「はいはい、お待ちどうさまー。」 朝ながらも活気のある食堂に一際元気な声と元気な笑顔が割り込んでくる。 高窓から差し込む朝日を受けて、色素の薄い緑がかった金髪が光る。 本来はプリーストの法衣をまとっている男だが、今は白いシャツにエプロンを巻いてテーブルとテーブルの間を駆け回っている。 その両手には食器が乗った大きいトレイ。 「おーい、朝食頼むー」 テーブルに座った男が声をかけてくる。 別の客のテーブルに料理を置きながら、そっちを振り返った。 「あ、じゃあテーブルの端にその赤い棒立てておいてくださいねー。そっちの黒髪の人が注文聞きにいきますからー。」 そういって、手元の料理を配る作業に戻っている。 そしてまた注文された料理を取りに厨房に戻りがてら、客と2,3話しながら食堂を駆け回る。 そんなに広い食堂ではないのだが、盛況しているというのに店員はその青年と黒髪のがもう一人だけだ、忙しくもなる。 「あ、ヒショウ。料理運ぶのはやるから注文とテーブル整理やってくれ。」 「もうやった。」 「じゃあ休んで。」 「……。」 休めとは言うが、もう食事を終えた客が置いていった食器の片付けや料理を運ぶ仕事は残っている。 なのに黒髪の店員―ヒショウにはそれをやらせてもらえない。 彼は片目の視力を失った、遠近感が失われているということは人や物にぶつかりやすかったり、物を落としやすいということ。 だがそんなに対して危険ではない。 危なっかしく仕事をするな、ということではなく大変だろうという純粋な気遣いなのだろうが、過剰だとヒショウは思う。 「誰だ僕の尻触ったのは!!500zenyよこせ!!」 「ルナティス、煩い。誰が触るか。」 騒ぎ立てたルナティスの後ろ頭を伝票で叩くと一際大きく笑い声があがった。 ヒショウが注文を頼まれていたブラックスミスはその中で盛大に笑っていたので彼が笑いやむのをじっと立って待った。 少しして彼は軽く謝ってやっと注文してきた。 「なあ、アンタ。」 去り際に声を掛けられ引きとめられる。 「確かそこの金髪のと、ペアで冒険者やってたよな?露店で見たことあるんだが…。」 予想外のことを言われて一瞬言葉に詰まった。 「…はい。」 「やっぱりか。まあ民間人にしてはちょっと体つきも違うしな。兼業かい?」 「まあ、そんなところで。」 普段たるみきっている表情筋を使って笑んだ。 「ふーん、楽しんでるんだな。」 彼のその言葉には嫌味などこれっぽっちもなく、そう言う彼自身が楽しそうだった。 露店商人ならきっと買ったものからルナティスとヒショウのレベルくらい検討は着くだろうし、二人のレベルなら生活費に困るようなことはない。 武器を買いたい、より金がほしい、というならこんなふうに町の仕事をするのは二人には不釣合いだ。 用心棒や賞金稼ぎや、むしろ普通に冒険者として狩りに出たほうがよほど効率がいい。 それをわかって、趣味の一環でやっていると彼は思ったのだろう。 本当はこうせざるを得なかったのだが、それでも楽しんでいるのは事実だ。 またヒショウは笑みを作って、彼に頷いてみせた。 それは数週間前にさかのぼる。 「俺の目の前から消え失せろおおおおお!!!!!!!!!!」 朝からこじんまりとした屋敷に絶叫が響き渡った。 それと一緒に爆発音。 「お、落ち着いて下さいマスター!」 セイヤ、メル、ウィンリー、レイヴァが狂犬の如く暴れようとするシェイディを押さえ付ける。 それを温かい目で見守るマナやゴーストのメンバーと、怯えた目で見るルナティスとヒショウ。 何があったのかと言えば… 昨晩客からの呼び出しを断ったヒショウと、一緒にいたルナティスが離れの部屋で何をしていたかというのは想像に難くない。 それはつまり、同性愛に偏見をもつシェイディが認めたくなかった事実を目の前に突き付けられたも同然の状況だった。 それに嫌悪していたシェイディが、いざ二人を目の前にして冷静さを保てなくなったというわけである。 「ヒショウはまともな奴だと信じてたのに…っ」 二発めのハンマーフォールは仲間達に遮られ不発に終わり、がっくりとうなだれた青年は 弱々しく呟いている。 「…す、すま」 「ヒショウ!謝る必要ないから。」 ルナティスは条件反射で謝りかけたヒショウを遮る。 「僕とヒショウの間は絶対だからな!いくらシェイディでも邪魔は出来ないさ!はっはっはーそんなに嫌だったら僕とヒショウを引きはがしてみせろおこちゃまマスターめ!」 