それは刷り込みのようなものだったのかもしれない。
絶望と血溜まりから生まれ変わった僕を貴方は拾い上げてくれたから…
[水霜の玉.2]
朝、庭には霜がたくさん出来ていた。
最近涼しくなっていたけれど、今日は急に寒くなった気がする。
「…カエデさんと出会って…そろそろ一年経つでしょうか。」
庭でカエデさんは枯れ葉には少し早い落ち葉を集めて焼芋をしていた。
その横で僕は足元の霜を踏み締めていた。
「んー、そーだっけかー?」
「ええ…確か朝にこんな霜が立っていました。」
「…妙なトコを覚えてんのナ、アンタ。」
「……けど、もっと寒かったような気もしますね。」
正直、僕の記憶は曖昧でうろ覚え。
だから時期とか月ではなく、寒かったとか霜がたっていたとか微妙なところしか覚えていない。
「…俺達の出会い一周年はもちっと先ヨ。あれは水霜じゃなくて、もっと冬の霜だったし。」
「水霜?」
「…ホラ、昨日はシトシト雨だったっショ。あれが凍って霜になってンの。」
「なるほど…なんだか綺麗な言葉ですね。」
「ウンウン。アマツは言葉の綺麗な国だからナ。」
…え。
アマツ…?
「…カエデさん、アマツの出身なんですか…?」
「まーね。名前で分からなかったか?」
「そう言われると…。」
「ヤケに驚くネ。そんなに意外?」
また、彼と彼女が重なった。
カエデさんと僕の妻、全然似ていないのに、何故か同じようなことを僕に言って…
些細な共通点がいくつかある。
「…そうではなくて…」
「ああ。奥さんもアマツ出身?」
「…ええ。」
「モミジさんだっけ。名前からしてアマツだ」
燃えて煙を上げる落ち葉を突きながら呟いたカエデさんの言葉に、僕は息を呑んだ。
彼に、モミジのことはそんなに話していない。
容姿や、名前も…それなのに、どうして知っているのだろう。
そんな僕の様子を見て、彼はいたずらっぽくニヤリと笑った。
「…夜。うなされながら言ってた。」
「え…」
「四日に三日のペースでアンタのベッドに忍び込んでるんだけど、半分以上は寝言でモミジモミジって言うンだよ。」
「忍び込むって…いつの間に…っ」
「ま、大目に見てくれヨ。頬にキスしかしてないし。はあ…にしても君は奥さんにメロメロだなあ。
夢まで見させるとは全く、恋のライバルながら感服だヨ。」
そんなことを言われると、思わず顔が熱くなった。
こんなに素敵な人が、自分を好いてくれている、それが嬉しいし照れくさいし。
それに最近、彼は露骨にそれを態度にだすようになってきた。
「お芋さん焼けたカナ〜」
顔が本格的に赤くなってきてマズイ、と思った頃には彼は芋の捜索を始めていた。
…一瞬ホッとしたけど…、そろそろ僕も逃げてばかりじゃ駄目…かな。
「カエデさん…」
「ん〜?」
芋を必死に捜索してる彼の隣にしゃがんだ。
少し、あがった熱を深呼吸して収める。
「カエデさんは、僕のことを好きだって言いましたよね。」
「言った言った。スゲー好き。」
「どこが?」
「全部好きだけど、そうだな…。
始めは、放っておけなくて、助けてやりたいって思った。
だからカナ…笑ってる顔を見るとすごくホッとして嬉しくて
今はもっと笑わせたいし、いろんな顔を見たいしナ。」
ニッと笑ってくる彼を見ていると、とても心が安らいでいた。
けれど、最近は胸が…騒ぐようになった。
また落ち着かなくなりそうで、僕は気を紛らわせようとモミジのことを思い出した。
「………僕も昔…モミジを好きになったきっかけはそんなだったかもしれない。」
「……ま、そんなアンタの一途なトコロとか、果てしなく優しいトコロだとかすっげぇ好きだな。
あと正直言うと…アンタの泣き顔も好きだった。」
…………それって…
すごく情けないような。
それに、はじめて彼に泣き顔を見せたのは…出会い頭だったけれど。
絶望に打ちひしがれて、自害しようとして…。
誰もいなくなってしまったこの家で、一人で死んでいくはずだったのに
いきなり誰かがキッチンに飛び込んできて、僕の手にあった包丁を取り上げて首の傷を手で押さえつけた。
何かを叫ばれた気がするけど覚えていない。
