ルナティスは実に不機嫌だった。
自分だって同じ場所で育った仲間だと言うのに、ウォルスとヒショウは部屋に篭り昔話に華を咲かせている。
決して鮮やかな華でも、穏やかな華でもない。
明るいとは言えない過去と、その中に点在する心に残したい思い出だけを拾い集めるような、そんな談話を交わす。

そこに確かにルナティスは不要で、いても何もすることはないだろうが。
それでも、やはり不安なのだ。
あの孤児院いた子は皆ヒショウに友情以上の信頼を寄せていた。
それが今になって邪ものにならないとも限らない。
ルナティスのように。

「………。」
考えていたら喉が渇いた。
小腹がすいた。
何か作って、ヒショウ達にも差し入れしてついでに様子を伺おうと思い立った。


「………あ」
キッチンには先客がいた。
流しに寄り掛かり、コップで水を飲んでいたらしい。
ここ最近で随分やつれてしまったこのギルドの副マスター。
そしてルナティスの…

「……マ、マナ…」
「おう」
呼ぶのを渋ったのは、それ以外に正しい呼び方があるのではと思ってしまったから。
もう彼女が自分の実の姉だと、確信しているから。

「…水飲んでたの?」
「見ての通り」
「……。」
「……。」

「…場所、借りるよ。」
「なんか料理すんのか。」
「ああ、ヒショウ達にお茶菓子と思って。……マナ、も食べる?」
「いや、いらね。」


「……。」
「……。」

気まずいのはお互い様らしい。
居心地の悪さを感じながらルナティスはキッチンの引き出しを探りだす。
それを横目に見てから、マナがキッチンから出て行こうとした。


「マナッ」

気付けば咄嗟に呼び止めていた。
言いたいことなんか分からない。
けれど、ここで何も言わなかったら、何も話さなかったら、ずっとずるずる引きずってしまいそうな気がしたから。

「………紅茶、入れるから。飲みながら少し話さないか。」
どこか虚ろな目をしたマナは、しばらく黙っていた。
ルナティスと、目を合わせようとしない。

「……紅茶はいらん。酒で」

やっとそれだけ言って、マナはキッチンを出て行った





簡単なパウンドケーキを作ったが、その間にヒショウ達に差し入れようと思っていたことをすっかり忘れていた。
少し多めに二人分を作って、すっかりマナと何を話せばいいかで思考がストップしていた。、
だが結局何も浮かばず、あっという間にケーキとワインがテーブルに並んだ。

「…こんな風に酒を飲みながら」
マナが不意に呟いた言葉に、耳が過剰に反応した。
「ヒショウをどうやってオトすかとか、話ししたことあったな。」

とくに自分達が姉弟であるということに触れた話ではなく、ガクッと肩が落ちた。
「…そうだな。」
「あん時はお前が弟だとは思ってなかったからな、思いっきり同性愛者の道に引きずり落としたな。」
いきなり姉弟であるということに触れた話になり、また肩が落ちた。

「……っ、い、今更反対しようとしても無駄だからな!」

「しないって。」
「……なら、いい。」

マナは体力的にも憔悴しているせいで、会話にいつもの切れがなくて少し調子が狂う。
20年近くずっと探していたという弟と対面しているわけだから、緊張してるのか
それともいつものようにルナティスをただの仲間として見れなくて混乱しているのだろう。

彼女は長い髪をうっとおしそうに指でとかして背中に流した。
そういえば瞳の色はよく似ているのかもしれない。
髪色は同じ金でもマナは淡いクリーム色でルナティスは緑がかった金で若干異なる。

そういえばよく似ていると言われていた。
見た目も少しあったのかもしれないが、しかし似ているのは性格とか雰囲気のことだったと思う。
それに、まさか血のつながりがあるだなんて、天涯孤独と思っていた自分と姉弟だなんて思いつくはずがなかった。


どうすればいいか分からない。

「飲まないのか。」
そう言ってマナは自分のグラスに注いだワインをルナティスの方に突き出してきた。
「ん……ああ、貰う。」
一応持ってきていたもう一つのグラスを手に取ると、マナがワインを注いでくる。

どうせ安物だからと大して味わうことなく飲みこむ。
少し希望を持っていたことだが飲み込んだ瞬間に悟った、酔えない。
酔った勢いでこの場をなんとかできないかと思ったが、緊張のせいか酔えそうにない。



「お前さ、母さんのこと…何か覚えてるか。」

マナの質問にただ首を横に降る。
彼女は落胆した様子もなく、そうか、とだけ返してくる。
母は弟を産んですぐに死んだ、それはアイヴから聞いていたから知っていたはずだ。
あまりに彼女らしくない、分かりきった質問だった。

