静かな部屋。 だが無音ではなく、カチカチと単調な時計の音が響く。 そして時折紙の擦れる音。 「……畜生。」 切れ切れな情報が行きかうばかりで確信は無く、調査は行き詰まり彼を追い詰めていた。 暗闇の中の唯一の光である小さなランプに身を寄せて書類をめくるのは、この騎士団の長・ゼオン。 プロンテラには数多く団が組まれ、各部署に置かれているがここはその中でも下位にあたる。 仕事数が少ないので功績が少ない。 しかし危険な仕事が回される。 彼の部下も何人が殉職し、何人が逃げ出したか分からない。 団長は彼らを責めることはせず、ただ後に食い扶持に困らぬように別の街の騎士団に送ったり勲章を押し付けてやるのだ。 そうでもしなければここへ来たものはすぐに絶望して働かなくなる。 ここでの仕事にやりがいを感じる者や、本当に正義感溢れる者だけではこの団は成り立たない。 団員すべてを上手く使い育て働かせてやる為には、固いことや奇麗事なんか言っていられない。 「…ん?」 無精に伸びては乱雑に切られる前髪がゆれた。 窓は閉めたはずなのに風が吹き込む、まるで彼を呼ぶように。 顔を上げれば、月光を背にして人が立っていた。 団長と同じ類だがもっと性能の良く見目も良い鎧をまとっていた。 その姿を認識するより早く、団長は反射的に剣を抜いていた。 「……お前は…」 剣を抜いてから気付いた。 自分はこの男を知っている。 薄く照らされた端整な顔つき、繊細に輝く銀髪。 「フェアリ・アレイ・ゼルリア…」 手配書に見覚えがあった。 記憶を探り名前を呟けば、彼は肯定に笑みを浮かべた。 騎士団や国どころではない、“世界”に追われている人間の一人。 得物を握る手に自然と力が篭もっていた。 「プロンテラ騎士団西支部団長ゼオン氏、貴殿に交渉に来た。得物を収めてくれ。」 「…歳のせいで俺は勘も反応も鈍いオヤジになっちまったんだ。 無防備なところをいきなりお前さんに切りかかられて切り抜けられる自信がないんでね。話ならこのままで聞く。」 逆行で顔ははっきりしないが、苦笑いしたのは分かった。 フェアリ・アレイは両手を挙げて、降参するかのようなポーズをとった。 「手を挙げておこう。もうすぐ唇を焼きそうなその煙草を消すといい。」 意外な言葉に、思わず一瞬目を丸くした。 「気が利くねえ。」 短くなってきていたタバコをすばやく灰皿に放り込み、また剣に手をかけた。 すると相手は手を下げた。 フェアで無害な交渉を望むといったところなのだろう。 「この団を受け持つ貴方は聡明であることだろう。」 「そりゃ買いかぶりすぎだな。」 「だが統率力と腕は確かだ。あの“番犬”を相手にして生きていた者はなかなかいない。」 “番犬”と聞いた瞬間、目の色が変わった。 それを見逃さず、フェアリ・アレイは笑みを浮かべた。 「…サバトに関係するのか。」 団長・ゼオンが聞くが返事はすぐには返ってこない。 「私は世界の均衡を崩すことに手を貸した罪を負い、逃げている。 罪を重ねることはやめたが、戦うことは止めていない。逃げることもしない。」 「…各地の違法組織潰しては贖罪してるってのは本当らしいな。今度はサバトってところか。」 「その通り。」 しばしの沈黙。 下手をしたらフェアリ・アレイに手を貸し、こちらまで犯罪者とされないか。 しかし行き詰まりどうしようもなくなっていたサバトに関する任務を進められるチャンス。 彼は脳内で秤にかけ、悩んでいた。 「同盟を組みたいわけではない、貴殿を利用したいと言っている。」 悩むゼオンを見てか、そう付け加えられた。 薄暗い人影の手元から、紙が数枚落とされた。 「サバトの地図、内部見取り図だ。」 「何?!」 ずっと自分が捜し求め、無いものだと諦めかけていた。 それが目の前にあって、飛びつきたい衝動に駆られた。 「明日、我等はそこを潰しにかかるが、中枢を潰せても完全包囲はしかねる。」 「…それを俺達に包囲して捕らえろと?」 「そう。」 「だがあそこにある“兵器”とか“番犬”とか言われてる奴は大丈夫なのか。 俺達をそれの囮にする気じゃねえだろうな。」 「心配せずとも、貴殿らより先に別に囮がいる。