あの歌を送った時から 俺は心に決めていた



[水霜の玉.6]




あれから一週間ほどがたっただろうか。
この部屋はいつでも甘い香りがしていて
この国ままだ雪が降り続いている。

やっと、僕は歩けるようになった。

「行かれるのですか。」

彼女が襖を開けて、部屋の外に正座していた。
律義に深く一礼して部屋に入って、優雅な動きで静かに襖を閉じる。
彼女が動く度に手首から垂れる鈴の飾りがチリンチリンと音をたてる。
「雪は明日には止むでしょう。明日になさいませ。」

「……はい。」
さっきまで、カエデさんに会いたくて仕方なくて、歩けるならすぐにでも行こうと思った。
でも…カエデさんの生死を確認したらどちらにせよ僕はここを離れ、二度とカエデさんとモミジに近づくつもりはない。

だから、今はまだ安静にしていよう。
…遅かれ早かれ別れは確実。
女々しいけど…まだ答えは知りたくなかった。

「…よろしゅう。後で朝食をお持ちしますから、どうぞお食べ下さいな。」
彼女にっこり笑ってまた一礼した。
その動作でまた鈴がチリンと鳴った。

看病されている時にこの音を聞いて、僕は彼女と何処で会ったか思い出した。
雪の中、死に求めていた僕を止めてくれた女性だった。
…僕は彼女を突き飛ばして逃げたけれど。

あの時は恐かった鈴の音が、今はこんなに心地良い。

「ありがとうございます。ところで、その腕の鈴は…?」
「ああ、耳障りでございましたか?」
「いいえ。…とても綺麗な音ですね。」
「それはよございました。」

彼女はそっとその鈴を指先で撫でた。
子供に「よかったね」と言うように。

「…これは…ある人の遺品です。」
「……。」
なんとなく、そんな気がした。
彼女の大切なものなんだろう、と。

「申し遅れましたが、私の名は鈴といいます。大陸から来なさった冒険者の方がこの店に立ち寄った時に、洒落で私にと。」
「洒落、ですか…」
「でございますよ。飲みにいらしたのは数えきれず、けれど私を情婦としてお買いになったのは一度だけでした。」
「……。」

彼女があまりに上品だったから忘れていた。
ここは遊郭の離れで、彼女は性を売る唱婦だと。
けれどそれでも彼女が清く思えるのは彼女の心が綺麗で、誇りに満ちているから。
不思議と嫌悪感はなかった。

「どうしてお亡くなりに?」
「冒険者にはよくあることでしょう。」
「……そう、ですか。すいません、ずかずかと聞いて。」

死因は冒険者というだけでよく分かった。
魔物と闘い、敗れて死ぬことは冒険者として名誉な死に方と言う人もいるけれど。

僕は今更申し訳なく思って頭を下げた。

「いいんですよ。私には何より綺麗な思い出ですから。」
そう言った彼女には何故か哀愁は見えない。
嬉しかった、楽しかった思い出を語るようにどこか嬉しそうだ。

「…だんなも、大切な人を亡くされたのでしょう。
何があったのかは私の知るところではございませんがね。
あの雪の中で見た屍のようなだんなには…昔の私を感じました。」

彼女の黒く澄んだ瞳は僕の心を見透かしている気がした。
僕は促されるようにうなずいた。
それを見ると彼女はニコリと微笑んだ。

「仮使興害意推落大火坑念彼観音力火坑変成池」



「……は?」

微笑みながら彼女は突然意味不明な言葉を発した。
アマツ語…なのだろうか?アマツ語はそれなりに会得したつもりだったが…
今の言葉はさっぱりわからなかった。

「念仏の一辺ですよ。分かりやすく言えば、例え火の穴に落ちても心穏やかにすればそれは池に変わる。そんなところです。」
「…アマツの宗教、ですか。」
「でございます。けどまぁ私は無宗教ですから、共感した言葉を断片で覚えているだけです。
ちなみに、この言葉は具体的な奇跡を言っているわけではありません。」

