シェイディが率いる罪人達の組織は名乗るでもなかったが一部で“ゴースト”と呼ばれた。
決して姿を現さないまま問題を解決し、ただ功績だけを求め、俺達がやったぞと主張する為の痕跡をわずかに残していくだけ。

その実体を知られない為に、一切メンバーの入れ替えをしない、他者に協力を仰がない。
つまり完全固定のメンバー。
そして決してメンバー内の誰をも見捨てず、立場を一切動かさない。
完全に封鎖的で統率されたチームだ。

だが今回ゴーストは、シェイディが作った一般ギルド・†インビシブル†に協力を仰ぎ、騎士団と接触した。
妥協したのではなく、これが最後と覚悟したからだ。
影の仕事はこれを最後に、ゴーストはゴーストであることをやめる。

そしてそれぞれのメンバーに一大の大仕事が待っている。



†インビシブル†のメンバーを囮に少しずつサバト内部の勢力を集め、手薄になっていくサバト中心部をギドに探させる。
その段階でギドがヒショウを見つけることができれば一番よかったのだが、幸か不幸かヒショウも脱走していた為に速やかに見つけることはできなかった。

内部の中枢まで入り込むまでの主力は、ゴースト所属のアサシンクロス、シンリァとギド。
その周りをゴーストの他のメンバーが離れて助力。
サバト内部に入り込むまでそちらに仕事はない可能性が高いと予測していたが、残念なことに敵は予想以上に警戒していたようで、外からもよく責めてきた。囮チームである†インビシブル†を側面・背後から囲み潰そうと用意していたのだ。
さながらゴーストは彼らを守る見えない盾が役目だった。

だが完全にその2チームだけで潰しきれるとは予測していない。
20年前にサバト討伐に失敗した時、討伐隊の多くはサバトの内部奥でやられていた。
何故なら生存者がゼロで、帰還したのはたった一人だったから、囲まれた上に逃げる道のりが遠かったのだ。

†インビシブル†とゴーストで潰せるのは良くてもサバト全勢力の半分。
サバトの壊滅は騎士団の加勢なくばありえない。
前者が作り上げた敵の残骸を乗り越え、中枢で一まとまりになった敵を囲めば、たとえそれが全敵軍半分以上いたとしても自分達が優勢と疑わない。
そしてサバトも劣勢と思い込む。

シェイディは†インビシブル†のメンバーに勝利は間違いないと偉そうに口にしたが、それも知らず知らずのうちに敵味方すべてに行き渡った心理作戦の内だ。敵を騙すにはまず味方から。


それが大まかな作戦だったが、1つ大きな壁があった。
サバト最強の番犬、ルイの存在。
ルイと対抗できるのはたった一人、ゴーストの切り込み隊長・フェアリ・アレイであるとシェイディは考えた。
だがアレイは騎士団と接触し、行動を共にしていなければいけない理由があった。

だからルイと対峙したとき、ギドとシンリァの素早さで内部に侵入、それを追うであろうルイと全員で対抗し、内部に侵入しながら騎士団とアレイの到着を待つという作戦を選んだ。



だがやはり、そう簡単に戦いは思い通りにはならないもの。
幸いだったのは、何故かルイと対峙することがなかった。彼女から戦いを放棄したのだ…彼女は侵入者排除というサバトの番犬の使命より、ヒショウを選んだのだ。

そして不幸だったのはそのヒショウだ。
もうほとんどが終わった、終戦は目の前なのに、サバトの実験に巻き込まれて理性を失ったヒショウと、それを守ろうとするルイと対峙する羽目になったのだ。



「……。」
シェイディは階上の柱に隠れ、激戦が繰り広げられている最下層広場を見下ろしていた。
中心で戦う仲間達だけではなく、騎士団の動きの隅から隅まで。
それが彼の仕事、仲間を気遣う暇はない。
彼がこの戦いのすべてを操り、望む未来へ導かなくてはならないのだ。

彼の頭は実に冷静であるのに、拳は知らず知らずのうちに固く握り締められている。
アレイが恐ろしい敵と戦っている、ヒショウが皆に武器をむけられている、ルナティスが泣きそうになりながら彼の攻撃を受け止めている、仲間同士争っているも同然。
それでも、シェイディはすべてを客観的に見て判断しなければならない。

