人の笑顔というのは不思議な力を持っていると思う。
ふとした瞬間に見る人の笑顔に、意味もなく励まされてこちらも笑いたくなる。
妹はそんな笑顔の持ち主だった。

「お姉ちゃん、私ね、冒険者になりたい。
私みたいに運動ができなくても、いっぱい勉強すれば人の役に立てるんだって。
世界中を歩いて回れるんだって、ある人が書いた日記にあったの。」

それは叶わぬ夢だと、私も妹も思っていた。
けれど、彼女の笑顔を見ていたらそれは叶うんじゃないかと思った。

絶対に、叶えてあげたいと思った。



今日は早めに客が見つかった。
歳のいった中年で、けれどお金はいっぱいくれるからイイ客。
いつもと同じ宿へ連れて行こうとして歩き出した。



「見ィつけた。」

いきなり若い男の張り上げたような声が後ろからした。
振り返って、凍りつく。
浅黒い肌に真っ赤な髪の、見るからに悪趣味なローグ。
その見た目にぞっとしたのもあるが、見覚えのある男だったから。

「オジさん、被害受けたくなかったら下がっててくんない?」

使い古された立派な短剣をひらめかせると、隣の客は前金を払ってしまったあとだというのにさっさと下がっていった。
全く頼りにしていなかったけど、彼がいなくなると私は孤独で、一人猫のように丸まって震えたくなった。

「用件は分かってるよなぁ?」
「…ごめんなさい…お金、明日返しますから…。」
「は?期日は一週間前なんだけど?今返せないなら内臓とってこいって言われてんだよねー。」

言われた瞬間に、あのギラつくナイフで生きたまま腹をえぐられる様子を思い浮かべてしまった。
喉から何かがこみ上げ、目の奥が熱くなる。

「…ちゃんと、返済のお金は稼いだから…っ」
「言っておくけどサ、一週間踏み倒しで利子と延長料が積もりに積もって元の3倍になってるよ?」

もう殺る気まんまんという様子で笑う男の言葉に、背筋が凍りつく。

やっと借りていた分と少しの余裕ができた程度。
むしろ私が利用した貸付屋はボッタクリと知って、返すつもりはなくなっていた。
ここまで遠くにくれば大丈夫だと思っていたのに。

「じゃ、返済不可ってことで。」

悲鳴をあげることもできずに私は蹲った。
突き飛ばされる衝撃と、鈍い音。
一瞬で私は殺された……そう思った。



「はぁ?」

裏返るような、怪訝そうなあのローグの声。
訳が分からず見上げると、ローグの代わりに背の高い黒い影…いや、ローブを着た後ろ姿。

「立て!」

こちらを見ないまま叫んだ後ろ姿。
声でそれがすぐに誰か分かった。
私は言われた通り立って、後ろへ走りだす。

「待て!逃げるな!!」
「は!?」

普通、助けてくれてこうゆう上体になったら次に彼がいうことは「逃げろ」だろう。
引き止められて思わず聞き返してしまった。

「囲まれてる。路地を出たらすぐ殺されるぞ!」
「へー、正義の味方ちゃん、ずっと見てたわけか。気づかなかった。」

ローグの男の反応からして、彼のその言葉は本当なのだろう。
私は前にも後ろにも動けなくなった。

「この男を沈めてから逃がしてやる。後ろに気をつけてろ。」

とにかく今は彼を信じて、私は少し後ろに下がって見守った。
彼ならあのローグとやりあえるだろう。
仮にも冒険者のアサシンなんだから。

「アンタ、俺とマジで闘るつもり?」

ローグが息がかかりそうなほど彼に顔を近づけて、挑発的に言う。

「…俺は、人と戦うのは嫌いなんでな。」
「は?」

彼が何か小さく返し、ローグがまた怪訝な声を上げる。
その瞬間…



「がぁっは!!」
「うわっ…」

悲鳴を上げたのはローグ。
思わず声を漏らしたのは私。
遠慮なくローグの金的を蹴り上げたアサシンは何食わぬ顔でこちらに走ってくる。

「逃げるぞ。」

私の腕を引いて

「アイツ沈めるんじゃなかったの…?」
「沈めたろ。」

きっぱりと言って彼は脇の低めの家によじ登った。
差し出される手を掴んで、私も屋根の上によじ登る。

「アンタ…えげつないわ。」
「アサシンは急所狙いが極意。」
「あんな急所突きたくないわよ!てかアサシンならアサシンらしく敵のカブトの1つくらいとりなさいよ!!」
「人殺しなんてできるか。人殺しイコールアサシンならアサシンになんかならん。」

