外がすっかり明るくなった晴れの朝。

広い大人数用の部屋にまだ眠る一次職軍や、先輩二次職数人の中に、周りから浮いた絵画のように一人窓辺で髪を梳かす少女の姿。
メルフィリアは元々家柄のいいお嬢様育ちで、家出同然に家を出た今も朝の肌の手入れや髪のブラッシングは昔から欠かさずにしている。
普段身に纏っているのは剣士の装備だが、それでも時々くせで凛と立っている姿は様になり、今髪を梳かしている姿も優雅な絵画になりそうだ。

「…ん?」
まるでその絵画に加わろうとするかのように一羽の鷹が窓辺に舞い降りた。
思わずメルフィリアは声を上げそうになったが、その銀色の毛並みを持つ美しい鷹はそれ以上中には入らず、いつの間にか活けてあった珍しい一輪の花に嘴をこすりつけていた。

「びっくりした…。誰かハンターの鷹かしら。」
それにしても、ここらでは見かけない鷹だった。
その毛並みといい、知っている鷹よりも丸みのある体型といい。

不意に鷹が片足を上げていることに気付いた。
その足には細く折りたたんだ紙が結び付けられていた。
彼女はそれを見てしばらく悩んだが、意を決して鷹に突付かれないか怯えながらそれに手を伸ばした。
鷹はとくに攻撃するつもりはないようで、これを届けることが目的だったのだと悟った。

それがするりと解けた瞬間
「わっ!」
鷹は役目を負え、活けてあった花を咥えて飛び去っていった。
質素な花瓶だけが寂しく窓辺に残された。

あの鷹はいったいなんだったのかと思いながら、メルフィリアは手にした紙を広げた。
小さい文字で細かく文が淡々とつづってあるようだった。


『 あれは危険、2人を近づけるな。

 こちらは一区切り付いた、近々戻れるかも。
 
 離れていても力になりたい、一人で悩むな。

 マナ、無理をするな。              SHA  』


まるで話しかけられたことに淡々と応えているだけのような文。
何が危険なのか、送った相手は誰なのか、そして送り主が名指ししているのがマナだということ。
送り主の名前か、イニシャルか、愛称かよく分からないが、最後に雑に書かれたサイン“SHA”
いずれにしても内容は自分には理解できなさそうだし、あて先はマナのようなのでこれは自分が持つべきものではないと元通り細く畳んだ。

窓を閉めてからそこに紙を置いて、ブラッシングを再開した。





「ヒショウ、ルナティス。」
「うん?…っふおおおお!!!やりやがったなこの棒っきれがあああ!!!!」
フェイヨンダンジョンの地下深くでマナと彼女に誘われてついてきたヒショウ・ルナティスの三人は特に狙いもなく見つけた敵を片っ端からたたいて回っていた。

二人は彼女が何か話したくてここまでつれてきたと推測していたが
「仮にもプリーストであるこの僕にヘヴンズドライブなどいや結構いてええええ!!!」
ルナティス一人だけ大いに楽しそうだった。

その長い木の腕が届かない位置にいたルナティスにヘヴンズドライブをしてきた天下大将軍にお返しとばかりに飛び掛って熱戦を繰り広げている。
INT職は魔法に抵抗力が強いはずだが、ルナティスは根っからの殴りプリーストで、しかも今は自分にブレッシングをかけることもできないでいる。
ボロボロになりながら天下大将軍に殴りかかる彼を、マナとヒショウは横目で眺めていた。

「…満足したか?」
「う、うん。で、なんか呼んだ?」
体力も尽きて休憩を始めたルナティスを一応守るようにヒショウとマナが囲む。

「例の…サバト、だっけ。あの件にもう関わらない方がいい。」
マナの言葉に真剣さを感じた。
けれどそれに頷きはしない。

ヒショウとルナティスがそれぞれ反論を口にした。
「…それはあの自衛騎士団の人たちにも言えることだろう。」
「確かに僕らはあの孤児院の生き残りってことで殺されるかもしれないけど、命の危険があるのは彼らも僕らも同じことだ。」

そう言われればマナは何も言えなくなってしまう。
けれど、それでも二人を止める言葉を捜していた。
その様子を見て、なるほど、とルナティスが頬を緩めた。

「…マスターに相談したんだ?」
言われて、隠すことでもないとマナは素直に頷いた。
「相談というよりは近況を報告した。あいつらはサバトのことはいくらか知ってるらしい。」
だろうな、とヒショウがふわふわ漂ってくる火魂を切り捨てながら相槌を打つ。



