「あれ?ルナティスさん、ピアスしてましたっけ?」
「さっき付けたんだ。」
シャワーを浴びて出てくると、賑やかな仲間の声。
セイヤに聞かれて答えるルナティスがやたら嬉しそうににやけている。
それを見ていて意識したせいか、ヒショウにも開けられたピアス穴が仄かにチリッと痛んだ。

「開けたばっかでそんなデカイのピアスするのはどうかと思うぞ?痛いだろ。」
覗き込んでくるマナの胸元に目が行って、ルナティスはあわてて目をそらせた。
見慣れているとはいえここまで強調するかのように目の前にチラつかせられると意識してしまう。
「十字架がよかったんだよね。これでも小さいの選んだんだけど…って引っ張るなマナァ!痛い痛い!!」
マナとルナティスのじゃれ合いを横目に、ヒショウはさっさと一番窓側のベッドにもぐりこんだ。
ヒショウにもつけられた同じピアスを皆に見られて、小突かれるのは嫌だった。

不意に向かい側のベッドに座って剣の手入れをしていたレイヴァと目が合う。
彼はピアスに気づいたらしく、それを指差す代わりに彼自身の耳朶を指で指した。
『ルナティスに付けられたのか』の意。
それに対して肯定の苦笑いを返す。
レイヴァから戻ってきたのは、彼にしては珍しい穏やかな笑みだった。
彼と親しい者しか分からない程度の本当に微かな笑み。
シャワーを浴びている時、耳朶に痛みがする度に感じていた、どこか誇らかな温かい思いが蘇った。






アスカ、俺、アスカのことが好きだよ?
アスカが側にいるだけでホッとするんだ。

ねぇ、ずっと一緒にいよう。
ずっとここで暮らそう…?



アスカと一緒なら…俺、なんでも我慢できるから…



耐えられるから…



おいて、いかないで…




「…ん?」
瞼が重い。
隣で響くのはさっきと変わらない仲間達のはしゃぐ声。

顔を持ち上げてみると、向かいのベッドにいるレイヴァは眠っている。
おそらくヒショウは少しだけ眠っていたのだろう。
寝起きの悪い彼がある程度スッキリしているのだから、1時間も寝ていないかもしれないが。


――― アスカ…


頭に響く先ほどの夢の声。
懐かしい、ルナティスではない少年の声。
かつていた孤児院の子供で、ヒショウ―アスカ―によくなついていた子供達の一人だった。
しばらく懐かしいと思いながらその声を思い出していた。

だがよく思えば、それは“サバト”にいた子供で…もう生きていない子供かもしれない。
騎士団で見たウィザードの死体のように、食い散らかされてしまったかもしれない。
それを思うと、背筋に寒気が走った。

「ヒショウさん?」
突然後輩の少女に声をかけられて、過剰に驚いてしまった。

「大丈夫ですか…?顔色が悪いですよ?」
メルフィリアの言葉に、隣のベッドの仲間達がぞろぞろと覗き込んできて、たじろいでしまった。
だがその現状よりも…夢のことが頭の大部分を占めていて落ち着かない。

「…夢見が悪かっただけだ。」
ヒショウはどこか慌てたように起き上がり、マントを羽織って金だけを持った。
気晴らしに酒でも飲んでくるとだけ告げて、あっという間に部屋を出て行ってしまった。





前から、一人の時間と酒場が好きだから、一人で飲み明かすことが多々あった。
誰にも邪魔をされずに酒を飲み、軽く酔い、回りの客の会話に耳を傾けていた。
頼んだモロク地方の酒は旨く、なかなか強い。少し酔い始めた。



――― アスカ…

「…っ」

けれど頭に響く少年の声が彼の精神を掻き乱し、それを落ち着ける為に杯を傾け続けた。



「アスカ…?」

思わぬところでその名を呼ばれ、ヒショウは少しむせかけた。
“アスカ”はヒショウがアサシンになってから名乗らずにいた、彼の本名。それを知る者は少ない。
呼ばれた方を見ると、ヒショウやルナティスと同じ歳くらいの青年がいた。

マントを着けていないが、その赤い衣はウィザードのモノだ。
前髪の生え際をバンダナで掻きあげ、留められているが、赤く燃えるような髪がその上に揺れていた。
そしてそれと同じ赤い瞳。

