翌朝。
目が覚めても、体はだるくてまだ目覚めるのを拒否していた。

それでも起きているうちに、昨日あったことを思い出してきてしまい、再び眠ることもできそうになかった。

どれくらい眠ったのか分からないが、そんなに長く眠れてはいない気がする。
日が昇っているのを小さな窓から見たのが眠る直前のことで、今もその明るさはそんなに変わっていない。
時計を見ると、3時間も経っていない。

けれど背後にはヒショウはいない。


「アスカ…?」

彼を呼びながら、ルナティスは体を起こしてベッドから離れる。
二人分の荷物もあるし、コートもある。

それでも出て行ってしまったのかと不安がこみ上げたが、すぐに治まった。
昨日寝るときに彼が着ていた紫の装束がシャワールームの前の籠に無造作に入っていた。

シャワールームにいるのだろう、けれどシャワーの音はしない。

「アスカ」

呼びかけても返事がない。
開けてみると、もうシャワーを浴びたらしい濡れた背中で、ヒショウが立っていた。
シャワーは水滴を少し垂らしているだけだ。

「……。」

普通に「どうした」と声をかければいいだけだが、昨日のことで考え込んでいたんだろうと思うと何も言えなくなった。

一般的に言えば、ものすごい壮絶な痴話喧嘩をした状態だ。
何事もなかったようにこうして様子を見に来ているルナティスの方がおかしいのかもしれない。

何も言えず、ただ冷えてより白くなった背中を見つめているだけになる。

「…いつまで見てる。」
「え」

ヒショウが突然そう言う。けれど背中は微動だにしない。
何となく、謝って扉を閉めようとした。しかしその手を掴まれて止まった。

彼の顔を見上げる前に、抱きしめられる。
濡れたヒショウの体は、水を被っていたのかそれとも体を拭きもせずに立ち尽くしていたからか、氷のように冷えていた。

「……。」

そんな行動をとっておきながら、ヒショウは昨日のことを謝るわけでもないし、何も言わずにただルナティスを抱きしめるだけだった。
言いたくても、何も言えないのだろうと分かる。
ルナティスも同じだ。

「……昨日、言ったこと…嘘じゃない。」

泣き入りそうな声で、そう言ってくる。
実際泣いているのかもしれない。

「……うん。」
「でも、離れたいわけじゃない…。」

分かっている。
ルナティスも暴力的な本音をぶつけてしまった。
そのことを、今もなかったことにしたいくらい後悔している。

濡れているヒショウの髪に頬を寄せる。
その瞬間横っ面を叩かれたような鈍痛が走った。

「いって…!!」

思わず身をよじると、ヒショウが離れてこちらを見てくる。

「…げ、ルナティス…頬物凄い腫れてる。」
「…アスカも、首痣になってるよ。」

昨日争った痕が、互いの体に痣になってくっきり残っていた。

「……どっかで、ポーションとかガーゼとか買わないとね…」
「とりあえずちょっとベッドに行ってろ、布濡らして持っていくから。」

シャワールームから押し出され、言われたとおりベッドに戻って座る。
眠れないのもあって体はだるいし、頬もどんどん痛くなってくる気がする。

「……。」

だが初めて気持ちを爆発させてしまったせいか、少し気分はすっきりしている。
すっきりはしているが、後悔で気が重いのは変わらないが。
それでもヒショウのさっきの言葉で、幾分か楽にはなった。

しかし正直言って何を言ったかよく覚えていない。
酷いこと言ったのは間違いない。



ガシャッ

「ん?」

突然隣に沸いて出た気配と、金具のような音にうつむかせていた顔を上げる。
気配はやはりヒショウで、バスローブを着て布をルナティスの頬に当ててくれていた。
一瞬痛んだが、痛みの波が引けばひんやりとした感触に腫れが抑えられていく気がする。

だがそれより気になるのは

「なに、この手錠。」

ヒショウ左手とルナティスの右手が、少し錆び付いた手錠で繋がれていた。
彼は無表情で「そういえばあったなと思って出してきた」とすれ違った返答をよこしてくる。

「いや、そうじゃなくて…なんで繋げられてるの?」
「…なんか、逃げられたら嫌だと思ったから。」

昨日の喧嘩のこともあるし、それで愛想を尽かされて出て行かれたら嫌だ、だから手錠で繋いだ。
道理だがヒショウには珍しく子供みたいな考え方をするものだと少し唖然とした。

