きっと全てはあの日に始まったのだと思う。
けれど、何があったのかは誰も知らない。
当の本人も忘れている。
あの日から何が彼をこんなにも蝕み始めたのか
それを知る術は、僕らにはない。


 

アスカ。
ヒショウの冒険者登録名ではない。
名もないまま孤児院に捨てられていて、そこで授かった彼の本当の名前。

アスカは豊かではない孤児院で子供たちをずっと支えていた。
彼自身も孤児で皆と同じくらいの子供なのに、できそこないの院長よりもずっと皆に頼りにされていた。
責任感があって、強くて、何よりも優しかった。
配られるわずかな食料は、必ずといっていいほど具合が悪い子に分けていたし
空腹を訴える子の為に、一生懸命本を読んで食べられるものを森から探してきたりしていた。

ルナティスもずっと彼に頼ってばかりだったが、彼に憧れて、同時に彼が疲れてしまわないか心配で、ずっと傍に居た。
アスカはどんなときでも大丈夫だと笑って見せていた。
今のヒショウからは想像できないほどに、よく豪快に笑っていた。半分が無理に笑っていたのだろうが。

けれど、ある日。
アスカとルナティスと他何人かの子供たちで、皆で食べるものを別行動で探していた。
皆で決めた集合時間になってもアスカが帰って来ず、探しにいこうとしたとき
彼は血まみれになって戻ってきた。

血はアスカのものではなく、彼が草むらで見つけた女性のもの。
魔物ではなく、人間にやられた致命傷で、皆や院長で見つけたときには亡くなっていた。
皆騒然としていたが、子供の噂話に飛び交って、数日後には忘れられた。

けれど、アスカだけが違った。
見つけた張本人だし、死の瞬間を彼は看取っていたらしい、忘れられないのは無理もない。
眠れぬ夜がずっと続き、食欲も出ず、体力はもちろん、精神力も削られた。
だがそれ以上に、彼は異常だった。
突然人が変わったように暴れたりすることがあった。
そうかと思うと、泣き出すこともあった。

もう疲れた、とたわごとのように言っていた。
ずっと部屋に篭りきりになって、誰とも話したがらなかった。
抑制が効かないから、皆に迷惑をかけないように…皆にいやな目で見られないように、篭ったのだろう。
ただ独りで泣いたり、怒ったり…
やっとルナティスとだけ話し始めたのは、丸1年たってからだった。

それから、あまり彼の状態に進展はないまま
孤児院を出る歳が近くなって、二人で冒険者になった。

あの日から大分たった今でも
昔のように、泣き喚いたりするときがある。
むしろ昔のことを思い出すように、幼児化しているように見えた。
思い出すように、プログラムされているかのように。
そしてその後は深い眠りに着いて、起きると全てを忘れている。
すべて忘れるように、プログラムされているかのように。

今のヒショウは、その泣き喚いたり、暴れたりしていたときのことは覚えていても
何故そうなったのか…あの死んだ女性と何があったのかはまったく覚えていない。

 

 

『ヒショウ、いるか?』
起きた途端に耳打ちが入ってきた。
誰のものか分からなかったが、聞き覚えはある。
『います。』
とりあえず、そうとだけ答えた。
体が重い。
体だけではなく、心も重い気がした。
無性に独りで部屋に居るのが寂しい。
部屋を出れば誰かいるだろうが、それよりも耳打ちに集中した。

『突然で悪いが、今度狩りに付き合ってくれないか。レベルも合うはずだ。』
いきなりの狩りの誘いだが、相手が誰なのか分からない。
それに、ヒショウはいつもソロでやっていて、ルナティスとさえも公平狩りをしたことはない。
『…失礼ですが、貴方は誰ですか』
知り合いでなければこんなに親しげに話しかけてきたりしないだろう。
それでも思い出せないのは、少し寝ぼけているせいなのか。

『すまない、言い忘れていた。イレクシスだ。』
イレクシス…記憶を引っ張り出す。
『…シェイディのギルドの…?』
『そう。ウィザードだ。』
あまり親しく無い。
むしろインビシブルのマスターや、副マスター、それとユリカくらいとしか話したことはない。

