朝起きると、隣にいるはずの恋人の姿は無かった。

「ルナティス…?」

上半身を起して視線を動かす。
シャワールームから出てくる彼を見て、眼を丸くした。
顔を洗ってきたらしい彼は、すでにしっかりと狩りの装備を整えていた。

「おはよう、ヒショウ。腰は大丈夫?」

あっけらかんとそんなことを口にする彼を思わず睨んだ。

「…というか、支度早いな…」
「今日で転生できるだろ?ちょっと気合を入れた。あ、ヒショウはまだゆっくりしてていいよ。僕の方が少し経験値遅れてるから、少し早く騎士団行ってようかなって。」

「危ないだろう」
「カーリッツバーグだけならターンアンデッドでやれる。隠れながらこそこそやってるよ。」

ルナティスはそう言って、荷物を持つ。

「なあヒショウ。」
「ん?」

「今日中に絶対、転生しような。」
「ん?ああ」

彼が転生を望む、それはつまり一緒にいてくれるという応えに感じた。
思わず微笑む。

部屋を出て行くルナティスの後ろ姿を見送って、すぐに支度を始める。
彼の言い分は分かったが、それでも危険な場所に彼を一人で行かせるつもりはない。
シャワーを軽く浴びて昨日の残骸を流し落とすのと共に眠気も覚ます。
アサシン装束と狩り支度に袖を通し、早足にグラストヘイム騎士団に向かう。


広いエリアというのもあるが、まだ時間が早いのもあって更に人は少ない。
パーティーの情報を頼りにルナティスの居場所を探る。
経験値は各冒険者ライセンスに公平に分配されるようにしている為、数値の変化で同じエリアにいるのがすぐに分かった。

しかし居場所がなかなか探れない。
仲間が動かなければその居場所が探れないようになっているのだ。

『おい、ルナティス。何処にいる。』

そう呼びかける。
返事は無い。
しかし数値が動いているということは相手は無事だと分かる。
とりあえずモンスターとなるべく遭遇しないように壁沿いに歩みを進める。

当りは薄暗くて、黴臭い。

『おいこら、返事をしろ。このままだと俺だけお前のお下がりでオーラになるぞ。』

洒落ではなく、既にそんな域に達していた。
何しろルナティスの敵の狩り方が激しいのか、いつも二人で一緒に狩りをしていた時並みの速さで上がっていくのだ。

そこまできて、やっと俺は気づいた。
このエリアにはルナティスが無理なく倒せるのはカーリッツバーグくらいのものだ。
それを1匹1匹相手にしているだけで、この経験値獲得速度はありえない。

『まさか!!!』

深淵の騎士、あれの取り巻きがカーリッツバーグだった。
いやしかしアレからは経験値は得られないシステムだった気がする。
だがどちらにせよルナティスが危険にさらされているか、無茶をしていることには変わりない。

『ルナティス!!返事をしろ!!!ルナティス!!!』
『慌てなくても大丈夫だよ、ヒショウ』

ルナティスから返信があった。
しかし一度俺の気が動転したのと、彼の息が上がっているのがチャットで分かったので、気を静めることはできなかった。

『何処にいる!お前の位置が掴めないんだ、座標を教えろ!』
『位置が分からないように、僕がしてるんだよ』

ルナティスが笑いを含みながらそう言う。

『何…?』
『ねえ、ヒショウ…5年前、かな…アマツで桜の絶景を二人で見つけたよな…』

『思い出話なんかしてる場合じゃないだろう…!』
『あ、でもヒショウが桜に夢中で、僕は忘れられちゃって少し寂しかったな…』

『おいこら!無視するな早くしないと俺の後ろにモンスターの行列ができることになるぞ!?』
『そういえば初めてのキスもセックスもさ、僕ってお前を騙してほぼ無理矢理みたいだったよなぁ…ちょっと反省。』