そんなことを言いながら隣のヒショウの肩を抱き寄せる。 その様子を見てシェイディの巨大ハンマーが1.5倍に拡大された、ように見えた。 「っっっ……」 だが皆に好奇の目に曝されるのは堪えられなくなったらしく、ヒショウがルナティスの腕を引っつかむと盛大に背負い投げ飛ばした。 「ぎゃふっ」 そこにバッターよろしくシェイディのハンマーで飛ばされ、床に転がった。 ナイスコンビネーションだ。 「…調子に乗るな、自粛しろ。」 「酷いヒショウ…僕とのペアの時にもないような連携プレイしてっ」 肩を落として泣き崩れるルナティスを、ヒショウとシェイディが同じような冷ややかな目で見下ろしている。 「…相変わらずのツッコミ体質、変わって無いな。」 「…お互い様だ。」 シェイディがいい、ヒショウが答え、二人は揃って肩を落とした。 「ま、少し暴れてすっきりした。」 久々に会った友人は変わっておらず、昔と同じようなことをしたことで落ち着きを取り戻したのだろう。 シェイディは武器をしまった。 「それに、ホッとした。」 「?」 「ヒショウとルナティスが本当に目の前でムカつくくらいべたべたいちゃつきだしたら二人を殺さずにいる自信がなかったからな。」 自然と口に出すあたりが恐ろしいと思って、皆シェイディから一歩引いていた。 「勘違いしないでくれ。いくら俺でも、人の気持ちまで文句を言うつもりはない。 ただあまりにも変わったアンタらを見たくなかっただけだ。」 シェイディの苦笑いするその様子を見て、ルナティスが笑いながら起き上がった。 「生まれたときから一緒にいるような僕らだしね、関係の認識が変わったくらいでそんなガラリと変わったりしないよ。」 「そうだな。ルナティスが馬鹿な限り俺も変わりようがない。」 「まあ、あれだ。浮気したら僕は即心中に持ち込んでやるけどね。」 ヒショウの馬鹿発言で一同に浮かんだ笑みのまま、ルナティスの問題発言がその場をストームガストよろしく凍らせた。 「あ、あの…」 どたばたしていたのに突然凍った現場を少し離れたところから見守っていた人物が、おずおずと声をかける。 むしろ凍ったからこそやっと声がかけられたというところか。 その声の主を見た瞬間、ヒショウが目を見開き、僅かに身を強張らせた。 「ウォルス…」 今回の件でヒショウをサバトへ追いやり、しかし助ける手助けもしてくれたという、二人の幼なじみその人だった。 「悪かったな。その、一晩も待たせて」 「いや、ゴーストのリーダーと話したいこともあったから、全然。」 ヒショウもウォルスも、互いに後ろめたいのだろう。 気まずげに向かい合う二人。 その脇に、ずっと睨みをきかせてるルナティスが空気を更に重くしているような気もする。 「ルナティス、さっきからうざったいんだが何してるんだ」 「見張り」 「そんなもの要らない」 「要るよ」 「っ、お前な!」 険しい顔してそこに居座るルナティスに、あからさまに「ウォルスを信用しない」などという態度をとられてヒショウは困惑した。 「いいんだ、僕はルナティスに疑われても仕方ない。」 ウォルスが苦笑いしてヒショウの叱咤を止めた。 「でも……ルナティス、彼はちゃんと俺を助けるのに協力してくれただろう…まだ俺を裏切るなんて疑うのか。」 「そんなことはどーでもいい」 ルナティスの返答に、一同は一瞬言葉を失った。 「俺が心配なのは、ちゃっかりヒショウを口説き落とそうとしぐぶあ!」 最後まで言う前に、その頭を下に押しつけられて木のテーブルとのキスに遮られた。 「ウォルスをお前と一緒にするな馬鹿者」 「……………変わったな、二人とも。」 先ほどシェイディたちと「変わらないな」と話していたところだが、その更に昔からのなじみは反対のことを言う。 それだけサバトから逃げたということは二人には大きな転機であったことが窺えた。 言い知れずウォルスは寂しさを感じた、この二人との間に大きな壁があるように思えたからだ。 だが同時に期待でもあった。 その壁がサバトの存在であるなら、今はウォルスもその壁を越えたことになる。 これから変われる。 一瞬沈んだ心はすぐに浮き上がった。 「ヒショウ、ずっと気になってたんだ」 「ん?」 テーブルに額を押し付けられたままでもがくルナティスをそのままに、顔だけウォルスの方に向けた。 「俺を庇ったまま崖から落ちて、酷く負傷しただろう。」 「ああ。それなら殆ど跡はない。」 