当ギルドの華、剣士のメルフィリアには許婚がいるらしい。
彼女はもともとは名門貴族で、それに反発していた家出っ子だ。
といっても彼女の家族はよくギルドに要らない支援をしてきてくれるし、メルも時々里帰りしてるけれど。
そんな彼女だが、許婚というしきたりに反感は無いらしい。
彼女が許婚その人を嫌いじゃないからだと思う。
「教会関連の方でね、ちょっと頼りないけれど顔はいいし声もいいし優しいの。」
絵に描いたような聖職者だという。
「セイヤ、あんた盗ろうとしたら殺すわよ。」
「盗らないよ!誰かも分からないし!!」
僕、彼女には心底同性愛者だと思われてる気がする。
そりゃあ、女の子よりは年上の男の人に惚れることの方が多いけど。
…あ、やっぱ女の子には魅力感じないや。
そんなわけで、当ギルドの華はもうお手付きなんです。考え直したら僕の好みの範囲外だからいいけれど。
あと、マスターのシェイディさんと副マスターのマナさんも恋人同士。
残る当ギルドのカップルは、バカップルことルナティスさんとヒショウさん。
の、筈なんだけれど…
「…ルナティスさん、今日は何したんですか?」
「あはは、今日というか、昨日?」
部屋の梁から麻のロープで簀巻きにされて吊るされてるプリーストという異様な光景を目にした僕。
けれどそれに動じないで冷静に救助に当たれる自分の心臓を褒めたい。
昔は縛られてるだけで、次には吊るされて、更には逆さ吊りになって、今日に至っては頭から流血して床に血溜まりが…
ってええええええ!?
どんだけえええええ!!!??
「ちょ、ヒショウさんいくらなんでもこれは…っ!?」
「あははー…なんか東洋の本に出てた拷問法らしいよ…すごいね…」
「のんきに言ってる場合ですかっ!!」
逆さ吊りにされて頭に血が上っても、傷から血が流れ出ていくっていう寸法ですか。
ヒショウさん、あんたどんだけSなんだ!!!
あまりの所業にここにいないアサシンに心底怒鳴った。
「ちょっとセクハラしたからって、こんな…」
「んー…セクハラっていうか…」
ルナティスさんが僕の耳に顔を寄せて、ひそひそと耳打ちする。
僕は思わず赤面したり顔面蒼白になったりして、項垂れた。
「………そりゃここまでされても仕方ないですね。」
「でしょ」
さっき心の中で怒鳴ったヒショウさんに、心の中で謝った。
そしてこうされると分かりながらやってのけるルナティスさんの根性はすごいと思う。
その顔はやっぱり血の気が引いて苦しそうだけど。
この二人に本当に愛はあるのだろうか…。
いやお互いにここまでのことをされてくっついていられるのは愛なのかもしれないけれど。
最近二人に、こう…恋人同士独特の甘い空気が感じられないしな。
ちょっと、不安だ。
「はよー」
「「あ、おはよう」」
部屋から寝ぼけながら出てきたのはアーチャーのウィンリー。
そういえばこいつは色恋話ぜんぜんでないなぁ、当人が興味ないみたいだし。
「ウィンリー、寝癖寝癖。」
「飯食えばポリンも治まる。」
「…寝ぼけてるね。座ってなよ。」
今日の朝食当番僕だし、モーニングティーでも用意してやろう。
まあ、なんて良妻な僕。
勤め先の教会でよくお茶やコーヒーは入れてるから手際の良さとちょっとの味の良さには自信がある。
すぐに誰か起きてくるかもしれないから5人分程用意をして、トレイに乗せてテーブルに持っていく。
そしてリビングに戻ればやっぱり人数は増えていた。
ルナティスさんとウィンリーはそのままで、レイヴァさんとシェイディさんが増えてる。
「おはようございます。」
「「おはよう」」
増えた二人の声が同時に響いた。
「レイヴァさん、マスター、お茶はいかがですか?」
ついつい教会で先輩にお茶を出す時みたいに敬語に営業スマイルが浮かんでしまう。
レイヴァさんは慣れたようにひとつ頷いて、マスターは「マナさんが起きてきたら自分で淹れるよ。」なんて優しく微笑んでくれる。
ひょっとしたら、僕の分がなくなるなんて気を使ってくれたのかな、なんて…。
マスターは本当に機転が利く人だから、ありえないことではない。
くうっ…始めて見た時、ルナティスさんに一目惚れしたみたいなトキメキはあったんだけどなぁ…
もうマナさんのお手つきじゃ無理だ、相手が悪すぎる。諦め諦め。
「ヒショウ、もう出かけたのか。」
あたりを見回しながら、マスターが口にするとルナティスさんが答える。
「うん、セイヤが起き出してくるちょっと前に。」
「…また怒らせたのか?」
「んー…まあね。」
「ほどほどにしろよ。」
「分かってるけど、つい。」
マスターと一番付き合いが長いのはルナティスさんらしい。
そのせいか二人は他のメンバーよりもよく話していると思う。
えーっと、マナさんは結構、品とか気にしない人だから(失礼)甘いにおいバリバリのキャラメルティーでも用意しておいてあげようかな。
