「!!?」
何かがウォルスめがけて飛んできた。
それをしゃがみこんで避けたが、通り過ぎたはずのそれがUターンをして再度ウォルスに襲いかかる。

「チッ…」
ヒショウを抱えてでは避けられそうに無かったので、彼を放り出してその場を避けた。
それは1人の長身の男の元に戻り、元の形…盾になった。
そこにはアクアマリンのような碧の髪を靡かせるクルセイダーがいた。

「何者。」
ウォルスが戦闘態勢になりながら、短く問う。

「そのアサシンの仲間だ。名はレイヴァ。」
レイヴァは重そうな盾を右腕に装着し、左手で剣を掲げる。

「事情は知らぬが、よからぬ会話が聞こえた。ヒショウは返してもらう!」
レイヴァが大剣を胸の前で構える。

「…ホーリークロス!」
スキルでの攻撃。まぶしい光に一瞬目がくらんだが、とっさの判断でウォルスはアイスウォールを唱える。
それは正解だったようで、氷の壁は訳が分からぬうちに砕け散っていた。
光は消え、視界を前に戻すと…クルセイダーがいない。

「…ガァッ!!!」
いつの間にか背後に回っていた彼に、さっきの巨大な盾で殴られた。
殴ると言うよりは押し飛ばされたという方が正しいか。そのまま少し遠くに投げ出された。
全身に受けた衝撃で、視界がぐらつき、体が上手く動かない。
だがこうしている間にもあのクルセイダーは次の手を構えている。

「…っ…!」
気合いでなんとか起きあがるが、体がそれから動かない。
集中できず、魔法が形にならない。

駄目だ
やられる

「散れっ」
「くっ!」
彼の一撃はウォルスにはかわせるものではなく、防ぎきれるものでもなかった。
ウィザードが前衛職相手に接近戦で勝てるはずはなく、体勢も整わずに追い詰められたのは崖。
ウォルスは目をつぶった。

――ウォルス…ごめんね…ワガママで…

「なっ!」
「!?」
ヒショウがウォルスに飛び付き、二人はギリギリで、地から襲いくるレイヴァの閃撃をかわした。
だが二人は勢い余り、そのまま海へ続く崖へと落ちていく。

「ヒショォォオオ!!!!!」
レイヴァが彼の名を叫び、崖へ駆け寄った。



崖はそんなに高くはないが、降りられる高さではない。
仕方なく回り道をして、落ちた二人の元に駆け付けた。
崖の下はわずかに岩場や砂浜が剥き出しになっているだけで、潮が満ちれば簡単に沈んでしまいそうなほど狭かった。
不幸中の幸いだったのは、二人が落ちたのは岩場ではなく砂地だったことだ。

「ヒショウ…!!!」
横たわる彼は、四肢を血まみれにし、その鮮血を砂に染み込ませていた。
ウォルスはそれを抜け殻のように見つめている。

彼に外傷がないことから、事情は一目で分かった。
ヒショウが捨て身でウォルスをかばったのだと。
レイウァは駆け寄り、死骸のように動かない彼の傍らにしゃがみこむ。

「…っ」
レイヴァは胸の前で十字を切り、ヒールをかけた。

「アスカ…俺を…かばって…」
地に伏すヒショウの顔半分が、血と砂で染っている。
自分を守ったせいで…

白い肌は一層白く、生を感じさせない。
砂の上に広がる黒い髪の間からも、ドクドクと血があふれ出ている。
顔は血と髪に覆われてよく見えない。


…アスカは皆を助けてくれてる。
けど、他の誰がアスカを助けてあげてる?

皆、自分勝手だ。
僕は皆が嫌いだ。

アスカだけが僕には大切だよ。
僕だけは絶対に…あいつを裏切らない。


アイツが…アスカの隣にいつも寄り添っていたルナティスが、いつかに言っていた言葉。

彼は本当は弱いのに、自分たちは彼の優しさに甘えすぎていた。
だから、アスカは俺じゃなくて、唯一「守ってやる」と言ったルナティスと共に……。
でも、そんなのは当然じゃないか。

「許して…許してくれ…」
俺はやはり馬鹿だった
俺はお前を恨んだりしていない…!
ただ、昔のように…
「俺はただ…寄り添って、慰めて欲しかったんだ。
…あの時からお前がいなくなって、皆が壊れていって…ずっと怖かったんだ…っ。」