『ルナティス…ふざけてないで…』
『僕の人生最高の思い出ってさ…照れながらお前に初めて「愛してる」って言ってもらえた時だな…』

『頼むから、座標を…!!!』

一瞬、浮遊感があった気がする。
そして足元から、青い光の粒が立ち上る。


冒険者レベルが、最高値になった証だ。


『僕も、お前を愛したかった…普通に…』


その言葉に唖然と言葉を失う。
けれどふとパーティー情報でルナティスの位置がつかめるようになっている事に気づく。
彼の足は、この廃屋の二階に向かっていた。


「っ…!!!!」

必死に、ギルドエンブレムを手に取る。
エンブレムからはルナティスの名前が消えていた。

『誰か!!!いや、皆頼む!!!今すぐグラストヘイム騎士団に来てくれ!!!』

叫びながら走る。
途中モンスターとすれ違うが、幸い此処の敵は足が遅いのが多い。
全力で振り切り、二階へと続く崩れかけた階段を上る。


『ルナティス!頼むから馬鹿なことはするなよ…!』

『僕がもっとまともだったら、優しかったら、ジノ君みたいだったら、マナみたいだったら、皆みたいだったら…』

『俺はお前が…ルナティスが好きなんだ…!』

『アスカ、僕は』

アスカ、俺の本当の名前
そういえば、いつの間にか呼ばれなくなっていた
彼だけが知っていて、二人でいるときはずっとそれで呼んでくれたのに…

『お前を、殺してしまうから』

思わず、足が止まる。
ルナティスは既に2階の奥深くにいる。

『お前が好きで、大好きで、愛しくて、欲しくて、独占したくて、どんどん狂ってきてる』

分かっていたつもりだった。
幼い頃から地獄のような仕打ちを汚い大人たちから受け続けたルナティス。
ヒショウ…いや、アスカという少年の愛情を求めて彼を庇い、虐げられ犯され踏みにじられ続けた、
そんな彼の愛情はまともでいられるはずがなかった。

いつからか、彼の愛はどこか歪んでいて重いのだと…それを覚悟して一緒にいた。
つもりだった、それなのに…いつの間にか俺は逃げ始めていたのだ。

ルナティスはそれに気づいてしまった。
俺が、彼を受け入れられないと…気づいてしまったのだ。

『なあ、アスカ…』

全て俺が悪い。
再び走り出した。
クローキングをしなければこの階は危険だが、それでも隠れれば彼のところに着くのが遅れる。
距離的にはテレポートをするよりも走るほうが確実。

『僕に、一番綺麗なお前をくれないか』
『何を…っ!』

『これ以上は、お前が僕に壊されていくから…だから、笑ってた、幸せそうにしてたお前だけを、眼に残しておきたいんだ』
『嫌だ…!俺はお前がいないと嫌だ!』

『お前にも、ただ優しいだけでいられた僕の姿だけを残して欲しいんだ…』
『嫌だ、ルナティス!死ぬ気か…!!!』

『ごめんね』

『行くな…行くな…!!』



途中モンスターに食いつかれた腕の痛みも忘れ、痺れた左半身も必死に動かして彼のいる座標に辿り着く。
彼の後ろ姿、その向こうには巨大な影。
立ち込める血の匂い、錆びた鉄の擦れる音。
このエリア最凶の騎士…ブラッディナイト

『はは、最期にはもってこいの大物。』

すでに満身創痍のルナティスがかすかにこちらを振り返り、小さく笑った。
その左手には冒険者証。
それを投げる捨てる。

それがないと、救命措置を受けられない、仮死状態で生命維持が行われることもなくなる。
喉からは声をあげすぎて悲鳴にもならない醜い音が出ていた。

『泣かないで、これでハッピーエンドだよ…?』








「ルナティス、ルナティス…起きろ、馬鹿…」


「ん…起きてる、よ?」




腕の中には恋人のにやけ顔。




ズルズルと彼の体を引きずる度にその後ろには血の跡が続く。
グラストヘイムの建物外、ここも安全とは言えないが建物の中よりはましだ。

騎士団2階でブラッディーアーマーを対峙していた彼を抱えて、床の亀裂から1階へ飛び降りて逃げた。
けれどルナティスはあそこに辿り着くまでに瀕死で、俺はブラッディーアーマーに足を持っていかれた。

ルナティスは胴体に敵の剣を受けて、胸から腹にかけて大きく裂けている。
引きずったせいで余計にそれが裂けて、もう助からない出血量だ。
それでも笑っているのはもうルナティスの痛覚が麻痺しているからだ。