服を着ていて見えないが、大丈夫だと示すようになんとなく片腕を挙げてみせる。 「ルナティスに聞いたが、後遺症が残るかもしれないと」 「気にするな。」 気にするな。 何も無いから大丈夫ともとれるが、そうじゃないとも取れた。 それを言うヒショウを思って、ルナティスは分からないように前髪の下で視線をヒショウに向けて眉をひそめた。 彼は分かっている。 「気にするな」と言ったのは「後遺症がない」という訳ではないということを。 「お前が、気にすることじゃない」 もう一度彼が続けて言った言葉に、ウォルスが息を呑んだ。 それは彼一人だけではない。 ヒショウは自分の体のことを誰にも言っていない、隠していたのではなくまだ特に言う機会がなかっただけだ。 ルナティスは戦いの中で彼の違和感を感じ、大方見当がついているが。 それでもルナティスもヒショウから直接聞いたわけではないのだ。 「…症状は?」 ウォルスの表情が泣きそうに歪むのを、胸を締め付けられる思いで見ていた。 そんな顔をさせたくなくて本当は「何も無い」と言いたかった。 きっと少し前のヒショウならそう言っていた、皆にもずっと隠していたかもしれない。 けれどそれは優しさではないと気付いた、人への嘘は自分の保身の為につくものだ。 「…左目が見えなくなった。」 「……っ」 それは前衛職の、しかも早さと回避を特化とする者にとっては致命的だった。 「あとサバトのあの実験を受けてから、左半身が鈍くなってきてる。」 それは前衛職に限らず… 「えっ」 そこまではルナティスも気付いていなくて、思わず目を丸くした。 「鈍く、って?」 「感覚が薄い。痛み無く痺れている感じだな。」 何事でもないように坦々と報告するヒショウと反対に、ウォルスの顔がどんどん青ざめる。 「ウォルス」 叱咤するでもなく、慰めるでもなく、ヒショウの声はまるで何事もないかのようだ。 「ハンデがあっても生活に困らない程度に狩りはできるだろうし、冒険者じゃなければ生きられないわけじゃない。」 苦笑いする様子にはいっそ余裕さえある。 それくらい、今の彼にもどうでもよく思えたことなのだ。 「そんなことよりも、俺にはお前や皆が大事だ。」 「……。」 「お前がここにこうしていてくれてよかった。」 そこだけは、強く言い聞かせるように。 自分の望みを強く伝えて。 一度全て失おうとして、そしてここへ引き戻されて分かった。 ウォルスが大事だった、友人だったから憎まれる視線が怖くて他の一切を捨ててでもその視線から逃げたかった。 けれど最後には、ルナティスに引き戻された。 そして分かったのは、昨晩のことだ。 自分が求めていたことは、誰かに恨まれるのが嫌だったんじゃない。 誰かに感謝されたかったわけでもない。 本当は… 「も…お互い、謝るのはやめよう。」 もう十分に、お互い傷付け合い、助けあいもした。 もういいだろう。 自分がルナティスに言われ、最も心安らいだ言葉を、ウォルスにも。 「どうかこれから、一緒に生きて欲しい。」 誰かを求め、誰かに求められたかった。 それはルナティスがいる、皆じゃなくてもいい。 一緒に生きて欲しい、その関係を絶ちたくは無い。 それは全ての人間じゃなくてできるだけの人でいい。 自分はあまりに完璧を求めすぎていた。 どこか遠くを見ていて、手元を見落としていた。 今この部屋の中にはギルドメンバーやゴーストの、自分の為に戦ってくれた人達が居る、隣にはルナティスがいる。 自分はこうして人と人の間に生きている、生きていられる。 それで十分だった。 だから目の前にいる、先日まで恨まれていると思い切っていたウォルスが微笑んでくれた。 それはもっと幸福なことなのだ。 「アスカの治療法を探す。」 「……ありがとう。だが狩りができないほどじゃないんだ、無理しなくていい。」 「それでも、俺が探したいから。」 「分かってる。でもそれだけに没頭するな。」 「ああ。」 ウォルスは強く頷いて顔を上げた。 「俺が持っているのはどうせ不正の冒険者証だから、ちゃんと正式なものを取って、師匠のところで勉強する。」 「そうか。」 幼馴染がしっかりと夢をもったことを、ヒショウは素直に喜び笑顔を向けた。 それはヒショウではなく、アスカの笑顔で… 「ルナティス」 ルナティスが独占したがっていた笑顔で、ヒショウが笑っているのも、ルナティスが鬼のような形相でウォルスを睨みつけているのも、なかなか見られない珍妙な光景だった。 |