞれベッドにもぐりこんだ。
見せられた死体は予想以上に多く、そのあいだずっと腐臭漂う部屋に閉じ込められたのだから気持ち悪くなって当然だった。
安い宿を見つけ、今度は7人部屋にぴったり7人泊まっている。

「最近はギルドメンバーがそれぞれ実家へ里帰りとかよくしてたから、こうして全員集まるのは久しぶりですね。」
「んー、確かにそうだけどさ…俺、ずっと気になってたことあるんだけど。うちのギルドメンバーってホントウにこれで全部か?」
「あ、ウィンリーももしかしてこれ?」
アコライトのセイヤ、アーチャーのウィンリー、剣士のメルフィリアが一次職軍で集まり、まるで修学旅行のように話している。
ウィンリーが疑問だということに重いあたりがあるらしく、メルフィリアが詰め寄ってギルドエンブレムを手に取った。

彼、彼女らがそれぞれのエンブレムを手に取り、指差す先はメンバーを刻み込まれている欄の一番上と二番目。
普通はメンバーは敷き詰めて書かれているはずなのだが、何故か上二つが空いている。
「一番上ってことは…ギルドマスターが空欄ですか…?」
「俺、マナさんがマスターだと思ってたんだけど。」
「加入権限とか職位変更とかしてるものね。」

ギルドというのはマスター無くしてありえない。
大抵はマスターが持つ新規メンバーの加入権限やメンバーの職位変更権はブラックスミスのマナが持っている。
けれど、そのマナの名前はマスターの欄にはない。
彼らの先輩4人は特に話すそぶりも無く気にする風もないので聞かずにいた。
が、こうして三人で話し合って疑問だと再認識すると、どうしても気になってしまうものだ。



「ってわけで、この空欄が気になるんですけど!!」
三人はまとまって、問い詰めやすそうなルナティスのベッドに乗りあがっていっせいに質問した。
「…うん、疑問はとても分かるよ…でもね、僕はもう疲れたんだよ…」
「は?…え?」
「これでも人間の醜い部分は十分に見て生きてきたんだよ…」
「え、ちょっと先輩…」
「もう疲れたよ…惨殺死体なんか見たくないよ…水死体なんかもっとやだ…」
「目、目がイッちゃってますよ…」

「お願い、許して…この臭い部屋から出して…」
「うああああ!!!?先輩ーーー!!!!???」
セイヤとメルフィリアとウィンリーが今にも宿の窓から飛び降りそうな…
いや、今まさに飛び降りようとしている先輩の身体にしがみついた。

またその別の窓では、ルナティス同様に窓から飛び降りようとしているマナを、レイヴァが必死にしがみついて止めていた。





「そこのプリさーん!!速度くれええええ!!!」
「騎士なら気合で乗り越えろ!!ってゆーか僕は速度はできん!ヒールヒールぅ♪」
「Σ('A`ノ)ノしかもレベル1かよ!!」

騎士団の厳密な現場調査…のはずが、何やら一部では呑気な空気が流れていた。
アクティブモンスターの多いプロンテラ北部の森での調査にヒショウとルナティスも同行を頼まれ、あたりのモンスターの駆除を手伝っている。
先日ウィザードらしき男の遺体、または以前からちょくちょく遺体が見つかった川を徐々に上って、今ではすっかり森の中まで来てしまっている。

ヒショウは少し座って休みながら、チェインで駆除の必要も無いクリーミーなどを叩いているルナティスを見ていた。
見習いの騎士に支援を求められる度に断り、微弱なヒールを送っているルナティスだが、ふざけているのではなく真面目に彼は支援ができない。
先日、彼を攫い拷問のような仕打ちをしたセージとアルケミストを殺めてしまって以来、彼はヒールすらもできなくなった。
人を殺しても冒険者スキルを使っている聖職者もいる。
きっと彼の精神的な面での問題だろう。
せめてヒールだけでもと思い、二人で金を出し合ってヒールクリップを買い彼に持たせている。

「プリさーん!ヒールでいいからくれええええ!!」
「そんな危なくなるならつっこむなー!!てゆーかこっちも蜂に刺されまくって死にそうなんだああああ!!!!」
物思いに耽っているうちにプティットやホーネットに囲まれている剣士とプリーストを助けるべく、ヒショウは腰を上げた。