「…昨日のこと、怒ってるか。」

そう聞かれて自分の感情をよーく思い返してみる。

「怒ってる、けどやっぱり反省もしてる。」

この至近距離にいて、キスをしてやりたいと思う、押し倒したいと思う、けどどこかで殴りつけてやりたいとも思う。
いつの間に、自分はこんな最低なことを考えてしまうようになったのだろう。
彼を傷つけたくないと、ずっと必死になってきたのに。

「お互い、内心不満抱えてたのは、よく分かったな。」

互いに「嫌い」「憎い」と傷つけあう言葉を口にしてしまった。
理性を飛ばしてしまったからこそ出てきた、心の奥底の本心だ。
2人ともそんな思いを抱えていた。

「…でも、それが全部じゃないよ。もちろん、お前のことが大切なのだって本心だ。」

言い訳のようにしか聞こえないかもしれないが、それでも必死にルナティスが弁解する。
それにヒショウも応じて頷いてくれる。

「分かってる。俺もそうだった。
でも、始めはお前のことが大切だっただけなのに、いつの間にか…
分からなくなるお前が、怖くて、不安で、嫌になっていたんだ。」

突き放すような言葉を口にする度に、ヒショウの表情が曇っていくのが分かる。
目を合わせることもできず、声も小さくなっていく。

「けど、昨日不満をぶちまけてお前を殴ったら少しすっきりした気がする。」

ぼそりとヒショウが言った声には、妙に力が入っていた気がする。

「あと、ルナティスに初めて罵られて、少し安心した。」
「ん?」

思わず首をかしげると、ヒショウがやっと顔を上げて目が合う。
彼も眠れていないからか、少し目が充血している。

「思えば、お前と喧嘩したこともなかったしな。」
「…そういえば、こうゆうのは初めてだな。」

「だから思ったんだが」

ヒショウが本気の目で、ルナティスの腕を掴んではっきりと言った。

「今度、互いに何か不満が募ってきたら殴りあうか。」





「ぶっ……」

思わず吹き出して顔を下げる。

「ア、アスカ…やめろよ…今、顔痛いんだから…」
「俺は結構本気だぞ。男女の痴話喧嘩みたいに影で突き合うより、男同士なんだから思い切り殴りあうのも手だと思う。」

尚、真顔で言って迫ってくるヒショウが可笑しくて笑いが止まらない。
しかし笑っても、笑いをこらえても、頬に力が入ってしまって痛みが走る。

それでも、痴話喧嘩の度に示し合わせて昨日みたいに殴り合うという姿を思い浮かべると、なんだか滑稽で笑いが止まらなくなる。

「…僕に向かって『怒ってる?』って聞くよりさ」
「ん?」

「アスカは怒ってないの?昨日のこと…」
「…さっき言ったとおり、今はスッキリした気分だ。
お前に呆れられてないかの不安の方が強い。」

でも、と言葉を途切れさせて、ルナティスの肩口に顔を埋めてくる。
やはり、彼の体は冷え切っていた。

「お前からあの言葉を聞いておかないと、多分お前はずっと俺に優しくするだけで
俺もお前の不満に気づかないで過ごしてたと思う。」

「うん」

「そんな上っ面だけで付き合い続けることの方が怖いから…
昨日は、喧嘩も出来てよかったんじゃないか、と…思う。」

「…うん」

言葉を少しずつ交わしていけば、もう互いに昨日の怒りは鎮火していると分かった。

「……。」

離れられることに不安を感じて、必死に体を寄せて、言葉を繋いで、手錠まで持ち出して
そんな幼馴染の姿が愛しくて仕方がなくなる。
いつの間にか、さっきまで胸の内で燻っていた暴力的な感情もすっかり萎えていた。

繋がっていない方の手を取り、互いに頬を寄せる。


「喧嘩の後は、仲直りしよーね。」
「……その通りなんだが…なんか、子供に教えるみたいな言い方だな。」

冷えている彼の体を気遣い、ベッドに入ろうと誘う。
手錠はまあ外さなくてもいいやという話になり、そのまま二人で布団に包まった。

ヒショウの体が温まるようにと、抱き込んで目を閉じる。







桜がどこも散り始めて、アマツの国から異国人が去り始めた頃。
街には港から城へ向かう大通りと神社やモンスターのいるエリアへ向かう大通りと2つがある。
それと平行、時には垂直に大小様々な道が走っている。
大通りからは離れたものの、店が並び栄えている通りがあった。

どれもよく似たつくりになっていて、暖簾や開いた扉から見える様子でしか見分けがつかない。
シェイディは手元の紙と辺りの店並びを探りながら、そのうちの1件に入っていった。