足場の悪い屋根の上を二人で走りぬけて、大通りに出た。

「カプラでフェイヨンに飛ばしてもらう。」
「…え。」

有無を言わさず、彼は私にお金を押し付けて駆け寄った先のカプラサービスの女性に声をかけている。

「早く。追いつかれる。」

急かされ、悩んでいる暇はないと自分に言い聞かせた。

「…分かった。」







既にシングルでとってあったらしい宿屋に入ると、主人がダブルの部屋にしてくれて私たちを部屋へ通した。

「助けてくれて、ありがとう。」

とりあえずまずそれを言うと、彼は気だるげにこちらを見て頷いた。

「…厄介ごとに巻き込まれる性格だ。」
「…自分から突っ込んでるんじゃないの。」
「言えてるな。」

彼は吐き捨てるように苦笑いして、りんごジュースを瓶からコップに注いだ。
子ども扱いされている気がして見上げると…

「仮面、外すんだ…。」
「年中つけてると思ったのか。」

いつものオペラ仮面を外していた。
悪魔のヘアバンドはつけられたままだけど、雰囲気や容姿によく合っていた。
本当に頭から生えているのではと思うほど。

「肌白い、睫毛長い。」
「……。」

彼の顔の見たまんまの感想を言ったら、「子供か」と呆れられそうな目で見られた。
けど、人の顔をよく見ることなんてなかったから、彼の顔は不思議なものに思えた。

正直、綺麗な人だと思ったけれど、それは口にしなかった。
言えばこの人を困らせられるだろうとおもったけど、なんとなく言いたくなかった。

「事情は聞いてたから分かるが、これからどうするつもりだ。」

彼は深刻そうな顔で聞いてくるけれど、私の考えはいつも1つだ。

「また身を隠して、お金を稼ぐ。」
「…何の資金だ。」
「……。」

思わず、話しそうになった。
彼ならなんとかしてくれるんじゃないかと一瞬思ってしまった。
けれどすぐに口をつぐんだ。

私は人に頼らないと心決めた。
母みたいに人に迷惑をかけまくって惨めに死んでいくのは嫌だ、死ぬなら誰にも頼らずに一人がいい。

「…関係ないでしょ。」

彼は何か言いたげにこちらを見ていたが、「そうか」と呟いただけで何も言わなかった。





隣で眠っているとは思えない程静かな息遣い。
ふと体を起こして、枕元の灯籠に火をつけた。

オレンジ色の明かりの中に浮かび上がる人形のような男の横顔。
この男は女を抱く時、どんな顔をするのだろうとおかしな事を考えた。
全く想像できなかった、少女には彼が俗世から掛け離れたものに思えたから。

おもむろに彼の引き締められたままの唇に手を延ばした。
指先で触れると、人間の当然の弾力があることに少し驚く自分を可笑しく思った。
指の代わりに今度は唇で触れようと、顔を寄せた。

「もうアンタを買う気はないぞ。」

唇が触れる寸前で言われた言葉。
そういわれて自分の妙な行動に息を呑んだ。
客でもないのにこんなことをして何になる。
今は何より、金を稼がないといけないのに。

「…だめか。」

そう言って、ベッドから離れてテーブルの上のジュースを飲みに行った。
ああは言ったけれど、本当は彼から金を巻き上げる気はなかった。
けれどその気がないのに触れようとしたことはなんとなく言いたくなかった。





翌日の朝。
あのアサシンは狸寝入りしているときはともかく本当に寝ると
ベッドからずり落ちて尚爆睡するほど寝癖が悪いと知った。

 

 

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