ヒショウの持たない記憶を、私は持っている。
ヒショウの持たない経験を、私は持っている。
私は、ヒショウから作り出されたのに…?


 

人間のように立ち上がっているワニは、シェイディに食いかかる。
咄嗟にメイスで顔を殴るが、その鱗の生えた太い手があっさりそれを突き飛ばして
シェイディの胸辺りを、同じように腕で切り裂いた。
「っ…!!」
その衝撃に、一瞬心臓をえぐられたのではないかと思った。
だが傷は大きいが即死にはならなかった。

「ヒール!ヒール!!」
ルナティスが必死に何度もシェイディにヒールをかける。
回復し続けなければ、シェイディはすぐに死ぬだろう。
一発目の傷が治ろうかとすると、またワニが食いかかる。
シェイディはそれを必死に避けようとするが、力任せに押し切られ、押し倒されてしまった。
この状態でまた攻撃されれば、確実に即死する。

 

「っらああ!!!」
怒号と同時に、ワニがのけぞった。
誰かが脇から切りかかったようで、ワニは視線を移した。
意外と出血が多かったのか、それとも恐怖でか、ぼんやりする頭で、ヒショウの姿を認識した。

「ルナ回復してくれ!応援が来るまで耐える!」
ヒショウはそう叫び、ワニに何度も何度も切りかかりながら、それでも間を保ちつつ、それの攻撃を避ける。
そのすばやさに、シェイディは唖然として見入っていた。
避けることに集中しているからか、もともと腕力がないのか、ワニに傷を負わせることはできていないが
それでも、ワニの攻撃対象を自分に向けさせて、ずっと避け続けている。

「ッ!!」
不意に、飛んで避けた彼の足を、ワニの腕が捉えて切り裂いた。
「ヒショウ!」
シェイディは思わず叫んだ。
「ヒール!」
それと同時にルナティスは彼の名を叫ぶ代わりに回復をする。
ヒショウが地に伏したのは一瞬で、すぐに飛び起きてまたワニに切りかかり、避け続ける。
その目は敵だけを見ていて、戦いに慣れていた。

「シーフの兄ちゃん、ちょっと退いてろ!!」
不意に、逃げ惑う人々の中から一人のブラックスミスが乗り出してきた。
ヒショウは一瞬で、数歩離れた背後へ飛び退く。
彼の脇をそのブラックスミスが駆け抜け
「アリゲーターめっ!!日ごろの恨みだぁあああああ!!!!!」
叫びながら斧で切りかかる。
なんの恨みがあったのだろうか。

一発で、アリゲーターと呼ばれたモンスターが体をバッサリ切られ、よろめいた。
「うりゃあああああ!!!!!」
まだ倒れないアリゲーターに今度は鉄製のカートをブンブン振り回し、殴りかかる。
強烈な一撃に、今度こそアリゲーターは絶命した。

「ありりです!」
ルナティスがそういいながら、シェイディにヒールを飛ばす。
「おう!でも深淵はさすがに手出しできない、早くあんたらも逃げろ!」
ブラックスミスはカートの中から深淵に攻撃されて怪我を負った人へポーションを渡していた。

腕の立つ冒険者たちが何人も暴れる深淵や、そのほかのモンスターたちと交戦していたが
何人も怪我を負い、倒れていっていた。
それに、時間が時間、冒険者の多くは狩りにいっているようで、商人やブラックスミスばかりがそこにいた。
「ヒショウ、なんとかならない?!」
ルナティスがずっとヒールをいろんなところへ飛ばしながら、ヒショウの方を見る。

「俺たちじゃ無理だ。俺も、深淵や取り巻きの攻撃を食らえば一発だし、避けることすらきっとできない…」
ヒショウは苦虫を噛んだ様な顔をして、うつむく。

「ユリカさん!!」
シェイディが、走り出した。
深淵とは違う、赤黒い擦れた服を纏うモンスターが、彼女の目の前に沸いて出たから。
それは深淵の取り巻き…深淵に呼び出されたモンスターだった。

 

シェイディを止めて、ヒショウがその脇を走り抜ける。

そのモンスター、カーリッツバーグは、ヒショウが到底かなう相手ではないし、実力の差で避けることもできないだろう。
だけど、シェイディを行かせるわけにいかない。

シェイディがユリカと呼んだプリーストを突き飛ばし、、カーリッツバーグの前に躍り出た。
それは目にも留まらぬ速さで剣をなぎ払う。
「っ…!」
はやり、避けきることが出来なかった。
肩辺りを切り裂かれた。致命傷ではない。
必死にルナティスが飛ばしてくれるヒールでその傷はふさがったが
次に繰り出された剣線も避けきれず、一発目よりも深く、また肩を斬られ
次はもっと深く胸元を斬られ

痛みと出血と、それの放つ殺気に足が竦み
避けるという行動ができなかった。
繰り出された剣撃をスティレットで受け止めるが、あっさりとそのまま飛ばされた。

「…っ、く…」
道端に倒れ、
目の前に広がるのは、この状況に似合わぬ青い空。
それが、ぐるぐる回るように思えて…

ずっしりと重い瞼を降ろし、ヒショウは全身の力を手放した。

 

「ヒール!!!」
ユリカとルナティスが同時にヒショウにヒールを送るが、彼は動かない。
さっきの、カーリッツバーグが、ガチャガチャと荒廃した鎧の音を立てて、フラフラとヒショウに近づく。
ルナティスやシェイディの脳裏に、最悪の事態が浮かんだ。
「ヒショオオ!!!」
ルナティスが叫びながらヒショウに駆け寄る。