「騎士団からの質問に答える程度にはかかわるけど、こっちからわざわざ飛び込むようなことはしない。そうやって返事してもらえるか?マナ」
言いながらルナティスは同意を求めるようにヒショウを見た。
そちらも、かまわないと頷いた。

「それにしても、むこうから連絡がくるのは久しぶりだね。」
「…それほど忙しいのか、それとも大分片付いてきたのか。」
「…あー、いや、そーじゃなくて…」
ルナティスとヒショウがなにやら思案する中、マナが苦笑いしながら二人の思考を止めさせた。

「ルナティスとヒショウがホモになったって報告したら、マスターのくせにショックで寝込んでたらしいぞ。」
とマナが笑いながら言う。
ピチッと音を立てそうなほど二人は石のように動きをとめた。



そして月夜花の襲撃を受けるまで、ヒショウとルナティスはその場で固まっていた。






赤い世界。
赤い地面。
赤い手。
赤い獲物。
赤い血。

暗い森の中で“獣”が食事をしていた。
いや、それは獣ですらない。
腹は満たされているのに、獲物を追い食いちぎった。
命令されたから。
“それ”は“番犬”というべきか。

「…何度見ても吐き気がするわ。」
呟いた女の視線の先で“番犬”が獲物である青年の首根を咥えて引きずってくる。
“番犬”は人間の女性の姿していて、それがそんなことをしているから人間の共食いにも思えて、恐怖というよりも不気味さを感じる。

そして“番犬”の食い癖の悪さといったらない。
力任せにとりあえず動かなくなるまで獲物のあちこちを食いちぎる。
おかげで今回の獲物には片腕が丸々無く、他にもところどころ食いちぎられていて全身が真っ赤だ。

「見慣れろ。それにこいつは人間じゃない、勘違いするなよ。」
吐き気を覚えながら、よこされた獲物を袋に詰めていた女の後ろから、男が歩み寄りそう言う。
それに返事もせず、女は臭い物に蓋というように慌しく袋の口を結んだ。

女がそれを結ぶ直前に袋の中をちらりと覗いた。
見たのは袋に詰められた何もない死体の右手。

「本当に“実験体”以外は食って捨てないのね。」
「人間の言葉は大分理解できるらしいからな。鎖の跡のないヤツは食うだけ食って持ち帰るらしい。」
「タチが悪いわね。」

言ってからこれも理解していれば自分が“番犬”をよく思っていないことが本人に知れるだろうかと一瞬心配した。
けれど横目で見たそれは表情も持たずに血に染まった大地にしゃがみこんで女を見上げてきていた。

「そうだ。俺は暫く別の仕事でここを離れる。」
思いついたように男が言って、女を気遣うように服を横から取り上げ肩に担いだ。

薄暗い森の中、ぼんやりと浮かび上がる男の顔は困ったように笑っている。
「サバトとは別の?」
「いや、サバトのだがな…見張りだ。上が手に入れたい男がいるらしいんで、それを取りに。」

死臭だけを残して、男と女と番犬は森の中を歩き始めた。
番犬が少し先を歩き、二人を森で迷わないように先導していく。

女が横目に男を見ながら聞く。
「危険なんじゃないの?」
「全然?ただ面倒臭いんだよなァ。ただ殴って掻っ攫ってくるだけなら楽なんだが、本人同意の上でつれて来たいらしい。それで囮を使うらしい。その囮の見張りだ。」
「あの面倒くさがりのご主人にしては珍しいわね。」
「まぁな。…ん?」

話しながら歩いていた男が不意に立ち止まる。
何かと聞こうとした女が、視線を中に漂わせて何かを考えるように唇を微かに動かしている相手を見て悟り、口を閉じた。

「早速出発だそうだ。…全く忙しい。」
WISが切れたらしい男が苦笑いしながら抱えていた袋を女に手渡す。

「重いが、大丈夫か?」
「全くフェミニストね。心配無用、いつも人一人や二人分運んでるのよ。半分以上食われたヤツなんか軽すぎて手に余るわ。」
「それは勇ましいことで。」
まるで家族に別れを告げて仕事に出かけるように、女の頬にキスをして番犬の頭を撫でて男は来た道を戻っていく。

「……。」
行くまでに迷うな、と皮肉のひとつも言ってやろうとしたが、視線の先に既に案内役か仕事の相方かの影が見えて口を閉じた。
「…行くよ、ルイ。」
番犬に言い、一人と一匹はまた森の奥へと歩いていく。