『第1班、何かあったか。』
『いえ、手がかりらしいものはありません。』

『第2班、何かあったか。』
『1班同様です。』

『第3班、何かあったか。』
『川沿いに血痕の後を発見。』

『調査を続けろ。第4班、何かあったか。』

機械のように規則的にPTチャットで流れる報告申告に、ヒショウがプティットを切払いながら前の班と同じように応える。
『1、2班同様です。』
ヒショウ、ルナティス、見習いの騎士の三人だけの第4班は元々調査の為ではなく、手がかりが合った時に関係者として鑑識の手伝いをする為について来ているため、前を行く3班のあとをついているので問題はおそらく起きないだろう。
ヒショウとルナティスで見習い君のレベル上げ状態になっていた。
それでも金を貰っているので悪い気はしない。

アクティブモンスターの群れにつっこんだり、リンクモンスターを無駄に叩いたりして散々な目に遭い、やっと反省騎士君とルナティスは大人しく黙って移動を繰り返していた。
「……ん?」
不意に前を行くルナティスが足を止めて二人を呼んだ。
「ねえ、この辺に出るモンスターに人型とかいないよね。」
「いないです。」
事前にいろいろと資料を読んでいたらしい騎士が胸を張って即答した。

「じゃあ冒険者かな…なんか」
「ルナティス!」
ヒショウが静かに、けれど厳しい声でルナティスを呼ぶ。
静かに、と唇の前に指を立てて伝え、彼と同じ位置まで足音を立てずに近づいた。

『何かいる。』
他の班にまで聞こえるだろうが、ヒショウはPTチャットで2人に向けて言う。
ただのモンスターではない。
ルナティスと同じ位置に立てば、その遠く先に人影のようなものが見える。
向こうもこちらに気付き、息を潜めている。

いや、大分前から気付き、警戒態勢をとっていたように見える。
ルナティスが気付かずにこれ以上近づけば、向こうから襲い掛かっていた。
見える影は人だが、気配は人とは思えない鋭さがある。

『どうした。何班だ。』
退くか留まるか自身の心で押し問答していたヒショウに救い舟が現れる。
聞いてくるリーダーに判断を任せようと、遠くの気配から意識を放さず報告する。
『第4班。ここらへんのモンスターではない、人型の何かがいます。向こうも気付いてこちらを警戒しています。距離は20メートルほど。』
『…第2班、第4班のもとへ向かえ。第4班そこを動くな。』
『了解です。』
視線を外すと危険だと思い、後ろの2人も分かっているだろうと合図なしでその場で留まった。

影が消えた。
息を呑んで目を閉じ、PT情報を意識化で探る。
第2班と思われる集団が近づいてきたことが分かる。
『消えた。第2班気をつけてください。』
きっと“アレ”は第2班が近づいてきた事に反応し、そちらへ向かったのだろう。

「ルナティス、向こうに行く。」
「了解。」
「わ、分かりました…。」
そういえば騎士の方は名前を聞いてなかった。





『隊長、襲撃が!!』
『助け…うあああ!!!』
『こいつ、人間じゃない!!』
第2班のメンバーの声が頭にガンガンと響いた。
思わず他のメンバーが全員駆けつける。ヒショウとルナティスも全力で駆けていた。

出発前に見た騎士とプリーストが草むらに倒れていた。
思わず眉をしかめる。
首が半分しかない。
騎士は右半分を、プリーストは左半分を千切り取られたような…。
やられたばかりらしく、徐々に赤い血が彼らの下に広がっていく。

「うあああ!!!」
まだ生き残っていた第2班のハンターと騎士が対峙しているのは…
「女のひ…」
女の人、と言おうとしたのだろう。
ルナティスが呆然と呟くうちに体勢を低くしていた女性は騎士に飛び掛る。
防御として構えられた剣を、いとも簡単に装備している鉤爪で弾き飛ばし、そのまま
その喉元に噛み付いた。

一瞬。
すぐにハンターが騎士の脇に矢を放つが、標的の姿は消えていた。
矢の風切り音が止み静寂の中、少し離れた草むらの中に女性は着地した。
騎士が遅れて倒れた。
その首は先の2人のように一瞬で噛み千切られていた。

