「ヒショウ」
アルデバランの酒場。
カウンターの端に手を付けられないままの酒を置いて座っていたヒショウに、突然女性が声をかけてきた。
背は小さめで、酒臭い酒場には似合わない“少女”だった。

「呼び出したのはアンタか。」
モンスターの巣窟となった廃鉱の中を人を探して駆け回っていた最中に前触れも無く入った突然のWIS。
近くの町の酒場で待ち合わせたいという名前も名乗らぬWISだったが、藁にも縋りたい思いだったヒショウはそれに応じた。

「ヒショウ、で間違いはないのね。」
「ああ。」
「冒険者証を見せて。こっちも仕事だから、人違いなんてしたくないのよ。」
肉体的にも精神的にも疲れきっていて、名前も名乗らない姿もよく見せないことに文句をつける気にもなれなかった。
荷物袋の中からそれを出して見せた。

「ルナティスが貴方に会いたくないと言ってる。」
ヒショウは目を見開いた。
この少女にルナティスの情報を持っているかもしれないという程度の希望は抱いていたが、彼に接触している人物だとは思わなかった。

「会わせてくれ。ルナティスは何処にいる。」
「聞こえなかった?彼は会いたくないと言っているの。」
「アイツがなんと言おうと関係ない。ルナティスはどこだ。」
ヒショウは少女相手に脅しをかけるのも躊躇わず、椅子から降りて向かい合った。

「私のご主人様の所」
少女は歳に似合わず、いやな感じの笑みを浮かべた。
「アルデバランの外れでご主人様に拾われたの。可愛がってもらって、彼も幸せそうだもの。だからもう探すなって、彼から貴方の名前を聞いて伝えに来たの。」
少女が喋る間、彼は終始黙り込み、何も言わず眉をぴくりとも動かさなかった。

「ならその主人はどこだ。」
「私は伝えに来ただけよ。そんなの…」
ヒショウはテーブルに飲み代以上の紙幣を置いて、少女の口を塞いで抱え込み、さっさと見せの外へ出て行った。

少女を抱え込んで早足に酒場を出て行くアサシンは、周りからは誘拐犯にしか見えなかっただろう。
だが酒場の中は陽気な酔っ払いだらけでその様子を見た者は少なく、また見た者も厄介ごとに首は突っ込むまいと動く気は無かった。

もがく少女に手を噛まれてもヒショウは構わずに路地裏に滑り込んだ。
噛み付かれている腕から少女を引き剥がし、壁に押し付け、首に手をかけた。
「何処だ。」
月明かりに照らされて見えるアサシンの顔半分は殺気に満ちていて、少女を容赦なく威嚇する。
ヒショウも必死だった。この少女がやっと得た手がかりだ。

「こんなことしたって、ルナティスは会いたがらないわよ!」
「だろうな。」
「貴方だってただじゃ…」
「声がでかい。」

細い首の両脇を軽く絞める。
苦しくはないが、途端に血が止められて、顔が膨張していくような感覚に襲われて、頭がぼーっとする。
このまま静かに殺されてしまいそうな気さえする。

少女の苦しむ顔はヒショウからは見えなかった。
見えないように彼女を建物の影に押し付けた。
怯える顔を見てしまえば自分が尋問できなくなってしまうことを分かっていた。

「…殺せば…?」
震える声がヒショウの手を緩めかける。
「お前の主人の居場所を」
「言わない…!」

手に水がかかった感触。
少女が流した涙が首まで流れてきたのだろう。
思わずヒショウは手を引いてしまった。
少女の命を奪うこと、人を傷つけることなどできない。
手を汚せばルナティスが、悲しむから。

少女は逃げるよりも先に息を吐いて、しゃがみこんでしまった。
「頼む、教えてくれ…絶対に、ルナティスは渡したくないんだ…!」
ヒショウの方が泣いてしまいそうに顔をゆがめた。
地にしゃがみこんで手を付いてしまう。

「なんでルナティスに会いたいの…?」
少女の声はまだ震えていた。
「大切な人なんだ…ずっと応えてやらなかったから、今更でも…」
その少女の声以上に、自分のものは震えていた。

