あの温かさを覚えてる
初めて感じた“優しさ”
ずっと求めていたものだった
だから優しい貴方を守りたかった
聞いた話は、まるで他人事のようだった。
一体、誰の話をしてるのだろうとばかり、彼女は思っていた。
けれど、それは彼女自身の話だ。
「…分からない。」
ヒショウはぼんやりと目を泳がせている。
「…私は、確かにアサシン…だと、思う。ヒショウが使ったことがないカタールを使えたし…グリムだって…」
呆然としたまま彼女は警戒を解ききっていて、自分が“ヒショウ”とは別の存在だと明かしていた。
けれど…信じられるはずがない。
でも、シンリァと呼ばれる度に…全身が総毛立つのは何故?
「シンリァ…」
ゲフェンにいた、女アサシン…
ゲフェン…?
草原の中で…息絶えた
―――助けて
女の声がした。
―――苦しい、痛い…
赤黒い草原
もがいて、しがみついてくる
黒い、長い髪の、黒い装束の…
これは、ヒショウの記憶か、シンリァの記憶か…
「……ョウ、ヒショウ!」
ルナティスがこの倒れた体を抱きかかえて、心配そうに覗き込んでくる。
その声が、酷く遠くに聞こえる。
「…めん、なさい…許して…」
この喉が引き裂かれたように痛んで、傷口から声が漏れている。
もう体はシンリァのものではなく、ヒショウのものだった。
あぁ、これはヒショウの夢かと、ぼんやり思った。
ルナティスが、必死に「ヒショウの…アスカのせいじゃない」と言う。
聖母のように微笑み言う姿は、余計に痛々しかった。
「ぁ…すけ、られな…かっ…」
―――助けられなかった。
ヒショウがうなされるように呟く。
ああ、ヒショウは…私を助けようとしてくれたんだね…
あの血溜りの中でもがいていた私を…
「許し、て…」
私は、ヒショウを攻めたりしてない。
何で…そんなに苦しんでるの…
「助け、…ルナ…」
シンリァの声は、ヒショウには届かない。
ヒショウの意識が落ちシンリァのものも釣られたように共に落ちていった。
「きっと、ヒショ…いえ、シンリァは…ヒショウのことを攻めてはいない。けれど、彼女の死を見看ったヒショウが…自分を攻めて…」
ルナティスは腕の中でぐったりとしているヒショウを見つめながら言う。
それを、一同は苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。
その青年二人の抱えているものを見てしまったから。
「…ヒール」
ユリカが彼等に歩みより、ヒショウに爪を立てられて血がにじんだ背を癒してやった。
治れば、彼の背は今つけられたもの以外にも、古傷が浮かび上がっているのが見えた。
ルナティスは、どれだけ長い間こうして親友の苦しみを感じてきたのか。
「前に、一度…ヒショウが、シンリァの存在に気付いたことがありました。」
気を失ったヒショウを抱えたまま、ルナティスが話し出した。
その声は、震えていた。
「その時は…ずっと、こんな感じで…いつ、壊れてしまうか…すごく、怖かった…」
やたら小さく見えるルナティスの、傷だらけの背中を見て
皆言葉を失った。
ただ、彼の言葉に耳を傾けた。
「彼が平気でいられるのは、全てを忘れてる間だけで…
もし、全てを話して、知ってしまったら…
全て思い出してしまったら…
…でも、彼は進まなければいけない…のに…」
ルナティスが、ヒショウの体をぎゅっと抱き締めた。
胸にある不安を、押し殺して…
…戻りたくない。
私は死ななければいけなかったんだ。
何故、一人の青年を犠牲にして生き長らえてしまったのか。
押し潰されそう。
これは罪悪感か…
いや、押し潰せるものならそうしてほしい。
このまま、消してほしい。
…終わりは近い。
消えられると思ったのに
何故、生き、てい、るの
「…っ!」
シンリァは自分の喉を掴んだ。
駄目だ、これは…ヒショウの体だ。
殺してはいけない。
「…ヒショウ」
気付けば、ルナティスが部屋の入り口に立っていた。
いつからいたのか。
彼の表情は曇っていた。
―――死なないで、ヒショウ…
生きたいと、あの時は少しでも思ってしまった。
けれど、今は…そうしてはいけないのだと思っている。
確実に、シンリァは昔を思い出し始めていた。
「シンリァ…は、戻りたくない…?」
「…うん。」
「…死にたいの…?」
「……うん。」
「何で…?」
ルナティスがふらつく足取りでで歩み寄ってくる。
「…分からない、でも、私は…」
―――放して…死んじゃうよ…!早く、助けを呼ぶから…!!
黒い髪の、優しい少年。
話したことはない、声を一方的にかけられただけだけど
わずかな時間だけで、彼の優しさを一心に感じた気がした。
「あの時、ヒショウの助けを拒んだ…死ななければ、いけなかったから…」
「暗殺者だから?」
「…多分、仕事で失敗したんだと思う。場合によっては排除されなければならないこともあるから、それで…」
「もう、十何年も昔だろ…?そんなの、今更…」
「…でも、まだ生きていてはいけないと…感じてる」
「シンリァ…僕も、君の死に際を見たことがある」
二人はベッドに座り、どこか遠くを見ていた。
「綺麗な人だった。血だらけでも、彼女は凄く…天使みたいに綺麗だった。」
「…」
「それは、多分…穏やかに笑っていたから」
「…笑っていた?」
「そう、ヒショウにしがみついて、涙を流して。ヒショウは泣きながら君を抱き返してた。」
とにかく、自分よりも他人を優先する少年だったから
助けを拒まれたのだとしても、守れなかったことを酷く後悔していた。
「君は…最後の最後に、救われた気分だったんじゃないかな。」
「……。」
「だから、きっと大丈夫。今度は、みんないるから…」
今度こそ、違った君になれるよ。