そして私達の本隊が先にいる。 そして貴殿らの安全を保障する為に私はその後ろ…つまり貴殿らの前に。」 「…徹底した護衛ぶりだな。」 「貴殿らはサバトの取り零しがないようにして頂く役目と、それ以上に重要な役目がある。」 「重要な役目…?」 相手が笑う気配がした。 そして木製の床を軋ませて近づいてくる。 「…私の成したことを見届け、証言して頂く為の。」 ゼオンは解きかけていた警戒態勢を再びとり、剣を構えた。 間合いのギリギリ外で立ち止まる。 「……。」 机のランプの明かりにフェアリ・アレイの顔が照らされる。 手配書で見たときも、優男だが中世的で綺麗な男だと思った。 目の前に浮かび上がる顔はうっすら微笑んで妖艶ですらある。 思わず硬直して見入った。 「!?」 彼がスッと近づいてくる。 もう剣を振れば首を落とせる範囲に、大罪人がいる。 だが腕が動かなかった。 あまりにも相手が無防備であったから。 いや、違う。 「…俺に、何をした。」 鼻腔をくすぐる甘い香り。 それが全身の筋肉を縛るような感覚。 違う、これはただの香水? 最早何が自分を縛るのか分からない。 だが分かったのは 「明日は早い、無理をせずに休まれよ。」 そう言われて渇いたゼオンの唇に触れた唇の柔らかさ。 そして思わせぶりに触れた後の自信の唇をなぞった指先の白さ。 その白い手の甲に刻まれた薔薇の刺青の鮮やかさ。 「……。」 ランプの明かりはもう消えている。 そしてあの男の姿もない。 全身が熱を持ったように熱い。 風邪でも引いたか、むしろ毒でも盛られたか。 窓から吹き付ける夜風でもその熱は冷めない。 「…あ…」 その夜風に床に散っていた書類がカサッと音を立てた。 そうだ、戦いの準備もしなければ。 明日には大きな仕事が待っている。 ふらつく足で窓辺に歩み寄り、書類をかき集めた。 「……っ」 また、あの香りがした。 書類に残ったあの男の残り香。 上等の情婦でもしないような甘美な魔の香り。 これはよくないものの香りだと頭の隅で分かっていても、体も心もそれを受け入れるのを拒めなかった。 銀に光る髪、唇の柔らかさ、肌の白さ、薔薇の刺青の赤さ。 それらが目蓋の裏にちらついて離れない。 夜が明けるまで、ゼオンはその呪縛から逃れることはできなかった。 サバトの切り札、“番犬”“兵器”“最凶兵”と呼ばれ恐れられてきた少女、ルイ。 彼女は殺戮の指示を出す頭領と、静止する同属・ヒショウの間でゆれていた。 その様子に隠れて見守っていたルナティス達も目を丸くした。 ヒショウがルイに、一人の女性に話しかけるように「もう殺すな」と懇願する様。 ルイがヒショウの言葉を困惑しながらも聞き入れようとしている様。 サバトの心無い武器だったはずの女性に心を持たせた男。 そこには何か強い絆があるようにさえ思えた。 だが二人の間を引き裂くように振り下ろされた刃は、サバトの頭領の銃。 鋭く響いた銃声。 それとほぼ同時に響いたのは、肉が潰れる音と鋭い金属音。 後者は銃弾に狙われたヒショウの目の前に、盾として突如突き立った大剣の音。 そして前者は…。 「……」 ただしばらく、その場に沈黙が流れた。 嫌な臭い、血と肉の臭いが充満していく。 銃声の果てに床に崩れ落ちたのはサバトの頭領。 忠実な番犬に牙を向かれた主人の姿。 前者はルイが頭領の肉を引きちぎる音だった。 首を骨ごと裂かれて、自分の死にも気付けず裏切った番犬を睨むこともできないうちの即死だった。 首が壊れた人形のように不自然に折れている。 ルイの裏切り、頭領の死、サバトの一団に勝機はまったくなくなった。 「…ぅ、おおおおおお!!!!」 勝機はなくなったというのに、誰かが咆哮した。 怒りでも絶望でもなく、ただ戦場へ向かう戦士のような方向。 それにつられて囲まれているはずの敵軍は次々に咆哮して外を囲む騎士団に得物を向けた。 サバトの多くは完全にここで生まれ育てられた人間か、洗脳された人間で理性は半分もないだろう。 その内の何人かがルイとヒショウのいる内側へ攻めていく。 彼らを裏切り者と判断した結果。 だがそこにはもう一人敵がいた。 「ヒショウ、立てるか。」 