心が痛まないわけではないのだ。
それでも、その心を見ないで、彼はただ戦いの行く末をどこまでも見ている。





「っ、っ、っ」
悲鳴を上げる暇さえない。
目の前でヒショウが信じられない腕力を奮って、首の肉を毟り取ろうとしてくる。
しかも早い。
それでもルナティスが辛うじて受け止めていられるのは、彼が単調な動きで同じ急所しか狙わないから。

首。
もっとも迅速かつ楽に敵を殺せる急所だ。
理性を失ったヒショウがアサシンとして体に染み込ませた“殺人”技術の最たる部分だ。
そう、ヒショウは冷静な知性は失ったが間違いなくルナティスを殺そうとしている。

ヒショウはすぐに両脇から切り込んできたレイヴァとギドに阻まれて一度左後方へ下がった。



その下がった先で彼の体は一瞬痙攣した。
潜んでいたシンリァの刃物の先がヒショウの背中から貫通し右胸を突き破っていた。
ルナティスは悲鳴をしゃくりあげるように飲み込んだ。

「ガア゛ア゛ア゛ア゛゛ア゛アア゛!!!!!」
沈黙が流れるまもなく、獣じみた咆哮を上げてシンリァを振り払う。

すぐに突き刺した得物を抜いて下がろうとしたが
「?!」
抜けない。

「うあっ!!」
鈍い衝撃音、短い悲鳴をあげてシンリァの体が吹き飛んだ。

「シンリァ!!」
「大丈夫!!」
ルナティスが呼ぶ声に、シンリァは床を転げながらもすぐに答えた。
だが起き上がらないのは、どこか痛手を負ったに違いないからだ。

「っぎぃい!!あああああ!!!」
痙攣しながら床にうずくまったヒショウが叩くたび、石の床が削れていく。
刺された胸の傷が痛いのだろう。

だが奇妙なことに、血が流れたのは刺してすぐだけで、今ではそれもとまり胸に短剣をくっつけたようになっている。

『…発達して常にフル稼働している筋肉が短剣を締め付けて傷口に強く蓋をしている状態だ。』
シェイディが隙を見計らい、ギルドチャットでそう説明した。
『つまり、彼の体の中で血も激流してる。今のヒショウは攻撃力はあるがその分、簡単に失血させられる。』
それを聞いても、よかったと安心なんてできない。

仲間なのだ、全力で切りつけることはできかねる。
『だが余裕はない。時間がたてば段々とあの番犬のようになっていくかもしれない。』
『番犬のように、って…?』
ルナティスがシェイディに聞く。

『アイツは切っても出血してない。そう簡単に肌すら傷つけられていない。
ヒショウは今、体の機能だけが強化されているようだが、ルイのようになれば
体の組織そのものが強固になって、傷1つつけられなくなる。』
最後に「かもしれない」とつけなかったのは、危機感を募らせ早く皆に終わらせるためだ。

『放っておいてもエネルギー切れになるだろうが、早く終わらせてやれ。失血させればすぐに動かなくなる、飢えも感じなくなる。』
シェイディの“飢え”という言葉でピンときた。
シンリァが短剣を突き刺す前からかすかに思っていた疑問があった。
なぜヒショウはこんなに苦しそうにしてるのか。

痛みに呻く感じではない、喉が渇いて暴挙に出ているように感じた。
渇いている、飢えている。
何に、と思えば察しが付いてしまった。
ルイと同じ、つまり血肉。

ふとシェイディの先ほどの言葉を思い出す。
『…発達して常にフル稼働している筋肉が…』
『放っておいてもエネルギー切れになるだろうが』
『失血させればすぐに動かなくなる』
ヒショウが吸血鬼になった、食人鬼になったなんて馬鹿な話があってたまるか。

そうじゃない。
要は火事場の馬鹿力になってるだけだ。
ただそこに立っているだけで、彼自身が制御できないほど力を発揮し続けているだけ。
シェイディも彼を半殺しにして動けなくさせろと言っているんじゃない。