「セイヤ」
キッチンで紅茶葉の整理をしつつ新たにお湯を沸かしていると、レイヴァさんがいつの間にか入ってきていた。
その手には、小さな文庫本を2冊持っていた。
昨晩彼に貸した僕の本だ。何でかは分からないけれど、突然借りたいと言ってきたのだ。
「ありがとう」
「あ、はい!」
それだけ言って彼は本を渡してくる。
きっと僕から聞かなければ感想も何も言わない、そんな気がした。
「あの、どうでしたか?この本少年少女向けらしいからレイヴァさんにはつまらないかな、って思ってたんですが」
だから、敢えて僕から聞く。
じゃないとこの人、本当に人付き合いが悪いんだから。
いや、人付き合いが悪いというか…クセが強いから誰とでも仲良く…とはいかないんだよなぁ。
「だからこそ表現もストレートで分かりやすい。面白かった。」
聞けばほら、こうやって答えてくれるのに。
それに、多分この人が一番僕を見てくれている。
それはたまたまギルド内に恋人がいない二人だから、かな。
ウィンリーは完全に自由奔放だから問題外。
「あの」
振り返ってくる顔はいつもぶっきらぼうで、「優しい」なんて言葉とは無縁に見えるけれど。
「レイヴァさんはどんな…」
どんな本がお好みですか、なんて聞こうとして固まってしまった。
不意に思い出してしまったから。
この人はいつもヒショウさんと同じ本を読んでる。
彼が読んでいたと思うと次にはこの人が読んでる。
たまたま本の趣味が似てるとか、ヒショウさんが面白い本を探し当ててくるとか、そんな理由しかないのだろうけど。
他意はないのだろうけど。
それでも、なんだか僕はレイヴァさんとヒショウさんをすぐに頭の中でくっつけがちだな。
「……。」
「あっ」
僕が悶々として沈黙している間、レイヴァさんは黙って待ってくれていた。
慌てて僕は代わりになる言葉を捜して、紅茶の好みを質問していた。
「お前が淹れてくれるのはどれも美味い。」
「…っ…」
「本も良いものがあったらまた貸してくれ。」
「はいっ」
みんなもくれる優しい言葉。
だけど普段ぶっきらぼうで、人に対してお世辞なんて言わないレイヴァさんに言って貰えると2倍うれしい。
アコライト仲間で、すぐに仕事サボる奴はきつく当たられたりしたってぶつくさ言ってたし
でも仕事ができなくても一生懸命の子には何も言わないらしいし。
…優しい人だと思う。
―― なんか、怖そうな人ですね、レイヴァさんって
少し前までそう思っていた僕に
―― だが、信頼できる。
そう言って、彼を一番に見抜いてたのはヒショウさんだけど。
はあ…皆、いい先輩…なんだけどなあ。
初恋がルナティスさんだったせいで、僕はすぐにヒショウさんに嫉妬する。
彼と仲がいいからレイヴァさんが気になるだけなんだ、きっと。
彼を敵視できれば、誰をきっかけにしたっていいんだ、きっと。
「やなやつだなぁ…僕って。」
紅茶を一通りセットして、今日は狩りより洗濯でもしたい気分だったから、ウィンリーの洗濯当番を横どりして、それだけじゃなくてみんなの部屋からシーツと布団をひっぺがしてきた。
これだけの量を全部洗おうと思ったら、きっとお昼を回るだろうな。
「手伝おうか」
洗濯物籠の山盛り5つを目の前に並べたとき、後ろから笑い混じりの声がした。
量にあっけにとられた様子のヒショウさんがいる。
…ちょっと怖い印象があるけれど、でもやっぱり男前なんだよな。
お腹の中で黒いものが渦巻くのを感じながら、僕は笑顔を作った。
首を横に振って、けれど思いとどまって「洗濯紐、もう一本張るの手伝ってもらえますか」とだけ言った。
「洗濯は?」
「僕がやります。やりたい気分だったので。」
「にしても、多いな。」
「それくらいやりたい気分だったんです。」
顔がいいとか、声がいいとか、背が高いとか、気がつけばいろいろ悔しくなる。
何より悔しいのは、きっと彼はこんな風に他人を妬まないことだと思う。
「引っ張るぞ」
「ちょっと待ってください!……はい、結べましたー!」
弛んでいた麻紐が、ピンと張られていく。
僕のいる木から、ヒショウさんのいる木まで。
「今日は、狩りに行かないんですか?」
「午後に、収集品を売りに行ってくる。」
「ルナティスさんは?」
「一緒だ。」
「…レイヴァさんは?」
一瞬、間があいた気がした。
「手首を痛めたらしいから、ハウスで休んでるんじゃないか?」
「そうですか。」
「…治療でもしてやれば」
「いえ、レイヴァさんの方がヒール強いんですよ。」
「そうか。」
僕は、バランス型だから。
「午前は、ハウスにいる。疲れたらいつでも手伝うからな。」
「ありがとうございます。」
普通の会話なのに、どこか上辺だけの穏やかさに思えたのは、きっと僕の心がやましいから。