日差しのそんなに強くない昼、ルナティスはヒショウを散歩に誘った。
たまには悪くない、とヒショウも頷いて最低限の装備をしたままプロンテラの街を歩いている。
他の街でもだが、プロンテラは特にテロが多い。二人とも今までに何度もテロを経験してきた。
テロを避ける意味と、ヒショウが人ごみが苦手ということを酌んで人通りの少ないとおりをのんびりと歩いていた。

人通りの多いところは利益目的の冒険者用の消耗品やレアアイテムの店が多いので、ただ気分転換の散歩にはこちらの転々とした露店のほうが良かった。
一般用者向けの雑貨や小物が並べられていて、今にもルナティスが買い込みそうなのをヒショウが彼の襟首を掴んで止めている。

「あ!」
不意にルナティスが何度目かの声を上げて、少し先の露店に走っていった。
買わないうちにとヒショウも足を進めるうちに、ずっとたって眺めていただけのルナティスがそこへしゃがみこんでしまった。

そんなに目を引くものがあったのかと、後ろから覗き込む。
並んでいたのはどちらかというと女性向けのアクセサリーや香水や小物だ。
売っているのもなかなか可愛い商人で、そんな店で男二人足を止めるのは気が引けた。

「…ルナティス、何かあったのか。」
「んー…。」
少し急かすように聞くが、彼はそこに座ったまま根を張ってしまったようで動く気配はない。
ため息をついて、ヒショウはそこに立ったまま視線だけ隣の露店にやって気を紛らわせながら立っていた。

「ヒショウー」
やっと決まったかと視線を戻すと、露店の女性と話していたルナティスの手には青っぽいガラス瓶があった。
呼んで見上げてきた彼はにっこりと笑う。

「香水つける気」
「ない。」
聞かれる前にキッパリと言い切ってやる。

「魔物が寄り付かないとか引き寄せるとかなら考えるが」

「いや全然そうゆうの関係ない。」
「ならいらない。」

「…むしろフェロモン香水」
「もっといらない。」

二人交互に静かながらどこか激しい言い合いをして、それからしばらく沈黙が続いた。

「お前が趣味でつけるだけなら別に文句は言わない。」
「いや僕別に香水とかつける趣味ないし。」
「なら買うな。俺もない。」

「でも店主さん曰く今彼氏から彼女へのプレゼントに流行ってるらしいよ!?」
「誰が彼氏だ誰が彼女だ!!返せそんなもの!!」
掴みかかってくるルナティスの頭を押さえつけながら、恥ずかしさを紛らわせるように怒鳴る。

それが返って周りの注目をひきつけてしまうことに遅れて気づき、ヒショウはルナティスから香水を取り上げて店主に返した。
赤くなりながらも営業スマイルを崩さないでいてくれる彼女に、見苦しいところを見せてしまったと心から謝りたいと思った。

「もう行くぞ!」
「待って待って、これだけ。これだけ買わせて!」
ルナティスがそう言って指差したのは小さなチェーンで吊り下げられた黒い十字架二つ。
指先程度の大きさのそれはたいした金額でもないので、早くここから離れたいと思うヒショウは頷いた。

金を払わせると早々にその店を離れた。
それからしばらく、ルナティスは満足したのか他の露店に足をとめることもなかった。



それからルナティスの提案でプロンテラ城壁の外へ向かう。
人のいる所から離れて林の中一角だけ木がない場所があり、ヒショウがよくそこを昼寝の定位置にしていたからだ。

「…というか、ルナティスにそれを教えた記憶はないが。」
「覗き見してたに決まってるじゃん!」
堂々と打ち明ける彼を前に、怒りや呆れより、簡単に覗き見されて、自分はこれでアサシンなのかと自問した。

付いた先は相変わらず人がいなくて日光と木漏れ日に小さな草原が照らされていた。
ルナティスがベッドに飛び乗るかの様にそこへ滑り込んで寝転がる、その様子に思わず口元が緩んだ。

「ヒショウ、いつもこんなとこで寝て具合悪くしないかって心配だったけど…気持ち良いねここ。」
「だろう。」
笑いながらその隣へ腰かけた。

「…いろいろ考えたんだ。騎士団と調べた事件とサバトのこと。」
緑のベッドに大の字になって寝ながら青い天井を見上げて、ルナティスが突然話を切り出した。
それについて考えていたのはヒショウも同じこと、と相槌を打った。

「…深くは関わらないんだろ?」
「そうしたい。けど…ヒショウは出来る?」
ルナティスの声は落ち着いていたが、どこか不安が見え隠れしていた。
彼の意図は分からないがヒショウは言われて口を閉じた。