『シェイディ、要はヒショウを酸欠にさせればいいのか。』
『へ?』
突然ルナティスが話しだし、ギルドチャットで会話が聞こえていたウィンリーが一瞬声を漏らした。
『それでも可だ、相変わらず勘がいいな。』
シェイディが即座に返答してくる。

人間が動く上で必要不可欠な要素、血つまり酸素。
それが恐ろしい速さで消耗されているのだ。
今のヒショウもいずれ限界が来る。

「っ、!!」
パキン、と不吉な音がした。
皆を率先してかばい、ヒショウの攻撃をうけていたレイヴァの両手剣が折れた。
ヒショウを気遣い、刃を立てずに刀身の腹で受けていたせいだ。

一気に不利になった彼をサポートする為にギドが飛び込む。
だが彼はレイヴァとヒショウにはさまれる状態で、その素早さが生かせない状態に陥っている。

カタールが片方弾かれる。
ギドは防御より攻撃に転じて身を守る判断をした。
弾かれた腕でカタールを捨てて、ヒショウの腕を受け流した。
そして腹に残ったカタールの片方を突き刺す。

「っ!」
その直前に、ギドはすでに彼の胸に刺さっている短剣の刃を見て、しまったと思った。
ヒショウは攻撃には怯まない、攻撃は防御にならないということを思い出した。
そして貫通する傷を負わせればその体から簡単に得物は抜けなくなる。

中途半端に腹に突き刺さったカタールはそのままに、ギドはレイヴァも巻き込んでバックステップした。
だが腹にカタールを刺したまま彼はこちらに手を伸ばしてくる。
「くっ…」
ギドは両手を失う覚悟をしながら首を腕で庇った。


「!」
だが攻撃はギドに届かなかった。
踏み込みが甘かった。
そして一瞬遅れてしまったが、左脇から飛んできたウィンリーの矢を後退して避けた。
だがそれも遅れて足に矢が一本刺さる。

彼の体に痛々しく刺さる武器を見て、ルナティスは叫びだしたくなるのをこらえていた。

「…彼は視覚障害でもあるのか。」
突然ギドがスペアの武器を取り出しヒショウに切りかかる直前に誰にともなく聞いた。
答えなかったが、答えは否だ。

だがルナティスはそれを聞いて思いついた。
「……もしかして」
それはサバトに来る前に、崖から落ちて大怪我を負ったときのこと。
医者が『身体や視覚や思考か、どこかしら障害が残る可能性がある』と言っていたのだ。
むしろ五体満足で健康でいることの方が難しいと。

失明したわけではないようだが、もしかしたら片方失明、もしくは視力低下しているのかもしれない。
そう言われると、暴走しているせいかと思ったがヒショウの踏み込みがやたら雑だ。
間合いが正確でない。つまり片目が見えていない。
目は両目揃って初めて距離感を認識できるものなのだから。

ならば彼が視力を失ったのはどちらの目か。
ルナティスはあせる思考を唇を噛んで沈め、彼の戦い方を思い出す。


ギドとレイヴァに両脇から攻撃された時後退した方向…左後方。
ウィンリーが矢を当てられた方向…左足。
そして顔は常にやや左下に向けている。

左目だ。
左が見えないから、右の攻撃に敏感に反応してやや左へ後退した。
そして左からの攻撃に反応が遅れている。

「ギドさん、ヒショウの右手を、レイヴァは反対の手塞いでくれ!」
ルナティスが叫んで、法衣を脱ぎながら走る。
迂回してヒショウの左後方へ。

指示されるとすぐに行動に移すのは条件反射なのだろう、ギドはすぐに素早く彼の右手に掴み掛かり後方に回って拘束した。
ただし拘束したのは本当に右手のみ。
すぐに屈み攻撃しようとするヒショウを咄嗟にレイヴァが左手にしがみついてとめた。
左が見えず疎かになるからこそ、辛うじてその手にしがみつけたのだ。

