首が痛い。
石の床が冷たい。
生臭い血に濡れた体が冷たい。


ヒショウはさっきまでプロンテラのカプラサービスの前にいた。
アルデバランで会った少女が日没頃にそこにいろと、言い残した言葉に従ってだった。
誰が来るのか、それか誰も来ないのか、回りを見回していたら、まだ日没前にあの少女が現れた。

桃色の髪と口元と身長くらいでしか判別できなかったが、確かに彼女はヒショウに話しかけてきた。
驚いたことに彼女はアサシンの服を着ていた。
ヒショウの知り合いの女アサシンはプロポーションの良い女性だったから、それを見ていた彼には少女のアサシン装束はなんだか幼稚に見えてしまった。
だが彼女は以前とは違い、大人びて見えた。

「先日は失礼したわ。貴方を試したかったの。」
彼女はそう言い出した、その時。

すぐ傍でテロが起きた。


「げ、うそタイミング悪っ!!」
いきなり雰囲気を崩した彼女は、とりあえずテロの鎮圧の手伝いに行くと言い出した。
逃げれば逃げれる位置だったが、2人ともその戦場と化した通りに走った。

「私の知り合いがルナティスを此処へ連れて来るはずだったのよ!多分今テロの騒ぎの真っ只中だわ!」
彼女のその言葉にヒショウは目を丸くした。
だが身体が動くのは早く、あっという間に彼女を越して、とにかく奥へ進んでいった。
鎮圧よりもルナティスを探していた。
戦いに集中できず、途中いくつものモンスターに襲われて、それを倒せぬままに退いたりしながら、重症になっても構わずルナティスを探しつづけた。

そのおかげというべきか、そのせいというべきか、深淵の騎士に襲われかけている少女にいち早く気が付いた。
もう自分の残りの体力も考えず、無我夢中で彼女の前に立った。

思わず彼女に振り下ろされる刃を受けて、けれど耐え切れずにそのまま潰され、切られかけた。
もう深淵の前に出たときですら眩暈がしていて、身体が動かなくなりかけていたのに。
死んだら、ルナティスが悲しむのに。
彼が自分を守って受けてきた苦痛の意味を失ってしまうのに。

肩を、胸の方まで切られてしまった気がした。
感覚がおかしくなってしまったのかもしれない、痛みはなく、どちらかというと…熱い。
息ができない。
この苦しみは在るのだから、自分はまだ生きている。
深淵の二撃目は来ない。誰かが防いでくれているのだろうか。

けれど、段々と体から力が抜けていくのが分かる。

生きたいと思いながら、けれどどこかで諦めかけていて
ルナティスを求めるような、謝罪するような気持ちで、彼の名前を呼んでいた。
視界は暗くなり、もう終わりなのかと絶望しながら意識を手放した。



けれど夢から覚めるように、どれだけ気絶していたのか分からないが、間も無く目を覚ました。
身体は動かしにくくて、しばらくまだけが人や亡くなってしまった人達がいる大通りの床に横になっていた。


「いや、運ぶのはルナティスだけでいいよ」


不意に耳に入った、すぐ近くの青年の言葉。
ルナティスという名に反応して、まだ傷の残る体を起こした。
途端に激痛が走り、眩暈がしたが、目を凝らしてその言葉を発した青年を見上げた。

長い銀の髪の綺麗なプリースト、背の高い短く切られた茶色い髪のクルセイダー。
「…ルナ、ティス…?」
呆然と呟くようにしながら身体を起こした。
それ気付いたプリーストがこちらを振り返った時、その向こうにクルセイダーが抱えているもう一人のプリーストに気付いた。

見慣れない紫の髪の青年で顔は良く見えなかった。だがすぐにルナティスだと分かった。叫ぶように名を呼びながら、身体を起こそうとした。
意識がないらしく、ルナティスは全く反応しない。
死んでいるのでは、と一瞬背筋が冷たくなった。

「まだ起きない方がいいですよ。僕はあまりリザレクションは得意ではないので、傷が塞がりきってませんから。」
それだけ言って、プリーストはブルージェムストーンを床に放り投げ、ワープポータルを唱える。
ルナティスを連れて行かれる、そう思うと頭に血が上って脇にあったカタールを命の恩人でもあるプリーストの背中目掛けて投げつけた。
力が入らず、スピードも乗らなかったそれは簡単に叩き落されてしまった。

「待て、ルナティスを…」
ヒショウの制止を無視し、クルセイダーは黙って青い光の扉に入り、ルナティスの姿も消えてしまった。
あのプリーストに入られては、とヒショウは立ち上がろうとしたが、足がまだ動かなかった。