『逃げろ!!!』
それがヒショウの咄嗟の判断。
誰かが背を向ければその人が殺られる。
他が逃げられるようにヒショウが女性に向かって半歩踏み出した。

獣の様に光る赤い目。
目が合った瞬間、向こうの姿は消えていた。
『逃げろ!!!』
向こうの注意は自分にそれた、と判断しもう一度叫んだ。
今が逃げるチャンスだと。

それを理解したハンターが背を向け走り出した。
だがルナティスは相方を置いて逃げることができず、もう一人の騎士はヒショウと同じく立ち向かおうとしていた。
彼らにも逃げろと言いたかったが、それを言う暇はなく頭上から落ちてきた女性の鉤爪が振り下ろされた。

「っぁ!!」
予想以上に重い一撃。
腕を潰され、足腰も折られそうな感覚。
異常な怪力にあっけなく地に倒された。
どう考えても、女性の…人間の力ではない。
仰向けになった上で、赤い目と黒い肌と赤い髪が揺れる。

首を守ろうと両腕のカタールを放し、顔の前で腕を交差させる。
それに噛み付こうしている女性の鋭敏な牙が見えた。
「ヒショウ!!!」
ルナティスが叫び、チェインでなぎ払う。
相手がそれを避けて、身体の上にあった重さが消え視界が開けた。

すぐに起き上がり、放したカタールを再度拾って構える。
「……。」
女性は騎士の死体の上に乗っていた。
威嚇する山猫のように屈み、低く唸っていた。

「……!」
女性が一瞬後ろを振り返り、次の瞬間駆け出していた。
逃げたのか、そう思ったのも束の間。
別の班が駆けつけてきたことに気付いた。

『2班ほぼ壊滅!気をつけて!!』
ルナティスがPTチャットで言いながら駆け出し、ヒショウと騎士もその後を追う。
だが走ってすぐに隊長が先頭を切る班が見えた。
「…!」
あの女性が、さっきと同じように構えられた剣を鉤爪で弾き、その喉元へ…

さっきの光景がフラッシュバックした、けれど目の前の光景は違い、さらに飛びついてくる女性を隊長は腕の手甲で受け止め、投げ飛ばしていた。
飛ばされた女性は空中で体勢を整え、草むらに綺麗に着地していた。
「…む」
隊長の手甲が砕け落ちる。
噛み砕かれたという事実に目を丸くする。

だがすぐにそれから目を放し、彼は女性に剣先を向けた。
また女性は低く唸る。
前髪を長く伸ばして顔はよく見えない。
けれどその間から覗く赤い瞳が居様に光っている。

一瞬。
走っているとは思えない速さで彼女は隊長の方へ走る。
彼がギリギリで切払った一撃を飛んでかわす。
いや、剣をかわすのではなく、そのまま彼の頭上を飛び越えた。

しまった、と思った時には遅い。
「きゃあああああ!!!!」
隊長の後ろにいたプリーストの女性に飛び掛っていた。
すぐに隊長が振り返りざまに切払う。

けれどまたそれは空を切り、女性の姿は神隠しのように消えていた。
「い、いや…っ!!!きゃあああああ!!!!!!」
プリーストの女性は記憶にある穏やかな様子とは結びつかない切り声を上げて蹲った。
右腕が無い。

とても跳躍したとは思えない程高く飛び上がり、女性は駆けつけた班とは反対の、ヒショウ達の前に着地した。
その口元には服ごと切り取られたプリーストの女性の腕が咥えられていた。

その赤い目がまたヒショウを見る。
背筋に寒気が走った。
喉の奥が熱くなり、全身の気が総毛立ち汗が吹き出る。

これは人間ではない。

構えることすら忘れて恐怖に硬直している間に、少女は木の上に飛び乗り、そのままどこかへ走り去ってしまった。
最後に切り取った腕は、まるで土産物かのように。

「いやあああああ!!!あああああ!!!!」
腕を食われ、錯乱したプリーストが泣き叫ぶ。
その場にいたルナティス以外のプリースト急いで応急処置に当たる。

「…ヒショウ、大丈夫…?」
先ほど襲われた時傷を負わなかったかという意味か、それとも今自分は酷い顔をしているのか。
見慣れた金髪とエメラルドグリーンの瞳が覗き込んでくる。
彼を認識しても、彼に返事をする気になれなかった。

「……。」
あの赤い髪と赤い瞳が目に焼きついていて、目の前のルナティスよりも鮮明に浮かび上がる。



さっき、ルナティスがなぎ払う前に彼女はヒショウの首を噛み千切れた筈だ。
一瞬躊躇うように見えた、それが気になった。
そして彼女は逃げる間際に、こちらを見た。

あの赤い瞳で何かを訴えるように。