その未来は分からない。
これは一つの物語が閉幕して、また別の物語に影響を及ぼしたに過ぎない。
「お母さんお帰り〜!!!」
突然、阿呆なプリーストがそう叫びながら飛び掛ってきた。
手が荷物で塞がっていた為、やむを得ず踵でその脳天を蹴り落とした。
いや、恐らく手が塞がっていなくても蹴り落としたが。
綺麗に頭頂部にヒットし、彼は顎から床に倒れる。
「…条件反射だ、正当防衛だ、俺に非はない。一応謝るが俺のせいじゃないぞ。」
「なんか文章おかしいよ、ヒショウ…」
飛び掛ってきたプリースト、ルナティスが頭を摩りながら起き上がる。
俺と大してVIT値が変わらないくせに、平気そうなのは天性のタフさだろうか。
「お帰り〜。それより『お母さん』ってとこに突っ込まないのな、ヒショウ。」
室内から同じギルドメンバーの声がした。
マナという名の淡い金髪の美女で、今日も盛大に露出しているブラックスミススタイル。
…転生していないので肉体年齢は中年の域に入っているはずなのだが、全くその色香に衰えは見られない。
その向かい側には知り合いのアサシンクロスがソファに座っていた。
知り合いと言っても後輩に近い彼で、年下であることもあって遊びに来れば皆に過剰に可愛がられている。
「大体マナとこいつでどんな阿呆な会話をしていたか分かるからどうでもいい。」
「ま、この子を養子にしたいとかルナティスが興奮しだして、じゃあお母さんはヒショウだなって話になってたんだ。」
どうでもいいと応えたのに、結局解説された。
ま、大体そんなことだろうとは思っていたが。
ルナティスに養子にしたいと言われて動揺しているらしいアサシンクロスに声をかける。
「おはよう、ジノ」
「……。」
声をかけると、彼はこちらを見るとほんの少し目を輝かせて、唇に笑みを浮かべて頭を下げてくる。
大きな青い瞳と白い柔らかな髪が小動物を思わせて、ついその頭を撫でてしまう。
返事が無いのは彼の声帯が機能を失っているから。
「あれ…?ヒショウ、背伸びた?」
ギルドメンバーの女性からそう言われて、つい小首を傾げた。
全くそんな自覚は無い。
今頭を撫でられている少年に言うならともかく、もう20半ばの俺がそう声かけられるのはお門違いだと思うが。
「だってさ、なんかジノと身長差開いてね?」
彼女の言葉を聞いて、ジノがショックを受けたように丸い目でこちらを見てきていた。
「まぁ、ヒショウは元々デカいからな。つーかヒショウとジノが並ぶと本当に親子みたいだな。」
ジノの目に動揺と、けれど照れているような様子が感じられて思わず頬が緩む。
まあ、身長差と年齢差と、あとは同じアサシンだからという程度の理由だと分かってはいるが。
「おけ、ジノ君!お父さんを僕に下さい!!」
ルナティスがそんなことを言ってジノに土下座をしている。
ここまでふざけていられると人生楽しいだろうな…。
「とりあえずルナティスは土下座をやめろ。ジノがネタを分かってないからな。」
「はぅ、それは盲点だった…」
ここにいるのがジノとマナだけでよかった…。
こうゆうことを公共の場でもやるから、毎日のように踵落としを喰らわせることになる。
いい加減、彼の後頭部が心配になってくる。
…あ、もしかして、だからルナティスが阿呆になったのか?