彼の目の前に剣を突き立て、銃から守った盾にした戦士が声をかける。 黒光りした禍々しい刀身を肩に担ぐように構え、精錬された白銀の鎧と鮮血のマントを靡かせた騎士。 俗にロードナイトと大々的に呼ばれるその人。 その体は既に返り血でいくらか濡れていたが疲労は一切見られず 顔を覆う兜とアイアンケインから覗く銀髪を揺らめかせながら彫像のように美しくたたずんでいる。 「レ、イ…」 その名前を呼び、ヒショウは安堵した。 レイが来た、シェイディ達が来たのだと知り安堵した。 彼らが来たのならば、少なくともルナティス達は守ってくれると信じられる。 「た、のむ…」 床に這いつくばったヒショウをレイが支えた、その体が小刻みに震え声もかすれてほとんど聞き取れない。 「っ!」 その様子に舌打ちする。 そんなレイは目に入らず、ヒショウはただ懇願する。 「…逃げ…て…くれ…」 「サバトはもう虫の息だ。安心しろ。」 違う、と訴える代わりに彼はレイの腕にしがみついた。 「!?」 その異様な握力にレイが萎縮した。 つかまれた腕の装甲に小さくヒビが入ったのだ。 もし装甲ではなく腕をつかまれていたら皮膚は軽く裂かれ指が肉に食い込んでいただろう。 ヒショウが訴えているのはサバトから逃げろということではない。 「…か、ら…」 ヒショウ自身から。 「っ…!」 彼の意思を理解し、目を見開いた。 全く予想だにしない事態だったが、レイは何が起きたのかを理解した。 「シェイ!!」 レイはチームの切り込み役、シェイディに命じられれば決して後ろを振り向かず、助けも求めずただ指示されたことを真っ先にこなす。 殆どが別行動でパーティーを組まず、また今回はシェイディ達とではなく自警騎士団たちのパーティーに紛れていた為に、その場で直接叫んで伝えるしかなかった。 声は周りの騒音と戦闘の轟音にかき消されたが、レイの仲間への要請は緊急時にしか行われない。 だからその声に、シェイディは敏感に反応し、即座にパーティーとギルドでつながっているメンバー全員に緊急の指示を出せるように構えた。 「ヒショウが――!!」 耳を澄ませたが、肝心なところで誰かが大魔法を使ったらしくその轟音にかき消された。 シェイディがジェスチャーで聞こえないと示す。 「ヒショウがルイと同じ…っ!」 今度は聞こえそうだったが、また妨害された。 元々大柄ではないが十分な体格に重い甲冑をまとっていた筈のレイの体が少し吹き飛ばされ、よろめいた。 先ほどヒショウに掴まれてヒビが入っていた装甲で受け止めた為にそれは粉々に砕け散った。 敵の力量というのは大抵一撃受けるか剣を交えれば分かる。 身のこなし、体力、腕力、そして目。 その洞察の標的になっているのはレイが先ほどまで腕に抱えていたヒショウだ。 アイアンケインの更に下のポーカーフェイスを保ちながらも、こめかみと額に汗の玉が滲んだ。 「………。」 ヒショウは壊れかけた人形のように床に倒れ、肘で体を支えている状態で、とても力んでいるようには見えない。 だが露出した腕、首筋、顔には膨れ上がった血管と筋肉の筋がうっすら浮かび上がっている。 「…ァ…ア…」 「……。」 亡霊のように弱弱しく呻くその様子、だが一切油断できない。 先ほどの一撃で分かった今のヒショウの力量、そして本能的に危険と危機を察知して鎧の下に滲む汗。 レイはそうしながら動けずにいたが、同時に優秀な参謀からの指示を待っていた。 「っ!」 指を僅かに折った形で突き出してくる。 剣で防げば彼を傷つけることになる、それを防ぐためにとっさに腰から鞘を抜き取り構えた。 速い。 常人の反射神経なら首をもぎ取られていたところ、レイは辛うじて鞘で攻撃を受け流しつつ避けた。 そしてヒショウの胴を蹴りとばした。 「…っ」 ぎょっとするほどあっけなく彼の体は吹っ飛んだ。 だが地面に着くと同時にまたレイの間合いに飛び込んできている。 他に今のヒショウなら狩れそうな人間は回りにいくらでもいる。 それでもレイのもとへ飛び掛ってくるのは彼のなけなしの理性が、被害を抑える為にしていること。 レイならば自分にやられることはないと信じているのだろう。 