見覚えがあった。
とても懐かしい記憶。

「ウォルス…!」

ハッキリとその名を呼べた。確信があったから。彼の顔を忘れるはずがない。
昔、ルナティスと育った、何かと怪しい孤児院。そこに一緒にいた少年だ。

ヒショウも、ルナティスほどではなかったが、彼と仲良くしていた。
彼の予想は外れていなかったらしい。ウォルスはにっこり微笑んで返してきた。
バンダナを外せば懐かしい髪型と同じになった。

「久しぶり。忘れられてたらどうしようかと思ったよ。」
彼が元気そうであることに安心して、口元が綻んだ。

ウォルスはあの施設に残っていたから、酷い目に遭わされているのではないかとずっと心配していたから。
目の前で笑みを浮かべていることに心からホッとした。

「相席していいかい?」
そんなこと、聞く必要なんて無いのに。
「ああ、もちろん」

「アスカ、変わったね。」
ウォルスが座って一番始めに吐いたのはそんなセリフだった。

「自分でも、思う。」
これはやたら明るかった昔からしたら、いい変化とは言いがたいと思った。
少し前ほどではないが、いまだに他人を怖いと思うことは多く、ルナティスから離れられずにいる。

「うん、なんていうか…アサシンっぽいよ」
「アサシンなんだがな。」
ヒショウは喉で笑い、酒を一口飲んだ。
ウォルスにも勧めたのだが、彼は飲めないらしい。

「アスカは、あんましアサシンっていうイメージじゃなかったけどなぁ…」
そんなウォルスの小さな呟きが、ヒショウの胸をきしませた。
昔の、あまりよくもない想い出。

「…あの施設が、アサシンへの転職を勧めてくれたからな、つい。」
しかれたレールばかりを歩いてきてしまった。
そんな自分がおかしくなった。

でも、それはもう昔の話。
それからちゃんと冒険者になり、一からやり直してここまで来た今の自分には少し誇りが持てた。



「俺もあそこのレールの上を歩いて、ウィザードになったんだけどな。似合うだろ?」
ウォルスは小さく笑って、セルフサービスでもらった水を飲む。
ヒショウはそんな彼を思わず、じっと見つめてしまった。

彼はまだあの施設と手を切っていないということか。

ルナティスと、もう“サバト”に深く関わらないという約束。
それを守れなくなるかもしれない、と心配になる。

「ウォルス…まだ、あそこに住んでいるのか…?」
「ん、まぁね。まだレールの上を歩きっぱなしだけど…生活に困らないし、なかなか楽しいよ。」
「…そうか…」
なら良かった、とヒショウは小さく笑って漏らした。
ウォルスがもっと酷い目にあって、悲惨な生活をしていたらどうしようかと、少し不安になってしまっていたから。





「え、ウォルスに会ったのか?」
ウォルスと数十分程度話して、宿に帰ってきてルナティスに早速話した。
もう皆それぞれベッドに付いていて、小さく話していたり、眠っていたり。

「懐かしいな…。元気そうだった?」
布団から頭だけ出して、どこか神妙に聞くルナティスは、きっとヒショウとおなじことを心配しているのだろう。
“サバト”に関わってしまうかもしれないことと、ウォルスが酷い目にあっていたのではないかという。

「ああ。なかなか楽しくやってるそうだ。」
「…そうか…」
なら良かった、とルナティスはまだ不安は拭いきれないように小さく笑って漏らした。
先ほどの自分と全く同じ行動をするので少し笑えた。

「ところで、ルナティス。ウォルスから頼みがあるそうなんだが…」






「ルナー!久しぶり〜」
ウォルスはヒショウの隣を歩くルナティスに気付くや否や、彼に抱きつき、その背中をバンバンと叩いた。
それに、ルナティスは同じようにして返す。

「うーん、やっぱりルナも昔と変わったな。」
「ウォルスはあんま変わらないね。一目で分かったよ〜」
あまり三人での狩りに賛同していなかったルナティスだが、ウォルスをいやがるようなそぶりがないので、ヒショウは少しホッとした。

「ルナティス、ちゃんと支援できるのか?」
「アハハー実は殴り専門だったりする。」
そういって彼は、いろんなポーションがたっぷり詰まったカバンを見せた。

それにしばらくポカンとしていたウォルスだが、イキナリ大笑いしだした。
気の済むまで笑い終えて、まだ腹を押さえたまま笑いを噛み締めている。
「は、は…お前らしい…」

