怖かった
貴方の強い思いは
私をかき乱すだけで
望むように包み込んではくれないから
向かい合って座っているウィザードは、ヒショウの記憶を通してしか見たことはない。
むしろ、目隠しをしていて顔が隠れている。
彼が何かを言おうとしたが、ヒショウも言いたいことがあったので彼女のほうがストップをかけて口を開いた。
「皆に“ヒショウは二重人格で、尚且つその片方は元は生きた人間だった”と言ったとか…。」
「言った。」
「…百歩譲ってそうだとしよう。確信してるのか?」
ヒショウはまだイレクシスを信用していなかった。
どこに落とし穴があるか分からない。
「確信している。」
イレクシスは言い切った。
「何故」
「…ずっと、探していた。貴女を探すためにこの身に術を施したから。」
「…術?」
イレクシスは躊躇い無く、今まで人前で一度も外さなかったという目隠しをとった。
その中を見て、ヒショウはもちろん他のメンバーは息を呑んだ。
眼球が無い。
瞼の下にうっすら見えるのは宝玉のようなもので、赤と青のオッドアイのようにも見える。
けれど、見る方向によって他の色にも変わっていた。
「レイが…シェイディの姉が使っていた禁断の術と同じものだ。」
「それは…その目は…?」
ただの石が、こちらを見ているわけでもないのに、見据えられているようで気味が悪かった。
「…効果は透視。自ら眼球を抉り、呪法で作られた法石を埋め込み定着させた。
物を見る視力は失われるが、代わりに見えぬものが見える。」
「…例えば?」
「生きた者の魂、死者の魂も見える。」
「…その力で、俺を探したっていうのか…?」
彼は頷いて答えた。
「貴方の中には二つの魂が見えた。共存しているようで、隠れあっている不安定なもの。」
ヒショウは言葉を失った。
信用していいのか。
言っていることは、合っている気がした。
彼がヒショウを騙して何になる。
“私”の存在を知って何になる。
探していた…
何故、探していたのか。
いつ死んでも…消えてもいいと思っていた“自分”なのに
詮索して、身を守って何になる。
けれど、自分の何かが信用すまいとしていた。
イレクシスを危険視しているのではない。
疑っているのは…存在するもの全て。
「信用して、いいよ。」
駆け巡らせた思いを打ち砕くように、後ろからルナティスが声をかけた。
「イレクシスさんは、目的のためなら手段を問わない人かもしれないけど…ヒショウに有害なことはしないよ。」
理屈も何も通っていないが
彼の言葉に張り詰めていたものが溶けていく。
「力、抜こう。」
不思議だ。
ルナティスこそ、人の心の奥を覗いているようだ。
人の道を捻じ曲げてしまうような…言葉とタイミングを知っている。
けれど気が付けば、「彼がそういうなら…」と体も心も力を抜いてしまっていた。
「…うん。」
子供のように、素直に力を抜いて…彼女は頷いた。
その様子に、一同は目を見張っていた。
さっきまでいつものヒショウ以上に神経を張り詰めていた様子だったのに、それがルナティスの一言で…
イレクシスが眉根に皺を寄せたのは、誰にも見えなかった。
「イレクシス…悪いけど、“私”は貴方を知らない…覚えてない。」
「…そのようだ。」
彼は自嘲的に笑って、見えていない瞳だがヒショウから目をそらすように俯いた。
けれどヒショウの方は彼を見つめたまま、静かに質問を続けた。
「貴方は、私を探して何をしようとしたんだ。」
「…えっ!」
それを聞いて、真っ先に声を上げたのはルナティスだった。
当のヒショウの方は目を丸くして、その言葉の意味をただ理解しようと頭を回転させていた。
「…何故、そんなことを…?目も、そんなに…」
少し時間をかけて、やっと言えたのはそんな言葉だった。
「愛していた、から…貴方を」
イレクシスは、理解できていないヒショウを置き去りにしたまま、言葉を淡々と紡ぐ。
思いが全て編みこまれたような言葉だった。
「深く貴方を愛していた。呪いのようだと貴方は言った、まさにその通りに僕は貴方を追いかけてきた。
目を抉り呪法を施し、体の成長を止めて、何もかもを捨ててきたのは…貴方のためだった。」
―――全ては貴方を蘇らせるため、貴方に再び会う為に…。
ここまでさせたのは、美しい貴方がかけた呪いでもあるのに
貴女は呪いように僕を虜にして
僕も呪いのように貴女を追い続けた。
イレクシスのその思いが怖いと思った。
強く、強く思われるのは、怖いこと。
自分が壊されてしまうような気が、する…。
“彼女”は、長い間何も声を発せずにいた。
「なあ、アンタはその…昔のこと、覚えてないんだろ?」
場を取り成すようにマナが口を開いた。
突然振られて、ヒショウはたじろいだが頷いた。
「なら、昔のこと聞いたほうがいいんじゃないか?