「僕は関りたくない。ヒショウに危険があるなら絶対に…。
でも、あの孤児院に関係あるなら…
皆をあんなにも気遣ってたヒショウが無視出来るのかって…不安になった。」
「……。」

ヒショウはルナティスの様に空を見上げた。
雲が多めだが青い空が顔を覗かせていて、穏やかな空だ。
人の声は無くて気持ちの整理をするには良いと思った。

「関わらない。」
静かだが力を込めて言った。

「俺も確かにそれを考えた。だがあそこにいる間、俺達が飢えさせられて辛い生活をしていたよりも……
ルナティスが俺を庇って…奴らの慰み物にされていたのが…。」
「……。」
その事実を知ってから自分をどんなに卑下したことか。

そして彼をこれからは守りたいと強く願った。
絶対離さない。
その思いを呟くように口にした。

すぐ隣でルナティスが起き上がったかと思いきや、じゃれる犬のように飛び掛かってくる。
「っ…、おい…」

地面に転がった瞬間、草の匂いが舞い上がる。
太陽が眩しくて目眩がした。

「…っ!」
着込んでいなかったアサシン装束をくつろげられて、開いた首筋にルナティスの唇が触れる。
「無性に、嬉しい。」
艶っぽく呟く彼の声に首筋をくすぐられ、同時にその吐息の熱さも感じて、鼓動が高鳴った。

何度も触れられたその柔らかい感触はいつまで経っても慣れられない。
舌でなぞられると背筋に痺れるような感覚がはしる。
ただこのまま情事に縺れ込まれてしまうのではと心配した。

「…ルナ、ティス…人が…」
「大丈夫。そこまでしないから。」

しばらくそうして押し倒されていたが、ルナティスは特にそれ以上のことはせずにずっと抱きついていた。
「ヒショウ、これ…していい?」
そういって上半身を起こした彼が取り出し、差し出してきたのは先程買っていた黒い小さな十字架。
何かと首を傾げれば、垂れ下がるチェーンの付け根に金具が見えた。

「ピアス、前からやってみたかったんだ。ヒショウとお揃いで。」
痛いんじゃないかと思ったが、それ以上の痛みなど狩りで何度も経験していたので気にならなかった。
頷けばルナティスが嬉しそうに笑む。

「さっき、針も貰ったから。…左耳。」
言われて顔を傾けて耳を見せる。
「…うわー怖っ。」
ルナティスの怖気づいた様子に、思わず吹き出した。

「自分でやるか?」
「嫌だ。ヒショウのは俺がやるって思ってたんだから。」
「なら早くしてくれ。失敗したって塞げるんだろう。」
「…分かった。」
ハンカチが畳まれ、耳の裏に当てられる。

そして感じるあてがわれた針先が、むず痒い。
1,2,3とゆっくりカウントして、グッと針が耳朶に押し込まれた。

刺して固まってしまったルナティスを見て、また笑いがこみ上げる。
「…大丈夫だ。そんなに痛くない。」
言ってからじわじわと痛みが滲みあがってきた。それでも我慢できないほどでもない。

「…じゃあ、ピアス付けるから。痛かったらごめん。」
「…痛くないわけがないと思うんだがな。」
そういいながら、提案したくせに少し怯えているルナティスを茶化すように笑いかけた。

針を抜かれ、先程のピアスをあてがわれた。
「っ…」
眉をしかめた。

なかなか入らないようで、鈍い痛みが走る。
「思い切って、通せよ。」
慎重になって引っ掛かりがあるたびに引いているルナティスにたまらずそう言った。
そして意を決したように押し込んだ。

「…ごめん、なんかブチッて音した気がする。」
彼が手を離したということは、もうつけ終わったのだろう。
ルナティスが謝りながらハンカチに聖水を染み込ませ、ヒショウの耳を腫れ物に触るように拭う。

「痛かったが、まぁ通ったのなら問題ないだろう。」
血は思ったより出なかったようで、痛みも数分で引いていった。

「さて、次はお前だ。」
「…痛くするなよ!?上手くやってくれよ!?」
「失敗しかけてたくせに何を言うか。」

ルナティスの首を引き寄せ、転がって体の位置を入れ替えた。
彼の金髪が草の上に散った。

耳朶でじんじんと疼く痛み。
これと同じ痛みを、彼にも。
針を彼の手からとり、彼の頬を撫で、耳にかかる髪をかき上げた。

「…いくぞ?」
「…っ…」
ヒショウの方が押し倒すような体勢で、しかもルナティスのこんな怯えた顔は始めてみた。

無性に嬉しかった。