彼女は鈴のついた手を前に差し出して、軽く振った。
鈴はチリンと小さな音を立てる。

「憎しみ悲しみ憎悪に溺れてしまっても、心を穏やかになさいませ。
その奥、その先には光があるものです。
災いを転じて福となす…とも言いますね。」

「………貴方は、それで今、そんなに穏やかで清くいられるのですか?」
僕がそう聞くと、彼女は一瞬きょとんとして、それからクスクス笑い出した。

「穏やかでも清くもありませんが…辛さはなくなりました。」
「……。」
「だんなも、どうかそんな未来がありますよう。」

彼女はチリンと鈴を鳴らして手を合わせ、祈ってくれた。





「カエデさん…」

僕はじっと木の門の前にたたずんでいた。

雪が止んだのを見たら…
鈴さんが祈ってくれるのを見たら…
急にカエデさんに会いたくなった。

幸せな未来はいらない。
ただカエデさんの生死の確認を。


『例え火の穴に落ちても心穏やかにすればそれは池に変わる。』
『憎しみ悲しみ憎悪に溺れてしまっても、心を穏やかになさいませ。その奥、その先には光があるものです。』


僕の愛しい人たちを傷つけた、その罪悪感が僕の火坑なら…池に変わることなんか望まない。
この罪悪感を抱えたまま、カエデさんの幸せを願いながら生きていければ。

僕は門叩こうとした。



けれど、僕が叩くよりも先に中からバタバタと騒がしい音が聞こえた。
人が何人も叫んだり、走ったりする音。
そして突然内側から蹴り飛ばすように門が開かれ、僕は危うく潰されそうになって慌てて引いた。

「む、貴様は…!!」

地鳴りのような低い声、頭上から落とされたのは…僕を何度も殴りつけた、モミジとカエデさんのお父さん。
僕を見るなり、しかめていた顔をさらにしかめた。

「やはり、貴様の差し金か!!!」

差し金…?
なんのことか分からず、僕は呆然としていた。
けれど、義父さんが腰に刺していたアマツの刀に手をかけたのを見た瞬間、血の気が引いた。

「待ってください、一体何が…」
「楓まで…楓まで渡してなるものかあ!!!」

僕の話は聞いてもらえないまま、彼の腰元から銀光が煌いた。

「っ!!!」



しばらく、僕は気絶したように錯覚した。
斬られたと思ったから。
目を開けると、目の前には人の足があった。

「楓…!!?」
カエデさんの名前に反応して顔を上げた。
僕の前に立って義父さんの刀を受け止めているのは、カエデさんのアサシン装束の後ろ姿。

「父さん…」
僕には聞き慣れない、カエデさんの低くて真剣な声。
「紅葉は死ぬまで…いや、死んでも構わないくらい、幸せだったよ。フローズがいたから。」
「お前…お前までその男にほだされ」

「あいつは俺達を捨てられるくらいフローズを愛してた。俺達がフローズを毛嫌いしてなけりゃ、こんなことにはならなかっただろうよ。」
「何を言ってる!カエデ、お前だってその男を憎んで」

「憎んだ、殺そうとした。けど今はその自分が憎い。
フローズをボロボロにした俺達家族が憎い。
紅葉が死んで、1番悲しんだのはフローズなのに、コイツは俺達の悲しみのはけ口にされてた。
それでも誰も責めなかったよ、フローズは。」

「何を吹き込まれた!そいつは紅葉を殺したんだぞ!!」
「もう何も聞かない。俺はフローズを守る。紅葉と同じように、フローズの為に家族を捨てる。」
「カエ…ッ!!」

カエデさんは自分のお父さんを蹴り飛ばした。
その光景を、僕は別の世界のことのように呆然と見ていた。
「おら!立てフローズ!!」
けれど僕はカエデさんに腕を捕まれ、呆然としながらも走りださざるをえなくなった。

雪に足をとられながら、必死に足を踏み出して走った。

カエデさんがいる。
目の前に。

もう、置いていかれたくなくて、夢中だった。

しばらく走って、雪が花のように積もっている桜の木の広場にたどり着いた。
カエデさんはドサッと木の根本に座り込んだ。

「あー、いって…頭くらくらする…」
その言葉を聞いて、僕はゾッとした。
まさか、怪我が悪化したりはないかと。

「怪我は!?カエデさん、いきなり走って…」
「ん?ああ、ダイジョブ、先に落ちたのフローズだカラ、フローズこそ大丈夫かヨ。」
カエデさんは優し気に聞いて、僕の髪を撫でてくれる。
以前と何も変わらず。

「…何て、顔してンだよ…」
カエデさんは苦笑いしながら僕の涙を拭ってくれる。
「この場で押し倒したくなるゾ」

「こ、ここでとか…さ、寒いですよ!!!」
「え、それ違くね?ツッコむとこ違くね?」

ま、真顔で言うから、そんなふざけた言葉にも凄くドキドキした…。

「あ!やっべ、忘れてた!!大丈夫かな…」
カエデさんが慌ててだしてきたのは…ずっと片手で抱えていたらしい、白い布に包まれた固まりだった。
「なんですか、それ……って!!!??」
布がズレて、見えた中身に悲鳴を上げそうになった。