イレクのことも覚えてないんじゃあ、こいつを受け入れるか、拒むかの判断もできんだろうし…
まぁ、思い出せるかは分からないが?」
知りたかった。
自分が何者なのか。
自分は一人の人間ではないと思い続けてきた中で、誰にとも無くずっと問いかけていた。
“私の存在意義とは、なんのか”
「話して、全て」
イレクシスの法石の瞳が、遠くを見ていた。
「嘘偽り無く、全てを話そう。僕の知っているものが、君の全てではないだろうが…」
「…生きてる…?」
それが“彼女”のもとを訪れたときの挨拶だった。
「ええ。」
その返事を聞くたびに、どれだけ安心したことか。
彼女は今日も生き延びた。
だが明日は…?
それを思い、不安に掻き立てられる夜は永遠に続く気さえする。
ゲフェンという町の、小さな通りに面した普通の家。
彼女はここで、普通に暮らしていた普通の女性。
表向きは。
“仕事”を終えてこの深い夜に帰ってくる“裏”の彼女は
月の女神。
闇夜の夢魔。
妖艶なる暗殺者。
血に濡れた手や体を拭おうともせずに、部屋の中央に立っていた。
そうしている彼女の体を清めるのが、まだ幼さを残すマジシャンの青年の生きがいでもあった。
彼女の姿を見て、彼女に触れて、彼女の声を聞くこと…
その為だけにこの世界を生きている。
「…イレクシス」
「何」
月明かりを避けて、その月から隠れるように二人は声を潜めている。
「もう来るな」
「嫌だ」
その一言だけで、その夜は彼女は来るなと言わなくなる。
暗闇にぼんやりと浮かぶ白い肢体を、濡れた白い布で拭い続けた。
磨かれた宝石のような体や、夜そのもののような漆黒の髪。
だがそれに欲情したことはない。
“これ”に囚われれば、この夢魔に食われると知っているから。
そうして破滅した男を何人も知っている。
血が染み付いた濡れ布をキッチンで絞り、懐にしまった。
彼女の家には、どこにも“裏”の形跡を残してはいけないから。
寝室に戻ると、彼女は脱ぎ捨てていた服をどこかにしまいこみ
夜着を着込んでいた。
「シン」
呼びかけると、彼女は答える代わりにベッドに座った。
イレクシスはその前の床に座り込んで、母親に甘える子供のように
彼女の膝に頭を寄せて、彼女の手を握った。
シンは何も言わず、動かず、ただイレクシスの好きなようにさせていた。
二人の出会いは1年前。
彼女は何者かに命じられて、イレクシスの屋敷の執事を殺しにきた。
誰からの依頼かは、彼も全く知らない。
そして偶然、イレクシスはその現場を目撃してしまった。
その瞬間に彼は心を奪われた。
気味の悪い飛び散った血液。
むせ返る様な死臭。
その中で彼女はただひとつ、それらを支配し、月光を浴びて美しく輝いていた。
シンはイレクシスを殺そうとはしなかった。
聞けば、「執事が行方不明」の予定のものを「執事が暗殺された」とバレて騒がれるより
名家の息子が死んだと騒がれるほうがやっかいだという。
―――貴女の名を教えてください。それができないというのなら、この場で僕を殺してください
イレクシスはそう切り出した。
なんとしてもこのアサシンを逃したくなかった。
名前さえ分かれば…冒険者登録名さえ分かれば、彼女に連絡が取れる。
もしここで殺されてしまったとしても
殺されなければ、毎夜彼女を思い出して恋焦がれるのだろう。
そんなのは御免だ。
けれど、彼女は名を教えてはくれなかった。
ただ、シンと呼べと。
