さようなら。
私が私になる為に。
私が貴方を守っていたのではなくて
貴方が私を守ってくれていた。
絶望と孤独という魔物から。
大丈夫、もう一人で歩けるから…
陣の中で、ヒショウが突然倒れた。
ルナティスがぎょっとして駆け寄ろうとしたが、イレクシスが取り乱す様子はないのでこれでいいのだろうと思い止まった。
「…シンリァ」
イレクシスの彼女を呼ぶ声が、低い機械音と共に広い室内に響いた。
彼女の周りが一瞬光り、彼女を取り巻く氷が砕け、空気と共に消えた。
一同は息を飲む。
「…ユリカ、ルナティス。その機械の前に立ってくれ。
中のジェムストーンにヒールをかけていてくれ。」
前触れもなく名を呼ばれた二人だが、戸惑う様子もなくその指示に従って動いた。
その機器は腰ほどの高さの鉄の箱で、中心に半透明な虹色の宝石が填められていた。
言われた通りにそれにヒールをかけた。
それを合図にしたように、壁にかけられている機械のいくつかが唸りだした。
「…デュア!援護を!」
突然、部屋の外で見張りをしていたマナが叫んだ。
デュアが弓を構えて部屋の外へ走っていった。
だが、彼がいくまでもなく、侵入者が現れた。
黒い肌に、白い髪。南の人種のアサシンだった。
「ユリカ援護!ルナティスはヒールを続けろ!」
イレクシスの指示でルナティス以外が一斉に戦闘体勢をとった。
戦陣を切ったゲートとアレクにユリカから迅速に支援魔法がかけられた。
それと同じものが敵であるアサシンの体にもかけられ、相手の味方が潜んでいることに気付いた。
アサシンは得物で斬りかかってくる二人のうち、ゲートと迎え撃った。
カードの力によるクローキングで隠れていた仲間のであろう女モンクが戦陣に割り込み、アレクと迎え撃ったからだ。
「レックスディビーナ!」
更に別の方向から魔封じのスキルが唱えられて、しまったと思ったときには既に、ユリカの声が封じられてしまっていた。
そして入り口の壁からまた隠れていたプリーストが現れた。
そのプリーストの男は味方にデュアの弓を防ぐ光の防護壁を張った。
敵は三人、しかも皆実力者。
イレクシスは内心舌打ちした。
ユリカの回復ができなくなった今、ゲートとアレクは簡単に破られてしまう。
体が軽い。
地面を感じられない。
誰かに呼び寄せられている。
進むべき道が、本能的に分かる。
『シンリァ…』
彼女が隣にいた。
手をつないで、彼女を呼び寄せている“扉”の前にいた。
周りは真っ暗で、でも彼女だけが鮮明に見える。
『…まだ、蘇りたくないのか?』
しっかりとシンリァの姿を見たことは無かったが、苦笑いを浮かべる彼女は、やっぱり美しかった。
『私が蘇ることで、皆にまた迷惑をかけることになるかもしれない。』
彼女はまだ戸惑っていた。
『けれど、同時に喜ぶ人も…もっといる。』
ヒショウがそういうと、彼女は目を丸くして彼を見た。
ヒショウ自身も、強く彼女が蘇ることを願っている。そしてルナティス、イレクシス…
『蘇った貴方に、ちゃんと礼がしたい。』
言葉を上手く選べず、とりあえずそれだけ言うと彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
『ルナと…約束したのよ。』
『なんて?』
彼女は可笑しそうに笑っていた。
『私が蘇れたら、抱きしめてキスしてねって。』
『それは…イレクシスに恨まれるだろうな。』
二人で小さく笑った。
ヒショウは、自分はこんなにも自然に笑える人間だっただろうか、と思った。
『ルナはね…私にとって思い人とかじゃなくてね…光だったのよ。
とても強く憧れて…何度も優しく包み込んでもらった。
そんな憧れの人にした一度だけの我侭、叶えたいから…』
シンリァは手を離して、扉に歩み寄った。
その瞬間、ヒショウは彼女との関係が切れたのを強く感じた。
もう、彼女の姿が見えなくなった。
『『また、後で』』
「シン、リァアア…!!」
苦しげな聞き覚えのある声が、泣き叫ぶようにシンリァを呼んでいた。
それがルナティスの声だと気づいた瞬間、ヒショウは我に返ったように目を覚ました。
天井を見上げていた視線を上げると、半身を血で真っ赤に染めて倒れているルナティスがいた。
その前を黒い装束を纏ったアサシンの足が通り過ぎていった。