いや、それはないな、と2秒後に訂正した。
コイツの阿呆は元々だ。
『おい、ヒショウ』
『なんだ。』
突然ソファに座っているブラックスミス―マナ―がこちらにWISを送ってくる。
ヒソヒソ話らしく、彼女は笑いながらルナティスとジノの会話を聞いている…ふりをしている。
『お前とルナティス、何かあったのか?』
『………。』
『別に昨日もお盛んだったとかそうゆう意味であったとか聞いてるわけじゃないからな。』
「違」
つい、動揺してWISではなく通常通り肉声で発言してしまった。
何事かと3人がこちらを見てくる。
『こら誤爆すんな馬鹿』
「…なんでもない、友人からだ。」
俺は他人からのWISが来ているフリをした。
マナは「なんだ、誤爆かよダッサ」と笑って他人事のフリをした。
『で、ルナティスが凹んでるのに心当りは?』
『…心当りが無い。というかルナティスが凹んでいることに気づかなかった。』
『……凹んでるっつーかな…』
マナがWISの外にいる2人の会話に反応して、笑いながらルナティスの額にチョップを入れた。
一体何の話をしていたんだ。
『ルナティス、さっきらしくない会話をジノにしてたんだ。』
『なんて?』
『……「ジノはいいね、声が出なくて」とか』
それは、おかしいと感じた。
人が引け目に感じていることを口に出すような人間ではない。
『「言葉が無ければ、僕も上手くいったかな」って…』
『…教会の誰かと喧嘩でもしたんじゃないか?』
『でもルナティスはここ一週間くらい臨時も教会の仕事も行ってないぞ。』
確かに。
むしろここ一ヶ月くらいは二人でゆっくりではあるがレベル上げに勤しんでいた。
もうすぐ俺もルナティスも冒険者レベルの最上位に達することができそうだったからだ。
俺に少し左半身の障害があり、長時間激しくは動けない為に大変だったが漸くここまできた。
二人で一緒に転生しようとゆっくりだが着実にレベルを上げてきた。
『転生が嫌だという話もしていないしな。』
『…そうか。』
マナは何か言いたそうにしてたが、WISを切って明るい顔でジノと話し始めていた。
そうだ、二人で転生して…
そうすれば俺の体も治るし、もっと長く二人で生きられる…
マナは自分の部屋に戻り、ジノも自分のとっている宿に帰っていった。
日は沈んでルナティスと二人でいた。
「…お前を愛することができればよかった」
日頃、本人を目の前にして惚気ばかりを言うお前がそれを言うのか。
そう呆れるべきだった。
「ルナティス…?」
そこで聞き流すことができるほど、俺の精神はタフでもなかった。
いつも惚気て、俺に笑いながら愛を迫る彼。
その彼が、そんなことを言うのが信じられなくて…心臓を突き刺された気がする。
「あはは」
エメラルドグリーンの瞳は底なしに鮮やかで、笑みという仮面を被ったまま。
聞き流すことができないのと同時に、その仮面を剥ぎ取る勇気も俺にはなかった。
夜闇に閉ざされた一室に明かりはランプ一つ、視界は薄暗さに覆われている。
その中でルナティスの金髪は黒みを帯びて見える。
笑顔も、泣き顔に見えた気がした。
「…変なこと言ってないで、早く寝るぞ」
不安が勝り、俺は彼と向き合うことから逃げる。
布団を肩まで引き上げて彼に背を向けた。
いくら彼の本音を聞こうとしても、本当の顔を見たくても、ずっと逃げられ続けてきた。
いつからだろうか、彼の笑顔が仮面で、優しさが盾なのだと気づき始めたのは。
そして一度気づけば、彼が怖くなる。
「ヒショウ」
名を呼ばれて振り返ると、彼がすぐ傍まで来ていた。
遠い、そう感じた。
こんなにも近いのに、彼が遠くに感じる。
「……っ」
昔は、離れていても近くに感じたのに。
いや、それは多分錯覚だったのだ、彼の優しさに甘えて何もかも分かり合っている仲だと錯覚していたから。
嘘だ
そんな筈はない
「…んっ」
こちらから、引き寄せて口付ける。
こんなにも近いのに、遠いはずは無い。
それとももっと近づかなければいけないのか。