「……マナは、覚えてるだろ?」
「うろ覚えさ。」
「どんな人だった?」

聞けば彼女は視線を赤いグラスに落とした、両親の姿をその中に映しだそうとするように。

「…父はブラックスミスで、母はプリースト。村や街に寄り付かず、森の中で近くの集落に作った武器や日用品を売って暮らしてた。
二人とも冒険者登録はしてないしそんなだから貧しかった。」
「…幸せだった?」

それはマナが口にするのを躊躇った言葉だろう。
同じ血を受けながら、ルナティスには与えられなかった環境なのだから。
でも、嘘をついても仕方がない。
そう思い、マナは頷いた。

だがルナティスはそれに胸を痛める。
彼女が幸せな時を持っていたことを羨んでではない。
その幸せが無情に打ち砕かれたことを哀れんで。

始めから持っていない者より、持っていたものがそれを失う方が傷は大きい。

「…大変だったな。」
「散々な目に遭ってたお前に哀れまれてもな、自分が可哀相に思えん。」
「僕には、ずっとヒショウがいた。」

ずっと彼女は弟を心配していただろう。
酷い目にあっていないか、泣いていないか、殺されていないか。
一般的に見てルナティスは酷い人生を歩んだ部類に入るのかもしれない。
けれど、不幸ではないと本人は胸を張れる。

「…母親のことは残念だったけど、でも僕自身は幸せだった。」
「そうか…なら…」

自分が生きている、弟は生きていた。
その事実だけではやはり彼女の傷は癒えないか。
ずっと心の奥深くにあった心の傷を、また今回抉り出してしまったのだ、そしてアイヴのこともまた傷になった。

何も言えない。
これが赤の他人だったら、なんとでも慰めの言葉を言えるのに。

「…そういえば、お前の名前」
「うん?」
「なんで“ルナティス”なんだ。誰がつけた?」

突然なんの話かと思えば。
けれど話題を変えてくれるのはルナティスとしてもありがたかった。
あまり、良い話にならないのは目に見えていたが。

「lunatic」

-狂気的な-

「って、サバトの人間が言ってた。」
「……。」
「皮肉って、僕によく似合うって皆口をそろえて言ってた。」

「…それな」

間をおいて、マナが何故かため息混じりに言う。

「多分、本当の名前は“ルナ”だ」
彼女が言う意味が分からず、首をかしげた。
「勝手に付け加えて妙な名前にしてくれたみたいだけどな。」
「…なんでルナ?」
「私が考えた。」

あまりに唐突で、目を丸くした。
マナが考えた?
いつ?

「お前がまだ母さんの腹にいた時にな、名前…何がいいかって聞かれたんだ。」
「それで、ルナ?」
「深くは考えてなかったが、“マナ”と似た名前にしたかった。お前の名前聞いて思い出した。」
「………。」
「こっちは思い切り妹と思って考えた名前だったけどな、母がくれたマナって名前、意味合いが好きだったから妹にもいい意味合いのをと思って、御伽噺の本をひっぱりだして頭ひねったもんだ。」

「……弟で残念だったね。」
言えたことといえば、そんなこと。
唐突過ぎて、本当の名前だとか由来だとか、聞いても自分がそれに対してどう思っているか理解できずにいる。
「まーな。男でルナだったらいじめられたかもな。」
マナの返事もそんなものだった。

けれど


ずっと、忌まわしいものに思えたが嫌いでも好きでもなかった名前が
急にとても大切なものに思えた。
本来の形とは違ってしまったけれども、それでも微かにつながりを残していた。
皮肉に書き換えたつもりだろうが、それでも元の形を少しのこしてくれていたことに感謝した。

そして
「…ありがとう。」
付けてくれた姉に、感謝を。

「……。」
目を丸くしてこちらを見たが、照れくさそうにそらしてしまった。

ああ、分かったかもしれない…彼女が傷を生める方法。
こうやって少しづつ、マナと“家族”に戻れれば。
もう自分ひとりしか残っていないが、それでも少しずつこの絆を大切に育てていければ。

「ところで、マナ。」
「なんだ。」
「姉さんって呼んで欲しい?」

パウンドケーキを口に含んだマナは微妙な顔をした。

「…いきなり呼ばれても違和感だらけだ。慣れたら…。」
微妙な顔のまま、困ったように言葉を濁らせてワイングラスを口に運ぶ彼女の姿がなんだかおかしかった。

彼女がワインを口に含んだ、その瞬間を狙ってみた。

「…お姉ちゃん」
「ぶふっ!!」



マナが拭きだしたワインの掃除と、マナに一発殴られた。
けれどこうやって冗談でも呼べるなら、そのうち自然と呼べるようになるだろう。
それはきっと、とても幸せなことだ。