『…すいませんが、狩りはいつも一人でだから…組んでも、迷惑をかけてしまうだけです。』
体が、だるい。
このまままた寝入ってしまいという思いが強くて、断ることに躊躇いが無かった。
いつもなら、無理をして行くかもしれないが…

『話があるんだ。』
どこか強い口調で言われた。
イレクシスの顔が浮かぶ。
目隠しをした、中世的な顔。
『とても大事な話だ。俺の話だが…君自身にも重要な話だ。』
二人だけで話がしたい、と念を押された。

 

 

始めてあった時…
もしやと思った。
君はアサシンになり…期待は大きくなっていった。
そして確信に近いものを得たのは、昨日。
アサシンになって間もないはずなのに、君の技は冴えていて…

彼女と、同じだと思った。

職業というだけではなく
その技や、体のこなしや

君の魂が…

 

 

 

翌日、まだ体のだるさはあったが、イレクシスの言葉に何か切羽詰ったものを感じて、少し無理に起きた。
必要以上に顔を水で洗い、無理やり目を覚まさせる。
約束の時間は早くは無いが、いつも自由な時間に狩りに行っていたヒショウにとっては早めだ。

タオルを持っていくのを忘れて、顔や前髪がビショビショのまま洗面所からでた。
朝は早いシェイディや、家事で早く起きるルナティスは既に活動を始めている。。
テーブルにシェイディが座って、紅茶を飲んでいた。
「あ、ヒショウ…大丈夫か…?」
彼はヒショウに気づくと、そう言ってきた。

「タオルを忘れただけだが…」
小棚から小さいタオルを取って、顔をガシガシと拭く。
タオルを離せば、少し目が覚めていた。
「いや、そうじゃなくて…昨夜、具合が悪そうだったから…」
昨夜?特に何も無く寝ていたが…
けれど、確かにものすごく体がだるかった。
イレクシスからWISを受けて少し起きただけで、あとはずっと寝ていたが。

「いや、大丈夫だ。」
いろいろと考えてから、そう返事をよこす。
シェイディはまだ少し心配そうに見ていたので、笑顔を浮かべて大丈夫だともう一度言った。

 

「今日は、少し早く出る。」
ルナティスと朝食を作り、三人で食べているときに、なんとなく切り出した。
「イレクシスに、公平狩りに誘われた。」
「え、イレクシスに…?」
「あの目隠ししたウィズさんだよね?」
やはり、シェイディもルナティスも意外だと思ったようだった。
朝食は、早く起きたせいかあまり食べられなかった。
けれど、体のだるさは少しよくなった。

準備をして、まだ朝の温まりきらない空気の中を、インビシブルメンバーの住処へ出発した。

 

 

「……あ」
目的地へ着くと、家の前に既にイレクシスが立って待っていた。
時計は持っていないが、時間には遅れていないはずだ。
「…すいません。待たせましたか。」
それでも、心配になって謝ってしまう。

「朝の空気に触れていただけだ。まだ時間になっていない。」
そう言うイレクシスはこちらのほうを見ず、ただ真正面を向いている。
目隠しをしていても、視力のあるものはちゃんと周りが見えるものだが
時々、本当に失明していて、目を隠すためにそれを装備する者がいる。
彼は後者なのだろうか。

「では…」
イレクシスが行くか、と言いかけたとき
家の扉が開いた。

「イレク、飯できた…あれ?」
出てきたのはシェイディとルナティスとも仲のいい、ブラックスミスのマナだった。
彼女はヒショウを見つけるなり、目を丸くした。
そして彼女が何かを言おうとしたが、その前にイレクシスが遮る様に口を出した。
「ヒショウと公平狩りに行ってくる。朝食はいい。」
「お、イレクが狩りなんて珍しいな。」
マナはいってら〜と、笑顔でイレクシスにりんごを二つ持たせて、手を振ってきた。

ヒショウはなんと言っていいのか分からなかったが、イレクシスが何も言わずに歩き出すので慌てて後をついていった。