僕が何より嫌なのは、君が傷つくこと。
だけど、君は傷ついてでも乗り越えなくては…と感じていたでしょう?
だから僕はあえて、君を傷つける覚悟をしたんだよ…


 

シェイディの眠りが浅いのは相変わらずだ。
たが不思議と辛くはない。

彼は朝早くから起きて、狩りの準備をしていた。
やることが無いからだ。
だが準備をしていて、昨日服を洗濯してもらっていたことに気が付き、さっさと狩りに出ていくこともできなくなった。

……とりあえず、顔を洗って水でも飲もう。

 

居間に出て、小さなキッチンの水で布を濡らし、顔と首元を洗った。
置いてあったカップに水を注いで、テーブルに座った。

……一人で住むにはやはり大きい家だ。
この家でルナティスは一人で相方の帰りを待っているのだろう。
大切な人だけに、その時間はつらいものなのではないか。

シェイディは分からないだけに、余計にルナティスが可愛そうに思えてしまった。

 

 

バタン!

突然、扉が開いた。
けれど、開いた扉はルナティスの寝室ではなくて、外の出入り口の方。
客にしては突然だったので、シェイディはどうするべきか迷った。

「……ぁ…」
外の人物と目があった。ゴーグルを黒髪の上に目深に被った、シーフだった。

シーフ。
ルナティスの相方を思い出した。彼もシーフだといっていた。
つまり、この人が……

「…おじゃましてま…、!?」

…突然、彼はその場を逃げ出してしまった。

「ちょっと!!!」
シェイディは慌てて立ち上がったが、追い掛けていいものか…。

 

「…シェイディ〜どうしたの〜?」
少し遅れてルナティスが寝室から出てきた。
シェイディが大声を出したせいで起きてしまったのだろう。

「…今、誰か来て、さっさと逃げていった…」
「…へ?誰だろう」
「…ゴーグル被った、シーフでした」
寝惚けていたルナティスは、それを聞いて、ワンテンポ遅れてから反応した。

目を見開いて、寝巻きも構わず外に飛び出した。
「どっちに逃げた!?」
いつもにこにこしていた彼が、今は随分と険しい顔付き。
「右の方だったと…」
右、と聞いた時点で、ルナティスは全速力で駆け出していた。

 

帰ってきた!
でも、昨日フェイヨンに行ったばかりのはずなのに…

ルナティスは脚力と動態視力をフルに使って、シーフを探した。
朝早くから、商人や鍛冶屋の露店が多く並び、客もそこそこいて混雑していた。
けれど…

「ヒショウ!!」

見付けた。

彼は声のした方を振り返り…目を見開いていた。その整った顔立ちは間違いなく"ヒショウ"…ルナティスの相棒だった。

ルナティスは彼に飛び付いた。

 

 

「昨日、プロンテラでテロがあったと聞いて…心配だったから戻ってきたんだ。」
ルナティスの格好が寝巻きで目立つので、大通りを出て小道を歩きながら話していた。
「テロ…?」
「あったんじゃないのか?」
ないよ?、と言いかけて、ルナティスは言葉を止めた。

きっと、ルナティスがヒショウを追い掛けてフェイヨンにいたころに起きたのだろう。
ルナティスがフェイヨンにいたのは秘密だ。
「ああ、あったあった。でも小さかったし、僕はずっと家にいたから。」
「…そうか、よかった。」

ヒショウが心配してくれたということが嬉しくて、ルナティスの表情はにやけていた。
彼がシーフになって、少し遠くに行けるようになってから、なんだか2人の関係が冷めていたような気がしたから。

 

「…ルナティス…」
「ん?」
「あの子は何なんだ?」
「…ああ、シェイディ?昨日拾って、ついでに泊めてあげたの。ノービスで、冒険者になったばかりみたい。」
「…いつまでいるんだ…?」
ヒショウの表情はどんどん曇っていっていた。
ルナティスはそれに気づかないのか、気づかないフリをしているのか、明るい表情で言った。

「いつまで、って…しばらくは一緒にいるよ?ノービス仲間だし。てゆーか一緒に暮らすつもり。」

ヒショウは頭に金タライが落ちてきたようなショックを感じた。
「ま、て…俺への嫌がらせか?」
「へ、何が?」
ルナティスの笑みと言うのはスマイルマスク以上に裏が読めない。

 

ルナティスは相方を連れて帰って来るなり、みんなをテーブルに座らせ、朝食にしだした。
「シェイディ、この人が例のシーフのヒショウね。」

こうゆうときは握手とかをするべきなのだろうが、ヒショウは、ルナティスとシェイディの距離の倍くらい向こうにいる。
なんていうか…近寄らないようにしているように見えるのは気のせいだろうか。

とりあえずシェイディは、よろしく、とだけ言っておいた。
相手からの返事はない。

ヒショウの様子がおかしいのは一目で分かった。
顔色が悪く、口数が少なくて、ルナティスの声を聞きながらもそれがなかなか認識できていない。

お茶の入ったカップを持つ手がわずかに震えているのが見えた。
緊張しているようには見えなかった。
何かにおびえているようだった。

…怯えている。何に?