周りの目なんて気にせずに、早く応えてやれればよかった。
好きだから会いたいだけ。
もう守ってくれなくてもいい。
今更、放してほしくない。




「明日の日没頃に、プロンテラ大通りのカプラサービスの前にいて。」

突然、少女のほうから別人のような声がした。
少女の声なのだろうが、一回り大きくなった“女性”のような声。

顔をあげると、消えていく光の柱と潰れた蝶の羽が残っているだけだった。







思ったよりも作業はすぐに終わった。
鏡を見せられれば見慣れた自分の顔に、見慣れない濃い紫色の髪。
なんだか自分の髪とは思えなくて新鮮だった。

「ああ、いい色に染まったね。」
外へ出れば、待っていたグローリィが少し残念そうにしながら髪を触ってくる。
「じゃあ、これでしばらくお別れかな…?」
「…しばらくモロクにでも身を隠そうかと思ってる。…お尋ね者でもあることだし、あそこには“同類”もいることだし。」

セージとアルケミスト殺害、そして金髪のプリーストが容疑者という知らせは街に広がっていたが、金髪のプリーストなど街にはいくらでもいる為、まったく怪しまれることはなかった。
それでもモロクへ身を隠すというのは、やはりヒショウから逃げることの意味合いが強いということだろう。

「いつでも遊びに来るといいよ。…ああ、でも夜はあんまり来ないほうがいいかもねぇ。」
「日中なのにそんなことを言っていいのかな、顔だけ司祭さん。」
笑いながら二人は歩き出した。

「行く前に一杯やっていかないかい?」
「聖職者なうえに君未成年だろうが。でも、いいな…気晴らしに少しだけ。」
2人は大通りに出て、グローリィのお薦めだという酒場へ向かった。
日も沈みかけている、そろそろ開いているころだろう。


「…待って、なんか…」
ルナティスが突然歩みを止めた。
人ごみの中、少し前を歩いていたグローリィは何かと振り返る。

彼の後ろに、彼の身長の倍ほどの白い熊。
「テロ!!!」
ルナティスはグローリィを引き寄せ、彼を狙っていた熊から庇う。
そんなに強いモンスターではない、すぐさま愛用のソードメイスで殴りかかる。
グローリィがすぐにフル支援をくれるが、かけ終わる頃にはその熊は地に伏して絶命しようとしていた。

「まだ来る!」
少し奥で赤い鎧の騎士が死臭を撒き散らしている。
逃げる商人達を追って、こちらへ向かってくるところだった。
その奥にもいくつものモンスターが、洪水のように溢れ出てきている。

「カリツは僕がやる。奥の奴らを。」
ルナティスの眼前に迫っていたカーリッツバーグにグローリィのヒールが飛ぶ。
完全支援のグローリィのヒールで、それの身体がぼろぼろと崩れる。

「了解、行ってくる!」
カーリッツバーグの脇を走り抜ける直前にグローリィを見れば、その横にアグリィが立っていた。
グローリィを彼に任せ、ルナティスは阿鼻叫喚となっている大通りの中心へ走っていった。

戦えない商人達は地に伏しているか、逃げたかで、あとは戦おうとしている冒険者達の姿がある。
狩りを本業とする者の多くはダンジョンに篭っている。
戦っているのは偶然居合わせた腕に自信のある者達。
ルナティスはすぐに自分が戦える程度の敵を選び、それに殴りかかる。

「ファイアーウォール!ファイアーウォール!!」
丁度何名かの騎士やウィザードとミノタウロスを倒し終わったとき、少し離れた所で火の壁を作りながら逃げるマジシャンの少女がいた。
彼女が逃げているのはゴーレムで、倒してから彼女もここから逃げるつもりなのだろう。

だが、ゴーレムが倒れるより先に、その向こうにその数倍ある黒い影が現れた。
「きゃあああああああ!!!!!」
それに気がついた少女が悲鳴を上げた。
本でもよく見る、ルナティスも何度か見たことのある、深淵の騎士。
少女はそれの間合いに完全に入っていた。

助けに入ろうとしたが、彼女を狙う者はルナティスが戦える相手ではないし、何より巨大な剣が振り下ろされるまで間に合わない。

絶望的な状況にルナティスは半ば諦めていたが、誰かが彼女の前に立って深淵の騎士の一振りを受け止めた。
交差した獲物で重い剣を受け止めてはいるが、咄嗟に少女を庇った者にそれは重荷のようだ。

「早く、逃げろ!!」
深淵の騎士の剣を受け止めている者の聞きなれた声。
「ヒショ…」
ルナティスが呆然と彼の名前を呼ぼうとした時、彼の膝が折れた。
咄嗟に少女はヒショウの後ろから退いた。