「ヒショウ足癖悪いから気をつけろよ!」

ルナティスがそう叫ぶが、すでに彼はギドの膝をけりつけていた。
咄嗟にそこを蹴られるのは防いだが、その代わり脛を蹴られて寒気がするような音がした。
脛が折れたかは判らないが膝の関節が外れたのは確かだ。
それでも倒れるのを堪えて彼は捕らえた腕を放さなかった。

「っ?!」
ギドが視線をヒショウに戻すと、彼の首や顔に黒いものが巻きついている。
プリーストの法衣だ。
ルナティスが彼の首に巻いた法衣を掴み、彼の背に足をかけて引いている。

「僕に、SMの趣味はないけど、ね…!」
「っ…、っ!!、っー!!!」
声にならない声を上げてヒショウが暴れる。

「絞めすぎちゃうから暴れるなよ!」
怒鳴りつけるがそれでおとなしくなるはずもない。
だが時期に動きは弱弱しくなり、彼は膝を折った。

殺すのが目的ではない、ルナティスはすぐに彼の首に巻いた法衣を解いた。
脈や呼吸を確認して一息ついたのを見て、彼が無事であることはすぐにわかった。

「…このままで大丈夫なのか。」
『ヒショウはそれで大丈夫だ。』
その言葉に、ルナティスは息を吐いた。

「大丈夫だって。」
シェイディはギルドチャットで話している為、聞こえていないギドにルナティスが通訳した。

ボロボロになってしまったヒショウを労るように彼の髪を撫で、そっと体に触れた。
そしてしばし言葉を失った。
気を失っているはずなのに、体が硬い、まだ力が抜けていない。
意識がない時でさえ体は全力を発揮し続け、だから発達もし続ける。
強固な兵器になっていく。

『†インビシブル†の仕事はここまでだ、ヒショウをつれて撤退し、メルフィリアと一緒に病院へ行ってくれ。』
『…ヒショウ、病院に連れて行ったとたんに暴れだしたりしないか?』
『意識がない内に貧血症を直しておければ大丈夫だと思う。一応拘束はしておいてくれ。』
『分かった。』
ルナティスは人数分の蝶の羽を出し、握りつぶした。



「シンリァ、動けるか。」
「大丈夫よ。“仕事”はまだできる。」
だが打撃をうけた肩から手を離さない様子から、折れているとすぐに分かった。

「ギドは。」
「…悪い、手を貸してくれ。足を治したい。」
そう言うギドの足は膝から不自然に曲がっている。

シェイディは彼の膝とすぐ下を掴む。
目で合図して、グッと捻った。

「――ッ!!」
ゴリッと嫌な音と感触。
外れた膝の関節を元に戻したのだが、ギドはしばらく激痛に呻いていた。

「…脛はどうだ。」
「骨まではいってない。」
ギドは答え、立ち上がる。

「さて、早く終わらせて皆のところへ戻りましょう。」
シンリァが肩を手で庇いながら立ち上がる。
「あら、シェイディはもう戻っていいんじゃ?」
「…最後まで皆に押し付けて安全なところにいるのは気が引ける。」
「らしくないわね。」

真剣な顔でいうシェイディを子ども扱いして頭を撫で、シンリァは笑う。
「信用して。シェイは私達に巻き込まれただけなのに、ずっと守ってくれた。」

「参謀だけじゃないが、返しても返しきれない恩がある。絶対に成功して終わらせる。」
ギドが唇に薄く笑みを浮かべ、シェイディの肩をたたいた。

「…分かった。一週間後、また会おう。」
「「了解。」」
シェイディは蝶の羽を取り出した。

だがそれを握り潰す前にアレイを見た。
リサの支援を受けながら未だルイと交戦中だ。
ヒショウがやられてからルイが更に凶暴化してこずっていたが、それでもリサの支援のおかげでずっと持ちこたえている。

『…待ってる。』
WISで戦うその後ろ姿に声をかけ、手の中の蝶の羽を握りつぶした。














アルデバランには雨が降り続いていた。
空は淀み一向に晴れそうにない。

「…なんかすっぱいもん食いたくなってきたなー。」
「……。」
「病院食、飽きねー?」
「味を感じない。」

マナとヒショウは元はシングルだったのをくっつけてダブルにしたベッドで並んで食事をとっている。
二人とも重患ということで絶対安静なのだが、マナが暇だと言って勝手にベッドをくっつけたりヒショウに蹴りを入れたりして遊んでいる。
そんな気楽にしているマナだが対照的にヒショウはずっと深刻そうな顔をしている。
彼は事態を把握していない、まだ思い出させてはいけない、理解させてはいけないと常に鎮静剤を入れているからだ。
それでも、自分の身に起きている異常な事態だけは理解できる。