状況は分からない。
だがこれは敵だと本能的に察した。
反射的にその足を掴んだ。
腰につけたジャマダハルというカタールを手に取り、その足を切りつけた。
それは当然のようにかわされる。
「お前が目覚めたということは、あの女の復活はすぐだな。」
ヒショウは無我夢中で起き上がり、全神経を研ぎ澄まし、カタールできりつけた。
ヒショウの攻撃はラック故に当たるが、相手は味方のヒールですぐに回復してしまう。
対してヒショウは辛うじて避けてはいたが大分刃に体を切られ先は長くないのは一目瞭然だった。
近くに蹲るルナティスはせめて回復だけでもしてやりたいと体を捩ったが、全くといっていいほどに動かない体にもどかしさを募らせていた。
速くて目で追うのが辛い剣先に足を切られ、それでもヒショウは歯を食い縛り続いての攻撃を上へ飛んでかわした。
血が宙を舞うように飛び散っていた。
2人のアサシンの攻防。
疾風のように素早い相手の短剣が首元を突いてくる。
それをなるべく小さい動きで右にかわす、その瞬間には避ける方向の右から腕を目掛けて剣閃が迫る。
かわせないと判断し、クロスさせていた腕の左腕のカタールで上へ流しつつ身体をスッと引いて受け流す。
そうしなければ避けられなかった。そしてこちらが半歩退いたことで相手が攻めに回る。
しばらくの間避ける自信はある。
だがこの相手に受身になれば反撃の機会は薄れる。
思わず苦虫を噛み潰したような顔する、けれどもう攻防の役は決まってしまった。
容赦なく左右、時に突きとして短剣が牙を剥く。
「…っ」
しばらく相手の動きに集中して気付かなかったが足の傷は予想以上に深かったらしい。
ビリビリとした激痛が走りはじめ、きられた腿がドクドクと脈打っているように思えた。
まずい、足が動かなくなる。
その不安に囚われ、一瞬相手への意識が疎かになった。
ずっと、恐ろしく早く、だが一定のリズムを伴って動いていて相手の腕が、突然それを崩した。
ヒショウはまるでマルツィアーレの音楽に取り込まれていたように、無意識のうちに自身の動きを相手と合わせていた。
だから剣の速さは変わらずとも相手が突然スタイルを変えたことで、気まぐれな激しい嵐に飲み込まれたように錯覚した。
身体の動かし方が分からなくなる。
右をかわし、次は左から来るとさっきの感覚で予想してしまえば現実にはまだ来ない。
戸惑ううちにもう一度右に腕を浅く切られ、息を呑むうちに襲いくるのは左。
目、喉、心臓、足、ヒショウが身体のどこを中心に庇おうとするかは先ほどの一戦で悟られていた。
攻撃をしかけてくるのは腕や肩へばかり。
腕に何度も切りかかれ、ヒショウは焦る。
それが弱みになる。
どう避け、どう流すべきか迷った。
その隙に、彼が庇っていたはずの足を取られた。
左腿の脇を深く切られた。
「…っ、…!」
しまった、と思う頃には遅かった。
相手はヒショウの意識が逸れたうちに姿勢を深く沈めて右脇の脹脛を裂いた。
「…っ、ぐ…」
苦悶の表情を浮かべてヒショウは陣の上へ倒れた。
「腹が立つ。」
上からはき捨てるように呟かれた言葉。
痛みに痺れ、失血で意識が朦朧としかける頭をなんとか起こし続け、視線だけをアサシンに向けた。
「シンリァはもっと強かった。もっと…綺麗に舞っていた。」
それはヒショウの先ほどの戦い方を言っているのだろう。
昔から妙に戦いに慣れた感覚を持っていたが、それはヒショウと同化してしまったシンリァの感覚。
いつもそれを頼りに戦っていたため、先ほどのスタイルもきっとシンリァに似ていたのだろう。
この男は生前のシンリァを知っている。
その彼が、シンリァと同じスタイルを持ちながらも戦闘力で劣るヒショウの何に苛立ちを感じていたのか、そこまでは分からない。
アサシンはヒショウから目を放し、標的であるシンリァを見た。
その瞬間、男はぎょっとして息を呑んだ。
シンリァは横たわったまま虚ろ気やな目でこちらを見ていた。
まだ意識ははっきりしていないようだが、蘇りかけているのは確かだ。
「ギド、早く殺りな!!」
唯一まだ立っているアレクの剣を避けながら、モンクがアサシンに呼び掛けた。
ギドと呼ばれたアサシンは我に返ったように走り出した。
「やめろおおおお!!!!!!!」
イレクシスの悲痛な叫びが響いた。