次に目を開けたときには、僕は自分の部屋のベッドで包帯でぐるぐる巻きにされて寝ていて…
カエデさんが泣きそうな顔をして隣にいた。
『貴方は…?』
『ん、タダの配達人。昨日の夜ここにお届けもの持ってきたら、人の気配があるのに返事が無くて
痺れきらして突入したらアンタが首切ってた。マジでビビったヨあんた。
外国慣れしてない俺に心臓に悪いモン見せないでくれヨ。』
ぺちぺちと額を叩かれると、なんだがあんなにも死にたいと思っていた…
絶望に沈んでいた心が嘘のように浮いていた。
ただ頭にあるのは…「誰この人?」というだけだ。
『忙しいのに、すいません。』
何故かそんな変なことが口を突いて出た。
『大丈夫。この配達ついでに故郷出るつもりだったし。』
『…あの、お届けものって…?』
『ああ、なんかだたの新聞の勧誘広告だったヨ、なんか変な名前の会社の。読む?』
『…要りません。』
『よかった。実はアンタの血で汚れたから捨てちゃったんだ。』
はは、と陽気に笑う彼を見ていると、ここが現実ではない…天国のか、死後の世界の安らかな場所に思えた。
それは彼が傍にいてくれるから。
彼が笑ってくれるから。
彼はこんなにもずっと傍にいてくれた。
これからも傍に…いて欲しい。
もっといっしょにいて欲しい。
「一緒に暮らしてきて、カエデさんが僕を好きだと言ってくれて…僕も分かりました。」
「うん?」
「僕もカエデさんが好きです。ずっと一緒に生きていきたいです。」
貴方を放したくはない。
モミジみたいに…消えてほしくない。
モミジの代わりなんていわない。
彼女を忘れることはできないけど。
カエデさんはカエデさんとして、僕の傍で一緒に生きて欲しい。
最上級の我が侭を、僕はねだる。
「っ!?」
腕を掴まれ、頬に手が触れてくる。
彼が顔を寄せて、唇を重ねてきた。
あまりに驚きすぎて、目を見開いて固まっていた。
柔らかい唇の感覚。
抱きしめている時のような安心感。
見えないほど近い、彼の目を閉じた顔。
心は絆されて……僕もやっと、目を閉じて彼に体を任せられた。
それから、僕は異様なまでに彼におぼれていた。
「…俺と公平組めないジャン。」
「非公平で構いませんよ?」
久々に倉庫から引き出してきた装備は少し付け心地がよくなかった。
カエデさんは僕より10以上レベルが下で、それに少しホッとした。
せめて狩りでだけは、僕がカエデさんを守りたいから。
けれど、カエデさんの方は少し卑屈になって唇を尖らせている。
「まあ、レベル下だし、大した装備もないし…俺の方が足手まといになるだろーが許してくれ」
「いえそんな。大切なのはレベルだとか装備だとか、そんなものじゃないですから。」
「おう、とりあえずがんばるヨ。」
選ばれた狩場は地下墓地・カタコンベで、僕も昔一人で狩りをしていた場所だった。
勝手は分かる、僕は最大限の力で彼を守れた。
それにやっと、自分の居場所が見つけられた気がして嬉しくなった。
やっと、少しは彼の役に立てた。
「くそぅ、イイとこなしじゃないか俺!」
…それは今までの僕です。
「そんなことありません。」
「だって俺の方がフローに守られてばっかだ。…俺が守りたいのに。」
「…うーん、まぁ…狩場とレベル差のせいでしょうね。」
「それが役立たずって言うんじゃないカ。」
役立たずなんかじゃない。
僕は…僕の務めを果たしたいだけだ。
「いつも僕はカエデさんに守られてます。モミジの時もそうで…いつでも支えられました。
だから僕は狩りの場くらいでは逆に守れるようになろうと思ったんです。
強くなりたいとか稼ぎたいとか思ってではなく、誰かを守ろうとしてここまで強くなれたことは僕の誇りなんです。
だから…カエデさん、この場くらいは僕にいい格好させて貰えませんか?」
………。
「…カエデ、さん?」
しばらく彼は無言、無表情でこちらを見ていた。
なのに突然、腕の中にしっかりと抱きしめられた。
「え、ちょ…」
……肩の甲冑が顔に当たって痛いんですが。
そう思っているうちに…服の前をあけられ、首筋に唇を寄せられた。
まさかここで押し倒してきたりなんかしませんよね!?