餓えに苦しめられ理性を搾り取られながらも必死に人を殺すまいとしている。 「…絶対、助けてやる。」 レイが誰にともなく言い聞かせるように呟く。 段々“番犬”と同じようになっていく男にその声は届かない。 その空しさが無性に胸を締め付けた。 「レイ!」 シェイディが階上から身を乗り出して呼びかけている。 そちらを見ないまま、意識も目前に向けながら、耳だけを傾けた。 「殺せ!」 流石に彼がレイの信頼している参謀でも、その言葉には剣先が揺らいだ。 「ふざけるな!何言ってやがる!!」 シェイディの脇にいたルナティスが豹変して怒鳴りかけた。 「もとい、殺すつもりで、だ。」 彼の弁解はルナティスに向けているものだが、レイにも聞こえた。 それでもレイには「つもりで」とは言わなかった。 だがシェイディがヒショウを見殺しにするとは思えない。 彼は優先順位をわきまえているが、それでも捨て駒さえ捨てようとしない。 捨てて得する駒などないと分かっているのだ。 まして仲間ならなおさらだ。 ヒショウは殺しても死なない、それが事実なのだろう。 レイは自分に言い聞かせ、剣を奮う。 たとえ自身がそこまで考えが及ばなくても、その剣は奮われただろう。 思考、指示をするのは参謀であるシェイディの役目。 この剣はただ彼の為に奮われるだけ。 「っ…」 ルナティスは拳を握り締め、床にたたきつけた。 ヒショウの変貌、一体何が起きているのか分からない。 何故こんなことになっているのか分からない。 それ以上に自分は何も出来ないのが歯がゆくてならない。 彼が一人苦しみ、レイに傷つけられようとしているのに。 「皆に聞く。」 シェイディはずっとたいしたことのないような顔をしている。 「なるべく大きくない病院に知り合いはいるか。連絡をとってほしい。」 「…ヒショウの為の…?」 まさかと思いながらルナティスが呆然と聞く。 「そうだ。」 シェイディの判断は本当に正しいのか、最善に繋がるのか、どうしても疑ってしまう。 優しかったシェイディが、心を凍りつかせてしまったように思える。 その心になんの痛みも伴わずにヒショウを見殺しにするように思える。 「アルデバランの地方の病院が、私達の身内を見る専属医ですの。そこでしたら。」 答えたのはメルフィリア。 シェイディは小さく頷いた。 「金は出すからとにかく輸血用血液を買い集めるように連絡をつけてくれ。出来れば彼と同じ型を多く。 型を特定できない診療所なら型は全く問わない。」 「でも、相手の医師は冒険者じゃないですからWISは通じませんわ…。」 「連絡線か直接言いに言ってくれ。」 そう言ってシェイディは彼女に蝶の羽を差し出した。 突然の戦陣離脱命令にメルフィリアは少し戸惑ったが、それでも命がかかった指令であることを理解している。 強く頷いて、それを受け取ると同時に握りつぶした。 彼女の姿は消えて、潰れた蝶の羽だけが床に落ちて塵になった。 「皆、先刻『もう戦う必要はない』と言ったことを撤回させてくれ。もう一仕事、頼む。」 その言葉に真っ先に反応したのは背後に控えていたリサで、その場の全員に即座に支援魔法をかける。 「君達のターゲットはヒショウ。彼は今ルイと同じ状態だ、油断はするな。」 ヒショウがルイと同じ、そう言われ皆目を丸くした。 だが彼が熟練のロードナイトらしき人物相手に人間離れした動きで襲い掛かるその様子を目の当たりにして、なんとなく察しはついている。 それでも、何故彼はそうなっているのか、ルイと同じとはどういうことなのか理解できないし、受け入れがたい言葉だった。 「どういうことだ。」 「ルイは元々ヒショウやルナティスと同じ類の孤児院にいたただの少女だった。 人工的に兵器にされた、ただの人間だ。 ここまで言えば分かるだろう、ヒショウも奴らにルイと同じことをされたんだ。」 レイヴァの質問にシェイディは早急に、分かりやすく説明した。 本当ならば、そんな自体に陥る筈はなかった。 まだニブルヘイムの存在が公にされていなかった時代に見つかったニブルヘイムに関する古書にあった伝承を真似た実験がきっかけだった。 麻薬売買で肥えていたサバトが遊び半分で、ニブルヘイムで魔物を生み出しているという液体の生成に成功した。 