…中身は緑の髪の赤子だった。
「おぉー、あれだけ走ってモぐーすか寝てるとは…かーちゃんに似たんだナァお前。」
指先で赤子の頬を突きながらカエデさんは笑う。

「カエデさん…まさか、この子…」
彼は一度頷いて赤子を僕に差し出した。

「…アンタの子だ。そこにいるのが正しい。」
ずっと、会いたいと思って、そして諦めていた子供が、腕の中にいる。
感動にうち震えながらも、僕はまだ信じられなかった。

「…駄目、です…カエデさん…この子も貴方も、あの家にいるべきです。僕なんかの傍にいてはいけません。」
「…この子が、母親も父親もイナイ、誰も優しくしない家にいるべきダ、本当にそー思ってるンか?アンタは。」
「……」

「あの頭固い親父とお袋がこの子を受け入れるなんて無理な話サ。先は見えてる」
「けど…これじゃあ僕は…あのお二人から…何もかも…」
「フローズ」
遮るように名前を呼ばれて、僕はカエデさんを見上げた。

あの優しい瞳が、また目の前にいるのが夢みたい…。
「アンタがいないと駄目なんだ…。それは不幸なんかじゃナイ。
俺と紅葉はアンタにシアワセの意味を教えて貰った。
あの親の傍じゃあ俺達はゼロかマイナスのものしか得られない。」
「そんな、僕は何も」

「優しくしてくれタ。温かい笑顔をくれタ。俺の傷をそっと癒してくれタ。
全身全霊で俺達を愛してくれタ。だから俺も、他人に…
アンタに対してそうしてやる大切さも知った。」

引き寄せられる。
抱き込まれる。

「アンタが俺の全て。運命なんてクサい言葉使えるクライにアンタが好きダ。」

カエデさんの鼓動に包まれる。
外はとても寒いけれど、ここだけはとても温かい。

「アンタといたいから、俺は親も、紅葉も、故郷も捨てる。」

それでは一人の男の人から多くのものを…僕が奪ったようなもの。
それでも僕は…。



「う、ああぁぁ…」

僕はカエデさんの腕の中で、消え入るような声で泣いた。
それはきっと、罪悪感と歓喜が入り混じった涙だった。

それでも僕は…この人を愛している。
本当は一緒にいたい。
彼も望んでくれるなら、他の誰が咎めようと、僕は彼を求めることを抑えられるはずもない。







雪が静かに降り積もる夜。
暗い部屋で、灯篭一つ灯して女性はアマツの民族楽器―琴―を奏でていた。
緩やかな音の流れ、出される音の一つ一つが人の心に何かを訴えるようだ。

「…隠れてないで、出てらっしゃいな。」

女性は音を止めないまま、部屋のどこかへそう呼びかける。
すると女性の脇から騎士がそっと姿を現した。

「バレたか、流石は鈴。やっぱこうゆうのはアサシンじゃないとなぁ…。」

騎士は頭を掻きながら鈴の隣にそっと座った。

「何をしにきたんです?」
「ん…俺と鈴が拾ってきたプリースト、あいつの結末をな。」

騎士の言葉を聞いて、鈴がそっと音を消し、琴から指を離した。

「彼は…光を見つけれましたか。」
「ああ。俺たちに助けを求めてきたアサシン、アイツと大陸に帰っていったよ。あと何故か子供を抱えてたけどな。」
「子供……。」

子供、それを聞いてしばらく考え込んだ鈴は、不意に笑みを浮かべた。
そして小さく息を吸って、声を紡ぎだす。

「露染める 枯れた言の葉 絶えたるる 
              照らして跡訪えよ 水霜の玉」

鈴の澄んだ声に惚れ惚れとしていた騎士だが、声が途切れると首をかしげた。

「なんだその詩。」
「どこかの下手な歌人さんが作った歌のようで。
でもまあ…思いはたくさんあったんでしょう…。」
「ふーん…どんな意味だ?」

彼女の腕に付けられた鈴が小さく鳴いた。

「雨の露に濡れた枯葉が朽ちていく。早成りの霜の光よ、枯葉を照らしてそれを弔ってやってくれ。」
「寂しい詩なんだな。」
「ええ。でもアマツの歌にはもう一つの意味があることが多いんですよ。
この歌の場合、下手すぎて上手く掛けられていないというか
まあ無理矢理掛けていると言いましょうか。」
「…俺にはわからねえわ。もう一つはどんな意味なんだ?」

