冷たい人形のような貴方の抜け殻
それは神に見捨てられた天使の亡骸
だから僕も神に背き君を選ぼう




どうやれば彼女に会えるだろう。
ヒショウはずっとそれを考え、ベッドに横たわって目を瞑っていた。
ずっと自分を守ってくれた女性、シンリァ。
彼女と話がしたかった。

今までずっと彼女の声も存在も拒んでいたけれど、彼女が過去を思い出し始めたと同時にヒショウが閉ざしていた彼の記憶も蘇り
今では彼女を拒む気はまったくない。
そして思い出した、彼女の優しさと切なさ。
「…シンリァ」

自分の中にいる人の名前を、静かな部屋でボソリと呟いた。



穏やかに視界が暗くなり、意識が沈んでいく。
このままシンリァのもとへ行きたい。
それとも入れ違いに表に彼女が出るだけだろうか。
ずっとシンリァを呼んでいた。




急に開けた視界は、さっきまでとはまったく違う光景だった。
部屋のベッドではなく、どこか草むらの中。
遅れて、自分の腕の中に血の臭いと色に染まった人間がいることに気づいた。

―――シンリァ…

幼いこの体で、彼女を抱えて助けを呼びに行くことなどできなかった。
生暖かい血で腕が汚れるのもかまわず、冷えていく女性の体を少しでも温めようと抱きしめた。
口が、機械のように「死なないで」と繰り返し呟いている。
顔が真っ赤に染まっても、美しさは衰えていないその女性は、何かを呟いていた。
あのときは聞き取れなかった。

『すまない、イレク』

耳を凝らすと彼女がそういっているのが聞こえた。

『怖かった…お前の強い思いは私をかき乱すから。
でも、今はお前に会いたいと切に願っているよ…
もう死んでしまうのに。会ってはいけないのに…。
会いたい、イレクシス…触れたことはなかったけれど
お前の腕も、この少年のように温かいのかな…。
もう、冷たくはない…安らかに逝けそうだ。
イレクシス、どうか私のことは忘れてお前は…
お前だけは生きてくれ。』

それは彼女が死ぬ間際に思い描いた愛しい人への言葉だったのだろう。

「駄目だ…死んじゃだめだ…!誰かが悲しんで、壊れてしまうよ…
僕が何でもする!!僕なんかの命でいいならあげるから…!
だから死んじゃだめだよ!!貴方は生きて、大切な人に会って、幸せになれるから…!」

そう、確かにそう叫んだ。
何故、こんな言葉が口をついて出たのかは分からない。
もう生気を失っている瞳がこちらに向いた。

『…私に、そんな資格があるの…
この体も心も魂も、血と欲に塗れた女に…
そんな人間の為に、貴方は泣いてくれるの…?』

シンリァの声が、頭に直接響いてくる。
あの時、自分はこの言葉を受けただろうか。
それともこれは、今のシンリァが思い出している記憶か。

『生きていいというなら…もう一度、イレクシスに会いたい。
彼に触れたい。それだけでいい。
…イレクシス、会いたかった…』




「…リァ…ッ!!!」
消えていく彼女の声と願いに思わず声を張り上げて名を呼んだ。
けれどそうした瞬間に急に体が重くなり、現実に引き戻された。
頬が涙でぐっしょりと濡れていた。
喉が、嗚咽を抑えたら酷く痛んだ。

「…これが、貴方の願い…なら…」
声の届かない相手に、声を絞り出して呼びかけた。
こうなることは、ヒショウ自ら望んだことだった。
絶望した瞳をして死にゆくアサシンを救いたかったから。




なんとしても、貴方を蘇らせてみせる。













イレクシスがシンリァの遺体を保管し、研究所としてきた場所は、アルデバランから少し離れた辺境の地にあった。
案内されたところは打ち捨てられた民家だったが、それはカモフラージュで地下にその研究施設があった。
壁などは舗装されず、固められた土が露出している。
けれどところどことに転々と置かれている機器は化学、錬金術、魔学、神力ありとあらゆる研究の末に作られたものばかりだった。
素人では動かすことすらできそうもない。

そして広い一室の奥に、シンリァは眠っていた。
棺の中に入れられ、その白く清められた体の至る所からコードが伸びて
その棺やコードごと澄んだ氷で氷結させられていた。

「綺麗…」
ユリカがぼそりと呟いたそれは、彼女だけではなくその場にいた全員が思ったことだった。
シンリァは確かに、美しい女性だった。
作られたように整った顔立ちに、長い漆黒の睫毛と髪。
傷ひとつ残されていないその体も、理想のスタイルを彫刻で作ったようだった。

「早く始めて、アサシンギルドに気づかれる前に逃げよう。」
追っ手がいないか細心の注意を払いながらでも、相手は暗殺のプロ、油断はできない。
イレクシスの言葉に、見とれていた一同は慌てて動き出した。

「これは本来BOTを作り出す装置だ。これを使ってシンリァの魂だけを抜き出す。」
その言葉に皆がぎょっとして言葉を呑んだ。
BOTとは魂が無く、出された指示に従うだけの人間の抜け殻。
ヒショウにそれを施すということは、万が一失敗したら彼もBOTに…廃人になってしまう。

「分かった。頼む。」
ルナティスやシェイディが何かを言おうとしたが、それを遮るようにヒショウが強い口調でそう言った。
イレクシスも強く頷く。
「20年近く重ねた研究だ…失敗してなるものか。」
イレクシスもヒショウも、決意は固いようだった。

「ではその陣の中に中に座れ。」
地面に、うっすら青白く、一部は紫色に光る陣の中心に、ヒショウが言われたとおりしゃがんだ。
彼にイレクシスが小さい針が先端に取り付けられた黒いコードを、体の至るところに差し込む。
細いせいか痛みは大してない。

そのコードはシンリァにも取り付けられていた。
しゃがんだヒショウからすると、まるで神体のようにシンリァの体は正面の視界の上に眠っている。
神に祈るように、ヒショウは彼女の体に復活を祈った。

「始めるぞ。」
ヒショウは頷きもせず、ずっと祈っていた。
そして突然、視界がスライドを降ろしたように暗くなった。






『イレクシス、貴方に会いたい』