シェイディは何となく分かっていた。ヒショウが怯えているのは自分だと。
何故かは分からない。
けれど、彼の瞳は伏せられた睫毛の奥に隠れて、さらに長く伸ばされた黒い髪のヴェールがそれをさらに覆い隠す。

薄く見えるその表情はやや中世的で美しい。
だがその人はこっちを見ようとせずに、完全に拒絶していた。

 

「…ルナティス、俺が邪魔ならすぐに出て行く。もう十分世話になった。」
ルナティスとシェイディがいくら朝食を食べても、ヒショウは全く手をつけようとしなかった。
自分がいると、ヒショウはこのままずっと食べずに、動かずに怯えているだろうと思ったから。

けれどルナティスはそれが分かっているのかいないのか、シェイディの服の袖をつかんだ。
「洗濯物が乾いてないよ。あとせっかくヒショウも帰ってきたんだから三人で過ごしたいん…」
「俺はお邪魔虫だろう。お前がよくても、ヒショウはよく思ってないみたいだ。」

そういった瞬間。ヒショウがグッと肩を上げたが、すぐにまた俯いてしまった。
そしてさっき以上にカップをつかむ手に力が入っている。手が白い。

言いたいことがあればはっきり言えばいいのに。
じつはシェイディがスーパーノービスなんてオチは無いのだから、ヒショウの方が強いのだろうし、

「邪魔なんかじゃないよ。僕らはプロンテラは来たばかりで親しい人も少ないんだ。歓迎してるよ。」
「だが」
シェイディがルナティスの言葉に反論しようとした瞬間、ルナティスはヒショウに呼びかけた。
「ヒショウ、旅後で汚れてるだろ?洗濯物を出してくれないかな、今のうちに洗って一緒に干したいから。」

ヒショウはルナティスとは目を合わせて、頷いてバスルームに下がった。

 

「…俺、嫌われてるな」
そういうと、ルナティスは苦笑いをして首を横に振った。
「違うんだよ。ヒショウも本当は普通に接したいんだ。」
「でも、なんか様子が変だった。…なんていうか、異質なものを見るような感じで」
ルナティスは、そうじゃないんだけど…と言って、しばらく口ごもった。言葉を捜しているらしかった。

「…怖いんだってさ。」

ルナティスは小さくため息をついた。
「昔はいつでも明るく振舞って、悲しむ子を励まして
ずっと無理して笑ってた。自分もつらいって、誰にも言わずに…。
けど、いつからか無理することができなくなって
駄目になっていく自分が、嫌で仕方なくて…
今は他人に見られることや、聞こえる他人の声とか、話しかけられることが怖くて
自分自身にも自信が全く持てなくて…。
そんなで、僕以外の人とは、ろくに目を合わせることもできないんだ。」

…それでよく冒険者がやっていられるな。
何よりもシェイディが思い浮かべたのはこんなことだった。
あと、ルナティスはヒショウとかなり長い付き合いなのだろうと思った。
ヒショウの心の中を代弁しているような様子だったから
彼を、長い間、ずっと見てきたのだろうと思った。

「僕はヒショウが傷つかないのが一番いいから、そのことに関しては触れないようにしてたけど
ヒショウは、このままじゃ駄目だって感じてるみたいだ。
だから、今回、シェイディを同居させようと思ったわけさ。
心を鬼にして、ヒショウの後押しをすることにしたんだ。」
ルナティスは悲しげな表情を浮かべていた。が、

シェイディは聞き逃していなかった。
「…俺がここに同居するって…一回もそんなこと聞いてないが…」

 

「さてさて、シェイディ君。今日は一緒にチョンチョンでも叩きに行くかな!!?」
「誤魔化すな!!!」
「別にいいじゃないかー同居くらいー結婚しろって言ってる訳じゃないんだし」
「それはそうだが…」

「それに、宿代だって浮くじゃない?オイシイ話だと思うよ??」
「…それはそうだが……」

…騙されてはいけない。きっとこのあとよくないことが起きる。
彼の勘がそう告げていた。

「それにアレだよ?うちにくれば食費だって浮くし〜」
「…ぅ」

「ヒショウが旅先からいろいろ拾ってくるから道具とか装備とかカードとかも無料貸し出しOKだし〜」
「うぅ…」

「ヒショウの為にミルク大量常備だから、回復アイテムも買う必要ないよ??」

 

シェイディは誘惑に負けた。

 

 

ルナティスの相棒、ヒショウが帰ってきた日の夕方。
チョンチョンとカエルを雑談を交えつつ叩いてきたルナティスとシェイディは、足早に家に帰ってきた。

猛烈に腹が減ったからだ。

途中でルナティックやポリンからリンゴを拝借して食べたが、そんな物では2人の腹は満たされない。
食事を作るのはルナティスの仕事なので、早くご飯にありつきたい2人はまるで速度増加をかけられたように走ってきた。

「ただい…あれ?」
ルナティスが扉を開けた瞬間、いい匂いが部屋を漂っていた。
見れば、テーブルの上にしっかりと夕飯が並べられていた。

ただし、そこにあるのは2人分で、1人分のスープやグラタンやサラダは
いかにも「もう食べました」と言いたげに空になって皿だけテーブルの端に片付けられている。

「ヒショウが作ってくれたみたいだね。」
それに、ルナティスはうれしそうに微笑んでいたが、シェイディにはどこか悲しんでいるように見えた。
きっと、ヒショウと一緒に夕飯を食べられなかったから。
ヒショウが拒んだから。