「あれは僕のだ」

プリーストはもう一度こちらを振り返り、氷のような眼差しでそう言い放った。
ヒショウの耳に叩きつけられた言葉は彼に殺意さえ持たせた。

「うああああああ!!!!」
動かない身体を意志で無理矢理動かし、片手だけのカタールでグローリィに襲い掛かる。
だが距離がありすぎた。
すぐにグローリィのホーリーライトに弾き飛ばされ、ヒショウは呆気なくまた地に転がってしまう。

歯を食いしばり、また起き上がった時には
もうワープポータルの光も、銀髪のプリーストもいなかった。







『ちょ、ちょっとゲロたん!!』
意識を失っているルナティスのベッドに座っていたグローリィの元に、アイリからのWIS。
『あそこでヒショウって人にルナティス君を会わせるんじゃなかったの?!』
『そう言いましたが?』
『って、彼に「ルナティスは僕のモノだ」みたいなこと言ってルナティス君目の前で誘拐したらしいじゃない!』

グローリィは部屋を出て、テーブルに置かれた少し冷めかけた紅茶を飲む。
『そんなことしましたねぇ』
『何をやってるのよおお!!おかげでヒショウさんにブチ切れてアンタのこと問い詰められて、とりあえず知らないって言ったら大聖堂に殴りこんでアンタのこと聞き出そうとしてるのよおおおおお!!!!』
『意外と過激な人ですねぇ、前見かけたとき大人しい人だと思ったのに。』
『呑気にしてないでなんとかしに来いああああ!!まさかのんびりと紅茶飲んでお茶菓子つまんでるんじゃないでしょうね!!』

グローリィはテーブルに置かれたクッキーに手を伸ばそうとして、図星を指されたためその手を引っ込めた。
『いや、見つけたらヒショウさんてばくたばりかけてルナティスのこと泣かせてるからね、なんかムカついてもう一試練くらいさせてやりたくなって』
『むしろこれはヒショウの試練というより私の試練になってるからあああ!!!!!』

現場は見えないが、どうやらそうとうヒショウが切れて暴れようとしているのか。
殴りこもうとしている、ということはそれを彼女が必死に止めているところなのだろう。

『アイリ、つれてきても構いませんよ。大聖堂に殴りこもうとする根性がでるほど彼を思っているなら“合格”ですから。』
『っしゃあ!!もうヒショウ投げてアンタの家の屋根に穴あけてやるからなああああああ!!!!!!』

そんな叫びを最後にWISは切れた。
グローリィは今度こそクッキーを頬張りながら、本当に投げてこられたら困るなぁと呑気に考えていた。




「ルナティス…」
真夜中の暗い部屋にぼーっと突っ立っていた。
不意にしたヒショウの呼ぶ声に振り返る。
背後に黒いシルエットがあったが、何故かそれはヒショウだという確信があった。

「ヒショウ!」
血だらけの彼の姿を見て、思わず駆け寄った。
異様に身体が重い。
目の前で、先ほど見た膝を崩して倒れていく彼の姿がフラッシュバックした。

数メートル進むことも辛く、けれど倒れる彼を受け止めることはできた。
その身体は異様に軽い。

抱え込むようにして彼の顔を覗き込んだ。
目はまたどこも見ていない。
そうだ、さっきこの彼の顔を見た。
冷たくなっていく彼を抱きしめていた。
だが今抱き込んでいる彼は、体温すらない。

「どうして、助けてくれなかったの…?」
震える唇から聞こえた言葉は、遥か昔に思える孤児院にいた頃の彼の声だった。
「どうして、逃げたの…?」
全て遅かった。自分は彼から離れるべきだったのか、離れてはいけなかったのか。
今では分からない。

「僕のこと、嫌いになっちゃったの…?」
「アスカ…好きだよ、ずっと君のことが好きだった。アスカが幸せになれれば、俺なんかどうでもよかった…!だから、離れたんだ…!」
「逃げたくせに…僕のそばにいるのが嫌で逃げたくせに…」
急に、彼の声が低く、冷たくなった。
彼に見放される、そんな恐怖が走った。

「ルナティス、嫌いだ」



身体が冷たくなった気がして、涙が零れた。
「起きろ、ルナティス」
突然頭の上からした声に、顔を上げた。
さっきまで腕の中にいた青年の少年期の声とは違う。

腕の中…?