 

目を開けると、目の前に銀の刃が二つ落ちていた。
それは手甲のようなものに付いていて
その奥には、深淵にやられ、倒れている歳若いアサシンの姿。
アサシンのみが扱える、カタールという武器だった。

耳の端で、ガチャガチャと何かかが音を立てて、近づいてくる。
そして、死臭と、殺気。
「ヒショオオ!!!」
ルナティスの声。
それに、ボンヤリとしていた頭が覚醒した。
目の前に落ちているそれを拾いあげ、手馴れた手つきで両手に装着した。

「ルナ!止まって!!」
ヒショウは叫び、同時に、目の前の、カーリッツバーグの一撃を跳んでかわし、それの肩に切りかかる。
右手で一発、それの骨のような腕がだらりと下がり、左手の一撃でガタリと崩れ落ちた。

「プリさん、支援をお願い!!」
ヒショウが叫び、カーリッツバーグの攻撃を音もなく避け、切りかかる。
ユリカはハッとして、早口で支援魔法をヒショウにいくつも送り、彼へのヒールのタイミングをうかがっていた。

アリゲーターを相手にしていたときのヒショウとは明らかに動きが違った。
あのときも戦いに慣れていると思ったが、今はそれ以上。
そして避けるという行為の中に、相手を倒そうとする意思が見える。
そして何よりも…さっきとは比べ物にならないほど速く、強い。
避けつつ隙をみて切りかかるのではなく、避けながら攻撃しているといえる。
そしてそのカタールという扱いの難しい武器を、完璧に使いこなしていた。
それは、どうみても熟練アサシンの動き。

 

しばらくして、カーリッツバーグはあっさりと崩れ落ちた。
ほっとしたのも束の間、今度は深淵に向かっていく。
「だめ!いくらなんでも深淵の騎士は…!!」
ユリカが慌てて止めるが、ヒショウはすでに深淵に切りかかっていた。

「ハアアアアアッ!!!!!!」
一瞬、力を溜めたと思ったら、ヒショウは信じられない速さで両手のカタールで何度も何度も切りかかる。
そして速く、強烈な深淵の攻撃もカーリッツバーグのように音もなく、風のようにふらりと避けて、
またさっきのように一気に切りかかる。
彼は、攻撃を避けながら
何度も何度も切りかかる。

…なんか異様に強いぞヒショウ。しかもイキナリ。
生まれ変わっちゃったか?

 

ヒショウだけでなく、集まってきた腕の立つ冒険者たちが何人も何人も深淵に攻撃を始め、
ウィザードやマジシャンの魔法が飛び交い始めて、轟音が響き続ける。
そんな中、深淵は馬の嘶きとともに跡形もなく掻き消えた。

そして残ったのは、戦っていた人や被害を受けた人たちの、喜びや安堵の声と
治療に回るプリーストやアコライトの声だった。

 

 

「ヒショウ!待てよ!!」
テロが静まったと思ったら、ヒショウは逃げるように建物の隙間に逃げ込むようにして、裏路地へ回っていった。
それをシェイディが追いかけてきた。
呼びかけて、振り返ったヒショウは、疲れきっていた。
そりゃあ、あれだけの強敵と戦ったあとでは疲れもするだろう。

いつ負ったのか、腕の一部が血に濡れていた。
「大丈夫か?怪我もしてる…」
「平気よ…これくらい…」
「……。」
ヒショウの口調を聞いて気が付いた。

いつの間にか、女のほうのヒショウに入れ替わっていたらしい。

「でも、顔色もよくない…」
「…帰ってから、アコライト就職したてのルナに、たっぷり癒してもらうわ」
彼女はそう言ってクスクス笑った。
けれど、その目は笑っていない。

「…ヒショウ、何かあったのか?」

彼女はずっと笑っていた。
泣きそうになりながら。
顔をうつむかせて

 

不意に、彼女に抱きつかれた。
ヒショウの方が10cm近く背が高いので、上から抱き込まれるような形になったが。

「ヒショウ、どうした?」
ちょっとビックリしながら、なんとか平静を保ち、そう聞いた。

「…さっき…目の前にカタールがあって…」
「ああ、使ってたな。」
「…ヒショウは、カタールなんか、使えないはずなの…まだシーフだから。」
「え、でも」
さっき使っていたじゃないか。

「でも、わたしはそれを手に取った。咄嗟にじゃない、それが当然だと思ってたの。」
彼女の言うそれが、何を意味するのかは分からないが
シェイディは黙って、それをずっと聞いていた。
「それを当然のように使って…使い方も、知っていた。」
シェイディを抱く腕に力が込められた。

「“ヒショウ”は22年間生きていて、一度もカタールなんて使ったこと無いのに…“私は”知っていた…。」
「えっ…」
やっと、彼女の言いたいことが分かった。
彼女の身に起きた、矛盾に気が付いた。

「それじゃあ…ヒショウがまったく知らないこと知ってる私は…ヒショウの一部じゃないなら…誰なのかなぁ…」

 

 

『マナ…』
ミョルニール山脈にある廃鉱で、鉱石を求めて狩りをしていたマナの元へ、耳打ちが届いた。
『おお、ユリカか。何かあったのか?』
珍しく、突然で、どこか陰のある声のユリカが、少し心配になり、
マナは荷物の中から蝶の羽を取り出していつでも帰れる体制をとった。

『見つけたの…』
『ん?何が?』

『あの、前に話した…シーフさん、見つけたの…!!』