「…その、アスカ殿は優しい方なんだろう…ならお前を責めはしない。後はお前が自分自身を許せるかだ。」
目の前の聖騎士は、ヒショウにヒールをかけながら、そんな言葉をかけてくれた。
その言葉は泥沼に沈みかけた自分を、いとも容易く救い上げてしまったようだった。

「…駄目だ、ヒールだけでは…誰かにリザレクションを」
「…これを!」
ヒショウを抱き上げ、立ち上がった彼に、ウォルスは蝶の羽を差し出した。

「二人分あります。どうか…彼を助けて下さい…」
レイヴァは頷き、その手から蝶の羽を受け取る。
「かたじけない。…私達はモロクの町外れの宿に泊まっている」
それだけ早々に告げて、彼はその場を立ち去った。

後に残ったのは、血の色をした砂と、寂しいけれど爽やかな風。

「…ごめんね…。」







三日が経った。
だがヒショウは目を覚まさない。
失血が激しい上に、頭を何ヶ所も強く打っていた。
一命は取り止めたが後遺症が心配だ。

ルナティスもそれなりに大きな怪我をしていたが、三日三晩ヒショウに付き添い、その手を放さない。
時々、彼自信の不安を振り払うかのようにヒールをかける姿は痛々しい。


「ルナティスさん…いいですか?」
「生きてるよ〜いいよー。」
そんな状況でも無理に彼は明るく振る舞う。
病室に入ってきたメルフィリアは、彼のそんな様子に胸を痛めた。

「お客さんが…」
「そう。遠慮せずに入ってもらってよ」

彼の言葉に頷いたメルフィリアと入れ代わりで、赤毛のウィザードが入ってきた。

「やあ、久しぶり…って言っても三日ぶりだけど」
「………。」

そっと近づいてくる足音。ルナティスは振り返らずにベッドに横たわる人の方を見ている。
「ヒショウ、目を覚まさないけど…冷たかった手が少し暖かくなってきてるんだ。まだ僕に比べたら冷たいけど…ヒショウ、低血圧だしな…」
「………。」
「肌…余計に白くなって……人形みたいだ」
「………な、んで…」
「でも、包帯でぐるぐる巻きにされて…顔がよく見えない…」
「なんで何も言わないんだよ!!!!」

ウォルスが、壊れたように声を上げた。
「お前を殺そうとして、アスカをこんな目に遭わせた…!他に、あるだろう…!俺は殺されてもおかしくないことをしたんだ!!」
ルナティスはただぼんやりと、泣きわめくウォルスを見つめていた。

「俺は…お前のしたこと、頭にきてる。だから何も言わない。」
「ッ!?」
「ヒショウも何も言わないだろうけど…コイツは純粋にお前を気遣って何も言わないさ。」
「…何で……」

「それに、ヒショウはお前が自分を恨んでるって気付いてたよ。」
「…え?」
ルナティスは微笑みながら、ヒショウの髪をそっと撫でた。

「こいつ…いつも他人を気遣ってばかりいたせいか、他人の心情には鋭くてね。
狩りの前の夜に言われた。『ウォルスが何か変なことやっても許してやってくれ』って。
あの時はなんのことか分からなかったけどね…」

彼はまたウォルスには興味ないとでも言いたげに背をむけて、ヒショウにぼんやりと「僕も、他人のことは分かってるつもりだったのになぁ」と呟いた。


――― 何で…こんなにも優しい友人を…恨んだりしたのだろう。

俺はどうかしていたんだ、と思わず口から小さく漏れた。


「こっち来いよ、ウォルス。」
振り返らずにいうルナティスに頷き、その隣に立った。

横たわるヒショウを間近で見て、しばらく言葉を失った。
その多くを包帯で覆ってあるが、いくつも生々しい傷の跡が残っていた。

「安心しなよ、どれもそんなに長く跡は残らないってさ。
ただ半身不随とか、失明とかはする可能性が高いって。」

安心、できるはずがなかった。
これが、自分のしたことの大きさ。

目の奥が熱くなった。
喉も熱くなって、何も言えなくなる。
声を上げて泣くのを押さえ、唸り声が室内に響く。

「…なぃ、てるの…か、ウォル…ス」
「!!!」

ヒショウが顔は動かさないまま、かすれた声を出した。
ルナティスが思わずその手をぎゅっと握る。けれど何も言わない。
今ヒショウはウォルスと話しているのだから。

「アスカッ」
「泣か、ないで…知らな、かったんだ…お前、が…こんな、苦しん…でる…なんて…」
ヒショウは今にも消え入りそうな声で、閉じた瞳の睫を濡らしながら、ゆっくりと何かを伝えようとしていた。

