男の人に抱かれる度に、男が嫌いになる。
家族がいるくせに私を買う人もいた。
本当に幸せな家庭なんて、無いんだろう。
それらは酷く脆く、崩れやすい虚像。

そもそも…幸せな、ってなんだろう。


やせ細った少女の淡い赤の髪は変わらず艶やかなはずなのに、変わってしまった肌や頬に影響されて色あせたようだった。
ブルーの瞳はガラス玉のように、ただ木と石畳の道が見えるだけの窓の外に向いている。

白くぴっしりと皺一つ無く整ったベッド。
見るからに栄養重視の食事。
町外れの静かな部屋。
何もかもが汚れた生活をしてきた少女には異常で…恐かった。



この病院にやってきたのは数時間前。
医者は少女を診るなり、同伴していたアサシンを怒鳴りつけた。

「何故、こんなになるまで放って置いたんですか!!」

少女はすぐに彼は関係無いのだと弁解しようとした。
だがその言葉は医者の発言に押し込められざるを得なかった。

「これでは、いつ死んでもおかしくない!!」



少女も同伴したアサシンも息を呑んだ。
医者は少しでも時間が惜しいというように、アサシンを診察室から追い出して早々に少女を診始めた。

診察は意外と早く終わり、今度は少女を病室へ押しやり、アサシンを診察室に入れて話し込んだ。

ポタポタと袋の中を垂れる透明な点滴を見ながら、少女はただ医者かあのアサシンが来るのを待つしかなった。
“今頃、彼はきっと私の死の宣告を聞いているのだろう…他人なのに。”
他人事のようにそんなことを考えていた。



アサシン…ヒショウはオペラ仮面をつけたまま部屋に入ってきて、隣に座って黙っていた。
医者の説明の前で仮面をつけているはずは無いから表情を見せたくなかったのだろう、少女はそう推測した。

「…仮面、外して。」

隠さないで欲しかった。
彼の顔、表情、心中…そして少女の現状。
少女に言われて、ヒショウは仮面を外すが、顔は俯きがちだ。

「私…死ぬの?」

そう切り出すと、彼は顔を上げて何か言おうとしたが、その喉から声が出ることは無かった。
苦虫を噛み潰したような顔をして、彼は握った拳を震わせていた。

じわり、じわりと凍みてくる、実感のないままの死の恐怖。
けれど隣にいるアサシンがあまりに悔しそうにしていて、他人のくせになんでそんなに悲しんでいるのか。
アサシンのくせに、表情を殺すのが下手すぎる。
そんな彼への疑問で恐怖は誤魔化せた。

「私の病状、教えてよ。」
「……。」
「医者はアナタのことを保護者と思って、アナタから私に伝えるようにしたんでしょ。」

頷いた彼は、顔を上げた。
眉間に皺がよったままだ。

「…おそらく性病が元になって、体が酷く弱ってる。」

性病。
数え切れないほどの男と寝てきたのだから、かかっていてもおかしくない。

「で?」
「…体が弱ったまま無理を続けたせいだろう、いろんな臓器に異常ができて、体中が病巣と化してる。」

そういわれても、実感がない。
ただ、この体が汚いと思っていた。
ここまで…体の中まで汚いんだな、とぼんやりと思った。

「…医者は、もういつ死んでもおかしくないと…。」

彼が苦しそうに紡いだその言葉。
死ぬ。
その言葉を改めて思い浮かべると…全身総毛立った。

「戻るわっ…お金、まだ必要なの…。」

少女が身体を起こすと、体重をかけた腕が痛み、折れそうな気がした。
改めてみると、本当に腕が骨のようだ。
よく見るとぼろぼろになった肌にまだら模様がうっすら浮かぶ。