そこまでは良かったが、液体自体に危険性と魔力性は認められたが、実際文献のとおりに生き物や人間を放り込んでも溶けて消えるばかりで魔物化することはなかった。 だがある日、原因は分からないがルイという少女を投入したとき、それは成功した。 それから実験は勢いづき、何人もの犠牲者を増やしていったが成功は10年以上見られなかった。 それなのに、不幸にもヒショウまで実験の対象にされ、更に不幸にも彼は成功してしまった。 シェイディでもここまで考えは及ばなかった。 最愛の人の身に起きたことに感づいてはいたが、はっきりと言葉にされてルナティスの目に涙が滲む。 だが今は悲嘆している場合ではないと、拳を握り眉間に皺を寄せて涙をこらえた。 「ルナティス」 未だ疑念は晴れない彼に、そっとシェイディから声がかけられる。 目に入る彼の姿は、昔よりも若く幼いのに、研ぎ澄まされている。 それがなんだか不気味に見えた。 「……気を抜くな。」 その言葉はひどく重く感じた。 「…本当に、殆ど制圧出来てるな。」 プロンテラ騎士団西支部は既にサバトの地下屋敷とも言えるような基地に乗り込んでいた。 血気の多い騎士達は勢い良く突入したものの、中にいるサバト軍は完全にノビている。 だがその数は少ない為油断は出来ない、警戒を解かぬまま奥地まで。 そして次第に状況は変わってきた。 ずっと床に転がる人間は殺さないように気遣われていたようだが、ある場を境に今度は血の海。 全くの別人の仕業のようで、武器ではなく獣に引き裂かれ食いちぎられたたような有様になっていた。 「……。」 ゼオンはその様子に見覚えがあった。 彼がここ何年かずっと目にしてきた、サバトに処分された人間達の水死体の有様に似ていた。 この死体は、昨晩たずねてきたフェアリ・アレイの一団ではなく、サバトにいる化け物のようなあの女性の仕業と分かる。 そして更に進むと時折現れる生きたサバト兵。 だがやはり数は少なく難なく突破できる。 そうして呆気ないほどにたどり着けた、最奥。 そこは終幕の舞台のようなだった。 地上へと高く吹き抜けになっている広間、そこに集まるのはサバトの残る総勢力。 その中心には役者が三人いた。 サバトの頭領と、サバトの兵器である女性と、以前ゼオンが調査協力を頼んだことのあるアサシンの男。 一番最後は何故そこにいるのか分からない組み合わせだったが、一般人が窮地に陥っているという状況なのは確か。 「全員、サバトの軍勢を取り囲め!射撃班は全員階上から狙いを定めろ!標的は黒髪のアサシンを除く中心の二人だ!間違ってもその男に当てるなよ!」 ゼオンはすべてが見渡せる位置に立ち、部下達が配置に着くのを確認しつつ、合図の為に剣を構え、自身もあの中心へ突っ込めるように体勢を整えていた。 「ゼオン氏、しばし待たれよ。」 「…待て。」 突然ゼオンの背後に現れたのは、ロードナイト・フェアリ・アレイだった。 咄嗟に傍にいた部下が武器を構えるのをそっと制した。 日の下で見る彼は思ったより若く、昨晩の妖艶さは無いが力強い。 「貴殿らの役目はサバトの軍勢の制圧。 あのアサシンを守るのは我等の仲間の役目。 そしてあの女性をやるのは私の役目だ。」 「……っ。」 だが、と反論しようとして息を呑んだ。 またあの甘い香りがして、拘束される。 自分の意思で、心身が動かせなくなる。 「射撃班の狙いは中心ではなく、周りの軍へ。」 静かな声でささやかれる。 「…射撃班、標的はまわりだ!」 何故かフェアリ・アレイの声に絶対的なものを感じ、従わざるを得なくなる。 彼はゼオンの指示に満足気に頷いた。 「貴殿をプロンテラ騎士団団長としての力量を信頼している。 戦いを始める時と相手は、慎重に見極められよ。」 そう言って彼は武具でその顔を覆い、階下に真紅のマントを翻し飛び降りた。 鋭い銃声がしたのはその直後。 そしてサバトの頭領が兵器の裏切りの前に倒れ、軍勢が咆哮した。 まだ残る残り香の甘さに眩暈を覚えながらも、理性を搾り出し全力をこめて彼は声を上げた。 「行け!!このいかれた饗宴を根底から叩き潰せ!!!」 |