「…俺、の…こと、好きにしろ…殺し、てもいい…」

「なっ」
「それ、で…お前が…少しでも…楽に、なるの…なら…」

違う。

「楽に…なるはずがない…お前を売ったりしたら…俺は一生自分を許せない…!」

それでも、ヒショウにはそれが聞こえていない様子だった。
「逃げて…ごめん…ごめん…ワガママで…」
彼はひたすらに呟く。

「ワガママだったのは、俺の方だ!いつまでも怖がってあそこを出なかったから!」
「この、十年…楽し…かっ、た…から…今度、は…ウォル…ス…が…」

「…アスカ…?」
力尽きたようにヒショウは息を吐き、それきり何も言わない。
さっきのような静けさではなくて、今は疲れ切った深い寝息が響く。


「…ウォルス。ヒショウを連れて行くのはかまわない。だけどその時は僕が全力で助けに行くし、君を害すだろう。
僕はもう、半端じゃなくアスカが好きなんでね。」
静かなルナティスの宣戦布告を、ウォルスは小さく首を振って受け流した。

「連れていかない…連れていける訳がない…」
「そう。なら良かった。ヒショウからのお言葉は以上。後はお前自信でけじめをつけなよ。」
「……ああ。」

そう。もうこれ以上アスカを巻き込みたくない。
こんな目に遭わせたくない。
これ以上彼に甘えられない。

ウォルスは深く頷いて、部屋を出て行った。





目が覚めると夜だった。
上半身を起こすだけでもなかなか大変だった。

あれから何日が経ったのだろう。体が随分と鈍ってしまった気がする。
モロクの夜は寒い。
風を防いでいた布をどければ月明かりで部屋が明るくなった。

「……。」

ルナティスがベッドの脇に座り、ヒショウの掛け布団に顔を埋めて眠っていた。
彼のことだから、付きっきりの看病をしてくれたのだろう。
まだ夢の中の彼に、ありがとう、と囁いた。

彼の頬にかかる髪を払い除けようとして手を伸ばした。

「……?」
彼との距離に、視覚に、小さな違和感。

ヒショウはそっと自分の右目に手をかざした。
ああ、これも報いか…

左目は月の光も、ルナティスの顔も写さなかった。
ゆっくりと右足、左足、右手、左手と力を入れていく。
少し左手が動かしにくかった気がしたが、そんなに酷い後遺症がなさそうでよかったと思った。

そういえば、ウォルスはどうなったろう…?
部屋を見渡してもそれらしき人物はいない。
彼と話した気がしたのはきっと夢ではなかったはずだ。

不意に月明かりが遮られた。
振り返ると、窓辺には見知らぬアサシンがいた。
だが驚きはしなかった。彼がそこにいる意味は分かったから。

「…ウォルスは何処だ」
病人にいきなり問われた彼は怪訝な顔をしたが、すぐに応えた。
「まだ処分はしていない。」
低い、静かな声。顔はマスクと月の逆光でよく見えないが、歳は20代後半だろう。

「処分…?何故…?」
「まだ決ってはいないが、逃げるようだったら…監視役が手足を切り落としてでも連れ帰り、主が処分する」
彼の声は響かず、すぐに夜に溶けて消える。

「監視役は貴方か」
彼は頷いた。
ヒショウはためらわずに言葉を続ける。
「…取引しよう。ウォルスとルナティスを見逃してくれたら、俺は抵抗せずについていく。
…ウォルスは“使っていた”だけなんだろ?なら目的は俺じゃないのか。」

そう告げると相手も迷い無く言葉を返してきた。
「…ウィザードは標的のアサシンを捕獲の際に、崖から落ちて行方不明。これでいいか。」
ヒショウは頷いた。


「…ルナティスといた時間は幸せだった。」
けれど、その時間のために自分は多くの犠牲を払いすぎた。
ルナティス自身の過去を乱し、一緒に育った子供達も知らぬところで傷ついていた。
それを知らずに生きていた自分が情けなくて仕方が無い。憎いとさえ思う。
皆、慕ってきてくれていたのに、耐え切れなくなって自分は逃げ出してしまった。
逃げ出すくらいなら、中途半端に助けない方が、彼らのためによかった。

だから、こんな形でも再会できたウォルスだけは助けたいと思った。
今更遅いけれど、せめてもの罪滅ぼし。
いや、この罪悪感を誤魔化すいいわけだった。
深く眠りに着いているルナティスの髪に指先だけ触れた。

