それは、幼い頃の記憶。
少しずつ、我が家の状況が見えてきたときの記憶。
「綺麗な花嫁さんね。」
立ち止まった母の穏やかな声で、道の向こうの集団に気づいた。
仲間に祝福されながら、小さな教会で結婚式を挙げていた新郎新婦が少し遠くに見える。
「フィーリアもイリスも、いつかあんな花嫁さんになるのね…。」
悲しいほどにっこりと笑う母。
そんな母に無邪気に頷く妹が可笑しく思えた。
母のそんな言動やそんな仕草が全て下手な劇に思えた。
「そして、ママと素敵なパパみたいに、幸せな夫婦になってね。」
その劇のあまりの下手さに腹さえ立ってくる。
私は知ってる。
パパは素敵なんかじゃない、ママからお金をふんだくりつづけてる最低な男。
そしてママも、捨てられるのが不安で必死に働いているだけの小間使い。
どこが幸せなの?
壊れたママ、壊れた夫婦、壊れた家族…
私は絶対にそんな風にならない。
幼心にそう誓ったのを覚えている。
「今、時間ある?」
濃い化粧をした女性が声をかけ、振り向いた男は思ったよりも顔立ちは調っていた。
暗くてよく見えないけれど、狩りの出で立ちの装備はなかなか高価なものだったし、颯爽とした様子からも金を持っていそうだ。
だから声をかけた。
「…何だ。」
マントに隠れてよく見えなかったが、見える裾からプリーストかと思ったが、運の悪いことにアサシンだった。
薄暗い路地の影に溶けるような黒髪、けれど白いオペラ仮面がそこから浮かび上がっているようだった。
アサシンは良くない。売りを相手にしないのが殆どで、相手にする方だとしてもとんでもない悪趣味だったりする。
かといって、怒らせると怖いので高くはふんだくれない。
それでも、彼女にとっては買ってくれれば誰でもいいのだが。
「…1回、20万で買ってくれない?」
殆ど決まった台詞を口にする。
外れだろうがなんだろうがまずは声をかけなければ。
リスクなんて承知の上だ。
「…何のために。」
アサシンは眉根をひそめてそういう。
売りに対して反感があるのか、それとも本気で何の交渉をしているのか分かっていないのか、女性には分からなかった。
「駄目ならいいわ。」
「……。」
計りかねた女性はすれ違い、そのままアサシンの前から去ろうとした。
だが不意に腕を掴まれた。
そして手に紙幣を握らせられる。
「手持ちがそれだけだ。」
アサシンのその言葉と共に手の中に納まったのは18万ゼニー。
要求額には足りないが、2万くらいいいかとため息をついた。
「場所は?」
尋ねられる。
「宿とるお金あるの?」
「無い、君に払うそれだけだ。」
「…あなたが宿とってないなら外でもいい。こっちが宿代出すなら変なプレイはなし。」
「…宿で。」
女性の言葉に動揺もなく淡々と答える様子から売りを相手にするは初めてじゃないのか、と思った。
部屋に着いても彼は笑ったまま脱ぎも脱がしもせずにベッドに座る。
女性もその隣に座るが何も言葉のやり取りはなく、しばらく無言が続き、やっと相手が手をかけてきた。
手の平が服の上から腕や足をなぞってくる。
「痩せてるな。」
「…嫌なら今にして。」
「……。」
彼が狭いベッドに押し倒す。
されて女性は目をつむる。
「おやすみ」
場違いな男の言葉。
「……は?」
「は、じゃない。金は払ったんだから言うとおり寝ろ。」
言葉は間違ってはいないが、行動が激しく間違っているような。
アサシンは情事に持ち込む様子は微塵も見せず、隣で寝息をたて始めた。
さっきとは違いマスクははずしているが前髪が目元を覆い隠して顔はよく見えない。
けれど、悪意や下心のない男の顔だと思った。
朝の日差しに目が焼かれる。
思わずベッドの上でうずくまる。
久々に長い時間眠ったため、体がだるくてしばらくうずくまったまま動かなかった。
「…っ!」
不意に隣に一応客であった男がいないことに気付いた。
慌ててベッドの下に捨て置いていた上着のポケットを探る。
よかった、金は取られていない。
昨日の18万ゼニーはある。
一安心して彼女は起きだした。
「…あ」
そしてテーブルの上の紙幣が目に入った。
3万ゼニーと置き手紙。
『添い寝ありがとう。
不足してた2万とツケてた宿代を置いておく。
食事と睡眠はちゃんととれ。』
「…下手くそな字」
急いで書いたのか
乱雑な字を見て、彼女は苦笑いを浮かべる。