代わりに、住処を教えてくれた。
「今日の仕事は、どうだった?」
「…いつもと同じ。」
―――暗殺
シンが何故暗殺者になったのか、一度も語ってはくれない。
シンは冒険者として狩りもするし、アサシンとして暗殺もするし、娼婦として売春もした。
だが金が欲しい訳ではないらしい。
何故か、それを語ってくれない。
「イレク、もう帰れ。」
「何故?」
「汚れる。」
彼女の言葉の意図を読もうと、顔を上げて瞳を見つめた。
だがそこはただ虚があるばかりで何も見えない。
「…汚れる…僕が…?」
聞くと彼女はうなずいた。
「…私で、汚れる。」
汚れてなどいない。
「貴女は汚れてなどいない。僕の心を侵したけれど…汚れてなどいない。」
イレクシスはシンの手に軽くキスをした。
「むしろ、汚されたい。貴女と同じ位置に立てるのなら、僕は貴女と同じだけ人を殺せる。」
「やめろ。」
この強い衝動は、彼女に一言で斬られてしまった。
「…愛してる。」
「…知ってる。」
「貴女は、僕のことをどう思う…?」
「分からない。…何も期待しない。」
これも、いつもの流れだ。
ずっと同じ体勢で触れ合ったまま一言二言言葉を交わし
そしてシンは短く深い眠りに落ちて
イレクシスは朝が来ると、屋敷という檻に戻り、籠もる。
進展も後退も、1年前からたいして変わっていない。
だがこれが、ずっと続けばいいと思っていた。
近づけば、二人は互いに破滅すると、共に分かっていたから。
かといって、離れるのも耐えられなかったから。
けれど、終わりは、きた。
前触れも無かった。
昼にWISが届いた。
彼女からのWISはそれが最初で最後だった。
『私は排除される。』
『イレクシス、答えが出せなかった。』
『私はお前をどう思っていたのだろう』
『最後に私の名前を』
『シンリァ、それが私の…』
まるでただの情報のように、彼女は自分の死を端的に手紙のようなWISに込めていた。
泣き叫ぶように、“シンリァ”にWISを送り返し続けたが
それのどれにも、彼女の声が帰ってくることは無かった。
あまりにあっけなかった。
けれど、その後…
ローグギルドに大金を払い、シンリァの情報と彼女の“排除”の理由とその最後を調べさせた。
そして彼女の遺体を手に入れた。
全身を破壊されていて、再起不能となっていた。
それだけならば、命だけはまだあっただろう。
けれど、ゲフェン付近の平原にある草むらで、彼女は成すすべなく力尽きた。
彼女の死が信じられなかった。
このまま彼女が動かず、しゃべらず、存在しなくなることはあってはならないと思った。
たった一つ、奇跡が起きた。
彼女の体が、蘇生できたのだ。
死んだ者は蘇生不可能なはずなのに。
けれど、彼女は甦りはしなかった。
ただ生きているだけ。動かなかった。
多くの医者や司祭や魔術師に見せ、そして発覚した。
…彼女は、死の寸前に立ったせいで、魂が失われたのだと。
それは大抵、彷徨った後、大地や空に溶け込んでいくという。
それを防ぐため、彼は全財産を叩いて、彼女を逸早く見つけようと自身に呪法を施し、シンリァの体を冷凍保存させた。
永い間、探し続けた。
人の一生にすれば、わずかな時間だったが
永遠に感じられた。
もう、君はいないかもしれないと…ずっと不安だった…
病的に、君を求めていた。
最後まで君は応えてくれず
けれど拒むこともせずに
いつの間にか僕の前から消えたから…
けれど、今やっと…
見つけた。