彼のことも、中途半端に放り投げる形になってしまう。
こうなるなら、初めから彼の思いに応えるべきではなかった。

「…すまない、ルナティス。」


武装した黒いアサシンと無気力にその後につく無防備なアサシンが、夜の町を歩いていた。
彼らの元に、待っていた体格のがっしりしたローグが歩み寄る。
「…これがダンナの目当てのヤツかい。」

そう言い、ローグは後ろのアサシンを覗き込んだ。
「…死んでるな、目が。なんでこんなのを欲しがったんかねぇ、あの人は。」


「それじゃあ返して頂けませんこと?」
アサシンが来た道に誰かいた。
その女の声に、アサシンとローグはそれと向かい合った。
ヒショウも息を呑んでそれを振り返る。

彼らが対峙した妨害人の手には斧が握られていて、一瞬で緊張が走る。
「ほう、深夜の月光の下に美女なんていいねぇ。姉さんいくらよ?」
ローグは弓を構えながら、そこにたたずむブラックスミス―マナと距離をとる。

「マナ…」
マナは斧を片手で持ち、切っ先をヒショウに向けた。
「お前がなんで自分から着いていってるのかは分からんがな、どーせお前のことだから…逃げてんだろ。」
「……。」
「昔ッからそうなんだよなぁ、お前は。逃げてばっかのヒヨッコでさぁ。
最近ちょっと骨がついたかと思いきや、またしぼんで逃げてんだな、ばーか。」
「……。」

「でも、お前がそんだけのモン昔から抱えさせられてきたのも分かってる。攻めるしけなすが、見下しゃしない。」
「…!」
「どーせそれをルナティスが追っかけまわすんだ。付き合って私らも追っかけてやる。
だから安心して逃げればいい。いいか、お前が本当に私らを切り捨てない限り、付きまとうからな。覚悟しとけ。」

言葉に詰まっているヒショウだったが、何かを話す前にローグにさえぎられる。
「お友達の涙の別れ中に悪いがな、空気よめや。」
「空気はあえてよまない主義なんだよー、私は。
とりあえずこの場でその情けない男取り戻せるか頑張らせてくれよ。」
斧を構えると、相手のアサシン・ローグも獲物を構えた。

「私、乱交は趣味じゃないんだよねぇ。でも交渉によっては…相手してあげないこともない」
細身の彼女には不釣り合いの斧を肩に担ぎ、間合いを少しづつ詰める。
「やめろ、マナ!退け!」
「えーやだーちょっとくらい戦いたいー」
「それで殺されたらどうする馬鹿!」

「黙れ。」
アサシンが、ヒショウの首の後ろに刃を突きつけて言う。
「…アンタは先に行け」
これ以上騒がれてはたまらない。
大人しくこの女と戦おうと判断し、アサシンは目的のものをローグに任せて腰にさしていた剣を抜いた。

「チッ。そーゆー訳だ、姉さん相手はそのうち、な」
「…マナ=アルドレアだ。そのうち“それ”を受け取りに行くからその時に。セクシーなローグさん」

いきなり言われたローグはしばらく目を丸くしたが、笑ってマナに投げキッスをするとヒショウごと姿を消した。

「…どうゆうつもりだ」
「べっつにー?あの兄さん好みだったから自己紹介しただけ」

「……ならばお前に用はない。去れ」
「悪いけど私はアンタに用があんのよ」
マナはにやりと笑みを浮かべた。

「アンタにはたっぷりとゲロしてもらわなきゃ、ね!!」
マナはゆっくりと詰めた間合いに飛び込み、斧を降り下ろす。
受け止められないアサシンはそれを避け、横から剣をマナに突き出す。

彼女は済んでのところでそれをしゃがんでかわし、斧をそのまま振り上げる。
彼はまたそれを軽くかわし、マナとまた距離を保つ。

「私ってぇ、普段は穏和で優しいんだけど…」
微笑む彼女は目を細め唇を舐めて、斧を構え直した。
「アサシンってのが無差別に嫌いなのよ。ヒショウとかには悪いけど。
その澄ました顔をまっぷたつにしてやりたくなる。」

「ならば、そうしてみせろ」
いつもはふざけたようにヘラヘラと笑うマナが、人前では決して見せない、凶暴性を孕んだ笑みを浮かべた。
一瞬だが、それにアサシンは気おされる。
「はん、なめんなよ貧弱男が」