「何故…こんな…!!」
「言った、だろ…これが…僕らの、選べる…最高の、最期だから…」

最高な筈がない。
今までルナティスと一緒にいて、恋人として過ごして幸福に思っていた。
これからもそうしていける筈だったのに。

「そんな筈が無い…! こんなことあってたまるか!!」
「アスカ…お願いだから」

ルナティスが手を伸ばしてくる。
その先はただ虚空。
それで彼の目がもう見えなくなっていると悟る。

「お願いだから…もう、目をそらさないで…」
「何から…」

どこか遠くて鳥の羽ばたきが聞こえた。
その後に、空から白い小さな羽が振ってきた。
それはルナティスの命を摘んで飛び去っていったかのように思えた。

「これが、君が、愛してるって、好きっていってくれた男…だから…」

そうか、ルナティスの願いは…

「笑っていた、一緒に戦った、僕を…見て…。」
「ルナティス…」

虚ろに伸ばしていたルナティスの手を握る。
その隙間に、一枚の羽が入り込む。

これは、俺が下ろした終幕でもあった。

彼から目を逸らし続けたから、ルナティスは俺が受け入れられる姿だけを残そうとした。
もう彼には、それしか道が無かったから。

「ルナティス…!!」

謝っても、謝りきれない。
強く手を握る。
手の中の羽がルナティスの血に染まる。


「っ…誰か…誰かあああ!!!」

俺がお前をここまで追い詰めたのだとしても
諦めたくは無い。
もっと違う道があるのだと信じたい。
2人でなんとかしていけるという希望を持ちたい。

「ルナティス!頼むから生きてくれ!!」

ルナティスが目を閉じて、小さく顔を左右に振った。
無我夢中でポーションを掛けても殆ど傷の治りは見られず、半端にルナティスの苦痛を長引かせただけだった。

「嫌だ!嫌だ!目を開けろ!!目を開けていろ!」

彼は呼吸も自ら止めていた。

それでも俺は叫び続けた、誰かに助けを求めて叫び続け、ルナティスに呼びかけ続けた。
諦めたくは無い、声を閉ざした瞬間にこちらまで諦めてしまいそうだったから。

お前のことをもっと教えて欲しい、綺麗なものだけしか知らないのは嫌だ。
俺たちは何も分かっていなかった、互いを思いすぎて、自分を守りすぎて、言葉と感情を閉ざしすぎた。
傷付けあってでも向かい合うべきだったんだ。

「誰か、誰か!! マナ!!レイヴァ!!!シェイディ!!!」




アスカの泣き叫ぶ声が聞こえた。
彼が泣き叫びながら、壊れていくのがわかる。

一番聞きたくなかった声。
でも同時に一番聞きたかった声だ。

彼を抱きしめてはっきり言ってやりたい欲望に駆られる。

「僕を愛さなかった、お前が憎い」と

満たされない愛への葛藤に苛立って、何度もヒショウを傷つけただろうか。
もし、愛が目に見えたなら、僕の愛は刃のついた鎖の形をしている。
それでお前を縛り、拘束させ、けれどそれだけでは耐え切れずにその肌を切り裂き、肉に至り骨まで食い込んで、最後にはお前をズタズタにしてしまうんだ。

それに気づき始めたお前は僕から目を反らしてしまった。
もう愛せなくなったくせに、自分にも僕にも嘘をついて愛してる振りをし始めた。
それでも僕は、愛している。

愛してる

愛してる…

僕はお前を愛してる。
その分、俺はお前を憎んでる。

この愛情の鎖でお前を引き裂きたい分、自分を引き裂いてきた。
こんなにも俺を苦しめるお前が愛しいが憎い。

お前を憎み続けてきた分、凄惨な最期が欲しい。
俺たちに相応しい最期が。
お前が二度と俺を忘れられないような最期が。

そして後悔し、自分を憎んで、俺を憎んで、愛し続けろ。


それが僕の愛情表現。

そして俺からお前への復讐。





ああ、こんなはずじゃなかったのに…
守りたかっただけの、はずだったのに…







『ヒショウ、返事をしろ…!』

彼からただ事ではない呼び出しを受けてグラストヘイム騎士団へ来た。
ヒショウとルナティスはそこに居らず、ルナティスの冒険者証とエンペリウムのギルドエンブレムだけが床に落ちていた。
しかしそこには崩れ落ちた床があり、その延長にある下の階には夥しい血痕があった。

