許してくれ。
助けられなかったことを
罪を忘れようとしていることを
忘れてしまったことを…


 

誰かが茂みの奥で倒れている。
女の人。
嫌な匂いがする。
むあっとするような…

その女の人の周りは赤かった。
少し黒っぽい赤だった。
血。
その赤は女の人の体にも染みていた。

目が合った。
まだ生きてる。
けれど、助かるだろうか。
いや、これはもう助からない。
違う、助けなければ。

「待って、て…誰か、呼んでくる…」
彼女に言う声が震えている。
足が重い。
行かなければ行けないのに、足が動いてくれない。

―タスケテ
苦しそうな女の人の声。
人のものではないような声。
けれど、どこかで聞いたことがある気がした。

―タスケテ、タスケテ、タスケテ
いつの間にかズルズルと体を引きずって歩み寄ってきた女の人は
逃げようとする少年の足を掴んで、腕を掴んで
赤黒いその血の海に引きずり込んだ。
足の先から腰あたりまで、信じられないほどに深い血溜まり。
だがまだ体が沈んでいく。

「嫌だ…」
少年は血溜まりに引きずり込まれながらも抵抗した。
女の人はタスケテと言いながら彼を押さえつけて引きずり込む。

「嫌だ!!嫌だァアアア!!!!!」

 

 

 

全身が焼けたように熱い。
頭が痛い。
喉が乾いている。
水が欲しい。

「…っ…」

屍のように、シーツがグシャグシャになったベッドを降りて、部屋をでる。
視界がハッキリしているのに
それを認識している頭が覚醒していない。
自分がどう歩いているのか分からない。

ただ、今かすかにある日常生活の記憶と本能だけで水を求めて、台所にたどり着いた。
水道の蛇口をひねって水を出す。
手にすくって飲んでも、一向に喉は満たされない。
喉が熱い。
体が熱い。
ただ水を飲んだり、顔をバシャバシャと洗ったりし続けた。

突然、胃から何かが込み上げてくる。
「…っう…っ」
流しにそれらを吐き出した。
たった今飲んだ水と、胃液。
喉が余計に熱くなった上、口の中が酸っぱくなった。。
また、水を飲む。

 

ごめんなさい。

ただ、何かにひたすら謝っていた。

許して…。

自分が、何をしたのかも分からず、ただ罪悪感だけがある。
自分が何を抱えているのか分からない。
知らないうちに、それに侵食されて
壊される。

嫌だ。
助けて、誰か
この苦しみを忘れていたい。
重い罪悪感を
刻まれた恐怖を
忘れたい。
誰か、傍に居て。
独りは嫌だ。
押しつぶされてしまう。
コレに殺されてしまう。

誰か…
ルナティス
助けて
いつものように傍に居て
何もなかったと安心させて
僕を、許して
この罪から

 

「アスカ」
聞きなれた温かい声がした。
縋るようにそれにしがみつく。
人の体がある。
温かい。

「君は何も悪くない」
暗示のように声が響く。
重くなった体中に響く。

「許して…」
けれどまだ、当人は開放されない。
胸が苦しい。
ココロが潰される。
その痛みにもがく様に、ルナティスにしがみつく。
もっと、もっと、と何かをねだるように腕に力が込められる。
異常なほどに。
ルナティスの肋骨が軋むほどに。
背中にまわした手が服を掻き毟り、薄い布は簡単に破れた。
直に皮膚を掻き毟られ、血が滲む。

それでも彼は苦痛を顔には出さずただ微笑んで、腕の中で震えている少年を抱きしめる。
「ずっと一人でがんばってたじゃないか。」
肺が潰される。
けれど、ただルナティスはできるだけ優しく話しかける。
「誰も君を責めないよ。」

「でも、あの人、がっ…」
ルナティスの胸元に顔を押し付けたまま泣きじゃくりながら、何かを呟いていた。
「あの、人が…僕を、まだ恨んでる…」
「“彼女”は死んだよ。君のせいじゃない。もう助からなかったんだ。」
「僕はまだっ、許して…もらえない、んだ…」
見上げてくる青年の顔は、信じられないほど幼稚に泣き崩れていて、面影もない。

ルナティスの微笑みに苦しいものが混じる。
息が詰まる苦しさや、肋骨がきしむ苦しさではない。
心が苦しい、痛いほどに。
彼を、守りたかったのに
何が彼をここまで蝕むのかがルナティスにも分からない。

「皆許してくれる。君を苦しめてるのは、君自身だよ…」
多分。
だって、ルナティスがみた“あの人”の最期は
少年の腕の中で、泣き微笑んでいたから。

「だからね…楽にして、何も考えないで」
眠って。
起きれば全て忘れている。
忘れれば解決できるわけではないけれど
起きていればただ君が苦しむだけ。
君の病んでいく姿は見たくない。
「目を閉じて、ゆっくりと息をして」

―――僕が傍に居るから、眠るといい。きっと苦しさを忘れられる。

 

 

「おやすみ、アスカ。」
ルナティスがそう言って、さっきまでの苦しみようからは信じられないほどに、ゆっくりと安らかな寝息をたてたヒショウの髪を撫でていた。
彼のその手馴れた一連のやり取りは、まるで催眠のようだった。

シェイディはずっと台所の外から覗いていたが、話の筋はイマイチわからない。
ただ離れたところで目を丸くしていたら、ルナティスがこちらに苦笑いを向けていた。
「シェイディ、ヒショウを運ぶの、手伝ってくれる?」
「あ、ああ…。」
ヒショウはいくら動かしても、起きる気配はなかった。

「なあ、さっきのあれは…なんだったんだ?」
いつもならぐっすり眠っている時間だが、さっきのやりとりが気になって、眠れなくなってしまった。
シェイディの質問に、ルナティスはちょっと考え込んで、それでも話してくれた。
「ヒショウの、もう一個のココロの病気、かなぁ」
彼にもはっきりとはわからないらしい。

ってゆーかヒショウ、病みすぎだ…どんな風に育ったんだろう?

「せっかくだから、この際…全部まとめて聞いてくれる?」
ルナティスの微笑みに、少し影が差している。
シェイディは同居人としてヒショウのことを少しでも多く受け止めようと、小さく決心して頷いた。