貴方の優しさを思い出した。
貴方はいつも俺を守り、励ましてくれた。
誰よりも優しかった貴方が、生きる価値がないなんてありえない。
俺は何をしてでも、貴方に生きて欲しかった。
咳が止まらない。
具合は悪くないから風邪を引いたわけではない。
洞窟の中でずっと咳き込んでいるアサシンは他人の目に付く。
人も、魔物もいないところに移動して咳が止まるのを待っていた。
なんだろう、さっきハイスピードポーションを飲むときにむせたのか。
喉につっかかるものがある。
―――ゴホッ…
喉につっかえていたものが咳と一緒に出てきた。
それは、赤い塊。
それが取れた瞬間、それと同じ色をした液体が喉から込み上げてきて
ボタボタと口から流れ出る。
咳は止まらない。
その度に…血を吐き出す。
口を押さえても、手を真っ赤に濡らして首や服に流れ落ちるだけ。
急に胸が熱くなった。痛いほどに熱い。
息ができない。
死んで、しまう…。
そんな恐怖が駆け巡り、あっけなく意識がどこかへ飛んでいった。
ヒショウが狩り場としていたフェイヨンの洞窟内で、血を吐いて倒れた。
ずっと彼の様子がおかしかったのを気にしていたプリーストが、彼が倒れたのを発見し、急いで村の病院に運んだらしい。
おかげで一命は取り留めた。
それを僕が真っ先に知らされて、慌てて情報を回した先は…イレクシスさんにだった。
彼は今日、ヒショウにシンリァの存在と、彼女の蘇生を説明するつもりだったから。
彼は一人で飛んでくるかと思ったら、インビシブルのメンバーにも伝え
ギルドの世話役兼治療役のユリカさんを一緒に連れてきた。
こちらはもちろん、僕とシェイディの二人で。
僕の開いたポータルで、速攻フェイヨンに向かった。
村の診療所で、彼はぐっすり眠り込んでいた。
その顔色は蒼白で、苦しげに息をしている。
この診療所は、レイさん…シェイディのお姉さんと敵対していて、ヒショウが彼女に腕を折られたときにお世話になった診療所だ。
ユリカさんの紹介で知ったところで、かなりの荒治療だが腕は確かで直りも早い。
おかしくなったヒショウの腕を、粘土細工のように強引にぐいぐい整えて固めた、あの光景は忘れられない。
とてつもなく痛そうで、医者もヒショウが舌を噛まないように木片を銜えさせていた。
「毒を盛られたようです。」
診療所のプリーストの女性とは別にいた、アルケミストらしき女性が淡々と告げた。
「殺傷を目的とした毒が彼の使用したハイスピードポーションに盛られていたようです。
彼がそれに気付いたのか、すぐにそれを吐き戻し、それから解毒用ポーションを飲んでいたようです。
その処置が無ければどうなっていたか分かりませんが、現在は命に別状はありません。」
その診断結果を聞いて、皆はほっとしたがそれは一瞬。
彼が暗殺されそうになっていたことを知り、緊張が走った。
きっと、アサシンギルドはシンリァさんが生きていることを知っていて…見張っていたのかもしれない。
ヒショウを見張っていたのか、イレクシスさんを見張っていたのか、正確には分からないけれど
きっと二人が接触し始め、シンリァさんを蘇らせられると知って…
彼女をヒショウごと消そうとしたのだろう。
全身がピリピリと痛む。
胃から食道にかけて、酷く熱を持っている。
―――苦しい…
徐々に体力を奪われ、体温を奪われ、力尽きてしまいそうだ。
だが、フッと誰かに抱き起こされたように、身体が少しだけ楽になった。
目が開かない。
誰かに触られているわけではないが、なんだか温かい。
誰もいないはずなのに、誰かいるような…
母親というものを知らない。
だが、もし自分にもいて、抱きしめられたら…こんな優しい温かさを持っているのだろう。
このまま眠ってしまいたい。
―――おやすみ、次にきっと辛い時がやってくるから…
誰かが囁いた。
こんなに気持ちがいいのに、そんな不吉なことを言わないでくれ、と悪態を付きながら
身体の力を抜いた。
突然、身体に重みが戻ってきた。
驚いて目を開いた。
夢を見ていて、突然さめたときと同じような感覚。
自分は寝入っていたのだろう。
「おはよう」
すぐ横に…イレクシスがいた。
あまりに意外な人物がいて、しばらく目を丸くして固まった。
「…おは、よう…」
とりあえずそれだけ返したら、喉が酷く痛んだ。
身体がだるくて、眩暈がして、身体が少し痛んで、熱くて…
さっきまでの気持ちよさはどこへいったのか。
「よく眠っていた。調子はどうだ?」
イレクシスが、額に冷たい布を置いてくれた。
酷い風邪をひいていたときに、ルナティスがそうしてくれたのを思い出す。
「…喉、が…少し…」
そういうと、何故かイレクシスまで辛そうな顔をした。
不意に、喉に手のひらを乗せてきた。
自分の体が熱いのか、彼の手が冷たいのか。
温度差が心地よくて、少し楽になった気がした。
イレクシスは何度かビタタカードの力でヒールを唱えてくれたが
それよりも彼の手だけで十分だった。
「ヒショウ、大切な話がある。」
だるさのせいで、どうも気を張り詰めることができなかった。
それでも、うなずいて返す。
「君は今朝、毒を盛られたんだ。」
「毒…?」
「ああ。…私の思い人がアサシンギルドに狙われていてね。彼女は今、君の中にいる。だから毒を盛られたんだろう」
ヒショウは目を丸くしていた。
いきなり言われても分からないだろう。
時間をかけて、ゆっくり話した。
何度も、何度も、ヒショウが受け入れられるように。
「知ってる。」
すべてを話し終えて、ヒショウから返ってきた感想はそれだった。
「シンリァの存在は、知ってた。
彼女が死んだとき、俺の中に入ってきたことは覚えてる。
…いや、彼女が思い出し始めて俺も思い出したんだ。」
彼女が死を望んで、俺を引き止めたなんて知らなかった。
だからずっと彼女を見殺しにしてしまって、うらまれているんじゃないかと怖かった。
だから彼女の声を遮断してしまっていた。
「…本当は、ずっと聞こえていたんだ。
いつも俺たちを守ってくれていた。さっきも…俺の苦しみを彼女が受けてくれていた。」
今まで気づけなかったのは、彼女がそうしていたのだと今なら分かる。
以前、心に余裕がなくて、初めて呼びかけてきた彼女を拒み、そして記憶から消していた。
自分の身勝手さに腹が立った。
「…イレクシス…俺は彼女を蘇らせたい。彼女がそれを悩んでいても…彼女はもう一度生きるべきだ。」
初めてヒショウを見つけたのは、シェイディがインビシブルへ加入したばかりのときだったが
その時の彼は何かに蝕まれているようで、弱弱しかった。
いつも何かに怯えていて、小さな衝撃だけでココロが折れてしまいそうだった。
けれど今は違う。短い間に随分成長したようだ。
それとも、本来の強さを取り戻せたというべきか。
「変わったな、君も。」
イレクシスが思わず笑みを浮かべて言うのに、彼は苦笑いで返した。
「シェイディがうちで暮らし始めて、視野を広げるきっかけができた。
それに、昔疲れてしまった分、皆に十分すぎるほど守られていた。
彼女を蘇らせて、俺も1人で立てるようになりたいから。」
二人は笑みを交えて強く頷いた。