体に気をつけてなんて言われたのは何年ぶりだろうか。
最近は疲れが溜まっていたが、昨日眠ったおかげで少し調子がいい。
「まだ…頑張らなきゃ…」
女性は上着を着てポケットに3万ゼニーと手紙をねじ込み部屋を出た。
朝には小さなレストランでウェイトレスとして働いている。
朝の分はひと段落終えて、昼休みをそのレストランの客となってとっていた。
「…お嬢さん、相席良いですかー?相方いるけど。」
ナンパのようなことを言われ、食べていたサンドイッチを吹きかけた。
それをなんとか飲み込み、テーブルの向こうには知らないプリーストを見上げた。
他に空席などいくらでもあるのに、けれど上手くすれば今夜の客にできるかもしれない。
そう思った後で、その後ろには見覚えある男の顔に気づいた。
金を払って何もしなかった、昨日と同じ格好のアサシンだった。
それを見た瞬間、今自分がどういった状況にいるのか分からなくなる。
「どうも。」
「一人か?」
挨拶をしたがそれだけアサシンに返された。
「うん。…相席、どうぞ?」
どうせサンドイッチはすぐに食べ終わる。
上手くすれば今度は二人に買って貰えるかもしれない。
そう思い誘う。
ありがとう、というプリーストの笑顔が眩しく思えた。
汚れを知らない自分の妹に似ている…、そう思った。
けれど彼が相方だといった男は顔は良さそうだがムスッとして暗い印象を与えるアサシン、正反対の二人だった。
「それだけか、ちゃんと食えと言ったのに。」
「…女は太るのが怖いものです。」
「それにしても痩せ過ぎだ。寝る暇がないならせめてちゃんと食べたほうが良い。」
そんなことは言われたこともないので煩く思い、睨みたかった。
プリーストの方は何か言うでもなく黙ってメニューを見ている。
が、イキナリ顔をあげて
「お仕事がんばるなら肉がいいよね、ヒショウ、これ3人分でいい?」
「…俺は野菜がい」
「女の子に説教たれたくせに野菜ばっか食べてたらだめだろ。すいませーん、注文お願いしますー!」
「…せめてその鶏肉サラダにしろ。」
彼らの話している内容よりも、唐突に分かったアサシンの名前を心のなかで反復させていた。
変わった名前、すぐに忘れてしまいそうだ。
「あ、君実は超肉嫌いってことないよね。」
「え?」
唐突にプリーストに聞かれて、驚きながらもとりあえず頷いた。
…今のでアサシンの名前を忘れた気がする。
「…ねえ、ご飯はいいから、今日は買ってくれないの?」
「え」
「は?」
ここで奢られたら夜の方の交渉がしづらくなるかもしれない、そう思い早めに切り出した。
目を丸くしたプリーストと、眉根を寄せたアサシンが並んでこっちを見ている姿が滑稽だった。
「子供だからって甘く見てくれなくていい。今までずってやってきたんだから。」
夜はなるべく大人っぽい服をきて、化粧を濃くしている。
けれど、今日は会ったのが突然だったから、昨日よりもすごく子供に見えてると思う。
プリーストは悲しそうに苦笑いをした。
なんでそんな顔をするのか分からない。
同情ならいらない。
「お金は貰うけど、二人一緒でいい。やったことあるから。」
「…おい」
急にプリーストは口を開いた。
何かと思って見たが、彼はアサシンの方を見ている。
「ヒショウが昨日寝坊したのって…」
「…あ。確かに彼女はそうゆう商売をしてるようだが、やましいことは何もしていない。」
アサシンが弁解するのに、プリーストはじとーっと彼を見ていて、しまいにアサシンの焦りが目に見えてくる。
なんとなく助け船をだしてやった。
「お金をもらった、けどこの人は何もしないでぐーすか寝てたよ。」
2方から説明されて暫くプリーストは彼を睨んでいたが、はあ、と溜息を付いた。
「…お前らしい」
「……。」
アサシンは話題を変えるように突然メニューを差し出してきた。
「…早く選べ。じゃないとこのプリーストに“ベベの姿焼き”を頼まれるぞ。」
「……私は買ってくれないの?」
「俺は買うつもりはない。コイツは今、金欠気味だ。だから飯代にしてくれ」
「……。」
そう言って彼はまた不機嫌そうに視線を離して店内を見回している。
「決まったら注文するよ。」
隣のプリーストは相変わらず笑っている。
「……。」
こっちには遠慮する余裕など無いのに、なんとなく満腹になるまで頼むことはできなかった。
その男二人は考えていることがさっぱり分からない。