不謹慎な心配をしている僕を他所に、彼は首筋に舌を這わせている。
不意に思い出した。…そこは僕が切った痕。
そこを癒すように優しく舌を這わせてくる。
その優しさに胸が痛む。
「…アンタを、俺だけのものに…」
低く囁かれた声に、胸が高鳴る。
貴方だけのものになってしまえたら…
体裁も無く貴方にすがって…貴方を求めてしまえたら…
なんて、幸福なことだろう。
熱が、高まる。
「…っ」
しばしその熱に浮かされて、自分で自分に唖然とした。
あまりに情けなく不謹慎なことをまた考えていた自分に唖然とした。
唇を湿らせて、また少し一呼吸した。
「…今まであったことは、今の僕がある為に必要なことだから。」
また気を紛らわせるように、放すことに集中して…熱を忘れようとした。
自分には、そんな資格はないのに。
「ずっと後悔していました。僕の愚行、あの時お義父さんに子供を渡してしまったこと。
情けなくこの命を絶とうとしたこと…。でもそうしてきて、今の僕があるのなら
カエデさんが好きだと言ってくれる僕がいるのなら、後悔しません。」
後悔していない。
貴方に好きだと言ってもらえたから。
だからこれ以上を求めたら…自分はあまりにも浅ましく貪欲な人間に成り果てる。
きっと貴方にも失望される。
貴方の前では、優しい人でいたい。
どうか、どうかこれ以上乱さないで。
抱きしめてくる腕は心地よい。
なのに、自分の心の醜い部分を煽り立てる。
貴方が欲しいと泣きついてしまいそうになる。
「……だめ」
僕は咄嗟に小さく自分に言いつけて、彼を突き飛ばした。
「か、帰りましょう!!もう夕飯の支度しないと!!」
そう言いながら、彼の返事も聞かないでワープポータルを開いた。
押し込むように彼を入れさせて、すぐにその後に続いた。
甘えさせてくれる彼はとても心地良いけれど…
これ以上甘えていてはいけない。
彼を本当に深く愛したいなんて思ってはいけない。
彼もきっと僕を失望するし、僕も自分を許せなくなる。
モミジも…情けなくて、汚い僕を嫌いになってしまう。
我慢しなければいけない。
僕は深呼吸して、それを心で何度も唱えた。
その翌日。
僕は全裸でカエデさんのベッドに寝ていた。
「………………!!!!!!!!!!!!!!」
思わずあげた声無き悲鳴に、カエデさんがもぞもぞと起きだした。
何を思ったか、僕は咄嗟に彼に起きられるのはまずい、と枕を振り上げて、彼の顔を枕で押し潰した。
「んぶぉっ!!」
枕の下で彼がもぞもぞともがいている。
けど、今起きられたら……
僕はいったいどんな顔をすればいいというのか!
いや、でもこれは……
そうだ!昨日は確か彼と寝る前にお酒を飲んだんだ!
