セイヤはヒショウの部屋の扉の前に張り付くようにして立っていた。
ルナティスが何者かに連れ去られ、ヒショウが犯人により呼び出されたのが一昨日。
向こうで何があったのかは分からないが、彼は帰ってきてから体を壊して寝込み、ずっと塞ぎ込んでいた。
レイヴァが彼にルナティスはどうしたのかと聞いたが、ヒショウは何も言わない。

そして今日、アルデバランの北部で殺人事件が起きたと報道された。
殺害されたのは医学薬学界で数々の実績を残した中年のセージとアルケミストの少年。
メスでめった刺しされた二人の側には、二人のどちらの物でもない金色の毛髪と、プリーストの法衣の切端があったらしい。
それを聞いて、一同は血の気が引いた。

まさかルナティスがするはずがない、そう思いながらも不安に掻き立てられた。
それが事実か聞こうと、皆には止められたが、セイヤは聞きに来た。

意を決してセイヤは扉に手をかけたその瞬間


―――ルナティスを探しに行く


頭に凛としたヒショウの声が響いた。
WISとも、ギルドチャットとも違う。
ハッとしてセイヤは慌てて扉を開いた。
部屋には誰もいない。

セイヤの部屋への侵入を拒むように、開け放たれた窓から冷たい空気が吹き込んで、扉のほうまで吹き付けてくる。
ベッドに置かれたギルドエンブレムは、風に吹かれて床に転がり落ちた。



   ルナティス・『†インビシブル†』脱退
   ヒショウ・『†インビシブル†』脱退











見慣れた狭い部屋に入ると、なんとも言えない異臭が漂った。
窓を開け放って換気してあるのだが、夜は閉めていたため臭いが少し染み付いている。
ベッドに寝かせてある青年からのものだ。

「嫌な臭い…」
女性は呟いて、ベッドの側に歩み寄る。

「…あ、起きてる。」
なんだかもそもそと動いていたから、昨夜のように魘されているのかと思いきや、しっかりと目を開けてあたりを見回そうとしていた。
怯えたようなエメラルドグリーンの瞳。
これでちっちゃい男の子だったら喜んで付きっ切りの看病するのに、と内心思ったが、そうでなくとも昨夜きっちり看病している彼女だ。

「…ア…っ?」
苦しげな呼吸をしていると思ったら、声を出そうとしているようだ。
けれど結局喉からでるのはうめき声ばかりで、本人も驚いている。
「ちょっとこっちも話したいことがあるから、少し休んでご飯食べて、そのあとゆっくり話しましょう。」

「…っ、っ…」
彼はなみだ目になって、喉を押さえて震えていた。
「…っく…る、し…」
青年がなんとか擦れた声を絞り出した。

「ん、苦しい?それは多分貴方が薬漬けにされてたからね。
しばらくは禁断症状とかあるでしょうけど、そんなに酷くなさそうだし、2,3日で落ち着くわ。」
女性は冷静に淡々と告げながら、コップに入れた水を差し出した。
自分で飲むことはできなさそうだったので、体を起こし顔を上げさせて少しづつ口に流し込んでやった。

「…君、は…?」
「ただの女の子よ、職業は家庭教師。お使いの途中で森の中でぶっ倒れてたお兄さんを運んできたのよ。
あ、お礼はあとで請求するから、安心して休んでね。」
ただ呻くばかりではなく、軽く話ができるのでそんなに重症ではないとわかり、女性は安心して笑みを浮かべた。

ずっと抱きかかえられたままのせいか、青年は落ちつかずうめき声を抑えていた。
「ん?どうしたの?」
「ご、めん…降ろ、し…くれ…」
「ああ、失礼」
呟くように小さく言われて、慌てて彼をまたベッドに横にさせると、彼は深く息をついた。

「くす、り…は…そんな…残っ、て…ない……気が、動転して…」
「そうは言いますがね、薬臭がすごいんですよアナタ。
ちゃんとゆっくり休んで。薬をなめちゃいけないよ。」
言われてやっと彼自身も異臭に気が付いたようで、申し訳なさそうに謝って体の力を抜いた。

「知り合いのプリースト呼んでくるから、ちょっと待ってて」
「待って!!」
部屋を出ようとしたら、突然叫ばれた。
咄嗟だったらしく、彼はベッドに蹲って咳き込んでいた。