「ぅああああああああ!!!!!!」
あまりの重さに交差したカタールを頭の上にとどめて置けずに腕は下がり、そのまま剣はヒショウの首元に食い込んでいく。
重い剣をはじくこともできず、今となっては避けることもできない。
何より、彼は少女を庇う前から重症を負っていたらしく、全身血に濡れていた。

「ヒショウ!!」
とにかく深淵のターゲットを反らそうと脇からソードメイスで何度も殴りかかり、ヒショウに襲い掛かる剣を下から殴り上げる。
彼の身体から離れた剣はそのままルナティスをなぎ払うが、それをかろうじて避け、ルナティスは深淵との距離を保ち、ヒショウから引き離そうと試みた。

「ルナティス君どいて!!」
ルナティスと深淵の騎士の間にアサシンの少女が割り入った。
一瞬誰かと思ったが、桃色の髪でそれがアイリだと気付いた。

「深淵ならタイマンでやれるから、ヒショウさんを!」
何故彼女がヒショウを知っているのか、彼にはそれを気にする余裕は全くなかった。
彼女に任せて、壁際に座り込んでいる彼の元へ走る。

まだ息はあったが、何かにやられたらしい足の傷と先ほど深淵にやられた首の傷が酷い。
浅い呼吸を繰り返して、ガタガタと震えているが、もう意識はほとんどないらしい。
目の前にルナティスが座り、声をかけても上の空だ。

首元の傷に手をかざしてた。
「ヒール!」

彼の首の傷に変化はない。
ドクドクと絶望的に血を溢れさせている。
「なっ…、ヒール!!」
何度かけても、あの淡い光は現れない。

何かが狂ってしまった、あの歯車がずれてしまった夜。
セージとアルケミストを殺したあの夜に、ワープポータルの光が現れなかったのを思い出した。
あの夜に、神に見放されたことを思い出した。

身体がガタガタと震えだした。
何度唱えても、昔のように、微弱なヒールさえもできない。
「誰か…、誰か!!」
まだ続く、街の中での人と魔物の戦いの音にかき消され、少し離れて見えるプリーストまで声は届かない。

嫌だ
死んでしまう
誰か助けて

「ヒショウ!しっかりしろ!すぐに誰か連れて…」
息も絶え絶えな彼を見て、ルナティスは動きを止めた。
虚ろな瞳が、涙を流している。
小刻みに震えている唇が、周りの騒音で聞こえなかったが、自分を呼んでいることに気が付いた。
血に濡れた彼の手が、法衣の裾を掴んでいた。

何故かそこから動けなくなった。
今度こそ、このままヒショウに会えなくなる気がした。
会ってはいけないと思い逃げていたのに、今彼が目の前に居て“やっと会えたのに”と思っている自分がいる。
矛盾している。

カプラの生命維持装置はまだ働いていないのか、血は止まらない。
その装置の発動範囲を過ぎるほどに傷が深すぎたのか。

必死に法衣の裾を掴んでいた手が血に落ちた。
「ヒショウ…!」
呼びかけても全く反応はない。
呆然と開かれた目を覗き込んでも、瞳は作り物のように全く動かない。



昔、孤児院で病気の子猫を見つけ、ヒショウと育てていたのを思い出した。
結局病気はよくならず、三日ほどで死んでしまったけれど。
あのときの、ゆっくりと動かなくなり、冷たくなっていく感触を思い出した。
ルナティスは泣いていて、ヒショウが土に埋めていた。

あの時も辛かったけれど、ヒショウが死んでしまったら、今度こそおかしくなってしまう。
今までの辛かったことも、ヒショウが笑っていたから、生きているから、耐えられたのに。

「…やめてくれ…この人は…見放さないで…」


僕が悪かったのですか
神に見放された僕が彼を汚してしまったから
神は彼までも見捨てようというのですか


倒れてしまった商人の荷物から落ちたらしいブルージェムストーンを拾い、それでリザレクションを唱えた。
けれど、それも全く反応しない。
魔法石は力を持ち、淡く光っているというのに。
彼はもう救ってくれないのか。


なら悪魔に魂を売ってでもいい。
この命を彼に使ってやって欲しい。





いつだったかに本で読んだ、そんな話を思い出して、ルナティスはまだ温かさの残るヒショウの身体を抱きしめた。




  
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