「…あ…」
腕の中には誰もいない。
気が付けば薄暗いランプで照らされた部屋のベッドに寝ていた。
数日世話になっていたグローリィの家の一室。

「…グロー、リィ…」
眠りながらも泣いていたらしく、涙で滲む目で彼を探した。
だがすぐに隣にいた人物が、グローリィではなく、ヒショウであると気付いた。
「…悪かったな、あのプリーストじゃなくて。」
苛立たしげにヒショウがそう呟く。

その姿も、声も、ルナティスは信じられない、という目で見ていた。
すべて夢だったのか、これは夢なのか、どこまでが夢だったのか分からない。

「泣くな、俺は死んでない。すぐにグローリィとやらに蘇生された。」
「…あ、ぁ…そうか…」
ほっとしてまた涙が出そうになった。
会ってしまった。けれど、それよりも彼が助かったことが嬉しくて、他はどうでも良くなった。

「ルナティス…」
彼に名前を呼ばれて、嬉しいと思いながらも戸惑って彼と目を合わせると、何を言っていいのか分からなくなる。
それは相手も同じらしい。
彼は言葉を捜しているようだった。

「髪…染めたんだな…」
言われて、(おそらく)今日髪を染めたことを思い出した。
「…俺から逃げるためか…?」
図星を指されたのと、夢の中で彼に嫌いだと言われたショックを思い出して、ルナティスは目を丸くして固まってしまった。

ヒショウが項垂れて、膝に肘を付き、手で顔を覆った。
「なんで、俺を今更捨てようとした…もう、疲れたのか…?」
低い声で言う彼に、さっきの夢を思い出してしまった。
今尚、彼に嫌われることをこんなにも怖がっている。

「違う、捨ててなんか…」
「だったら、なんで…!」
顔を上げたヒショウは涙を流していて、ルナティスはまた目を丸くしてしまった。
彼は腕で口元を隠した。身体が小さく震えている。

「あれから、どんな思いで俺がお前を探したと思ってる…!
姿を消せば、俺がさっさとお前を忘れると思ったのか!!
ずっと守って!一人で苦しんで!迷惑になると思ったらさっさと蒸発か…!?
俺がお前をそんな捨て駒みたいに思ってると思ったのか!!」

俺の気持ちも考えろ、とヒショウは泣いて震える声で言う。
ルナティスはそれに何も言えなかった。
ただ、戸惑うように動かず、ヒショウを見ていた。

「ルナティス、お前がどこに逃げようと追いかけていってやる。
同情なんかじゃない、今更逃がしてなんかやらない。
お前がいなかったら、俺は…気がおかしくなる。」
ルナティスは彼が話す言葉を、ヒショウのものとは思えずにただ聞いていた。

ヒショウはベッド脇の椅子から、ルナティスの寝ているベッドに移り、彼を逃がすまいと抱きしめた。
「ここまで俺を縛っておきながら、逃げるな。もう、俺を置いていくな…。お前が守ってくれた体だけど、その時は容赦なく、俺は俺を殺してしまいそうだから…。」
傷というより疲れがあるルナティスよりも、テロで負った傷が癒えていないヒショウの方が、その抱きしめることが苦痛だった。
けれど、意地でももう放すまいと腕にいれた力は緩めなかった。


「…アスカを、汚したくなかった。」
ルナティスは呆然と呟いた。
ヒショウは一旦彼から離れ、でも逃がすまいと手を掴んだままで、彼と目を合わせた。

「母さんはどこかから誘拐されて、あの孤児院の館長に娼婦にされて、俺がお腹の中にいる時にも嬲られていたって…。それを聞いて、いろんな大人に好きにされていたら、すごく、自分が汚いって…思えて…。」
「だから、お前の傍にいたら俺も汚れると思ったのか。」
ランプの灯りに照らされて浮かび上がるヒショウの顔に、酷く胸が締め付けられた。
ずっと会いたかったと、抱きしめてキスをしたいと思った。

そう思ったとき、ヒショウの方からキスをしてきた。
触れるだけで、すぐに離れてしまったけれど、なきたくなるくらい嬉しかった。
彼はすぐに顔を離してルナティスの肩に顔を埋めた。

「お前は強くて優しかった。汚くなんかなかった。
ルナティスがずっと傷ついてきたのは、俺の為だろ。
今更こんな言葉は、お前にとって何の慰めにもならないだろうな…」
「…アスカ…」
「けど、ルナティス…お前が俺を汚してしまうと思ってるなら、俺はそれがいい。お前と一緒にいられるなら…もう、どうなったっていい…。」

目の奥が熱くなった。
息ができなくなる。
ずっと愛しいと思っていたアスカの言葉が、死にかけていた自分の何かを蘇らせた。

「……アス、カ…」
彼を抱いていいのか。
それで彼を不幸にしてしまうのではないかと、一瞬心配した。
けれど、彼に先に胴に手を回されて抱きしめられれば、耐え切れなくなった。
彼を抱きしめて、シャンプーの匂いが消えかけて、数時間前のテロでの埃と血の匂いが染み付いた髪に頬を埋めた。

「早く言いたくて、必死にお前を探した。
俺もずっとルナティスだけだった。」



他に誰も、何も要らない。

愛している。



  
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