床を引きずったようなあと、途中に切断された膝から下があった。
紺のボトムとブーツを履いたままですぐにアサシンの足だと分かり、背筋が寒くなった。


『きゃああああああ!!!!!!!』

ギルドチャットで悲鳴が聞こえた。
声からすると最近入ったばかりのシーフの少女だ。
彼女にはグラストヘイムは危険だと、騎士団の外で待機させていたのだ。

『や、あああ!マスター!!!先輩が…!!』
『ヒショウが居たのか!?』

彼女の座標の位置へ、メンバーで走った。
途中、草むらの中に建物内にあったのと同じような引きずったあとがあった。
そしてすぐにその惨劇を遠目で確認し、咄嗟に発見者となったシーフの肩を掴んで後ろに下げさせた。

一人の人間の血液を全て流したかのような血の海ができていて、そこにルナティスとヒショウがいた。
片足の無いヒショウが呆然と赤黒い塊の傍らに座り込んでいた。
そして血の海を作った張本人でそこに仰向けに浮かぶ赤い塊こそ、ルナティスだった。

肌も髪も服も血に濡れて、半分以上裂けた胴体からは潰れた鮮やかな内臓がはみ出している。
何より恐ろしいのは、そんな状態でも表情はいつもどおりのあいつだったことだ。

こんな時でも冷静に判断する自分を少しだけ嫌悪した。
俺はルナティスの蘇生を諦めて、呆然としているヒショウに駆け寄る。

「ヒショウ!」

呼びかけながら彼の片腕を首に回して起き上がらせる。
殆ど引きずるように彼を血の海から離して、まだ緑のままでいる草むらに移動させた。

そこでプリーストのセイヤがヒショウの治療に掛かっている。
だが彼は涙で顔を崩して嗚咽を漏らしている。
セイヤがつばを吐くように地面に吐いたのは胃液だった。

「ヒショウ!!」

まるで人形のように虚ろだった彼が、やっと眼球を動かし、こちらを見た。
けれど、何も言わない。
言えるはずがないだろう。

俺も、ここにいる誰も、かけてやれる言葉なんかなかった。









視界は、やけに白い。
もう何度目かの昼の日差し、それを強く反射する白いシーツ。

ルナティスに似合うと、いつかに囁いた。

眼球を焼かれるようだ。
思わず目を細める。

「ヒショウ」

視線を上げると、ベッドの脇にマナがいた。
彼女は俺よりも酷く取り乱し、泣きはらしていた。
ここ数日で酷くやつれてしまった。
俺がどうなっているのかは、鏡も見ていないので分からない。

「ジノが、これを持ってきた。」

そう言って彼女が差し出してきたのはただの白い箱。
蓋が目の前であけられ、中には手紙が入っている。

『 ヒショウへ (他の人は呼んだらめっ!)』

紙の表には大きくそう書かれていた以前のルナティスらしいそれ。
けれど、今は欠片も笑えない。

「ジノが、ルナティスから預かってたんだと。ヒショウがオーラ吹いたら、これを渡してくれって」

力の入らない腕をあげて、中の手紙を取り出す。
そうするとマナはこちらに背中を向けて部屋から出て行く。






ヒショウへ

ちゃんとご飯を食べてますか。
すぐに偏食するお前だから、それがちょっと心配です…。
ちゃんと肉を食べましょう 肉を!

今は春かな それとも夏になってるのかな?
アマツの桜は綺麗ですか ココモの海は綺麗ですか?
お前の見ている世界が綺麗であることを祈るよ!