けれど、こんな身体でもなんとかして金を稼がなければいけない。
こんな醜い姿で客はとれないかもしれない。
だったらせめて、今まで稼いできた金を目的の場所へ…



「ふざけるな!これ以上命を縮めてどうする!」

アサシンは声を張り上げ、少女の肩を掴んだ。
人に怒られたのは、久しぶりだった。この青年も、怒るんだ、と少し場違いなことを考えた。

「…ジュノーに行くぞ。あそこなら医療技術も発達してるからなんとかなる。」

ジュノー、と聞いて少女は唇を噛んだ。
しばらく考え込んだ彼女は顔をあげた。

もう、自分が追い詰められていることを実感し始めてから涙が止まらない。
唇が震えて出すべき言葉が口から出てこない。
目が合った彼は、酷く必死だ。
まるで、少し前までの自分のようだ。

ただ縋る様に少女はアサシンの手を掴んだ。

「…私は、もういいから…妹を助けて…」

人形のようだと思っていた蒼の瞳には動揺が見られた。
優しい瞳だと思えた。
それとももう彼に縋るしかないから、彼なら何とかしてくれる優しい人だと、無意識に言い聞かせているのか。



「…イリスは、心臓の病気なの…でもお金さえあれば治せるのよ。
借金した手術までの治療費は、もう稼げた。あとは手術代だけなの。
お金を、イリスのところに届けて…足りない分は私の内臓でも何でも売って…。」

驚愕したようなアサシンの顔。

彼が自分を必死に気遣う様子が、自分が妹を気遣う姿に似ていた。
だから、彼なら妹を気遣ってくれるかもしれない…もうじき死ぬ自分の代わりに。
少女はずっと思っていた”もう他人に迷惑をかけたくない”という意識を捨てて、必死に縋った。

彼はしばらく呆然としていて、突然少女の体を抱きしめた。

「…妹のことは、何とかしてやる。
だからもうそんなに自分を追い詰めるな。」

少女以上に、アサシンの身体は震えていた。

「…お願い…。」

 私はもうダメだから。
 もう身体は使い切ってスクラップになるしかなくなった。
 あとはもう、貴方に頼るしかない。
 誰も頼らないと決めていたけれど…貴方は優しくしてくれたから。
 どうか私の我侭を聞いて。






「…君の名前は?」
「…フィーリア」
「改めて、俺はヒショウ。」

何故自己紹介が始まっているのか分からないでいた。
ヒショウはフィーリアを引きはがすと真っ直ぐ見据えた。

「君の妹の為にも尽力しよう。だから君は暫く体も心も休めろ。」

初めて掛けられた気遣いの言葉に、肩に重くのしかかっていたものが跳ね除けられた気がした。
彼は治療費の在り処を聞くと、すぐに走り去ってしまった。
彼もまた一時も惜しいと必死になってくれているのを感じ、心から安堵した。







ヒショウに妹のことを任せてから、身体は弱っていくものの以前よりもずっと心も身体も楽だった。
けれどさまざまなことに対する漠然とした不安は拭えない。
白い布団の中で丸まって、ボロボロになっているという見えない自らの体の中を思い、胸に手を当てていた。

3日程たったある日の明け方、相変わらず殆ど眠れないでいたら外がドタドタと騒がしくなった。
ドアを蹴破る勢いで入ってきたのは、アサシン、ヒショウ。
妹はどうなっただろう、手術の手配は出来たか。そう聞こうとしてフィーリアは彼を見て固まった。

「…何、その鷹…」

鷹と言っていいのか分からない、白く丸みを帯びた独特のフォルムの猛禽類。
それの足を掴んで彼は息を切らせていた。
それはバタバタを暴れ回り、ヒショウの手から逃れると部屋の端に避難してヒショウの背中をにらみつけていた。

「連絡が、遅れて…すまないっ…」
「いや、いいけどどうしたのよ。」

あまりの彼の慌てように、こちらまで慌ててくる。
彼は握っていたクシャクシャの紙を差し出してきた。

「友人に、相談をしていて…昨晩やっと返事が来た。」

紙は手紙というには小さく、ただのメモのようだった。
開くと小さな文字で、誰かの住所と人の名前と多額の金額が書かれていた。


「君の妹が助かる見込みは90%だそうだ。」

 

 

Back Top Next