その迷いが、体を突き動かしていた。
「暗いと、余計に綺麗に見えるね」
「何が…」
「ヒショウが」
彼が微笑み、それから頬に、瞼に、唇に、口付けが降る。
「蒼い瞳も、黒い髪も、暗いところだと余計に艶めいて見える。」
女を口説くような口調にも、不快感よりも胸が高鳴るのは惚れた弱みだ。
その言葉に返す言葉は見つからない。
正直に返せば「お前には日の光の方が似合う」だった。
けれどそれは影が似合う俺と、光が似合う彼と、そんな二人を隔てる言葉のように思えたから。
考えれば考えるほど、思えば思うほど、彼を遠く感じてきてしまう。
「そういえば、お前からキスしてくるのって珍しいね。」
「……そうゆう時もある。」
「大丈夫だよ、ヒショウ。」
子供をあやすように、彼はそう言って髪を撫でてくる。
いつの間にか背中まで伸びてしまった髪を指先に絡めて、口付けている。
こちらの不安を、彼は感じ取ったのだろうか。
「お前が不安がることなんて、何もない。」
「………。」
強がることは出来なかった。
彼の優しさにまた甘え、彼の首に腕を回して引き寄せる。
「僕は、此処にいるよ。」
「………。」
「此処にいるから。」
「ああ…。」
自分が情けなくて、身体が震えだしそうになる。
ルナティスは俺が引き寄せるのに逆らわず、ベッドに乗り上げて覆いかぶさってくる。
程よく全身に掛かる体重が心地良い。
それでも、不安は拭えずに瞼を開くことが出来ない。
夜着の中に手を差し込まれて目を開いても、彼の目を直視することができない。
彼の瞳にまた嘘を見たら、もう信じることができなくなりそうで…
互いの衣服を取り去って、直接に肌を重ねても、体を絡めても…
むしろ身体が重なるほどに、誤魔化されている気がして彼の心が分からなくなる。
「…あ、ァ…っは…」
快楽に押し出される生理的な涙に乗じて、泣く。
何かが怖かった。
こちらの顔の両脇にある彼の手を掴むと、指を絡めてくれる。
彼が怖い。
だから自ら近づいてそれを誤魔化す。
そういえば、ここ最近はほぼ毎日こうしている。
「恥ずかしいの?」
ずっと顔をそらしていたせいか、ルナティスがそう笑いながら聞いてくる。
思わず対抗して、そちらを見る。見てしまった。
「んッ…あ、ぁ…っ!」
涙に滲む視界に移った、ルナティスの瞳はどこか冷たく、昏かった。
『今日もアラーム?飽きねえ?』
マナの声がギルドチャットの回線で、ギルドエンブレムから聞こえてくる。
『だって僕らが無理なくいける敵の中で、一番効率いいし。』
『結構長くやってるけど、あとどんくらいでオーラ吹くんよ。』
『秘密〜♪』
ルナティスとマナがギルド回線で話しているのを聞きながら、目の前にいるモンスターを切り伏せる。
実は、このまま順調にいけば明日にでもレベル最高位の証―オーラ―が出そうだった。
長かった。
ギルドの後輩達はもうすぐ追いつきそうだし、今はまだ転生しないと決めているマナと俺達以外は皆が転生してしまった。
『でもそうだなぁ〜、ちょっと飽きてくるっちゃあ飽きてくるかも…騎士団でも行ってみない?』
ルナティスが普通に会話するように、ギルドチャットでこちらに聞いてくる。
それには会釈で応えた。
転生したい、と言ってもそう急ぐことではない。
それに、俺は密かに決心していた。
レベル最高位になったら、転生する前に彼としっかり話し合おうと。
このままなし崩しに一緒にいるのではなく、ずっと第二の人生も共に歩んでくれるのかと。
その際には、このわだかまりは無くして欲しいと。
「アスペルシオがあるから案外悪くなかったね、騎士団。」
ルナティスが笑いながら収集品袋を突いていた。
中は骨や金属ばかりなのでカラカラと硬い音を立てている。
「…ルナティス」
「ん?どうしたの怖い顔して。」
言われて、表情が硬くなっていることに気づいた。
苦笑いして、気を取り直す。
彼の肩越しに見える窓には、水色の空とオレンジの夕日の色彩が美しく混ざり合っていた。
「話したいことがある。」