「プリーストは…待ってくれ…」
「…なんで?」
「…顔見知りが、いる…かもしれっ、ない…」
「とは言っても私、そんなに交友が広くないのよね。他に良い人知らないし。
それに、昨晩もう貴方を診せたし、知らなさそうだったから大丈夫よ」

何故顔見知りがいると不味いのか、それは一切聞かずに彼女はそう説得して部屋を出て行った。
昨晩見られたなら大丈夫か、と部屋に一人残された青年は力を抜いて、ベッドにまた横になった。




「…で、どうしようか。」
さっきの女性の声が半分夢心地の中で聞こえる。
いつの間に戻ってきたのだろう。

「アイリがいいなら僕が預かりますが?」
それともう一人、知らない男の声。
まだ少しだるく、息苦しさを感じて、それを落ち着かせるようにゆっくり息を吐いて目を開いた。

やはりさっきの女性。
下から見上げる形だが、染められたピンクっぽい肩口ほどの髪で、なかなか可愛い顔をしている。
もう一人は連れてきたプリーストらしく、見慣れた法衣を着ている。

「…病人に変なことしないでしょうね。」
彼女の言う病人というのはやはり自分のことだろう。
「本人の意思を尊重します。」
何の話か分からないが、意思は尊重してくれるのか、と変に納得した。

「とか言いつつ毎回追い詰めて無理やり同意させてるじゃない。」
「失礼な、そのパターンは7割くらいですよ。」
…いったい何の話をしてるんだ。

「あ、起きてるし。」
「おや。」
今更気付かれた。
まだ意識がはっきりしていなくて、目をつぶるとまた寝入ってしまいそうだ。

「おはよう。」
「おはよう。」
二人が同時に言ってくるので、一応礼儀として
「…おはようございます。」
返事をした。喉は思ったよりも良くなっていた、一時期の痺れだったようだ。

「具合はどうですか?起きられます?」
プリーストの男性は見覚えがなかったのでホッとした。
けれど女性のように長くて綺麗な銀髪に、どこか女性っぽい優しそうな美男子で、呑気に「おおっ」と心の中で感動してみた。

言われて、上半身をゆっくり起こした。
軽く吐き気と眩暈が、少しうつむいて息を吐いたら少し落ち着いた。

「生まれたての子馬の立ち上がる瞬間を見てる心境ね。」
「なかなか体格も良くてイイ男じゃないですか。」

二人いっぺんに捻じ曲がった感想を言われて、青年はまたベッドに突っ伏した。
二人ともまだ呑気に笑っている。

「よかった、思ったよりも良さそうですね。」
銀髪のプリーストは綺麗に微笑んで、掛け布団の上に乗っていた薄い毛布を彼の肩にかけてやった。
「…ありがとうございました、ご心配をお掛けして…」
「いいえ。」
青年は礼を言い、丁寧に頭を下げた。

「何があったのかなんとなく分かるので聞きませんが、とりあえず名前だけ教えてもらえませんか?」
「…え、なんとなく、分かるって…」
銀髪のプリーストの言葉に、青年は首を傾げる。
あまり知られたくないことだからだ。

「だってただの布に包って血やら精液やらにまみれて倒れてたんですもん。」
「っ!!!!!!!」
オレンジ色のカーテンごしに日が当たっているのに、青年の顔は真っ青になった。
それを見て楽しそうに二人は向かい合わせに笑っている。
普通そこは引くだろうに、なかなか一筋縄ではいかない人たちのようだ。

「いや、あの…申し訳ありません…なんか見苦しいところ…」
「いえ、全然。」
女性がにっこりと微笑んでそういうが、年頃の娘さんにそんな姿を見せてしまった自分を激しく恥じた。

「辛かったでしょうに…。ああ、でも貴方が貞操観念が強くなさそうで良かった。
嫌な思いではなるべく早く忘れたほうがいいですよ。」
「はぁ…」
銀髪のプリーストは悲しげに微笑むが、貞操観念が強くないという部分がなんだか嫌味ったらしく聞こえたのは気のせいだろうか。
確かに全然強くないが。

「ああ、名前。私はアイリ。一応冒険者でアサシンやってます。
本職は覚えてるか分からないけど家庭教師。主にこのプリの相棒のだけどね。」
男二人よりもいくらか若そうな、小柄で可愛いその女性がアサシンというところに驚いた。