お前を泣かせてばかりいた…
それが申し訳なくて 僕まで泣きそうになる。
でももう大丈夫だ 僕はただ笑っているから。
お前も笑えるよね。

後悔はしないで 
後悔するくらいなら僕との思い出を見てくれ

お前と一緒に過ごして 
無理矢理結婚もしちゃうのと同じくらい
これも俺とお前の幸せな未来だから

たくさん話をしてくれたこと
この手に抱かせてくれたこと

ただ感謝してる
だからもう怖がらないで





「…お前は…お前にとっては、これが最善だと…」

ルナティスはそう確信していた。

彼は俺のこともすべて分かっていた、その上で出した結論だ。
だったらルナティスのことを分からなかった俺の希望は、ただ空回りなだけ。

あのままではいられなかったのか、別の道は本当になかったのだろうか。

此処にはもう無い、お前の優しい声、明るい笑顔、温かい手。
お前のことをそれしか知らない。

それ以上はお前が見せてくれなかった。
これが、この記憶が、俺感じるこの恋しさが失われるとルナティスは分かっていたのだろうか。
本性を見せれば、完全に俺とルナティスの絆は消えてしまう。

だから互いに思ったままでいられる、この道が最善だったと…?


違う。
ルナティスは泣き止んでいない。

一人で全てを抱えて逝ってしまったのだ、何も打ち明けず、全てを隠して。
俺にただ良い思いでだけを残して独りになった。
彼は逃げたんだ、俺から…
俺が彼から逃げたように…

信じるから、お前の全てを
ずっと信じ続ける、お前を求め続ける

だから独りで行くな…!



あの時、二人の手のひらにあった羽が、足もとの白いシーツの上にあった。

血に染まり、それも茶色く醜く固まっている。
そんな惨めな羽が「全て終わったことだ」と告げている。



「……それでも、追うのか。」

さっきマナがいたところに、ギルドマスターのシェイディが立っていた。
短く切り詰めた銀髪に黒の眼帯、力強く隆起している体にはホワイトスミスのジャケット。
その男は手に一振りのナイフを持っていた。

「ルナティスを追うのか、それとも…彼の望みどおり生きていくのか。」

彼の瞳は真っ直ぐにこちらを見据えていた。
いつも聡明で、メンバーを導いてくれたマスター。
昔は頼りない後輩だった彼が、いつの間にかこんなにもたくましくなっている。

そうだ、俺には仲間ともたくさんの思い出がある。
求めれば助けてくれる。
そうでなくても助けてくれる。
ルナティスだけではない、温かい存在。

「ルナティスは、俺たちのことも、周りの人間のことも見ることができなかった。それほどにお前の存在が大きかった。」
「分かってた…」

「それに応えるなら、お前はルナティス以外の全てを捨てることになる。」
「ああ…求められれば、応じることはできた。けれど、まだ求められないうちなら…大丈夫じゃないかと、甘い考えでいたんだ。」

自分の幸せよりも俺の幸せを願う、そんなルナティスがそんなこと要求できるはずが無いのに。

「シェイディ…」

彼に差し出した自分の手は、自分が知っているよりも細く渇いた大地のようにカサついていた。

「ルナティスの所へ…」

やはり俺は、全力で俺を守り、求めてくれた彼に応えたい。
他の仲間よりも、最後にはルナティスに応えたい。
シェイディは頷き、その手に持っていた短剣を差し出してくる。

風属性の、美しい刀身。
これなら、彼のところへも飛んでいける気がした。



「ヒショウ」

シェイディは凛々しい顔を向けてくる。
その目には何も動揺が見られなかった。

「言葉は人を傷つける、けれど同時に癒せる。沈黙も優しさであり、同時に罪だ。」

シェイディも、ルナティスのように全て終わりとは見ていない。
そんな口調だった。

それが俺の救いになるのだと、二人とも知っていたからだ。
「まだ大丈夫だ」と、誤魔化してくれている。

「ああ…。」

ズルリ、と妙な感覚。
首筋に衝撃
ルナティス…
鮮血
閃光
これで

お前と一緒に





思考が浮遊


血に染まった羽が、舞う


あのベッドに落ちていた羽




「届け、約束の場所へ」


シェイディが羽を持ち

羽は、この思考は

光に包まれる



約束の場所とは?



『お前が辿る未来を悔やむことになるなら、もう一度過去へ還れるように』

シェイディの声?

いや、しかしそれよりも高い、高くて若い


これは

まだ、昔の



『これが、俺の犯す最後の禁忌だ…ヒショウ』



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