指を使えないように人差し指から小指までを固定。
食事やトイレ以外は常にベッドに体を拘束されている。
寝るときは口にやわらかい布を入れられる。
絶対安静だからとこの病院の医者やマナ達は言うが、どこも痛くはないし怪我もしていない。

「味が分かったって美味くもないしつまらねーぞ。」
「……全部、ただの味のないゼリーみたいだ。」
「病院食なんてそんなもんだろ。」

マナの様子はいつもと変わりない。
それでも、ヒショウ自身はいつもと違う。
その矛盾に不安を感じる。

「…マナはなんで、そんなに傷だらけになってるんだ。」
「ストーカーとファイティングしたから。」
「じゃあなんで俺は」
「そのストーカーに呪われたから。」
それは嘘だとすぐ分かる。

「深く考えんなよ、私だってよくわかんねーし。でもまーここは信用できる病院だし、病院ならそのうち退院できるさ。」
「……。」
なんとなく、マナと話していると安心してしまう。
そうか、と納得してしまう。
でもそれではいけないと、なんとなく思う。


食事を終えて、特に何をするでもなく二人で天井を見上げていた。
こうして天井を見上げるばかりの時間は丸3日。

分からないことばかりだ。

拘束され腕に2本の点滴をずっと刺されている。
だが隣にいるマナはそれをされていないのに、ヒショウと一緒に横になったまま。

そしてこの3日二人ともまったく寝ていない。

「…マナ、眠れないのか。」
「お前だって寝てねーじゃん。」
「だがマナだけやつれてる。」
「あーやだなー。痩せたいけどやつれたくはねーなー。」
「はぐらかすな。」

隣を見ると、彼女は苦笑いしている。
だがどこか泣き出しそうな顔。

「…俺も人のこと言えた状態じゃないが、もう3日も寝てないだろ…。」
「5日だよ。」

話している最中にポツリと呟くものだから、一瞬聞き逃した。

「…5日?」
「そ。お前が起きるまでの2日、私も鎮静剤打たれてたんだぜ。」
「…この点滴は鎮静剤か。何でだ。」
「うちらがこれなしだと正常じゃいられない状態だったから。」
「…その割に、頭はすっきりしてるが。」
「だんだん免疫ついて効かなくなってきてんだよ。」

そう知ると腕に刺さっているものが少し恐ろしく思えてくる。
だがそれよりも気になってくるのは、やはり何があったか、だ。

「…教えてくれ、何があったんだ。」
「そのうち嫌でも思い出す。」

マナが寝返りをうち、ヒショウに少し近寄った。

「…私とお前が抱えてる問題は全然違う。
お前もその点滴に刺さってるものがなくなったらいろいろ悩むだろうけど…
それまでちょっと傍にいてくれ。
お前が思い出すまでに、私は私で整理つけとくから。」

マナらしくない、縋る様にいってヒショウの掛け布団を握り締めている。
彼女も彼女で不安だったのか、だからこんな風にベッドをくっつけてきていたのか。



「………明日…結果が分かるんだ…私の、結論が出る。」
マナの突然の呟きはあまり小さく、雨音にかき消されそうだった。

「もし最悪の結論だったら……」
彼女の目は前髪に隠れて見えなかった。



「私、死にたくなるか、殺したくなるから…ヒショウ、止めてくれよ。」

彼女の心に何があるのか分からないが、ひどく黒くゆがんだものが見えた気がした。
ヒショウをベッドに縛り付けている分厚い皮のベルトを掴む。
まるで誰かを殺すのを思い描いて、凶器でも手にして震えているように見えた。

不安の闇も空の雨雲も晴れないまま、時間は過ぎて、日も過ぎていく。







だが亀裂は 唐突に訪れた。