「僕はグローリィ。見ての通りプリーストです。」
「え…」
銀髪のプリースト、グローリィがそう自己紹介したら、青年は目を丸くして固まった。

「…グローリィって、グロリアス=リアーテ?」
ぽつりと青年が口にしたのは冒険者登録名ではない、グローリィの本名だった。
戦い慣れしてなさそうな細い体に上品な様子で、なんとなく大聖堂勤めのプリーストだろうとは思っていたから、確信があった。

「おや…ご存知で。そんなに高い役職じゃないんですが。」
「…ええ…僕がよく、貴方の後輩に頼まれて、身代わりに説教やミサに出席してましたから。」
「ああ、噂の僕の身代わりさんですか。それはご苦労様です。」
二人は笑いあった。

「じゃあ、替え玉さんの名前は?」
アイリの質問に、青年は苦笑いを浮かべた。
「…名乗って頂いたのに、失礼だと思うんですが…できれば言いたくないんです。」
「いや、別にいいけど」
アイリは気にする様子もなくそう返した。

「今のうちに適当にでも名乗っておかないと、この人に変な名前付けられて飼われるわよ。」
と、彼女は続けてグローリィを指差した。
「なんですかその言い方は。本人の意思を尊重すると言ったでしょう。」
そう返す彼の言葉の意味は当の本人には理解できなかった。
ただ…

「…別に、自由にして頂いて…結構です。」
青年は突然そんなことを口にした。
その微笑は目が笑っていなくて、どこか自虐的だ。

青年は何もかもを諦めたような目をしていた。





「…セレネ…?」
「そう、それでいいですか?」
青年にジーパンにシャツにコートと適当に服を着せて、グローリィが彼を自宅へ連れて行く途中。
彼は青年につける名前を切り出した。

「…女性みたい、ですね。」
「女性の名前ですから。」
嫌というつもりはないし、思ってもいないのでその名前の率直な感想意外何も言わなかった。
名前の意味も聞かずにただそれで良い、と頷いた。
それを確認するように、グローリィは微笑んでセレネと呼んだ。

「…あ、グローリィさん…今お金、持ってますか?」
セレネが道中、突然立ち止まって言う。
「あまり持っていませんが。どうしました?」
「…その、髪を…染めたかったので。」
そう言う彼らの立っている場所は、美容院の近くの通り。
顔見知りにあいたくなかったということや、いきなり髪を染めたいというあたりで、彼が知り合いから隠れたがっていることは容易に察することができた。

「高い染料でなければ買える金額は持ってますが」
「…あ、色は何でもいい、ので…」
「でもまだ体調が良くないでしょう。それに今は鎮静剤で落ち着いてますけどそのうちまた禁断症状で苦しくなりますよ。
染髪はそれが落ち着いてからにしましょう。」
そう言われると、セレネは黙って申し訳なさそうに頭を下げた。




それから数分歩いて、町の外れのグローリィの家へ着いた。
大通りから離れたそこそこの一軒家。
玄関先に背の高いクルセイダーと、小さなデザートウルフ。
グローリィは勤め後に家族の元に戻ったような様子で彼らにただいま、と告げる。

紹介された無口で鋭い目つきのクルセイダーの名前がアグリネス。
グローリィの胸の中で今にも飛び跳ねかねない勢いで顔を摺り寄せている子デザートウルフがグリード。
「…二つとも僕が付けた名前ですよ。」
セレネが心中で凄い名前だな…と呟いていた矢先、それを読んだようにグローリィは言った。

「僕が手放さないと決めたときにつける、僕の一部の名前です。」
アグリネス=醜悪=にグリード=強欲=、それが自分の一部だと言いながら微笑むグローリィに、セレネはただならぬものを感じた。
相変わらず優しそうな笑みを浮かべているのに。

「君の部屋は用意しておいた。ゆっくり休んでくれ。」
アグリネスは低い声でそう言って、従者のように家のドアをあけてくれた。
ドアにかけられたハーブの飾りの香り、部屋に入った瞬間に感じた暖炉からの暖気。
思いのほか気を張り詰めていたことに気付き、セレネはその暖かい空間に入って力を抜くことができた。
とたんに体の力が抜ける。

ふらついたところをグローリィの細い手に支えられた。
「部屋はすぐそこです。そちらで休みましょう。」
暖かい空間、暖かい言葉。
無性に泣きそうになって、セレネは頷いた。




 
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