あの人のことは、人として好きなんだけど、でもやっぱり妬ましく思えてくる。
「僕の邪な心も一緒に洗濯!」
できたらいいけれど。
できないってわかってるけれど。
できたらいいなって思いながら、僕はシーツから洗濯を始めた。
分かっていたけれど、洗濯は結構な重労働だった。
なんとか日が昇りきる頃にはギルドハウスの庭には洗濯物と白いシーツがカーテンのようにゆれていた。
疲れたけれど、ほのかな石鹸の香りがあたりに漂っていてとても気持ちがいい。
雨に、なりませんように。
祈るように両手を合わせてパンッと音を立てる。
そして洗濯桶と板を片付けようとして…
「…あれ?」
あるはずのところに洗濯用具一式が無い。
水桶までない。
「片付けておいたぞ」
低音ボイスがして、心臓が跳ね上がった。
振り返るとそこにいたのはやっぱりレイヴァさんだった。
ラフな格好で筋肉が鎧みたいな身体がはっきりと分かる。
普段あまり薄着をしない人がコットンシャツにボトムスだけ。
若干汗ばんで血色が良いのは軽く運動してきた後なんだろう。
レイヴァさんの後を追うようにして来たヒショウさんも、息があがっていた。
「あ、ありがとうございます!あの、運動してたんですか?」
「ルナティス、ヒショウと組み手を」
「へえ…誰が一番強いんですか?」
「誰、とは一概に言えないな。」
レイヴァさんが軽く笑いながらヒショウさんを振り返る。
「俺はスタミナが無いからな」
「だが短期戦ならお前が有利だろうな。」
「そうだな…、長期戦なら圧倒的にレイヴァだろうがな。」
そうやって話している二人は、戦友でもあり、親友でもあるような様子で、とにかく仲が良くて信頼し合っているのがよくわかった。
うらやましい、と思った。
僕にはそうやって信頼しあえる仲間がいないし、3人がそうやって一緒にいることが…
「セイヤもやってみるか」
「……へ?」
ヒショウさんに突然話を振られて、なんのことかわからなかった。
考え込んではいたけれど、二人の話し声は聞いていた。
皆でしている組み手について話していたはずだけど…
「ぼ、僕なんか全く!レベルが!」
「俺やルナティスだと早さや急所付きなんかが得手だから相手にするにはつらいだろうが、レイヴァはどちらかといえば受身だからある程度加減もできるだろう。」
「で、でも、レイヴァさんにそんな…」
「腕を見てもらうと思えばいいだろう。」
な、なんでヒショウさん今日は積極的なんだ…?
レイヴァさんを見ると、かまわない、という目をして頷いた。
「さて、セイヤにやられぬよう気合を入れるか」
やれるかボケエエエエ!!!!
自信なんかゼロ!
むしろ下手に頑張るより潔くボッコボコにやられてしまいたいわ!
…でも
輪の中に入れるのは、嬉しいかも。
「もっと積極的であっていいんだぞ。」
何故か小声で、ヒショウさんが僕に言う。
レイヴァさんは人足先に組み手をしていた敷地外へ行ってしまった。
「アイツは懐の大きい男だからな。」
もしかして、ヒショウさん…気を使って僕とレイヴァさんの組み手を進めてくれたのかな。
だとすると…僕の、気持ちに気づいている?
いや、でも僕自身この気持ちが本当に恋愛感情なのかは分からない。
むしろ、レイヴァさんを好きなんじゃなくて、ヒショウさんを敵視してるだけだと、そう感じる方が強い。
「…ヒショウさん、何か勘違いをしてませんかっ…僕は別に、レイヴァさんに特別な感情を抱いているわけではないですよっ」
弁解すると、彼は少し目を丸くして「そうなのか」と呟いた。
やっぱり、そう思ってたのか。
でもヒショウさんにしては珍しい発想のように思うけど、僕ってそんなにあからさまに顔に出てたのかな。
「てっきり、俺と同じなのかと思っていた。」
え。
今、爆弾落としませんでしたか、この人。
ギルド公認でルナティスさんという恋人がいながら…!?
まさか、なんだかやけにレイヴァさんと親しいと思っていたら本当に二股…!?
「セイヤは、父を知っているんだったか。」
え。
今度はいきなり何を仰いますか?
お父様は小さい頃から溺愛してくれて、今も健在ですよ。
「俺はどうも父親というのに幻想を抱いてるようでな。」
「…父親?」
少し恥ずかしそうに、苦笑いしてヒショウさんは言う。
「彼みたいな父親が欲しかったな、なんておかしなことをよく思う。」
そう言うヒショウさんは子供っぽくて
でも普段のイメージから想像できないようなことを言うものだから
思わず笑ってしまった。
そして心底安心している自分がいる。
少しもやもやした気持ちは晴れた気がして、ヒショウさんの好感も上がって
爽やかな石鹸の香りの中を、僕は駆け抜けていった。
ちなみにレイヴァさんの組み手は容赦がなくて、半べそをかかされることになりました。