私は誰にも愛してもらえない。
愛されてはいけない。
私は、私じゃないのだから。
できあがった少し早い夕食を並べていた。
そして不意に響いたノック音。
「はーい?」
ルナティスが手に持ったおたまを置くのも忘れて、ドアを開けた。
「「あ」」
シェイディとルナティスは同時に声をあげて固まった。
訪問者はインビシブルのメンバーだった。
マスターであるハンターのデュアと、ウィザードのイレクシスと、BSのマナ、そしてプリーストのユリカ。「…ぁの、今朝の無礼をお詫びしたくて…」
目元を赤くしたユリカが、小さく言った。
さっきまで泣いていたというのが一目瞭然で分かった。
それに、ルナティスは少し困った。
彼女が気に病むのは無理もないが…なんだか、悪いことをした気がしたから。「あー、立ち話もなんですし、入ってください。」
ルナティスは何事もなかったように、笑顔で彼女らを受け入れた。
「それに、無礼だったのは僕も同じですから。」
入ることを少し躊躇っていた彼女らに、そう言って少し強引に家の中に押し入れた。
ルナティスは明日のおやつのつもりだったヒショウの好物、杏仁豆腐を少し小さく分けて、みんなの前に出した。
変に律儀だ。
「あの、シーフの兄ちゃんは?」
マナがぼそりと聞く。
「あぁ、もう元気なもんで、フェイヨンに行っちゃいました。今日は多分向こうに泊まると思います。」
ただし、それは第二人格のヒショウだ。
主人格は今日のことで疲労しきって、完全に眠り込んでしまったらしい。
ヒショウがいないと知ったユリカは、さらに顔を曇らせた。「そうだ。今回のこと、シェイディに少しは聞いたんですけど」
「え。あ…」
「ユリカさんが、以前にヒショウに会ったことがあったんですよね?どこで会ったんですか?」
ルナティスはあくまで穏やかに話す。
「…私が、転職する直前に…下水で…」
ユリカに、詳しく話してもらって、シェイディとルナティスは確信した。
彼女が惚れたのは、第二人格の…女のヒショウだ。
そうなると…問題が大量発生する。
男にせよ、女にせよ、あのヒショウに惚れた上にそれは副人格のほう。
前途多難なのは明らか。
2人は顔を見合わせて、どうしよう…と目で訴えあった。「…あの、こうしていても、仕方ないですし…後日、また改めて…」
ユリカがそう切り出すのを、ルナティスは止めた。
多分、ユリカには先に話しておいた方がいいだろう。ヒショウの事情を。
そうじゃないと、彼女は今朝のヒショウの苦しみ様を思い出して、涙するだろうから。「先に、話しておきますね…ヒショウのこと」
ルナティスは少しシェイディの方を見て、苦笑いを浮かべた。
それを見て、シェイディはなんとなく、ルナティスは自分意外に、ヒショウの心の病気のことを話したことがないのだろう、と思った。
「ヒショウは…人が苦手で、話すのはもちろん、目を合わせることも、傍にいることも精一杯なんです。」
少し悩んで、ルナティスはそう切り出した。
「だから、今日は…いきなり、人がいっぱいいるところに放り込まれて、ビックリしたんでしょう。」
素っ裸の女に抱きつかれたりもしていたが、マナは言わないでおいた。
「だから、気分がいいときじゃないと、どうもまともに人と話せないんですよね。」
気分がよくても話せないが、そういわなかったのは、ユリカが以前にヒショウと普通に話せたことを不振に思われるからだろう。
結局、ルナティスは“2人のヒショウ”のことは言わないでおくつもりらしい。
いや、直前で、やはり言えなかったのか。「だから、今回のことはいろいろと不運も重なってしまったわけですし、そんなに気にしないで…」
ルナティスのぎこちない話を、みんなでじっと聞いていた。
そんなとき…
「たっだいまぁーー!!!!見てルナ、なんか変なお札いっぱいげっちゅ…あれ?」
外から勢い良く飛び込んできたのは、なにやらボロボロになったヒショウ(女)であった。
ユリカ達は唖然として、ルナティスとシェイディも固まってしまった。「…なんか、俺…タイミング悪かった…?」
少し男っぽさを含んで、ヒショウは一同を見回した。
「…今朝のことで、謝りたいって…俺の入ってるギルドの人たちが。」
シェイディの言葉に、ヒショウがぼんやりと頷いた。「あー今朝の…?あーいや、どーいたしまして…」
ルナティスとシェイディは、少しあせった。
まずい。
どうやら、こんなときに限って、こっちのヒショウは朝の事を知らないようだ。
「ほら、勝手にヒショウを拉致して、キミの男っぷりを判断しようとかしてた人たちだよ!わざわざ謝りに来てくれちゃったんだ〜とくに何も無くて済んだのにねー!!」…ルナティスがやたら説明口調で言う、その怪しさに
シェイディは涙が流れそうになった。
「……あ、あぁ〜!それね!それのことかぁ!!…よくわかんないけど。」
ヒショウも、一回ビックリしてから納得するなんて、怪しすぎた。「あ、あの……!!」
ユリカが、自分の手が白くなるほど強く組み、震える声を張り上げた。
「ご、ごめんなさい!私…恩を、仇で返すような、マネ…」
「え、恩って…?」
彼女は自分の指にはめられた骸骨の指輪を外し、差し出した。「覚えていらっしゃらないでしょうが…」
「いや覚えてる!」
おどおどした様子でいうユリカに対し、ヒショウがズバッと言い切った。
一同が唖然とする。
「あ、いや…その、下水で俺に支援してくれた、アコライトさんだろ?」
思わず力んでしまったのは、彼女があまりにも不安そうにしていたから。
ささやかな出会いを忘れてなんかいない。
今朝、何があったのかはよく分からないが、恨んでなんかいない、と言ってあげたかったから。
「よく覚えてるよ。支援、ありがとう。」「…はいっ…」
俯くユリカの目から涙がボロボロと零れる。
彼が覚えてくれていた嬉しさ。
今こうして目の前で微笑んでくれている安堵。
そして…この人を、あんな怖い目に合わせてしまった。あんな脅えさせてしまった、その罪悪感。
こんなに優しく微笑んでいるが、彼が何かしら闇を抱えているのだろうと思うと、余計に…。「苦しくない…?」
気が付けば、ヒショウはユリカのすぐ隣にいて
彼女の頬に流れる涙を拭ってやった。
苦しい。嬉しいはずなのに、それ以上に罪悪感があって…「わ、わたしは…ただ、っ…ごめんなさい…」
思いが言葉にならない。
伝えたいことがたくさんあるのに、涙が止まらない。
体を丸めて、肩を揺らすユリカに、マナが手を伸ばす。
けれど、それよりも先に、ヒショウが彼女の肩を抱きしめた。「ごめんね。」
「…っ、ヒ…ショウ、さんが…謝る、ことは…」
子供をあやす様に、彼はユリカの頭を撫でて、もう一度謝った。
「苦しかったよね。ずっと不安にさせて、ごめんね…」
「…っ!」
まるで、今朝の出来事からの彼女の様子を、ずっと見てきたかのように、ヒショウは言う。そう、怖くて、苦しくて、不安だった。
ずっと泣いていた。けれど、今
ヒショウに許してもらえたんだ、と知って
心に絡みついた糸が、解けた。