「え、何、改めて愛の告白?決まってるじゃないか、結婚式はヒショウの好きなアマツ式にして新婚旅行はジャワイで、子供はジノ君を3人くらいだよね!!」
「ジノ3人ってどういうことだ、というかもう何処に突っ込んでいいのか分からないからとりあえず口を閉じてくれ。」
キラキラと目を輝かせるその様子に、空気を壊されてしまいかけた。
「まじめな話だ。」
「僕は至って真面目ですけど!!!」
目を輝かせたまま俺の手を握ってくる。
あきれてため息をつく。
それでもにこにこしている彼を見ていて、ふと気がついた。
これは、このふざけは
ルナティスの“拒否”なのだ。
俺がこれから言おうとすることに対しての。
俺が何を言おうとしているのかが分かっているのか、というのは分からないが。
「…別れ話とかそうゆうことじゃないから、ちょっと黙って聞いてくれないか。」
そう言うと、彼は少しおとなしくなった。
別れ話だと、思われていたんだろうか。
「…最近、お前…俺に何か隠してないか?」
「なんで?」
「お前が、何かを笑って誤魔化してる気がして…」
「僕が笑ってるなんて、昔からのことじゃん。」
「だから、昔から誤魔化しているんじゃないか、って最近思い始めて…不安なんだ。」
ルナティスが少し笑みを曇らせて、視線を少し下げる。
彼は嘘をつくのが上手い、上手いからこそ彼の違和感に気づくのに20年近く掛かってしまった。
「もし何かあるなら、頼むから…転生する前に言ってくれ。それでも何も無いっていうなら…」
「いうなら?」
「お前を信じるから。」
一度口にすれば、徐々に失っていた勇気が取り戻せてきている、そんな気がした。
彼が笑顔でいても、その裏があるのだと明かしても、受け入れられる。
そうして今度は彼の瞳を直視することができた。
「……。」
彼は微笑む。
「ごめんね」
「ジノ君は、いいね…」
彼の純粋さは好ましいもの。
同時に妬ましいと思ってしまった。
彼はそれを感じ取ったのか、顔をこわばらせた。
「……?」
「僕も、君みたいに心が綺麗だったら…ううん、せめて言葉が無かったら…うまく行ったのかな…」
一度口から出した毒は、とても濃く、とても深く、止め処なく溢れようとする。
「いろんな心と言葉を持っているから僕は、多分君より感情を人に伝えられる、優しさも愛も伝えられる。
でもその分汚いものも沢山持っていて、この口から吐き出してしまうから…。」
大切な人を傷つける。
この狂った愛で、愛なんて綺麗な言葉で表せないこの心で、ヒショウを傷つける。
だったらせめてジノ君みたいに言葉が無かったら、ただ思いを秘めることができれば…こうはならなかったのかもしれない。
「……。」
ルナティスはぼんやりと腕の中にいる恋人を見る。
まだ赤い頬、整わない呼吸、汗で白い肌に張り付く濡れた髪。
ごめん、と小さく謝って指先で頬に触れる。
―― 少し酷くしすぎた、かな…
「……。」
眠ったのではなく気を失ったために、ヒショウの意識は浅く黒い睫がかすかに震えている。
彼の涙が伝い落ちて、涙がルナティスの腕を濡らす。
ヒショウを見ながら、ジノに自分の本音を漏らしてしまったことを思い出していた。
あれは失敗だった、よりによってジノの前では言いたくなかった。
いや、むしろ理解できないだろうジノだから口にしてしまったのだ。
「……ごめんね。」
指先は彼の頬から離れる。
彼から視線を反らす様に瞼を下ろした。
ごめんね
ごめん
ごめん
心が引き裂かれる。
もう決めたことなのに、身体が震えだしそうになる。
怖い。
もう笑顔で誤魔化すのも限界になりつつあった。
怖いのだ、自分が、世界が、ヒショウが。
だから…
ルナティスは涙をこらえ続け、眠気に誘われる眼を開き続けた。
意識は深く夢の世界に沈み始め、安らかな寝顔になるヒショウを見続けた。
しっかりと瞼に焼き付けるように…。
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