「露に濡れた枯葉が朽ちていくように、涙を流して彼の言葉は死んでいく。
母の羊水に浮かぶ赤子よ、その光で彼を照らして弔っておくれ。」





「てカンジで、あの歌作ったアタリから密かにフローズは絶対誰にも渡さねー宣言してたワケだ。」
「…どうしてそう繋がるのかさっぱり分からないんですが。」

カエデさんの両親の追跡を恐れて、僕達はアルデバランの方へ移動してきていた。
最低限の引越しを済ませて一息ついた頃、僕はなんとなくあの歌のことを思い出してカエデさんに聞いていた。
彼が考えていたことを一生懸命詰め込んだ歌らしいが、最終的にもうわけがわからなくなって勢いで作ったらしい。

だがとりあえず、一見は悲しい雰囲気の歌なんだということは理解できた。
そしてもう一つの意味も悲しいものだけれど、それには更に裏がある、とカエデさんは言いたいらしい。

「モミジとモミジの子から、アンタが弔われて別れる。つまり俺のところへ舞い降りてくるワケだ!
…ま、アンタはモミジとかを捨てる気はなさそーだったけどナ。」

…それが、悲しい歌の裏を返した本当の意味らしい。
僕に「モミジのこともモミジとの子供のことも忘れて俺のところへ来い!」とカエデさんは訴えていたと。
カエデさんはあまり願いを口にする人ではないと思ってたんだけどなあ。

「では、ミズシモの玉と言うのは子供のことを意味しているんですか?」
「そーそー。水霜っていつだったか話した意味だけじゃなくて、母親のお腹の中の水の意味もあるらしいンだ。」
「羊水ですか。」
「カナ?」
「そうですか…。」

僕は腕の中で小さく声をあげている赤子を眺めていた。
…髪の毛は緑だけど、顔はモミジより僕に似ている気がする。
小さな手を僕の方へ差し出してきたので、指を出したら握り返してきた。

「名前、ミズシモにしようかな…。」





「やめとけヨ。」

僕がぽつりともらした言葉に、たっぷり時間を置いてからカエデさんがつっこんだ。

「なんでですか。」
「大陸としてもアマツとしても語呂も意味も悪いゾそれ。まぁ、知り合いにササメユキとかもいるけどナ?」
「じゃあタマ…」
「もっと悪い!!それはいじめに遭うぞ!?」

なんとなく、カエデさんの歌から関連付けた名前にしたいのにな…。
そうすればこの子はモミジの子だけど、カエデさんとも関係すると思えるかと思って。
…ああ、そうだ。

「じゃあ、カエデさんがつけてあげてください。」
「は?」
「はい、どうぞ。」

僕はそっとカエデさんの腕に赤子を抱かせてあげた。
心の中で『お前の名付け親だよ』と言いかけながら。
受け取ったカエデさんは困ったように視線を泳がせている。

「……んじゃあ……モンポチョール」
「張り手しますよ?」
「うわ怖っ!フローズがいきなり怖っ!!」

カエデさんはまたうんうん唸りだした。
そして赤子の顔を見たまま、5分ほどたった頃だろう。
彼は顔をあげて、僕に微笑んできた。

「――― …」






モミジ…僕は、君の元へいけるだろうか。
悲しくて、寂しくて仕方がなかったんだ…生きるのも嫌になるくらい。

けど今は、カエデさんが僕を支えてくれている。
君との子供も僕の腕の中にいる。
だから僕は生きていける。

君の元へいけなくてもいい。
離れていても、僕はずっと君を愛していたし、これからも愛している。
君と、君との子供と、君の兄も…
僕は精一杯この子に愛を注いでいくと誓うよ。

君にごめんという言葉は、言いすぎた。
だから今は君に心から感謝している。
命を懸けて、この子をこの世に誕生させてくれてありがとう。
君と僕の大切な繋がりを作ってくれてありがとう。

僕にたくさんの愛すべき人たちと繋がらせてくれてありがとう。



僕は今、とても幸せです。







「ほーら、ママだよー」
「カエデさんがママなんですか。」

「ああ、最近はフローズがママか。」
「最近は、って何を根拠に決めてるんですか。」
「夜の上下。」


「……。」


「ゴメンナサイ、フローズサン目ガ怖イデス、反省シマス。」
「…かしてください。ご飯あげる時間です。」

「そうか。じゃあママ、俺にもママのお乳くれ。」


「出るかヴォケエエエ!!!!」
「ママなんかキャラが変わってるゾオオオ!!!!??」




     *完結*

 


完結したはず!(爆)
ちょっとリハビリもできたようなかんじが…します…
エロはできなかったけど…!!(したかったのか)