「そんなに大笑いすることかなー」
「いや。そうじゃなくてね…嬉しいんだ。」

“嬉しいんだ”

彼のその言葉が耳に残った。
悲しそうな顔で、言うから。

「でも蘇生くらいはしっかりやるから、安心して倒れてくれ!」
それを誤魔化すように、ルナティスがそう言ってガッツポーズをした。



もうモロク地帯の砂漠を抜けてしまった。
けれど、ウォルスの欲しいものはこっちにあるという。

「ロード・オブ…」
ウォルスの呼びかけのような詠唱を聴き取り、ヒショウは応戦していたガーゴイル達とその他から素早く離れる。
それを確認してから、彼は詠唱を完成させた。

「ヴァーミリオン!!」
黄色い光が一面を走り、そのまぶしい光の中を天から何かが舞い降りて、まだなおモンスターに襲いかかる。
轟音と閃光と爆風で、ヒショウはしゃがみ込んで耳を押さえた。

あれだけの爆発にもかかわらず、爆煙はそれも魔法であるかのようにすぐに退き、静寂と熱がその場に残っただけであった。
「ッッ…す、ごおおおおい!!ウォルスすごい!!カッコイイ!!」

はしゃぐルナティスに向き直ると、今度は胸の前で手を合わせ、また何かの魔法を唱える。
電撃が手の回りにはしり、その中に電気の球が出来た。それをルナティスめがけて放る。
「うおっ!?」
それは彼のすぐ脇を掠めて、その後ろの瓦礫に潜んでいた小さなモンスターに襲いかかった。

その民族衣装のような顔。そしてその獲物。
ガーゴイルであると判断すると、ヒショウは音もなくそれに近寄り、すばやくそれの始末にかかる。
それの矢による攻撃を冷静に見つめ、一発目を回避して間合いを詰め、さらにもう一発回避してから攻撃。
それは簡単に地に落ちた。

「はいはい回収回収。」
ウォルスはガーゴイルが落とした戦利品を袋にポイポイ詰めていく。
そして彼はもう荒廃した要塞跡の奥地へと、異様な早さで進んでいく。




休み無しでウォルスについていき、ここまで来たので、動きっぱなしのヒショウは少々バテてきていた。
休まないか、という言葉をウォルスは『もう少しだから』と言って引き延ばしている。

「…はぁ」
深呼吸をして歩き出すヒショウに、ウォルスがそっと水筒を差しだしてきた。
ヒショウは一瞬きょとんとしたが、微笑みかけてくるウォルスに笑みを返し、それを少し飲んで、水筒を返した。

「ウォルス、そろそろ帰る時間も考えた方が良くないか。もう、帰る頃には暗くなる。」
ルナティスの呼びかけが、ヒショウの「ありがとう」と被った。
「ああ、そうだね。ここらへんでいいかな。」

荒野の瓦礫が点々とする中、ウォルスは立ち止まった。
何が“この辺でいい”のか、ルナティスは首を傾げた。



「…うっ、…ァ、ッア…?」
すぐ脇で、唸るような妙な声がして、ヒショウが、喉を押さえて膝をついた。

声が、身体が震えて…喉が、身体が熱い。

「ヒショウ!?…わっ!」
彼の傍らにしゃがみ込もうとしたルナティスを、突然ウォルスが突き飛ばした。
そしてヒショウの腕を引き寄せ、こちらに手をかざす。



嫌な、予感がした。

「…ヘヴンズドライブ」
ウォルスのその詠唱と共に、地面からいくつも石柱が飛び出し、ルナティスに襲いかかる。

「……ッ」
ウォルスの腕の中で、ヒショウはルナティスの名を叫んだが声にならない。
目の前で起きている激しく、残酷な光景。

彼の安否が知れる前に、淡い光に包まれて、ウォルスとヒショウはその場から姿を消した。



気がつけばどこかよく分からない荒野に倒れ込んでいた。
それよりも、身体が動かなくて、しゃがみ込んだまま立ち上がれない。
…波の音がする。海の近くか…。

「ッア、…は、ッ…?…ァ、んゥ…!」
喉がしびれて声が出ない。
声を少しでも絞り出そうともがくが、唸り声ばかりが響く。

「無駄だよ。声は半日もしないと戻らない。」
膝をついて俯いていたヒショウの目の前に、ウォルスが膝を立ててしゃがみ込んだ。

毒…?
お前が盛ったのか?
あの水筒の中に…?
どうしてこんな事を…?
どうしてそんなに…冷たい目をしているんだ…?