僕はまた思考の迷宮にはまって…酒をあおって…思い出した、酷く悪酔いしたんだ。
片手で咄嗟に腹や太ももを探って、その行為の痕はないことに気づいた。
よかった、悪酔いして脱いで寝ただけだ。
彼に抱かれた痕跡は無いから大丈夫…
そう言い聞かせて、僕は枕を外した。
「はっ……あん…た……はぁ、死ぬかと思った。」
「す、すいません…動転してしまって……」
なんとか平常心を保ちつつ、気だるそうなカエデさんに頭を下げた。
「あの、ごめんなさい……その、自分がこんな酒癖が悪いなんて…知らなくて。お酒もあまり飲まないので。」
「ん?いーよ、昨日のアンタ可愛かったから。」
「かわっ…」
また、そんなことを言われて動転する。
落ち着け、落ち着けフローズ。
ここでちゃんと謝っておかないと。
「本当にすいませんでした。完全にその…お酒の勢いで!」
「んー、まー、いーよ。」
「で、その…変なこと言ったりしませんでしたか、僕。」
「全然?すっげー可愛かった。」
…可愛い、って…何をしたんだ、僕… 。
「フロー。」
彼に名前を呼ばれて顔を上げた。
目に入ったのは、まだ少し寝ぼけ眼なカエデさん。
少し寝癖のついた髪がすこし情けなく見えるけれど、アサシンとして鍛えられた体はフォルムが綺麗で、健康的だ。
思わず顔が赤らむ。
そして僕はあることに気づき、見事に石化した。
「あの…カエデ…さん……それ…首…」
「ん?首?……あーひょっとして」
彼はいつもの調子でへらへら笑う。
「これ?キスマーク。」
一気に目に涙がこみ上げた。
「すいませんそれまさか僕が!!!??」
「あははーいーよいーよ、俺気にしてないから。」
ってことは僕がつけたんですね…!?
「にしても、フローって案外大胆なのネ。」
カエデさんはそんなことを女性みたいな身振りでふざけて言う。
…え、大胆…って、まさか…。
いやでも痕跡はない。大丈夫のはず。
ふざけてキスマークつけたりしただけだ。
「……すいません、カエデさん…昨日何があったのか性格に簡潔に教えてもらえませんか。」
「イイよ。昨日なんかフローが落ち着かないし挙動不審だからお酒飲ませて何考えてるのか聞き出そうとしたんダ。」
カエデさん、貴方の心中というか策略まで聞いていません。
「それで二人で悪酔いしタラ、フローにものすごい熱烈告白された。」
「…!?」
「酔ってるだけかなーと思ったんだけど、俺が我慢できなくてフロー押し倒してベッドインした。」
「……え、でも…僕、その……カエデさんにされたような感じないですけど。」
「いや、ベッドの中で俺が逆にヤラれた。」
僕、攻めだったのか。
じゃなくて!!!
「ごめんなさい!!ごめんなさい!!!」
もう情けなくて申し訳なくて謝ることしかできない。
しかもそんなことをして酒の勢いだなんて、翌日覚えてないなんて。
「わっ!」
いきなり寝ぼけていたはずのカエデさんにものすごい勢いで飛びかかられ、ベッドに押し倒された。
体温のしみこんだ温かい布団と、カエデさんの体温に包まれて、とても気持ちがいいと思った。
「酒飲ませて誘ったのは俺だってーの。謝んなヨ。」
「でも…っ」
「俺はもうアンタを放す気は無いし、逃がす気も無いから。
アンタが本当に嫌がってるならやめるけど、アンタがただ自主規制してるだけなら…」
髪、額、米神と優しく口付けられた。
「アンタの本心また引き摺り出してヤル。もっと俺に溺れればイイ。」
キスマークの残る胸に抱きこまれて、すぐ近くでカエデさんの心音がする。
とても穏やかだけど力強い…泣きたくなるほどに。
もう僕が最愛だった人には求められないそれ。
ここまで触れ合ってしまって、僕は彼を求めることを抑えられようか。
モミジを忘れたりなんかしない。
絶対にできない。
けど、僕は寂しいし、悲しいから。
傍にあまりに温かい人がいるから。
まだ続く。