店内には、見るからにアマツの町民が数名店内を歩き回り、それと冒険者らしき服装の人が2人長椅子に座って休んでいるようだった。
視線を巡らせて、カウンターの奥にいる長身の男の姿に気づき近寄る。

「ヒショウ」

声を掛けると、彼は振り向いて目を丸くした。
特にうれしそうな顔はしなかったが、ただ驚いているという感じで嫌そうではない。

「シェイディ、久しぶ…」

彼が発したのは多少ぎこちなさはあるもののアマツ語だった。

しっかりとアマツでの仕事に定着しているのだと思うと、無性にうれしくなった。
ヒショウが苦笑いして、大陸の言葉で「久しぶり」と言い直してくる。

彼は後ろを向いて厨房らしい隣室に向かって何か声を掛けている。
厨房の誰かに仕事を任せると頼んでいるのだろう。
そしてカウンターから出て、シェイディに近寄ってくる。

ヒショウはカーキーのような薄手生地の浴衣に紺の羽織を着ていた。
髪も最後に会った時より随分伸びていて、毛先だけ束ねて左肩に落としている。
アマツ人とは体格も顔つきも違うのに、ずいぶんしっくりきているなと感心した。

「シェイディ、ずいぶん強そうになったな…」

最後にヒショウと会った時、シェイディは転生したせいで成長期前くらいの年齢だった。
今では背も随分伸びて、レベル上げもしたから体つきも戦闘型を誇れるくらいにはなった。

「向こうの部屋にいるのはルナティスか?」
「いや、最近手伝ってくれてる子だ。」

「ルナティスは?」
「あいつはまだ狩りがメインだから、プロンテラで臨時パーティーを組んでる。」

ヒショウが店の外に出ようと促してきてすぐに、厨房からアマツの女の子が出てきた。
何かをヒショウに言いながらその手に持った小さな盆を差し出している。
茶色い湯のみに入ったお茶とアマツの菓子らしい。

彼がそれを受け取って、シェイディのところへ戻ってきた。

「外の長椅子に座ろう。」
「仕事はいいのか?」
「ただの雑貨屋兼休憩所みたいな所だし、そう忙しくはならない。」
「じゃあ、せっかくだからあとで皆への土産でも買っていくかな。」
「小物と干菓子なら売ってる。」

微笑むヒショウの顔は実に穏やかだった。

それを見て、シェイディはずっと無意識に感じていた肩の荷が下りたような気がした。
それは多分、罪悪感のようなものだ。
ヒショウに残酷な未来(こちらからしたら未来予想図というべきかもしれないが)を見せてしまったことが正しかったのか
ずっと分からずに不安だった。

だがこうして彼が本来と違った道を歩いていること、何よりこうして穏やかにしていることが
自分の行動が失敗ではなかったという証明になる。


「………。」
「………。」

竹で作られた長椅子に座りながら、もう大方散ってしまった桜の木を見ていた。
先日雨が降ったからか、薄汚れた地面の花びらが少し寂しいなと思った。
そんなことを考えているうちに、二人ともずいぶんな時間無言になっていることに気づく。

それでも、嫌な沈黙の時間ではなかった。


「…良いところだな。」

お世辞にも綺麗とは言えない桜の跡。
だが静かなこの場所で眺めていると、春に全力で咲き誇った桜が荷を降ろし
穏やかな日差しと風を浴びて休んでいるように見えた。

つぶやくように言うと、しばらくしてからヒショウが「そうだろう」と返してくる。

「アマツの雑貨を売ってるのか?」
「それもあるし、逆にアマツ人向けに他国の物も売ってる。ルナティスが狩り先で大量に仕入れてくる。」
「なるほど…そうだ、その…ルナティスとは、どうなんだ?」

シェイディは一瞬聞くか否か悩んだが、それでも聞いた。
聞きにくいのは二人の様子が気になるというより、まだシェイディとしては二人の仲を認めたくないからだ。

「最近よく喧嘩するな。」

いかにも「うまくやってる」と言いそうな表情なのに、口から出たのは正反対の内容だった。

「……またルナティスが何かしたのか?」
「いや、俺が常連の客と仲良くしてたからすねたんだろ。」
「……なんだ、惚気か。」

シェイディは砂でも吐きそうな顔で親指程度の大きさの干菓子を口に放り込んだ。
それを見てヒショウが小さく笑う。

「最近、あいつも正直になってきたよ。」

あまり脈絡のない彼の言葉に、シェイディが「…というと?」と首をひねって聞く。

「不安とか、不満とか…嫉妬とか、束縛とか…そんな願望を口に出すようになった。」
「前からじゃないか?」

「前より、重い。」

昨日の喧嘩でも思い出しているのだろうか、ヒショウは初めて疲れたような顔をしてため息をついている。
彼が「重い」ということを思い返して、シェイディは息を呑んだ。

自分はルナティスの心と記憶を直に覗いたことがある。
彼がとある事件に巻き込まれて以来、プリーストとしての冒険者スキルを使用できなくなった時に
その原因を取り除くためにルナティスの記憶を探った。