言いたいことは何一つその喉を通って出てくることはない。

「どうしてこんなことするんだ、て言いたそうな目だね。」
ヒショウを少し高い位置から見下ろしていたウォルス。
彼の指が喉に巻き付き、徐々に力が込められてくる。
ヒショウはその手を振りほどこうとするが、もう腕を上げる力もでない。

「ねえ、アスカ…昔の話をしようか」
まだ声をだそうと藻掻く彼を押し倒し、その上に馬乗りになる。
目の前に冷たい瞳の、見たこともないウィザードがいた。ヒショウの知っているウォルスの皮を被った別人。
その後ろにはその髪と同じ色の夕焼け。

消え入りそうな声で、ウォルスは囁いた。
「俺達は俗世と孤立して建つ孤児院に住んでいた。
その孤児院はとても暗くて、冷たくて、寂しいとろこだった。」

ヒショウは藻掻く事をやめ、じっと彼の話を聞いていた。
子守歌のように囁かれる、その言葉を、その言葉を発するウォルスの唇を、凝視していた。

「けれど、そんな場所でも、俺にとって小さな希望があったんだ。
同じ孤児院に住む、同い年の少年の存在だった。
彼はいつも優しくて強くて、弱くて幼稚な俺を励まし、支えてくれた。
『君がいるから俺は生きていられる。君と一緒なら俺はなんでも我慢できる、耐えられる。だから、ずっと一緒にいたい』と…
俺は切に願っていた。」

ウォルスの指がまたヒショウの喉に絡まる。
そして、彼の声をさらに押しつぶそうとするかのように力が込められる。

「なのに、その優しい少年は1人で…いや、その馬鹿な俺ではない別の少年と逃げだした。
館長は怒り狂い、俺ばかりにあたる。しまいには俺は上の奴らに売られた。
毎日、毎晩、意味無く痛めつけられることもあれば、犯されることもあった。
…見えるか…俺のこの腕の傷。背中と腹に、もっとでかいのがある。
俺は奴らにとって悲鳴をあげて血を流すだけの道具だった。」

首元に絡みつく冷たい指が、震えていた。
うっすらと見えるウォルスの顔。
優しかったその顔がまるで人形のよう。けれど、その人形は泣いていた。

「お前は家畜のように扱われる屈辱を味わったことがあるか?!
売女のようなマネをさせられる屈辱を味わったことがあるか?!
体を切り裂かれてそれを無理矢理治して、また…そんな恐怖が分かるか!!
お前が逃げなければ俺はこんな目にあわせられることはなかったんだ!!
上の奴に売られるのだって、本当はお前の方だったんだ!!」

「…ッ」
狂ったように泣き叫ぶウォルスを見ながら、ヒショウは目の奥が熱くなるのを感じた。
毒以外のもので、喉が熱くなるのを感じた。

(知らなかったんだ…お前がそんなに苦しんでいるなんて…)

首を絞められている苦しさからではない。
一気に枯れ果てんとするかのように、涙が溢れて耳の方まで流れていくのがわかった。
それを見て悪鬼のように顔を歪めていたウォルスが、壊れたように笑い出した。

「…俺の為に泣いてるの…?後悔してくれているの…?大丈夫だよ…アスカも俺と同じ目に遭わせてあげるから。
そしたら、僕らはおあいこだよ。」

首から手を離されて、気道が確保される。
けれど、そうして息をすることも辛かった。
ウォルスがそんなに苦しんできていたのに、のんびりと過していた自分には息をする資格もないように思えた。

(それでお前の気が済むのなら…)

ウォルスの唇が、ヒショウの額や頬や唇をなぞる。
別れを惜しむ抱擁をするかのように、ヒショウの肌をなぞる。

「大好きだよ、アスカ。」
静かに口と鼻を布でふさがれた。
ほのかに香った匂いですぐに分かった。睡眠薬。

もう抵抗する気のないヒショウは大人しくそれを吸い込んだ。
穏やかに眠気が襲ってくる。
それも大人しく受け入れ、ヒショウは意識を手放した。