今でも思い出すと吐き気を催す、醜悪な過去と、そこから生まれてしまったヒショウへの猟奇的な愛情。

まさか、それを表に出すようになったのか…
そう思うと、段々シェイディは血の気が引いてくる。

ヒショウも元々精神的に強いほうではない。
まさか、今度はヒショウの方が耐え切れなくなってしまうのではないかと思う。

シェイディが何とも言えず不安そうな顔で黙っているのに、ヒショウが気づいて怪訝そうに瞬きをする。
すぐに適当に笑ってごまかした。

「でもまあ、上手くはやってるんだろう?前は喧嘩というか、ヒショウが一方的に怒ってる感じだったし。」
「ああ…」

指先を暖めるようにほのかに湯気の立つ湯のみを何度も握っている。

「“あの未来”には成らずに済みそうだよ。」

シェイディの不安とは反対に、目の前の人は人生を謳歌しているように穏やかで幸せそうにしている。
その光景が答えなのだろう。

しかしまだシェイディは不安だった。
それを感じ取っているのか、ヒショウは小さく頷いてみせる。

思い出したようにヒショウが指先で干菓子の皿を進めてくるので、それを口に含む。
緑と黄色の粉を固めて、花の形を模っていた。

舌に残る甘い粉の感触を、苦いお茶が流す。
それが一番美味しく感じるプロセスだと言う人もいるが、シェイディは打ち消し合うよりそれぞれで味わう方が好きだと感じた。

また甘い菓子を口に放る。
それと散った桜の花の香りが鼻腔をくすぐる

「俺達は互いを主張しなさ過ぎていただけだと思う。
自分を押し殺して献身するのが相手の為だと、俺もあいつも思ってた。」

ヒショウが低い声で呟く。
彼は誰かに向かって話すよりも一人呟くように話す時の声が、滑らかに通って耳に心地よいと感じた。
シェイディは、光沢さえ見える黒髪が白い頬に掛かっている、コントラストの強い彼の横顔を眺めていた。
ヒショウは呟く。

「愛してるとか、好きだからとか、相手の為だとか
そんなきれいごと言って尽くしても尽くし切れる筈がない。」

そこに自虐的な響きは含んでいない。

「それに気付けないで自分を抑えつけ続けていたら、ルナティスも俺も、恐らく壊れていた。」
「………あの記憶みたいにか。」

「ああ。あの記憶で俺達の取った行動や感情を客観的に見て分かった。
それでも、別れるなんて出来ないくらい、俺達は互いに依存し過ぎてるんだ。
恋愛感情というより『一緒にいないと生きられない』と頭に刷り込まれてるに近い。
実際、長い間そうゆう境遇だったから。」

「なら、お互いに自分の不満ぶつけ合って喧嘩してられるんだから、もう大丈夫か…?」

ヒショウはシェイディに苦笑いしながらも、「ああ。」としっかり頷いて返した。
彼は笑いながら湯のみに口を近づける。

「だから、マナにはうまくやってる、って伝えてくれればいい。」

シェイディは少し動きを固まらせた。

「…マナもこっちに来てること、知ってたのか?」
「シェイディが自分から一人でアマツ旅行なんて来る筈がないから、マナに言われて送り込まれたんだろうと思っただけだ。」

ヒショウが「図星だろ」と問うような目で笑いかけてくる。
シェイディも笑って、空になった湯飲みを長椅子に置いた。

「まあ、二人とも心配だったから、どうにかやれてるようで安心した。」

ヒショウも湯飲みを空にして、頷いた。
まだ温かい緑茶の入ったきゅうすがあったが、もう一度中身が湯飲みへ注がれることはないだろう。
シェイディが立ち上がった。

「土産でも買いたい。何かオススメはあるか、店主。」

ヒショウが小さく笑い、長椅子から立ち上がった。





シェイディが去っていく背中を見送ったあと。

ヒショウは一人で長椅子に座ったまま、覚めた緑茶を口に含んだ。
正直、シェイディが来るまではルナティスとの喧嘩で少しイライラしていた。
それでも、許せる頃合いになれば…

『ルナ…』

会いたくもなる。
シェイディと話したことで、どれだけ自分がルナティスを失うことを恐れていたかを思い出した、それも会いたくなった理由だ。

『ん』

唸っただけのような、気のせいみたいな返事が返ってくる。
まだ、怒っているのだろうか。
どっちにも非はあると思うのだが。

『…今、狩り中か?』
『………。』

返事は沈黙、だがWISは繋がっている。
ルナティスが怒るのは最もだとも思う。
彼は独占欲が強いのに、恋人のヒショウが店の客との約束を優先させてしまった。
しかも相手は同い年の女性だったから彼の不安も増すだろう。

しかしヒショウの言い分としては、相手は店の客である上にルナティスより先約だった。
それにルナティスは軽い口約束で、ヒショウもはっきり了承はしなかった。

二人共に勘違いがあっただけだ。

『…謝らないぞ。』

ヒショウがそう言うと、返ってきたのは沈黙だ。

『…けど』

袂に入れている冒険者証に着物の上から触れる。
謝ったら負けだと、つまらない意地が邪魔をしている。
でもそんな意地もそろそろ限界だった。

『そろそろ、会いたい。』

「……結局、僕がお前に逆らえないの…知ってるくせに…」

まだ拗ねたような声。
だが、その声は右のすぐ耳元でした。

すぐ近くにくるまで気づかなかったのは、アサシンとしての勘が鈍ったわけではない。
ルナティスがプリーストのくせに身を潜めるのが上手いだけだ。
ひょっとしたら、ずっと近くにいたのかもしれない。

「ルナティス」

後ろから抱きしめられている体制のままだが、人通りもないのでそのままにさせておく。

「お前がいないと、寂しいしつまらない。」

そう言うと、首を絞められるんじゃないかというほど強く抱きしめられる。

「すぐ俺を怒らせるところも、見栄っ張りなところも、独占欲強すぎるところも、嫌いだけど案外好きだ。」
「アスカのそういう、性格悪いこと言うのとか、すぐに俺を放っておいて仕事に走るところとか、俺も嫌いだけど好きだよ。」

ルナティスの腕の力も緩み、優しく肩を包むように感じられてくる。
店から出てくる馴染みの客がこちらに気付いたが、見ないフリで出て行ってくれる。

仲直りのできそうな晴れの日だ。
今日くらいはルナティスを一番に考えて動いてやろう。

そう思いながら、昔と変わらず“アスカ”に甘えてくる淡い金髪を撫でてやった。



不意に思い出した喉に食い込んだ刃の傷みを振り切り、ヒショウはルナティスの手を掴んだ。

あの時、刃が食い込む身体が痛かった。
だがそれ以上に、ルナティスを孤独にさせた心が痛かった。



今なら、言える気がした。


(面倒くさいお前を憎んでるけど、やっぱり同じくらい)

「愛してる」




ルナティスは抱きつき拘束してくる腕を放して、小さく
「分かってる」とつぶやいた。





>END



あとがき(殴り書き)

テーマは
「沈黙の優しさ、残酷さ」
「言葉の優しさ、残酷さ」
「愛の在り処」

散々BL小説書いておきながらなんですが、私はまったく「恋愛」が分かりません。
「恋愛」の存在も信じていません。
ときめきみたいなシーンを書きながら「なんでこんなこと思うんだろうなぁ」と自分で謎でした。

なのでこの話はちょっとした試みです。
ルナティスとヒショウの話を〆にするつもりで「愛とはなんぞや」という疑問に挑戦しました。

愛する人に裏切られたとき
大して愛していなかったら、所詮自分のプライドが傷つく程度で、傷は深くない。
けれど深く愛していたら、相手への憎悪は深くなる。

二人の話を書いているとき、そんなプロセスができあがっていました。
一方的な愛情が永遠に続くわけがない、じゃあ続かないならばどうなるのか。
風化するか憎悪に切り替わる。
それがバッドエンドのルナティスでした。

正直、私の「恋愛」への認識では2人のバッドエンドしか浮かびませんでした。
これはもう6年近くこの2人の自キャラで小説を書いていて思っていたことでした。
「こいつら、今はいちゃついてていいけど、どう考えても末永く幸せにはならない」
何しろルナティスの献身的なキャラに「裏」があったので。

じゃあ、どうすればハッピーエンドにつながれるのか、とあれこれ考えたらこうなりました。
殴り合いのシーンを書くのが楽しくて仕方がなかった。
喧嘩は大事です。私は絶対にしたくないけど。

私なりにあれこれ「愛」についての哲学しながら書いてみました。
何か伝わっても伝わらなくても、適当に読んで貰えたら幸いです。